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第152章

 パットをやさしく押し退け、ゆっくりと一歩踏み出す。つい今まで手も足も棒のようだったことが嘘のように自由に動く。いやいつもより軽い。月面にでもいるように、ステップはふわふわと浮き上がりそうだ。

 女神は再び注意を洋一に向けた。

 ミナは、そこで力つきたのかズルズルと崩れ落ちてしまった。しかし女神はもうミナのことなど忘れ去ったかのように、静かに両手を上げ始めた。

 洋一はまだ意識を保っていた。手足だけではなく、頭の中で荒れ狂っていた圧力が消え失せている。だからといって、何かに乗っ取られたような印象はない。思考しているのは間違いなく洋一だし、その道筋も今まで通りの普通の日本人青年のものだ。

 しかしやはり違う。環境が違うのだ。さっきまでの洋一は、得体の知れない謎の力にただ翻弄されていた。何をしていいのかわからないくらい無力だった。だが今は、なぜだか女神に対抗できる力がある。あることが判っている。そして、実際に対抗出来ている。

 この認識があるだけで、洋一の行動や思考までもががらりと変わってしまったということだ。

 忠実なパットがまた腰にしがみついてきた。洋一が頭をなでてやると、パットはうれしそうに何か言って微笑んだ。本当に光が射してくるような笑顔である。もし大人になってもこの笑顔を持ち続けていられたら、パットは世界の恋人になれるだろう。

 洋一はパットの肩に手を置き、歩いた。目の前には女神がいて、そしてミナがその足下に倒れ伏している。サラの姿は見えない。

 自信に満ちて、洋一は最後の一歩を踏み込んだ。

 手を伸ばしてメリッサの頬に触れる。白い頬は暖かく、かすかに湿り気を帯びていた。

 メリッサは、きょとんとして洋一を見つめると、あわてて上げていた両腕を降ろした。頬に触れている洋一の手に気づいて、後ろ向きに後退する。しようとして、倒れているミナに足を取られたメリッサがバランスを崩し、あやういところで洋一が支えた。

「ご、ごめんなさい」

「気がついたか? いや、覚えているか?」

 洋一の問いに、メリッサは頬を染めた。もう女神はどこにもいないようだ。

 メリッサが何か言いかけた途端、いつもの通りパットが割り込んだ。洋一の前に回り込み、憤怒の表情で美しい姉を見上げる。

 メリッサの方は、まだ事態が把握できていないらしい。パットにかまわず、怯えたように辺りを見回してから言った。

「わたし……確か、あそこにいて、いえ覚えてはいるんですけれど……。夢を見ていたみたいで」

「そうなんだろうな」

 洋一の方は、まだ妙な自信が続いていた。タカルルが残っている。というより、精神状態がやたらにポジティヴなのだ。タカルルは人格ではなく、状態のことをいうのかもしれない。

 パットが洋一にしがみつきながら早口で何か言った。不思議に意味が分かる。感情は前から伝わってきていたが、今はほぼパットが何を言いたいのか把握できるような気がする。

 洋一はパットの頭を撫でてやってから、ひょいっと片手で抱き上げた。驚くほど軽い。いや、軽く感じられるだけか。パットは幼いとはいえ、それなりの体重があるはずだから、この軽さは洋一の側に原因があるとみた方が正しそうだ。

 パットは大喜びで洋一の首に抱きついた。背中越しに得意そうにメリッサに目を走らせる。勝った、と思っているのは明らかだった。

 メリッサはまだそんなパットの挑発に反応出来ない。一応落ち着いてきたものの、おどおどした態度と表情はさっきまでとは別人のようだ。身体も一回り縮んでしまったようで、しょんぼりと立っている様子は哀れを誘った。

 それがまた妙に魅力的である。女神としては堂々とした気品と圧倒的な存在感が他の追随を許さなかったが、こうして頼りなげな姿も身震いするほど男の征服欲をそそる。

 洋一はそう感じながら、まったく別のことを考えていた。

 メリッサの呪縛は解けた。同時に、あの禍々しい気配も消えたようだ。洋一にとりついているのは、どうやらメリッサのそれとは別のものらしい。さて、次はどうすればいいのか?

 その間も洋一は動いていた。

 パットを抱え直し、大股でミナに近づいて手を伸ばす。ミナは皮肉っぽく微笑みながら、それでも洋一の手にすがって起きあがった。まだふらついているが、とりあえずは回復したらしい。

 洋一はミナがとりあえず自力で立てるのを確認してから舞台の階段を上がった。身体が軽い。パットを抱えているのに、まったく気にならない。

 果たして、舞台の上にはサラが座り込んでいた。

 こちらはミナほどの打撃は受けていないようだったが、それでも無事というわけでもない。タカルルの椅子にすがって、かろうじて身体を起こしている。洋一を見ると、いつものポーカーフェースを崩してほっとしたように笑った。

 洋一はパットを抱えたまま手を差し伸べた。

「大丈夫か」

「ヨーイチも」

 ちょっと舌がもつれたが、冷静に答える声はいつものサラだった。

 それでもサラは洋一の差し出した手にすがらないと立ち上がれなかった。身体に力が入らないらしい。

「何があったんだ?」

「わからない。というより、よく覚えていない」

 サラは真面目に答えた。舞台の階段を一歩一歩踏みしめながら降りる。

「途中までは順調だったと思う。ヨーイチが休みに行ってからしばらくたって、いつの間にかおかしくなっていた」

「意識はあったのか。俺が見たときは、サラもラライスリになりきっていたみたいだけど」

「そのへんの記憶が曖昧。メリッサが青く光り出したような気がして、そこらへんからもうよくわからなくなって、気がついたら座り込んでいてヨーイチが目の前に立っていた」

 甲板で抱えていたパットを降ろす。サラは何とか自分で立つことが出来た。脱力は精神的なものだったらしく、急速に回復していた。

 甲板にはあいかわらず人気がなかった。

 メリッサが力つきたように座り込んでいる。ミナがそばで話しかけているようだが、ほとんど関心がないようだ。アンとシャナが怯えたように抱き合って、メリッサから少し離れて立っていた。

 元気なのはパットだけだった。この可愛いラライスリは、あいかわらず洋一の腰にしがみついて、気持ち良さそうにしている。

 おかしなことに、美しい姉がいわば戦線離脱状態であるためか洋一への執着は薄れているらしい。サラやミナが洋一に話しかけても反感を示さない。もしかしたら自分のライバルはメリッサだけだと思っているのかもしれない。

 ミナは気がかりそうにメリッサから離れて洋一に近寄ってきた。

「ヨーイチさん」

「メリッサは? 大丈夫か?」

「だと……思います。よくわからないけど、怪我しているわけでもないし。精神的には混乱しているけれど、しばらく休めば落ち着くと思う」

 それから少しためらう。

「あの、メリッサさんについてあげて下さい。今とても不安定な気持ちみたいだから」

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