第143章
サラは、休む前とまったく同じように見えた。疲れた気配など微塵も感じさせない。今も休んできたというよりは、これからの作戦行動について情報を収集してきたと言った方が納得できる。
精神力、というよりは根性なのかもしれないが、この少女のスパルタ的な生活態度にはほとほと感心してしまう。もし疲れたような様子が見えたら、それも何かの演技ではないかと疑ってしまいそうな洋一だった。
洋一はそんな強気で頭のいい少女が嫌いではない。というよりは実は好みなのだ。困ったことに。
サラは、ごく自然な態度でミナに手を差し出した。つられたようにミナが手を上げると、軽くパチンと触れ合わせる。
ミナは一瞬とまどってサラを見つめてから、肩をすくめた。
「アン、行くわよ」
「はい」
こうして、サラは次に誰が休むかという問題をあっさりクリアした。
洋一に相談もしない、ということは責任もかぶせないということだ。ミナとメリッサのどちらを先に休ませるかというのは、簡単そうに見えて結構面倒な可能性を含んでいる。洋一が積極的に何かしたとしたら、それはへたするとどちらかに肩入れする、という意味になるかもしれない。
だからなのだろうか。今のサラの行動は、そういう問題を一挙に解決してしまったのだ。
サラはなぜメリッサではなく、ミナを先に休ませたのか?
意味はないかもしれないし、あるかもしれない。だが、結果的にはサラが非常にうまくこの問題を処理したという事実が残った。
洋一がふと顔をあげると、ちょうどサラの視線がぶつかってきた。サラの方も、配置につく前にふとこっちを見たというタイミングだった。
サラは、とっさだろうが視線に力を込めた。さらに、一瞬であるがほとんど物理的に思われるくらいのなまめかしさで視線をからませる。
圧倒された洋一が視線を反らす間もなく、サラは向こうを向いてしまっている。なんだか、折り目ごとにいちいち印象的な少女である。
その間にミナはアンとともに闇に消えた。 舞台の外は、文字通り闇だ。舞台の明るさのせいで、まったく何も見えない。その外がどうなっているのか、第3勢力の船団を包囲しているはずのカハノク族が何をしているのか五里霧中だ。
第3勢力は今も何かの作戦を行いつつあるのだろうか。ラライスリたちに交代とはいえ休息を許すくらいだから、少なくとも今は山場ではないだろう。これからしばらくは大規模な動きもないに違いない。
そうするとカハノク側と何らかの協定というか、休戦でも結んだのだろうか?まだ開戦したわけではないのだから、休戦というのもおかしいが。
それに、カハノク族の船団は第3勢力だけを相手にしているわけではない。そもそも、あの船団はカハ族の艦隊と対決するためにこの海域にいるのだ。
カハ族は何をしているのだ?
ここに突入する前、第3勢力の船団はカハ族の船隊を突っ切った。あれだけ派手なことをやってしまった以上、カハ族としては面子にかけても追いかけてくるはずなのだ。
こんなところで、第3勢力とカハノク族が固まってじっとしていたら、突入してくるカハ族艦隊のいいカモだろう。
もちろんカハノク族だってそのくらいは考えているはずだから、多分何らかの手は打ったと思うのだが、それが何なのかやはり判らない。第3勢力の方も、それを見越してこういう行動をとったはずだ。つまり作戦の条件のひとつなのだ。とすると、今もこの闇の中で暗闘が繰り広げられているのかもしれない。
それともみんな何にも考えないで、適当にやっているのだろうか?今までの経験では、それもあり得るような気もする。
どちらにせよ、ここまで夜がふけてしまった以上、船隊での行動など不可能だ。船単位でもへたに動くとあっという間に衝突する。
特にカハノク族の船団がいる方面は、暗くなる直前に見た限りでは身動きも出来ないくらい船が詰まっているようだった。
とても戦争をしている艦隊の行動とは思えない。ひょっとしたら、それも第3勢力の目的だったのかもしれないが、だからといって第3勢力自体の安全が保障されるわけでもない。
それどころか、船同士がくっつき合うくらい密集しているのなら、そのままこっちに接触してくれば楽に乗り移られてしまう。この闇から、今にもカハノク族の特攻隊が飛び出してくるかもしれないのだ。
まあ、それほど第3勢力は迂闊ではあるまい。それに、そんなことになるくらいなら、もっと周り中から激しい物音でも聞こえてきそうだ。
だからカハノク族は、まだ第3勢力を取り巻いたまま、釘付けになっているのだろう。闇の中に一人輝く、ラライスリたちの舞台を遠くに眺めながら。
洋一は、今は4人しかいないラライスリたちと、ライトアップされている舞台を見回した。外部から見たら、ものすごく目立っていることは間違いない。星明かりの南太平洋は結構明るいとはいえ、それはあくまで周りに光源がない場合の話だ。今のこの舞台のようなものが遮るものがない海上にあったら、それだけで周り中は真っ暗になってしまうだろう。
そして周りが暗い分、この舞台は目立つに違いない。近くの島にも家などはあるだろうが海上で輝く女神たちの城ほど明るいはずはないし、第一こちらはわざわざ目立つように行動しているのだ。そして、舞台にはフライマン共和国より抜きのラライスリたちがいる。
これほど効果的な餌はないかもしれない。
洋一は首を少しずらして、パットの首締めから喉仏を護りながらため息をついた。
ところで、今は何時くらいなのだ?時計などというものはとっくにつけなくなっていたから、時間がまったくわからない。
この舞台に上がってから、時間の概念がおかしくなってしまって、もうずっと長い間ここにこうして座っている気がする。
そうして、またしばらく無為の時間が流れた後、ミナとアンが戻ってきた。サラのときと同じように、不意に闇から二人の姿が浮かび上がる。
「ヨーイチさん、戻りました」
丁寧に声をかけてくるミナに頷いて、洋一はメリッサに言った。
「メリッサ、パットと休んできてくれ」
メリッサは後ろを向いたまま立ち上がり、それからゆっくり振り向いた。不思議な微笑みを浮かべ、自然体で洋一に向かい合う。
洋一は絶句した。
さっきまでと、何が変わったのかは判らない。メリッサではなかった。そこに立っているのは女神そのものだった。
「ヨーイチさん」
「あ、ああ」
「私は、大丈夫です。パティは休ませてください」
「いや、しかし」
「私は、今はここを離れられません」
きっぱりと言い切るメリッサに、誰も何も言えない。サラですら黙っている。
メリッサは、柔らかく洋一を見つめている。微笑みすら浮かべているのに、そこにメリッサが感じられない。何か、おそろしく空虚な星空や、断崖絶壁を覗き込んでいるような印象があるだけだ。それは、パットがイベントでラライスリに扮した時とも違う、いわば本物だった。