第159章
いや普通とは言い難いかもしれない。こうまで洋一にまとわりつくというのは、この年代の少女としては変わっているような気がする。日本ではそういう経験がまったくないので、本当にパットが変わっているのかどうか判らないのだが。
洋一が見ていると、パットは舞台の椅子にもたれてココ島の方をじっと見ていた。そういう時のパットは大人っぽく見える。普段の態度が無邪気すぎるので気づきにくいのだが、よく見るとパットもメリッサに似て端麗だ。こんな風に感傷的になっているパットは、数年先の成長した姿を彷彿させて、別の意味での魅力に溢れていた。
ラライスリの衣装は脱いでしまっているのだが、いつものTシャツとショートパンツ姿でも、どことなく神秘的な雰囲気すらある。
この少女はもっと成長したらどんな美女になるのだろう。少なくとも、メリッサに匹敵する魅力を発揮することは間違いない。そして、メリッサとはまた別の種類の女神として、世の男どもの上に君臨するのだ。
パットが、洋一の視線に気づいたのか振り向き、ぱっと顔を輝かせて飛びついてきた。途端に、パットはかわいい少女に戻ってしまう。いや、可愛いパットも十分以上に魅力的なのだが。
洋一は、結局パットをまとわりつかせたまま船室に戻った。腹がへってきたのだ。それに、日がどんどん高く上がっているのに、依然としてココ島にも海上にも何の動きもなかった。世の中が洋一たちを置き去りにして動いているという雰囲気である。
「ヨーイチさん。まだ朝食が出来ていないんですけれど、コーヒーはあります。飲みますか?」
船室ではシャナがひとりでかいがいしく働いていた。どうやら朝食の用意をしようとしているらしい。これだけの船だから、材料は用意されていたのだろうが、勝手が違う調理器具に苦戦しているらしかった。
「ありがとう。あ、勝手に飲むから」
洋一は、テーブルに並んでいるマグカップを取ってコーヒーを注いだ。パットがそっくり同じことをする。この少女は、自分が手伝おうとかいう考えはまったくない。料理など自分の仕事ではないと思っているのか、あるいは絶望的に料理が下手なのかもしれない。メリッサの作った食事を毎日味わっていれば、大抵の人は自分の腕に自信をなくす。
シャナにはそういう感情はないようだ。あくまでもマイペースである。無感動なのではないかと思ったこともあったが、内面はどうしてそんなものではない。激しい一面もあるのだ。ジョオのホテルで、この少女はチェス勝負の敗北に激しい高ぶりを見せた。
女は、見ただけではわからないということか。パットすらそうなのだから、サラの妹分であるこの少女ならなおさらだろう。
コーヒーはまずかった。多分シャナのせいではないだろうが、それでもメリッサのために最近舌が肥えている洋一を満足させるにはほど遠い。
それでも、苦いコーヒーはそれなりに意識を覚醒させてくれた。起きてからの夢うつつの感覚が消えて行く。そして、今の状況とこれからの展開についての不安が蘇ってきた。
だが隣でマグカップを啜る美少女が洋一を非現実に引き戻す。まったく緊張感のない、可愛いパットは洋一の視線を敏感に捉えてニコッと笑った。
それだけで、何もかもどうなってもいい気になってしまうから凄い。その一瞬だけは、メリッサの面影が洋一の脳裏からかき消える。少なくとも、メリッサはこんなに明るく笑わない。
美貌だけではなく、洋一はメリッサが好きだと思っているのだが、こうも簡単に別の少女にときめいてしまうのはまずいのではないだろうか、と洋一は悩んだ。
浮気性なのかもしれないが、まだメリッサと約束を交わしたわけでもないから、浮気とは言えないだろう。単に洋一の気が多いというだけのことなのかもしれない。
パットは、恋を語るには少し幼すぎる。外見も内面も今の洋一の相手ではないが、恋というものはそんな条件には左右されない。むしろ、洋一が今パットに感じているものが恋なのであって、メリッサを求める感情は打算なのかもしれないのだ。
