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第167章

 考えてみれば、洋一は南の島にいるのだ。フライマン共和国に来てから、ほとんど毎日何かに追いかけられるようにして走り回っていた気がする。

 日本領事館に寝泊まりしていた頃も、気楽にすごしていた割には何をさせられるか判らないという不安から落ち着かなかったし、その後はまるで逃亡者のようにフライマン共和国中をかけずり回っていた。

 このあたりで、少し休んだ方がいいのかもしれない。

 もちろん洋一には判っていた。そんな贅沢が許されるはずがない。こうやってのんびりしているように見えても、カハ族とカハノク族の啀み合いは全然解決していないし、第3勢力も何をしているのか判らないが、このまま引っ込んでいるとも思えない。そしてサラはどこに行ったのか?

 おそらくサラが戻ってきた時に、次の動きがあるのだろう。サラが何か企んでいるとは思わないが、そういう気がする。

 もうラライスリたちを疑ったりするのはやめにしようと洋一は思っていた。信じているのではない。もう信じるしかないからだ。

 いやそれよりも、もしこれで誰かに裏切られたとしても、それは仕方がないことだと開き直ったのである。

 誰が何をするにせよ、やむにやまれぬ理由があるに違いない。好きでやるわけではないだろう。本人は洋一以上に苦しいはずなのだ。だったら、騙されてやるのが男の甲斐性というものなのかもしれない。

 ハードボイルド風の雰囲気に酔ったような洋一だったが、その実騙されるなどとは思っていなかった。万一してやられた時のために、言い訳しただけである。心の中で呟いただけだ。誰にも話さないのだから、洋一のひとり芝居そのものだった。

 誰もやってこない。

 いつもなら、そろそろパットが飛びついてきたり、ミナあたりが話しかけてきたりする頃である。しかし今日はどうしたわけか動きがなかった。

 休日のつもりなのかもしれない。

 カハ族もカハノク族も、第3勢力すら今日は休んでいるのだろうか。

 思えば、日本領事館の蓮田に連れられてアグアココに行った時から、心が休まる日はなかった。絶えず追いかけられ、悩み、自己嫌悪に陥っては開き直って突っ走るということの繰り返しだった。

 次々に洋一の前に現れる美少女たちは……結局、洋一より年上の娘はいなかったのだから全員少女でいいだろう……それぞれ魅惑的でありながらも謎めいていて、会って心が安まるというタイプではなかった。

 要するに、洋一はここのところずっと緊張を強いられてきたのである。このへんで少し休憩しても罰は当たらない、というほど甘くはないような気もするが、周り中が休みたがっているのならつき合って悪いわけはない。

 洋一は座ったままでいた。

 最初は一休みのつもりだったが、今はもう動きたくなくなっている。本当に気持ちがいいのだ。

 それはメリッサの顔を見ているときや、パットにまとわりつかれているときとは別種の幸せだが、そういう幸せに飢えていただけに天にも昇る気持ちにすらなっている。

 ゆったりと揺れるクルーザーの甲板で、座り心地のいい椅子に寝そべっている。天気はいいが、舞台の上には帆とも日除けともつかない布が張られていて、洋一の座っている辺りはうまく影になっている。それでも気温は高いのだが、風が絶えず吹き抜けてゆくのでまさにリゾート気分だ。

 これで美女がそばに侍っていたりしたらまさに映画なのだが、それは今は遠慮したい。もちろん、ずっとというわけではない。出来れば、もう少し落ち着いたらメリッサとゆっくりしてみたいなどと考えてしまうのは、男として当然の望みだろう。

 ふと気づくと、そばに誰かが立っていた。

 明るい空を見つめ続けていたせいで、視界が暗い。立っている人の顔も影になっている。体つきで女性だということは判るが、この船にいるのは洋一以外は全員女性だから、それは当たり前だ。

「ハイ。うまくやってるわね」

 洋一は飛び起きた。

 このハスキーな声には聞き覚えがある。だが、サラでもミナでもない。メリッサに似ているが、口調が違う。かすかに皮肉げな、いたずらっぽいこの話し方は。

「アマンダ……さん?」

「久しぶりね、ヨーイチ」

 アマンダは胸の前で腕を組んでいた。ショートパンツから、メリッサそっくりの長くて形のいい足が延びている。裸足だ。

 上半身は、無地のシャツに軽いウィンドブレーカーを羽織っていて、それが実に似合っていた。何を着ても似合うがファッションには無関心なメリッサと違って、アマンダは自分の見せ方を心得ているようだ。

「どうしてここに?」

「もちろん、必要があるからよ。膠着状態のままでいいはずはないでしょ」

「いや、そういうことを言っているんじゃなくって……」

 洋一は途中で諦めた。そんなことは判りきっているし、アマンダがまともな答えを返すはずがない。

「とにかく、ヨーイチに来てほしいのよ」

 アマンダは急いでいるようだった。まだぼやっとしている洋一を、ほとんど引きずるようにして舞台から連れ出す。

 船室に向かうのかと思ったら、アマンダはそのまま舷側をひょいと乗り越えた。

 洋一が見下ろすと、いつの間にか縄ばしごがかかっていて、その下にはゴムボートが揺れている。エンジン付きのかなり立派なものだが、オールもあって、エンジン音が聞こえなかったところをみると、どうやらアマンダはここまで漕いできたらしい。

「早く!」

 アマンダの命令口調には逆らえない。洋一は、ちらっと船室を見てから縄ばしごを降りた。メリッサだけでも声をかけていきたかったが、仕方がない。アマンダには何か理由があるのだろう。今度は洋一の方が少女たちを見捨てる形になってしまうが、これも流れだ。

 その一方で、洋一はほっとしていた。これで決断を下さずに済む。規則の判らないゲームに翻弄されるのはまっぴらだが、自分の決定でラライスリたちが傷ついたりするのではないかという不安の方が大きかったのである。

 アマンダは、メリッサたちの肉親だし、少なくとも悪人ではない。悪いようにはしないはずだ。

 アマンダは洋一がゴムボートに降りると同時に漕ぎ始めた。あいかわらずエンジンは使わない。船の少女たちに知られたくない訳があるのだ。それが何なのか、まったく見当もつかない。どうも、ココ島の人たちは秘密主義で困る。

 アマンダのオール漕ぎは堂に入ったものだった。ほっそりした腕や肩がリズミカルに動き、オールはほとんど波しぶきも立てずに水を蹴る。不格好なゴムボートは、意外なほどの速度でクルーザーから遠ざかっていた。

 手伝おうか、という言葉を出せる雰囲気ではなかった。アマンダは一切の感情を押し込めた無表情である。力を入れるたびにかすかに歯がのぞくが、それ以外は仮面をつけているかのように表情を動かさない。

 その態度だけで、洋一は押されて無口になっていた。いかにも何か重大な事が待っていて、一刻を争っているというイメージなのだ。

ひょっとしたら、アマンダのジョークなのかもしれないが。

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