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第151章

 女神の感情は、ちょっとした違和感となって洋一を襲った。それだけでも洋一には打撃である。いきなり、あらゆる音と、匂いと、触覚と、それから極彩色の光の中に洋一は突入する。

 それは一瞬のことだったのだが、洋一にしてみれば全身にアッパーを食ったようなものだ。

 それでも倒れられなかった。身体が動かないのだ。意識ははっきりしている。全身の感触もある。なのに崩れ落ちないのは、自分とは別の力で支えられているからだった。

 身体が固定されているかのように、洋一は突っ立ったままだ。力が入らないのではなく、入れることが出来ない。いや、入れようという気にならないと言った方が良い。女神の呪縛だった。

 しかし、女神が動く前に、洋一は不意に現実に引き戻された。もう一人のラライスリが間に合ったらしい。

 洋一の可愛いラライスリは、いつの間にか洋一の前に回って女神と正面から対峙していた。

 なぜか、洋一にはパットがよく見えた。視線が正面にいる女神の瞳に釘付けにされているのだから、洋一をかばうように立つパットは完全に視界から外れているはずだ。

 しかしパットが見える。背中を向けているはずの小さなラライスリの表情まで見える気がする。

 真剣な顔で目の前の女神を睨みつけるパットは、実に可愛くて凛々しい。

 だがそれだけではなかった。パットの緑色の瞳もまた、禍々しい光に染まっているようだった。

 女神に対抗するためには、やはりパットもラライスリになるしかないということか。

 洋一の手の平が、知らず知らずのうちにパットの肩にかかっていた。少女の薄い肩の筋肉が緊張している。しかしそれは、パットが紛れもなくまだ人間である証拠だった。

 パットが何かを叫んだ。その中にヨーイチという単語が混じっている。多分、「洋一は渡さない」とか何とか言ったのだろう。

 対する女神は微動だにしなかった。表情にも変化がない。だが、その女神像そのままの美貌に面白がるというか、興味を引かれたような感情がかすかに走ったかのようだ。

 パットがまた叫ぶ。

 あいかわらず微塵の怯みもない、純粋きわまりない戦いの雄叫びだった。この少女は無敵だ。多分、相手が女神だということが判っていないに違いない。

 パットの世界では、何も不思議なことは起こっていない。自分と、大好きなお兄ちゃんと、そしてライバルである美しい姉がいて、いつものように姉が自分の邪魔をしているだけだ。

 女神はつかの間パットに注意を向けた後、再び洋一にその影響を戻した。視線が動いたわけではないが、洋一はからみつくように脳に食い入ってくる呪縛を感じた。

 だが今度は圧力が少ない。多少目眩がする程度で、自分を失うことはない。その理由も判っていた。洋一のそばにいる、もう一人のラライスリが洋一を護っているのだ。

 いや、護っているのとは少し違うかもしれない。パットは、単に姉の影響に闇雲に抵抗しているだけだ。従って、洋一を護る力はどちらかというと反対側から洋一に圧力を加えているようなもので、常に自覚していないと2つの巨大な圧力に挟まれて潰されてしまいそうである。

 女神の力も、さっきとは違っているようだった。むやみに押しつぶそうというのではなく、こちらを観察しているような所も感じられる。

 それは、明らかにメッセージを含んだ問いかけだった。言葉には出来ないが、女神が少し不思議そうに、また不安そうに呼びかけてきている。

 ラライスリはタカルルを探しているに違いない。

 目の前にいるこの女神が本当にラライスリなのかどうか、洋一にも判らない。順当に考えれば、ラライスリやタカルルはフライマン諸島の人々が日々の生活のなかでつむぎあげていった神話体系の登場人物にしかすぎない。海や空の擬人化であって、人格を持った神などではないのだ。

 だが人々の想いというものは、時として奇跡を産む。信じられている神話は現実に影響を与え、架空の事象が肉体を持って動き出すこともあり得る。

 これは一種のトランス状態で説明できるはずだ、と洋一は思った。大学で履修したわずかな授業でそういうことを習ったような気がする。

 ラライスリの出現は宗教的な集団ヒステリーで説明できるし、精神的に不安定な人格が感情移入すればラライスリになってしまうこともあり得る。

 精神分裂とか二重人格まではいかないが、神懸かりや神降ろしと呼ばれる現象は日本でも珍しくはない。巫女というものは、もともとそういうことをする人であったはずだ。

 そしてここはラライスリ信仰のメッカであり、繊細な感受性を持つ美貌の少女なら容易に神懸かることもあり得るだろう。これだけの舞台装置まであるのだ。

 そしてメリッサは、正気の時ですらラライスリに模される程の神秘的な雰囲気を持っている。ここまで状況が整えば、ラライスリになるのはけだし当然かもしれない。

 洋一が身じろぎもせずにラライスリたちの圧力に耐えている間に、ミナがそろそろと動いていた。あいかわらず弱々しい足取りだが、瞳は光っている。ラライスリに圧倒されきったわけではないようだ。

 このミナも、聞くところによればラライスリ神殿の巫女の娘らしいが、おそらくミナの性格ではラライスリに乗っ取られることはない。強い精神力とはっきりとした自意識は、神懸かりから一番遠いところにある。何より、この少女は自分が自分以外の意志に従って行動することなど耐えられまい。

 だから、第3勢力は身内にミナという手駒がいたにもかかわらず、ラライスリ出現に使うことをしなかったのだろうか。わざわざメリッサという、カハ族どころか全島に知れ渡っているような美女をここまで持ってくるためには大変な手間がかかったはずだ。もちろん、メリッサを使うメリットはある。

 もともとカハ族のラライスリとして知られているメリッサなら、カハ族向けには無条件で歓迎されるし、カハノク族もメリッサなら納得する。適材という点では他の何者をもってくるより相応しい。しかも、メリッサは外見に似合わず繊細で、巫女としての資質に恵まれているのだ。

 しかし、だとしたらサラや他の少女たちが同行している意味が判らない。何かまだ洋一に判らない理由があるのか、それともただの偶然なのか。

 ひょっとしたら、第3勢力の作戦計画や謎のチェスの指し手などというものは存在しておらず、全部偶然と成り行きの産物なのだろうか?

 それにしてはあまりにも状況が整いすぎている気がするが。

 洋一がぼんやり考えている間にも、事態は進んでいた。ミナがついに女神の後ろに達し、そのまま組み付いたのだ。

 倒れ込むようにぶつかったミナは、しかし女神に抱きついたまま崩れ落ちた。女神は微動だにしていない。後ろから人間ひとりが体当たりしてきたというのに、物理法則に反したように女神は微塵も衝撃を感じないように立ったままだ。

 それでも、ミナの捨て身の行動は女神の注意を引くことには成功したらしい。つかのま女神の視線が洋一から離れて、自分の胴体に巻き付いているミナの両手に落ちた。

 ミナは力つきたように、女神にしがみついたままかろうじて膝立ちしていた。頭ががっくりたれていて、意識があるようには見えない。それでも、両腕はしっかりと女神にしがみついていて、自由を奪っている。

 女神はしばらくミナを眺めてからやっと何が起きているのかわかったようだった。あまりにも意外で、状況がつかめなかったのかもしれない。

 続いて女神の瞳が細められる。そこにはいかなる感情も見えなかったが、洋一は思わず動いていた。

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