それでも洋一はメリッサが好きだったし、メリッサを失う原因になるようなことはしたくなかった。それ以前に、ロリコン犯罪に巻き込まれるのは御免だった。少なくとも日本の常識では、パットを相手に恋を語ったりしたらそれだけで危ない。ココ島ではどうなのかは判らないが、危険は避けるべきだ。
目の前の少女は、そんな洋一の葛藤など知らぬげに可愛く笑っている。
パットにも打算や計算があるのかもしれない。馬鹿でない限り、何か行動するとしたら思惑があるのは当たり前である。そしてパットは馬鹿ではなかった。無邪気で純真だが、けっして考えなしではない。いかに自分が望んでいても、洋一が説明すれば納得してくれて、わがままを押し通すことはない。あくまで相手の立場や感情を尊重して、その上で最大限の自己主張を行うのだ。
パットに対して、悪感情を持つことがないのはそれか、と洋一は思い当たった。普通、人はどうしても自分勝手に動きがちなもので、それが不快感の大きな原因になる。だがパットやメリッサは、洋一が嫌がることはほとんど、というよりまったくやらない。
メリッサが洋一を置き去りにしたり、パットがうるさいくらいにまとわりついてきたりしたこともあったが、それは洋一の意志に反するというよりは、あるがままの当たり前の行動に感じられてしまうのだ。
だから、洋一にとって2人は「都合のいい女」ということになる。洋一の都合に合わせてくれるというわけではないが、それは仕方がないことだろう。洋一だって、嫌いな相手だったら不快に思うだろうが、あれだけの美女や美少女なのだ。むしろ、多少のわがままを言ってくれないのが物足りないほどだ。
メリッサがわがままで高飛車な女だったら、多分洋一は好きになったりしなかっただろうが、それでもあの美貌には衝撃を受けただろうし、憧れたかもしれない。あれだけの美女が自分勝手ではないなどという状況は、逆に間違っているような気がする。
パットもあと数年でメリッサと肩を並べるくらいになるだろうが、この少女は男を振り回すタイプになりそうだ。それはそれで、可愛いかもしれないが。
突然、パットが身体をこわばらせた。今まで猫だったのに、急に豹に変化したかのようだ。
洋一が振り向くと、メリッサが船室に入ってきたところだった。どうやら起きたばかりらしい。柔らかで長い金髪が後光のように頭を取り巻いている。まだ意識がはっきりしないのか、少しぼんやりしたような表情だ。
ラライスリの衣装を纏ったままのその姿は、まさしく寝ぼけ眼の女神が間違えて人間界に降りてきてしまったかのようだった。
「ヨーイチさん……おはようございます」
女神がぼんやりと言った。洋一の前に立つ。隣のパットは目に入ってないらしい。
「おはよう。コーヒーでも飲むか?」
洋一は素早く立ち上がった。まるで測ったかのような完璧なタイミングで、マグカップが差し出される。シャナの状況判断力は、おそらくこのグループ1だろう。しかし、なぜ直接カップをメリッサに渡さず、洋一の手を経由させる? 気を回しすぎということはあるものだ。
「ありがとうございます」
メリッサは、夢遊病者のような動きでカップを持って、ソファに座り込んだ。こんな場合でも、この美女の動きは優雅だ。洋一だったらギクシャクするはずの動作を流れるように決めてみせる。意識してやっているわけではないらしいのが凄い。この動きだけで、どんな高級ホテルに行っても上客として扱われること請け合いだ。
しばらくは、全員が黙っていた。メリッサは文句も言わずにまずいコーヒーをちびりちびり飲んでいる。シャナはまるで寡黙なバーテンにでもなったかのようだ。パットは油断無く姉を伺いながら洋一にくっついているし、洋一も何となく口を出しかねていた。