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第144章

 パットが、日本語が判らないなりに異常を感じたらしい。メリッサに向かって何か言った。メリッサは、ほんの少し視線を動かしてパットを捉えると、穏やかに話す。

 意味はわからなかったが、パットは黙ってしまった。洋一の首に回している腕に力が入る。パットも判ったのだ。

 メリッサは視線を戻し、洋一に言った。

「パティを連れて、休んでいてください。今のうちに」

「今のうちに?」

 すると、そのうちに何か起こるのか。そして洋一は、その前に休んでおく必要があるのだ。

 この時点で、洋一はすでに疑いを放棄していた。メリッサがそう言うのなら、無条件で従うまでだ。少なくとも第3勢力に訳の分からないまま動かされるよりはましである。

「パット、行くぞ」

 洋一はパットを引っ張って舞台を降りた。バットは毒を抜かれたように従う。

 舞台の明るさから一歩踏み出すと、そこは闇だった。目が舞台になれきっていて、まったく見えない。一寸先もわからないのだ。おまけに、舞台を降りて気づいたのだが、甲板がゆっくりと揺れている。大型のクルーザーとはいえ、海上にいるのだから当たり前だ。これまでは周囲が見えないせいか、まったく感じなかったのだが、目が見えなくなると途端に足下が不安定になる。

 洋一は舞台から数歩遠ざかると、その場でしばらくじっとしていた。パットも洋一に寄り添うように黙って立っている。いつもならこれ幸いとくっついてきそうなものだが、パットも気が動転しているのだろう。姉が得体の知れないものになってしまったのだ。

 だんだん目が慣れてくると、甲板には誰もいなかった。舞台を照らしているライトはそこら中にあったが、それ以外には明かりはない。クルーザーの操舵室の窓も黒々としていた。

 第3勢力の連中は俺たちを残して退去してしまったんじゃないのか?

 突然の不安に襲われたが、洋一はすぐに冷静さを取り戻した。ミナやサラが何も言わなかったのだ。そんなことになっていたら、いくらあの2人でも黙っているとは思えない。

 ようやく視力が回復すると、クルーザーの周囲が見えた。第3勢力の他の船がぎっしりと囲んでいる。そして、それらの船にはかすかな常夜灯以外の明かりがなかった。

 第3勢力の船団は浮島となって、中心の舞台を目立たせるために明かりを消しているのだ。

 そしてその向こうは海面だった。記憶にあるより広い。暗いのでそう思えるのかも知れない。

 そしてさらにその向こう側は、数え切れないほどの光の海だ。カハノク族の船団が回りを囲んでいる。小さな光が重なって見えるのは、おそらく海面をぎっしり埋めているためだろう。

 すごい数だった。場所によっては、光が溶け合って星雲のように見えるほどだ。明るいうちに見た時は、これほどではなかったような気がする。あれからも続々と集まってきたのだろう。カハノク族の船団すべてが集合したかもしれない。

 これが作戦なのか?

 もう何度目になるか、洋一はため息をついた。自分の無力さが腹立たしい。力がないことが悔しいというより、どうすればいいのかすら判らないのだ。

 パットが何か言って洋一の手を引っ張った。

 見下ろすと、真剣な瞳が見返してきた。

 こんな暗い中でも、パットの魅力は伝わってくる。可愛い。可愛すぎる。恋ではないが、洋一が今感じているものは明らかに愛だ。

 それは兄が妹に抱くようなものかもしれない。しかし肉親に対して感じる鬱陶しさが欠けていて、いわば昇華された兄妹愛とも言うべき感情なのだ。

 洋一はぐっとこらえて頷くと、パットに引かれるまま船室に向かった。

 デッキから狭い階段を降りてドアを開ける。その途端、むわっと熱気が押し寄せてきた。

しかも、狭い船室は喧噪に満ちていた。甲板の静けさとは対称的に、船内は動きと声が溢れている。この時間でも裏方は忙しいらしい。

 洋一とパットは、しばらくドアの前に立っていたが、誰も気づいてくれないらしいのでとりあえずトイレに向かった。気がついてみると、洋一もかなり溜まっているようだ。

 船室を横切ったときに何人かにぶつかったが、それでも相手は気づかない。ちょっと見ただけでもヘトヘトになっているのだが、洋一と同年代らしい青年は目を血走らせて任務についていた。

 学生祭の追い込みのようだ、と洋一は思った。もちろんもっとボルテージが高いのだが、こういう状況は損得なしで全力を集中する祭りのとき以外にはない。

 考えてみれば、これは祭りなのだ。カハ族が祭りから始め、カハノク族がそれに便乗したように、第3勢力にとってもこれは最大限の祭りに違いない。そしてここはその祭りの実行委員会だ。若いスタッフが張り切るのも当然だろう。

 洋一がトイレから出ると、パットが待っていてくれた。パットも同じようにすっきりした顔だった。これであと一晩くらいは頑張れそうだ。

 ひどい空腹だった。腹が裂けそうである。舞台にいるときは、緊張のあまり生理的要求が自覚されなかったらしい。

 だが船内のスタッフは殺気立っていて、夕食はどうなったなどと聞く雰囲気ではなかった。その前に、おそらくここにいる連中には日本語は通じまい。英語だって判って貰えるかどうか。

 迷ったあげく、洋一はパットに押しつけた。

「パット、飯がどうなっているのかわかるか」

「メシ? ファット?」

「ああ、いやフードだ。フード。ディナー」

「オゥ!」

 パットはニコッと笑って、いきなりそばを通りがかった男を捕まえた。ペラペラペラッとまくしたてる。

 洋一なら無視したかもしれないが、ラライスリの一人ではそうもいかなかったのだろう。男はすぐに何か教えてくれたらしい。

 パットは洋一の手を引いて、目立たないドアをくぐった。そこは、どうやらリビングルームらしかった。と言っても本来の役目には使われていない。床には数人の男女がゴロゴロしていて、どうやら眠っているらしい。もちろんベッドどころか毛布すらなく、床にごろ寝だった。全員が疲れ切っているのか、爆睡中だ。

 おそらく不眠不休で働いて、耐えられなくなるとここに来てぶっ倒れるのだろう。そして目覚めたらまた働きに行く。これもまた、学生祭のノリだ。

 隅の方にテーブルがあって、そこにはファーストフードのたぐいが山になっていた。睡眠時間すら削っているのだから、食事などはとても正式のやり方では出来ない。おそらくスタッフたちは腹が減ったり喉が乾いたりしたらここに来て適当に摘むに違いない。

 パットはすぐにテーブルに飛びついて、ハンバーガーらしいものにかぶりついた。口には出さなかったが相当空腹だったのだ。それでも今まで文句ひとつ言わないのは凄い。あらゆる部分で日本の同年代の少女より勝っていると言っていい。求められる資質が違うと言えばそれまでだが、どっちが魅力的かと聞かれたら一目瞭然である。

 洋一も空箱の山をかき回して、冷え切ったピザを手に入れた。一口食べた途端、残りを飲み込んでしまう。これほどまでに身体が養分を欲していたとは知らなかった。どうみても安物のピザだったが、このときばかりはメリッサの料理も及ばない。

 あっという間にピザの切れ端まで食べてしまうと、今度は猛烈に喉が乾いていた。隅の方にあった瓶を掴んでラッパ飲みする。気の抜けたなま暖かいコーラだが、これもどろっとした糖分が甘露のようだ。

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