第148章
洋一は立ちつくしていた。背中の漂光はますます圧力を強めているが、所詮は夜光虫の固まりにすぎない。決心を固めた大人を動かすほどの力はない。
群衆のざわめきはますます大きくなってきているが、こちらも手を出すことは出来ない。ストーリーに介入することは、自ら芝居の幕を引くようなものだからだ。
舞台ではメリッサが待っていた。青白い炎に包まれて、その姿はどうみても女神か精霊だ。人間の気配がしない。これが第3勢力かその背後にいるチェスの指し手の演出だとしたらすごいものである。特撮というかFSX技術も高度だが、その功績の半分以上はメリッサという素材を見つけてその気にさせたことだ。もともと人間ばなれしているメリッサの美貌と雰囲気があってこそ、この舞台は成立する。
メリッサは何を考えているのか? ああ見えて、メリッサは結構頭が切れるし、簡単に操られるような女ではない。思慮深いとは言えないが、彼女に何かやらせようとしたら本人を納得させなければならない。いいかげんな理由ではここまでの演技をさせることは出来ないだろう。
それとも薬か何かを盛られたとか? いや、サラとミナが一緒にいる。あの2人をごまかすのは至難の技だし、そんな企てに乗る2人でもない。誰かの手先だったとしたって、仲間に薬を盛るようなことはしないだろう。ましてやそんな危ない薬は。
だからメリッサが演技しているとすれば、それはあの2人の協力体制のもとでなのだ。すなわち、メリッサだけでなくサラとミナもその理由を知っている、ということだ。
おそらく年少組のラライスリたちには知らされていなかったのだろう。パットは論外だし、シャナも何かの企てに乗るタイプではないのだが、アンはどうなのか。小型のミナというイメージだが、やはり年少がネックになって作戦から外れたのだろうか。
あるいは、もしかしたら判っていて怯えたふりをしているのかもしれない……。
洋一はそこまで考えて、馬鹿馬鹿しくなってやめた。どうでもいいことだ。
それに、この状況がチェスの指し手の作戦などではないという可能性もあるのだ。ひょっとしたら、メリッサには本当にラライスリが降りているのかもしれない。メリッサを包む光といい、洋一にまとわりつく漂光といい、SFXより神秘と考えた方が簡単である。
それにあえて逆らうのは得策ではないが、洋一とてここまでお膳立てされてぼやっと従うようではまるで馬鹿だ。人間としての誇りというか意地というか、それは最低限通させたもらう。
しばらく睨み合いが続いて、不意に洋一の背中の圧力が消えた。同時に、身体中を包んでいた暖かい光が離れて行くのが判った。回りからのざわめきが大きくなり、状況が新たな段階に入ったことが判る。
洋一はパットにしがみつかれたまま、舞台に向かって歩き始めた。
漂光は、洋一から離れたものの未練ありげに周囲を漂っている。その漂光も洋一の後を追った。
背後のざわめきが大きくなった。洋一の行動にとまどっているのかもしれない。洋一にしてみれば筋を通しただけのことなのだが、フライマン共和国人にとっては漂光に逆らうなどということは考えられない。すでに洋一は神なのに、なぜタカルルが予定通り動かないのか理解出来ないのだろう。
いやまて、と洋一は思った。
漂光が洋一の背中を押していたというのは、洋一にしか判らないことだ。端から見れば、ただ漂光が洋一を押し包んで、それから離れたようにしか見えなかったのかもしれない。
つまりは、まだ洋一は神話の定めたコースに乗っているように見えているのかもしれない。それはタカルルとラライスリの物語に合致するのだろうか。
メリッサは舞台の上で動かない。
サラとミナも微動だにしていなかった。シナリオはまだ崩れてはいないようだ。どういうシナリオなのか判らないが、おそらくは相当アバウトというか、洋一がどんな行動をとってもフォロー出来るようなものだろう。主役の一人にストーリーを知らせないのだから、アドリブ劇に近いような構成にしなくてはならない。おまけに、その主役が劇に必ずしも協力的ではないときているのだ。
