第160章
メリッサは、昨日のことを覚えているのだろうか? そして、今の状況を伝えていいものか?
どう考えても、第3勢力やカハノク族船団が夜逃げしてしまった原因は、メリッサのラライスリにあるとしか思えない。
昨日の夜の舞台で、メリッサは本物のラライスリになってしまった。その様子は、少なくともこのクルーザーに乗っている第3勢力にははっきり判ったに違いない。洋一のように女神の目の前に立って直接味わったわけではないが、あの禍々しい雰囲気は誤解しようがなかっただろう。
そして、多分その様子は何らかの方法で包囲していたカハノク族にも伝えられた。どこかにTVカメラでもあって、映像が送られていたのかもしれない。
そしてそれは、全隊の完全撤退を促すほどの重大事だったのだ。
これが最初からの作戦だったはずがないだろう。そんなことをしても、翻弄出来るのは洋一だけで、それは第3勢力にもカハノク族にも何の意味もないからだ。洋一がそれほどの重要人物だとはとても思えない。
洋一以外の少女たちも、パワーバランスを考えに入れてもそんな大物ではない。類い希な美少女や美女たちではあるが、公的な立場を持つ者は一人もいないし、ココ島あげての戦争の中では取るに足らない存在でしかない。
そうすると、今現在の事態は誰かの作戦ではなく、突発的な混乱状態ということになる。動きがとれないのは、洋一たちだけではないのかもしれない。
もっともどこかにいるチェスの指し手にとっては、作戦計画の内なのかもしれず、次の手を着々と進行させている最中という可能性もあるが。
メリッサがコーヒーを飲み終えて、ため息をついた。洋一の目がどうしてもその姿に吸い寄せられる。うつむいているためにその美貌は見えないが、ラライスリの衣装を纏ったその肢体だけでも十分に観賞に値する。
乱れた金髪が肩を覆い、軽く組んだ手にまでかかっている。こんな島に住みながらどうやって、と聞きたいくらい白い肌が、金髪とラライスリの衣装を引き立てている。
どういう格好でいようが魅力的にすぎる。反則と言いたいくらいだ。
ぼんやり見とれていた洋一は、はっと気づいて隣の席を恐る恐る見やった。ここにも可愛いラライスリがいるはずだ。
だが、パットは関心なさそうにスプーンでマグカップをかき回しているだけだった。いつもなら、洋一がメリッサに注目した途端に騒ぎ出すはずなのだが、今日はどうしたことか大人しい。
パットの判断基準はよく判らない。単純に洋一とメリッサの仲を邪魔しようとしているわけでもないし、洋一を独り占めしたいわけでもなさそうだ。洋一がメリッサと接触しようとすると間に割ってはいるくせに、他の少女と洋一が話していても別に何の反応もない。何かというとくっついてくるが、別に性的な意識があるわけでもないし、要するに子供なのかもしれない。あるいは、洋一には思いも寄らないくらいに大人として動いているのかもしれなかった。
「ヨーイチさん、私……」
やがてメリッサがおずおずと言い始めた。
「私、何かしたんでしょうか?」
「うーん……メリッサ自身がしたのかどうかわからないけど、かなり派手な事にはなったみたいだな」
洋一は慎重に言った。ここで対応を間違えると、メリッサがすぐにドツボにはまる恐れもある。思いこみの激しいメリッサのことだから、何もかも自分せいだと思い込むのは簡単だろう。
「派手、ですか」
「ちょっと来てくれ」
洋一は立ち上がって、メリッサを促した。説明するより見せた方が手っ取り早い。
メリッサの手をとるときひやっとしたが、なぜかパットは反応しなかった。かわいいあくびをすると、洋一やメリッサには目もくれずに立ち上がって部屋を出て行ってしまう。洋一はほっとして、メリッサをエスコートする。
メリッサはおぼつかない足取りで甲板に出た。舞台を見ると少しひるんだが、果敢にも近づいてゆく。少し神経が細いかもしれないが、この美女は現実を直視する勇気はあるし、責任感にも不足はないのだ。
最初は気がつかなかったようだが、突然メリッサは激しく辺りを見回した。
「ヨーイチさん! これって……」
「ああ。俺が起きた時には、もう誰もいなかった。ついでに、覚えてないかもしれないから言うけど、メリッサが舞台から降りた時にはもう、この船から乗組員が全員撤退していたらしい」
メリッサは絶句したが、耐えた。
洋一は、メリッサを抱きしめたい衝動を押さえ込んだ。
自分が惚れた女が、これほどまでの勇気と精神力を持っていることに感動している。今のメリッサの状態なら、錯乱しても不思議ではないはずなのだ。
だがメリッサはすぐに落ち着きを取り戻した。起こってしまったことは今更どうしようもない、ということを知っているのだ。そしてその上で対応しようとしている。メリッサは困難から逃げるようなメンタリティを持っていない。
いや、そうでもないか、と洋一は思った。アマンダから聞いたところでは、メリッサはアメリカに留学中に男に迫られるかどうかしてアパートに逃げ込んで、助けが来るまで閉じこもっていたという話だ。これは逃げなのではないか?
それとも、そんなことがあってから今のような性格になったんだろうか?
「ヨーイチさん?」
けげんな表情でメリッサが言った。いつの間にか近寄ってきていて、洋一の顔を怪訝そうに伺っている。メリッサの身長は洋一と同じくらいあるので、もろにその紫色の瞳を覗き込むような形になる。
「い、いや、全然違うことを考えていた」
「何ですか」
魔性の瞳だ。誤魔化せない。
「メリッサ、前にアメリカに留学してたと聞いたんだけど」
「はい。それが何か?」
「その時、ボーイフレンドが迫ってきたんで部屋に逃げ込んで、アマンダが迎えに行くまで閉じこもっていたというのは本当なのか?」
メリッサは絶句した。
言ってしまってから、洋一は激しく後悔した。タイミングが悪すぎる。女性に対して吐く言葉ではないし、相手は自分が惚れている女なのだ。わざわざ嫌われるようなものだ。いや、嫌われるならまだいい。興味本位でこんなことを聞く奴は軽蔑されてしかるべきだ。
だがパニックに陥りかけた洋一は、メリッサの反応に救われた。
この美女はパッと頬を染めた。洋一から視線を逸らせ、口唇を噛む。だが怒ってはいても、その対象は洋一ではないようだ。むしろ悔しさと歯がゆさ、そして妙に納得したような表情だった。
洋一はあっけにとられて突っ立っていた。最悪の事態は免れたことは判ってほっとしているが、メリッサの反応が理解できない。あんな侮辱を浴びせられたら、お返しに平手打ちくらい来てもいいはずだが。
やがてメリッサは、洋一の方を向いてむしろ詫びるように言った。
「御免なさいヨーイチさん。それで今まで気を使って下さっていたんですね」
今までにも増して丁寧語だった。皮肉かと思ったが、そういう口調ではない。心から感謝しているというか、謝っている様子だった。
もともと洋一に対しては妙にへりくだった言い方をするメリッサだが、これは行きすぎている。
「メリッサ、どうしたんだ。そんな丁寧語なんか使わないでくれ」
「ごめんなさい……いえ、すみません。わざとじゃないんです。気をつけます」
「いや、それほどのことでもないんだけど」
ああ言えばこういう、の典型だった。しかも、メリッサに悪意が微塵もないから尚更始末が悪い。惚れている女の子に他人行儀な口調で話されるのは結構つらいのだ。