第138章
だが、と洋一は思った。
第3勢力が袋の鼠なのには変わりはない。注目を集めたのはいいが、それに見合うだけの出し物を見せなければ、袋叩きになるだけだ。
そして出し物の出来不出来は、すべて洋一とラライスリたちにかかっている。
これから一体どうなってしまうのか、洋一にはまったく判らなかった。洋一は何もしなくてもいいのか。ラライスリたちは何をすればいいのか判っているのか。大体、こんなところで何かやったところで、それがカハ族対カハノク族の戦争解決に何か役にたつのか。いや第3勢力と洋一たちがこの窮地から逃れるための何かの作戦に使えるのか。
どう考えても絶望的である。
だが、依然としてクルーザーの操舵室からは何の指示もなかった。洋一たちのことを忘れてしまったのか、あるいは何も考えていないのか。
それにしては、クルーザーの雰囲気は暗くない。洋一たち以外の乗組員は、みんな忙しげに駆け回っている。もはやラライスリたちにかまうものすらいない。全員が目的をもって動いているようだ。
周囲の第3勢力の船にも動きがあった。つながれた船を伝って、乗組員がぞくぞくとこちらに移りつつあるようなのだ。
洋一の乗っているクルーザーはかなり大型だが、乗組員はめいっぱい乗っているはずだ。そこにまた人を集めて何をするのか。いや、ひょっとしたら、旗艦以外の船は危険なのかもしれない。最悪の場合は、旗艦以外は盾にするつもりなのか。
不意に、洋一は違和感を感じて振り向いた。だが何がおかしいのか判らない。パットが不思議そうに頬を寄せてくるのにもかまわず、洋一は左右をうかがった。
船また船。この海域は、船で埋め尽くされている。
カハ族が来たようでもない。カハノク族も今やほとんど船を止めている。第3勢力を取り巻いたまま待機の姿勢に入ったかのようだ。
ラライスリたちを見ても、特に変わったところはない。メリッサの金髪が日に輝いている。その光が目に入って、洋一は瞬いた。
その瞬間、違和感の理由が判明した。
日光が、洋一の斜め右からほとんど水平に差し込んできているのだ。
その方向にも船がいるのでわからなかったが、太陽はいつの間にか沈みかけていた。
そんなに時間がたったようには思えなかったが、もう夕方らしい。この光線の角度ではすぐにも日没だろう。
そう思って辺りを見回してみると、乗組員たちのやっていることが判ってきた。やはり公演の準備をしている。それも夜間公演だ。船のあちこちには、どうみてもサーチライトや大型スピーカーにしか見えない機器が備え付けられ、乗組員はそのチェックに専念しているのだ。
ますますこの行動が計画的である疑いが濃くなってきた。いや、もはや確定したと言ってもいい。第3勢力は、最初からこの体制でタカルルとラライスリによる公演を計画していたのである。しかし何の公演なのか?
まさか劇などではないだろう。洋一とラライスリたちのいる舞台は、はっきり言って狭すぎる。ほぼ中央に洋一が座っている椅子があり、その周りをラライスリたちが取り巻いているだけでほぼ満員で、演技どころか身動きするのも危なっかしい。
それに、甲板より高くなっているとは言ってもこれだけの広大な劇場の舞台としては低すぎるし、客席から遠すぎる。洋一からみて、カハノク族船団の最前列にいる船すら、乗っている人間は豆粒くらいにしか見えないのだから、仮にラライスリたちが何かの演技をしたとしても、カハノク側からはほとんど見えないだろう。
何か工夫があるのかもしれない。
洋一が考えている間にも、カハノク族の船団は密集度を増しているようだった。まるで取り決めたように、カハノク族の船はある一定以上は近寄ってこない。しかもぶつからないようにほとんど停止していた船は、互いにロープでつなぎあい始めたらしい。それにより、最前列の船はますます密集してゆく。
多分、カハノク族の船はほとんどここに集まってきているに違いない。とりあえずカハ族との戦争は棚上げになったらしい。これが第3勢力の作戦だとしたら、見事という他はない。ただし、この後の計画があればの話だが。
唐突に暗くなった。
西の空が真っ赤になっている。いつもながら南の島の日没は急だ。見上げると、息をのむような青黒い空だった。今日も雲一つない晴天である。
風もほとんどない。そのせいか、妙に空気が重い。決戦に臨んだ緊張感かと思ったが違うようだ。いかにも何か起こりそうな雰囲気ではあった。
これまでも長丁場だった。さらに、どうやらまだ始まってもいないらしいのだ。乗組員の動きを見る限り、夜になったからといって休む、というわけではなさそうだ。サーチライトなどを用意しているのは、夜間公演を予定しているとしか思えない。カハ祭り船団でも、シャナの話ではあの劇の後夜更けまで騒ぎが続いたらしい。ひょっとしたら、今度は徹夜になるかもしれない。
カハ/カハノク戦争より、今の洋一はこの夜をどう乗り切るか、という方に頭が向いていた。そういえばあの食事の後何も食べていない。緊張しているせいで空腹は感じないが、空きっ腹でそういつまでも頑張れるわけもない。
それに、さっきから何か気になっていたのだが、トイレに行きたくなってきていた。今にも合戦が始まりそうなので忘れていたが、この様子なら小休止とみてもいいだろう。
洋一は、もごもご言いながら立ち上がった。パットが抗議するように何か言ったが、かまわずラライスリたちをかき分けて舞台を降りる。
メリッサが何か言いかけたが、サラが素早く止めて頷く。洋一は感謝の微笑みを向けて、素早く船室に駆け込んだ。
船内は雑然としていた。乗組員たちは、脇目もふらずに一心に仕事している。洋一がトイレに駆け込んでも振り向く者もいない。
一息ついてトイレから出た洋一は、しばし感心して眺めていた。乗組員たちは、男も女もTシャツにショートパンツといったラフすぎる格好ばかりである。どうみても浜辺のリゾート地の観光客じみた姿なのだが、きびきびとした態度や真剣そのものの顔つきが、この狭い船内をオフィスのように錯覚させている。
第3勢力とは、一体何なのだ?洋一は、またぞろ疑問がもたげてくるのを感じていた。
南の島なのだから、みんなのんびりしているというような「常識」が通じないのは判っているが、それでもこれまで洋一が見てきたフライマン共和国人たちは、ソクハキリやアマンダなどの数少ない例外を除いては、どちらかといえばのんびり屋のように思えた。
なまけものというわけではないが、日本のビジネスマン並に忙しく働くようなイメージはまったくなかったはずだ。
それに比べて、この船内にいる連中は落差が大きすぎる。第3勢力の中でも選ばれた乗組員だとしても、この勤務態度はやりすぎという気がする。
洋一が最初に乗ったカハ祭り船団の指揮船、いや今思えば洋一やメリッサたち用の隔離船の乗組員だったシェリーは別だったが、食事船などの乗組員たちは実にのんびりとした態度だった。アマンダやソクハキリといった指揮系統の人間が有能なのは当然だが、今のように乗員全員が駆け回るような光景はなかった。
カハ祭り船団がカハノク族の過激派に襲われた時など、船団の各船だはあわてるばかりで、アマンダが一人で対応に駆け回っているように見えたのだ。
あのときは、洋一とパットはみんなの邪魔にならないように、無人島に遊びにやられていたのである。だから、洋一が見ていないだけでカハ祭り船団にも有能な人間はたくさんいて、やはりこんな風に駆け回っていたのかもしれない。