第3勢力が最初に洋一を取り込もうとした時、洋一が見せた行動はシナリオ制作者にとってかなりショックだったはずだ。何とかフォローしたものの、あれだけで劇が頓挫するところだった。いや洋一なしでも劇自体は続けられただろうが、その目的は半ばしか達せられなかったはずだ。洋一個人ではなく、どうやら「自由な立場の日本人」という登場人物が必要なのに違いない。たまたま、調達できる日本人が洋一だけだったのか、あるいは洋一が手に入ったからシナリオを変更したのかは判らないが、現時点では洋一抜きの話は進まないようになっている。
もっとも、いざとなれば洋一など排除して舞台を進めることは出来るだろう。ストーリーの大幅な変更が必要だが、不可能というわけではないのだ。それは洋一にも判っていた。
洋一とて、この舞台を失敗させたいわけではない。舞台の本当の目的がどうあれ、結果としてカハ族とカハノク族の確執を解消させる方向に向かっていることは事実らしいし、現にここで第3勢力が割り込まなければ、すでに合戦が始まっていたのは間違いないところだ。だから洋一としては、協力することにはやぶさかではないのだ。ただちょっと、意地を見せたいだけである。
洋一は数歩歩いて、舞台に登る階段に足をかけた。ここまでくると、ライトが強すぎて周囲がよく見えなくなる。その分正面に立っているメリッサが圧倒的な迫力で迫ってくるような気がする。
洋一の場所からみると、1メートル以上高い舞台の上で、しかも直立しているためにメリッサは巨大な女神像のように見えた。それも輪郭が青く輝く大理石のような像だ。洋一の目線でカメラを構えたら、ファンタジー冒険映画のクライマックスシーンさながらの映像が撮れるだろう。
パットがますます強くしがみついてくる。ちらっと見下ろすと、パットの視線はまっすぐメリッサに突き刺さっていた。この美少女にとっては、やはり自分の姉が永遠のライバルなのだ。周囲の状況がどうだろうが、相手が女神化していようが、まったく変わらないそのスタンスには感心するばかりである。
この純粋さをもってすれば、女神とでも対等に渡り合えるかもしれない。それもそのはず、パットだってラライスリなのだ。メリッサとはまったく違う方向性の女神であるにしても。
メリッサの視線はこちらを向いていないようだった。やや上方を見上げている。四方八方から照射されるライトのせいで陰影が消され、メリッサの完璧な顎のラインが丸見えになっている。それでも美しい。造形だけでも芸術の域に達しているのがメリッサの美貌である。
これはもはや人間の美ではない、と洋一は悟っていた。メリッサに何かが起きたのだ。日本でも、巫女に神が降りると肉体的な変化が起きたような変貌を遂げるという話を聞いたことがある。平凡な容姿が神々しい姿に変化するというのだ。だったら、もともと完璧な美貌だったメリッサが女神化したらどうなる?
その回答が、今洋一の目の前にあった。まさしくメリッサは人間の概念を超越してしまっていた。
もともとメリッサは、美貌がすぎるせいか逆にセックスアピールをあまり感じさせない。少なくとも洋一にとっては、女の子というよりは偉大な芸術品という感触がある。
何日か一緒に行動して、メリッサが大分洋一に気を許したせいか、ここ数日はそういう感じがほとんど無くなっていたのだが。
今洋一の目の前にいるのは、人間性をまったく感じさせない、ひとつの神性だった。芸術品というよりは、もはや聖遺物や形而上の概念の具現化と言ってもいいくらいだ。メリッサ本人にとっては多分不本意なことだろう。しかし本人の意思とは無関係に、メリッサという女性はそういう属性が色濃く出ているのだ。
今のメリッサは、メリッサとは思えないくらいラライスリ化している。もしこれを意図的にやっているのだとしたら、彼女は偉大な女優だ。というより、そう出来るのだとしたら、今まで洋一が親しんできたメリッサは仮面だったことになる。