第155章
感受性が強すぎるのか、思いこみが激しすぎるのか、いずれにせよ思い詰めるたちのようだ。しかも純情である。これだけの容姿を持ちながら、どうしてこんな性格になったのか不思議なほどだ。
洋一は正直なところ辟易していた。本質的には気楽で無責任な日本の大学生なのだ。
だが、これが並の女性だったら逃げるところだがメリッサの場合はそうもいかない。恋した以上、背負うしかない。
メリッサが何に悩んでいるのか、薄々見当はついたが、そもそもメリッサが思い悩むことではないはずだ。主犯は別にいるに違いない。
そういうことを言っても仕方がないことは判っていたので、洋一はただ握った手に力を入れてやった。
メリッサの瞳がみるみるうちに潤んで、涙が流れた。
ひどく地味だが、これがメリッサの感情の発露だった。泣きわめかれたらどうしようと心配していたが、とりあえず大騒ぎになることは避けられたようだ。
内にこもるタイプだから、これでもストレス発散にはなったらしく、しばらくするとメリッサは静かに寝入った。あいかわらず洋一の手を握りしめたままである。
目の前に無防備な美女が横たわっているのだが、痛々しくて手を出す気にはなれない。洋一は、さらにしばらく待ってからそっと手を抜いて立ち去った。
船室に戻ると、アンが通信機らしき機械をいじっていた。ダイヤルやボタンを操作するたびに、激しく言い立てる声や命令口調がスピーカーから飛び出してくる。この時間でも、誰かが起きていて通信しあっているようだ。
神経を集中してみたが洋一には理解出来なかった。もちろん日本語ではないし、英語とも違う。多分、フランス語かフライマン共和国語だろう。
ということは、カハ族やカハノク族船団の通信ということもあり得る。洋一は聞いてみた。
「アン、それは誰なんだ?」
「多分軍か沿岸警備隊だと思います」
アンは洋一を見もせずに事務的に言った。あいかわらずそっけない。洋一が船室に入ってきたことには気が付いていたはずなのに、まったくそんなそぶりは見せない。同年代のパットと比べたら末恐ろしいとしか言いようがない。
「軍隊ってあるのか」
「ありますよ。警察兼任ですけれど」
兼任などという日本語をどうやって覚えるのだろう。いや、覚えるのはともかくとして、ココ島に住んでいてそんな単語が会話の中に出てくるのは凄い。ただ日本語が判るというレベルではない。日常会話を日本語でやりつつ、高度な抽象概念についての議論もやりなれてないと出てこないセリフだ。
ミナやシャナもすごいが、このアンこそが驚異の語学の天才なのかもしれない。
アンが話し始めた。
「さっきからカハ族かカハノク族の通信を傍受しようとしているんですけど、全然駄目です。周波数が違うのか、それともスクランブラーをかけているのか。でも一番考えられるのは、通信してないってことですね」
「通信してない?」
「はい。多分、寄せ集めの船団ですから、両方ともそんなに高度な全体指揮はやっていないんじゃないでしょうか。ある程度の指示は出ているかもしれませんが、きっと何となく集まって、みんなの行く方向に動くというレベルの船団かと」
「ああ」
多分、そうなのだろう。
艦隊決戦というようなイメージだったが、本気でやり合おうとしているのはごく一部で、あとは烏合の衆なのかもしれない。
これだけの船が集まっているのだから、もしやる気ならとっくに戦争が始まっているはずなのだ。
だが危険であることには変わりはない。もし一部でも暴走する者がいれば、あっという間に連鎖反応的に全体が巻き込まれる可能性が高い。
それに小火器が大量に配られているという噂もあるし、少なくとも誰かが後ろであおっていることは確かなのだ。
第3勢力がそれに係わっていることはもう間近いなさそうだが、せめて手先に使われているだけであって欲しい、と洋一は思った。
ミナやアンが敵に回ったら、洋一には対抗できそうにもない。それに、この可愛い少女たちがそんな陰謀の片棒をかついでいるとは思いたくないのが人情だ。
そんな洋一の甘い感傷を断ち切るように、アンは断定的に言った。
「それよりヨーイチさん、上でミナ様が待っています。すぐに行って下さい」
「判った」
少女たちは、洋一がぼやっとしている間にもしたたかに行動しているのだ。それくらいでないとココ島でラライスリは張れないのか。
何となく打ちのめされて、洋一は甲板に向かった。
「ヨーイチ!」
いつもの通り、可愛いパットが飛びついてきた。元気いっぱいだが、心配そうな表情で洋一の腕にぶらさがったきり離れようとしない。
メリッサを落ち着かせる間、パットが邪魔しにこなかったのは不思議だったが、この天下無敵の小さなラライスリを制御できる者がいるのだろうか。
いた。
サラが、いつものように謎めいた微笑みを浮かべて歩いてきた。ミナはどこに行ったのか、姿がない。
「ヨーイチのお姫さまは大丈夫?」
俺のお姫さまなんかじゃない、と言いかけて、洋一は踏みとどまった。日本語で話しても、メリッサという単語は聞き取れる。パットを刺激しないように気を使っているのだ。もっともそれ以外の意味がないのかどうかははっきりしないが。
「眠った。かなり消耗しているみたいだった」
「そう。それじゃ、そろそろこっちの方にも注意を向けて欲しいの」
「こっちの方って……ああ、なるほど」
もちろんだった。
クルーザーの乗組員たちはどこに消えたのか?なぜいなくなったのか? マリー・セレスト号事件みたいな状況なのはなぜなのか?
これがラライスリやタカルルの出現に関係あるのは間違いないが、かといって超自然現象であるとも思えない。漂光といい、ラライスリの出現といい、常識はずれの事象が頻発してはいるが、根本的なところではこれは人間同士の生々しい行動なのだ。
まだ洋一には知らされていない作戦が進行している。それが腹立たしかった。
「何か判ったのか」
パットを引きずりながら洋一はサラに続いた。サラは舞台に向かう。
「何も。とりあえず、明るすぎるライトは消したけれど」
言われてみると、甲板が暗い。いくつかの明かりがあるから見えないということはないが、さっきまでの眩いばかりの輝きはすべて失せている。
舞台は暗がりに沈んでいた。舞台用のライトはすべて切ってあった。
「ヨーイチさん」
ミナが舞台から降りてきた。シャナが従っている。ミナもシャナも手足や顔がすすで汚れているところを見ると、どうやら舞台の下などに潜り込んで調べていたらしい。
「ミナ、何か判ったか」
「駄目です。仕掛けがあるのかと思っていたんだけど、何もありませんでした」
「この作戦について何も聞かされてないのか」
きつい言葉だな、と思いつつ洋一は言わざるを得なかった。ここではっきりさせておく必要がある。この大型クルーザーは第3勢力艦隊の旗艦だったはずであり、ミナはその第3勢力の幹部の娘で行動隊長なのだ。