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第149章

 だから洋一はそれを否定する。事実がどうあれ、今のメリッサは本当の彼女ではないと思いこみたかった。

 それに、今はトランス状態なのか、あるいは何かが降りているのかは判らないが、とにかくメリッサが一時的にラライスリ化しているという説の方が説得力がある。それが単なる自己暗示だとしても、判ってやっているという結論に比べればまだ救いがあるというものだ。

 舞台への階段を一歩一歩登りながら、洋一の頭の中をそういった思考が駆け抜けていった。洋一本人もほとんど自覚していない。つまり、洋一自身の表層意識はすでに半ば思考停止状態に追い込まれていたのである。

 つい今までは、それなりの自意識というか第3勢力やチェスの差し手に対する反発などが渦巻いていたのに、メリッサいやラライスリをまともに見た途端に魂を奪われている。今の洋一なら、何を指示されても唯々諾々と従ってしまうだろう。

 もちろん、パットがそんな洋一の変化に気づかないはずはなかった。フラフラと階段を登る洋一を見上げて腕を引っ張ってみたが、かえって自分が引きずられるだけだ。成人男性の力に逆らえるはずがない。

 パットは洋一とメリッサを見比べて、すぐに事態を認識した。というか、よくわからないがこのままではいけないという事を確信したらしい。

 大好きなお兄ちゃんを「とられる」というのがこの美少女の認識と思われる。その結論に到る推論は何もない。恐るべき直感で、パットは今現在の事態と自分がなすべき事を悟ったようだった。

 パットはいったん洋一から離れて舞台に駆け上がった。階段の上で向き直り、洋一の目からメリッサを隠す。

 回りの群衆からはどよめきが上がったが、洋一はそれにすら気づいてないかのように、フラフラと進み続けるだけだ。どうやらメリッサが見えなくなっても呪縛は解けないらしい。

 パットは口唇を噛んだ。それからちらっとメリッサを振り返り、次の瞬間には洋一めがけて飛びついてきた。

 洋一は、パットがぶつかってきた瞬間に正気を取り戻していた。階段の上で大きくバランスを崩し、そのまま後ろに倒れ込む。洋一はかろうじてパットを庇いながら、尻から甲板に激突した。

 回りからは悲鳴やら雄叫びのような歓声やらが殺到してきた。だが、誰も近寄って来ない。これもショウの一部だと思っているのか、あるいはラライスリとタカルルの物語には介入出来ないと考えているのか。どちらにせよ、洋一の手助けをしようという者はひとりもいない、ということだ。

 尾てい骨の激痛に声も上げられない洋一に馬乗りになって、パットは何かを早口で話しかけてきた。勝手と言えば勝手な少女だ。でもその真剣さは疑う余地がない。怒りより愛おしさが先にたってしまうのだ。可愛いパットになら、何をされても洋一は逆らえない。

 あいかわらずパットの話すフライマン共和国語はちんぷんかんぷんだった。だが話している内容は何となく判る。メリッサに惑わされるな、と言っているのだ。

 それが現状を認識した上での発言なのか、あるいは単なる美しい姉に対する反発なのかは不明である。多分後者だろう。パットは謀略を理解するような少女ではない。

 それでもパットの介入は洋一に選択権を取り戻してくれた。あやうく女神の魔力に囚われてあやつり人形と化すところだったと思うとぞっとするが、半分くらいはそれでもいいな、と考えている自分に嫌気がさす。

 実際のところ、このまま舞台に上っていってメリッサと会うことで何かが起こるとも思えない。よしんばそれがチェスの指し手の思惑通り神話を完成させることであっても、たかが第3勢力のクルーザー上だけのことだ。観客と言えばせいぜい多くて十数人だし、カハ族とカハノク族の抗争に影響するはずがない。後で、ここであったことは神話化されて謀略に利用されるかもしれないが、それは洋一の知ったことではない。

 だったら、これは堂々とメリッサを抱きしめるチャンスなのかもしれない。抱きしめさせてくれるかどうかはわからないが、あの様子ならかなり確率か高そうだった。

 そういう思考が顔に出たのか、パットが洋一の首を絞めてきた。まるで心を読んでいるようだ。

「わかった。パット、わかったからやめてくれ」

 パットはあっさり手を放したが、疑い深そうに洋一を見ている。少女の直感は侮れない。ましてや、相手はラライスリなのだ。メリッサと方向性は違うが、同程度の神秘的な力があると思ってかかった方がいい。

 洋一は身体をかばいつつ立ち上がった。まだ尾てい骨や腰が痛むがかまってはいられない。

 舞台を見上げる。女神はまだそこにいた。

 いつの間にか、メリッサは階段のそばに移動していた。洋一の位置からではサラやミナは見えない。どういう配置についているのか判らないが、これでほぼはっきりした。

 ラライスリはメリッサなのだ。

 サラとミナは核とは言い難い。実現しているとしても属性までだ。つまり、本当にラライスリ化したのはメリッサだけだということだ。

 おそらく、最初から決まっていたわけではない。可能性的には、誰でもラライスリの役を果たすことは出来るだろう。しかし普通の人間にはかなり無理がある役だ。

 決してミナやサラが劣っていたというわけではないのだが、外面的にも内面的にもラライスリに一番近かったメリッサが順当に女神になったのだろう。

 メリッサは穏やかなまなざしで洋一を見下ろしていた。そこにあるのは人間を超越した神性だった。メリッサはいない。

 さあどうする、と洋一は思った。

 アドリブだらけながら、舞台は順当にクライマックスに向けて進んでいる。いやその直前にあると言っていい。ラライスリが顕現し、タカルルと結ばれる。それはすでに決まったことであって、洋一に逆らうすべはなかった。逆らいたくもなかったというのも本当の所である。たとえ相手がメリッサではなく、得体の知れない女神であったとしても。

 しかし、筋は同じでも、人間としての意地を通すことは出来るはずだ。役者は劇の登場人物を演じる。演じる役割は変更出来ない。だが、演出家に命じられるまま動くだけではマリオネットにだって出来る。どう演じるか、は役者に任されているはずなのだ。

 どうしてここまで意地をはろうとするのか、もう洋一自身にも判らなかった。さっきまでは、カハ族とカハノク族の抗争をやめさせることができるなら、いやそこまでいかなくても少しでも役に立てるなら、何でもすると決めていたはずなのだ。

 ところが今は、そんなことはほとんど気にならない。視界にはラライスリしか入っていない。

 頭は、かつてなかったほどクリアに感じられる。あらゆる状況を把握し計算する速度は自分でも信じられないくらいである。自分がこれほど切れる男だったのかと、洋一は感心していた。と同時に、かろうじてであるが何かおかしいと感じるだけの冷静さも残っている。

 薬でも盛られたのか?

 これは話に聞く「トリップ」に近いのではないだろうか。もちろん洋一はヤクのたぐいはやったことはない。高校の同級生で試してみたと言っていた奴がいたのだが、洋一はあまり興味もわかなかった。

 何か飲まされたというような記憶はないから、呼吸によって吸い込んだというのが可能性としては高いだろう。舞台で何かが撒かれたとしたら、ラライスリたちの様子が神がかっていたのも頷ける。

 興奮剤のようなものなのかもしれない。無臭のガスなら気づかずに吸い込んだ可能性もあるし、あの漂光が寄ってきたのもそのせいかもしれない。

 そういえば漂光はどうしたのだ?

 洋一は電光のように閃く思考の中でその思惟にしがみついた。頭が暴走している。とにかく今は、何とか冷静にならなければ。

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