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第150章

 身体が硬直している。洋一はぎちぎちいう首を無理に回した。注意力が全部舞台に向いていて、目が完全に明るさに慣れていたので最初は真っ暗のままである。

 ぎこちなく身体の向きを変える。パットが腰にしがみついているのでひどく動きにくい。その間に目が少しずつ慣れてきて、甲板の様子も見え始めた。

 驚いたことに、あれだけいた群衆が消えていた。嘘のようである。あの歓声や足踏みは幻だったとでもいうのだろうか。最初から麻薬か何かのせいで幻覚でもみていたのだろうか?

 そうではないようだった。目が慣れるに従って、だんだんと辺りの様子がはっきりしてくる。

 クルーザーの船室や操舵室には煌々と明かりが灯っていた。ドアが開け放されていて、喧噪が伝わってくる。このクルーザーの船員が駆け回っているらしく、影が激しく横切る。

 何かあって、船員は全員仕事に呼び戻されたに違いない。そしてそれはラライスリの奇跡を無視するほどの重要なものなのだろう。

 そっちも気になったが、洋一の関心は漂光に向いていた。目が慣れたころを見計らってクルーザーを見回す。

 あれほど集まっていた漂光がまったく見あたらない。洋一にまとわりつき、背中を押してまでラライスリとの邂逅を進めようとした神秘的な光が、ただの一つも見えない。

 やはり薬に影響されたせいで見た幻だったのか。

 気がつくと、洋一はなぜか落ち込んでいた。自分でも驚くくらい感情の起伏が激しくなっている。もちろんそれは洋一本来の性格ではないはずだ。何かに影響されているためであることは判ってはいる。しかし、理性的に判断している洋一はごく一部で、残りの大部分は圧倒的な感情の渦に右往左往しているだけだった。

 漂光に見捨てられた、という喪失感が大きすぎて、次第に身体の力すら抜けて行くようだ。懸命になってそれから考えを逸らそうとしたが、考えれば考えるほど挫折感が大きくなって行く。洋一は恐怖した。

 そんな洋一を救ったのは、またしても可愛いラライスリだった。

 まだ洋一の腰にしがみついていたパットは洋一の動揺を感じ取ると、猛然と打って出た。

 いきなり洋一の足にタックルをかける。いくらパットの身体が小さいとはいえ、立っているだけでやっとの洋一が耐えられるはずがない。洋一はバランスを崩してひっくり返った。

 パットはそのまま洋一に馬乗りになり、何か叫びながら髪の毛を掴んだ。

「Get up! ヨーイチ、Get up!」

「パット、わかったわかった。Yeah、Yeah! 放してくれ」

 いっぺんで正気にかえった洋一が叫ぶ。パットは疑わしそうに洋一を眺めてから、小さく頷いて放してくれた。

「とりあえず……ありがとう。thunk you」

 髪の毛が無事かどうか気にしながら洋一が言う。パットはニコッと笑うと洋一に飛びついてきた。

 本当に、パットの笑顔はあたりが明るくなる。女性の美というよりは、生命の輝きがほとばしり出るような素敵な笑顔だ。短い金髪をきらめかせながらぶつかってくる暖かくて撥ねるような身体を受け止める。もう、これ以上は何もいらないような気分である。だがその気分も、舞台の方を向くまでだった。

 ラライスリが立っていた。舞台の上ではない。階段を降りきったところに、青く輝く女神がたたずんでいる。

 それは、ぞっとするような美しさに満ちた姿だった。

 その身体は、今や全身が青い炎につつまれているようだ。確かにそう見える。強烈な圧力のようなものが、女神の周囲に漂っている。

 よく見ると、実際にチロチロ燃える炎の舌のようなものが身体の輪郭からはみ出しているようだ。メリッサの身体だけではなく、大きく広げられた衣装の端からも出ているように見えた。

 ラライスリは無表情だった。

 メリッサ個人どころか、人間としての感情がまったくない。しかし無感情の像というわけでもない。人形というのとも違う。それどころか、人間いや生物としての存在感すらあるのかどうか判らないほどだ。

 そこにあるのは、強烈といいたいほどの何かのイメージだった。実体を持つほどまでに強烈な幻、といったところか。

 例え目を閉じていても、ラライスリの姿の輪郭をなぞることが出来ただろう。それは禍々しいといってもいいくらいの圧迫感で、とうてい人間のものとは思えなかった。

 洋一は、それと真っ正面から向き合ってしまったのである。

 かろうじて踏みとどまる。

 今回はパットも力を貸してくれない。パットはまだ洋一の腰にしがみついていて、その身体の感触もはっきり感じられるのだが、それはテレビの中の誰かのように頼りない感覚と化している。

 洋一はすでにラライスリに取り込まれていたのだ。

 こんなことが実際にあろうとは、まったく予想していなかった。

 フライマン共和国に来てから、美少女づくしはともかくとして、それ以外に超自然現象と言ってもいいような現象に何度も出くわしている。漂光など、UFOなんかよりもっとオカルトっぽい現象である。アマンダやメリッサが当たり前のように話すから、何となく納得してしまっていたが、他のフライマン共和国人たちの反応からみても、あれは奇跡に近いような出来事のはずだ。

 タカルル神殿でのメリッサとのふれあいも、ムードに流されただけとは言い切れない雰囲気だった。そもそも洋一は、ああいう状況に似合うキャラクターではない。ハーレクインのヒーローの対極にいる自分であることはわかっているのだ。いくら状況に追い込まれたせいといっても限度がある。

 ゴチャゴチャ考えている暇はなかった。

 女神は無表情のまま、すべるように洋一に近づいてきた。

 これは第3勢力の作戦ではない、と思い知ったのはその時だった。女神の後ろから、這うようにしてミナが顔をのぞかせたのだ。

 舞台の階段を這い降りてきたらしい。ミナは手すりにつかまってかろうじてからだを持ち上げると、洋一に向かって何かを叫んだ。

 ミナの表情が引きつっていた。そしてそれ以上に体力を消耗しているようだ。何度も叫ぶように口を開けるのだが、まったく聞こえない。

 いや、物音がすべて消えている。

 目の前に禍々しいほどの美しさを、物理的な圧力のように放射する女神がたたずんでいる。その圧倒的な存在感にかき消されているのか、周囲の音という音がすべて消滅しているのだ。

 ただ単に静かなのとは違う。可聴範囲外の音があたりに充満しているようだ。地下のライブハウスで、ベースをギンギンに弾きまくっているのを奥まった席で聞かされているイメージに近い。そのベースの重低音が聞こえず、ただ圧力だけがかかってきている状態だ。

 今の洋一には、四方八方からの圧迫感だけがあった。女神から発しているというわけでもない。どこからか押し寄せてくるというのではなく、洋一の回りの空間だけが悲鳴をあげているような印象である。

 身動きも出来ずに立ちつくす洋一の目の前に、女神が立った。

 手を延ばせば相手に届く位置である。女神は真っ正面から洋一の目を覗き込んできた。

 紫の瞳は魔性の目、というフレーズを洋一は思い出した。神秘的だったメリッサの瞳は、今や洋一には理解不能な感情をたたえながら、まっすぐ洋一の心に突き込んでくる。洋一はなすすべもなく、その瞳に翻弄された。

 女神の感情が動いた。

 おや? というような、ひとつ外した意外そうな印象が女神の顔をよぎる。だが、それは乾いた感情だった。人間的なものではない。砂漠とか断崖絶壁のような、桁外れに巨大な構造物が持つたぐいのイメージである。あまりに人間とはかけ離れすぎていて、お互いにコミュニケーションの取りようがないのだが、何かの拍子にちょっとだけ互いを認識できた、というようなひらめきだった。

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