第136章
幸いにも洋一にしがみついていたパットのせいで、期せずしてボロが出ないうちに情けないタカルルは現実に引き戻されたらしい。
パットの大声にメリッサとミナが振り向いて、洋一の視線に気づくと2人とも微笑みを送ってきた。メリッサは大胆に、ミナは遠慮がちに。本来の2人の性格は逆のはずなのだが。
残るサラは、超然とした背中をみせている。パットごときの声には影響されないのだろう。確かにこの中では、サラが一番腹が据わっていると言っていいかもしれなかった。
だがそんなことには関わりなく、現実は進んでいる。
もう、洋一の足下は穏やかな上下動を繰り返しているだけだ。第3勢力の殴り込み戦隊の旗艦は完全に生き足を失っていた。そして、その周囲には隷下のクルーザーが低速で円を描いているだけだ。停止してしまった親を、その周りを警戒することで守ろうとしている子供たちのようだ。
だが接近しつつあるカハノク族の船は、大型クルーザーから漁船、小型のモーターボートに至るまで、その何十倍もの数である。やりあったらあっという間に飲み込まれて終わりだ。
ものすごい眺めだった。洋一の目の前、180度の海が大小さまざまな船で埋まっている。そのほとんどが、船首をこちらに向けて驀進しつつあるのか、白い波が砕けているのがよくわかった。後方を観ても同じである。
もう、近い船は声をかければ届くところまで接近している。さすがに小さな船が多い。ほとんどが無蓋のモーターボートで、それぞれ数人が乗っている。半数くらいが不釣り合いなほど高い臨時マストとカハノク族の旗をはためかせている。もっとも残りの半数は特に何の主張もせず、みたところ漁船か船遊びのようだ。
そして、洋一がとまどったのは、顔が見えるところまで接近したボートたちには、これから決戦だというような切迫した空気がなかったことだった。
乗っているのはほとんどが男たちで、少年から老人まで年代はバラバラである。とても決戦に出てきたというような雰囲気ではなく、どちらかというと祭りに参加しているかのような雰囲気が感じられる。だが、祭りに参加しているということは興奮状態にあるわけで、何かきっかけがあれば一斉に襲いかかってきても不思議ではない。
殺到してきた船は、速度を緩めると第3勢力の船団を遠巻きにするように、周囲をゆっくり回り始めた。西部劇で、幌馬車が固まっている周りをインディアンが周回するのと同じ格好である。
西部劇と違うのは、今のところ一触即発という雰囲気がないことだった。何といっても海の上だし、お互いにライフルをぶっ放しあっているわけでもない。それに、洋一が見回してみても、第3勢力に悲壮感がなかった。確かに緊張感はあるのだが、それは作戦遂行上必須ともいうべきもので、追いつめられたという感覚ではない。それだけ統制がとれているということだが、ラライスリたちにもまったく動揺が見られない。
洋一の知らない作戦でも承知しているのだろうか?
そもそも洋一が第3勢力の作戦を全然知らないということ自体がおかしいのである。いかに案山子とはいえ、これだけの衣装と舞台を揃えたラライスリたちがこれから何やっていいのかまったく判らないというのは異常で、当然これからの筋書きくらいは心得ておかないと演技しようがないだろう。これはラライスリたちだけでなく、タカルルも同じである。
そして洋一には、まったくそういうたぐいの情報や指示は伝えられていない。むしろ、意図的に教えられていないような気がするくらいだ。
それは、要するに洋一自身のままでいろということなのか、あるいは洋一のことなんか必要ない、というか何をしようが作戦に関係ないということなのか、いずれにせよ期待されていないということだ。
だが、メリッサたちの口調が気にかかる。自分たちが洋一を護るということを確信しきっていた。それが自分の使命であるかのような口調だった。
やはり、何か知っているのではないだろうか。
その疑問が洋一の中で大きくなってきた時、まるで洋一の心を読んだかのように、サラが振り向いた。そして、隣のシャナにちょっと囁いて、それから洋一に顔を寄せてくる。
「え?」
「ヨーイチ、すぐ顔に出るのね」
「そうか」
「安心して。ヨーイチが疑っているようなことは何もないよ」
「ああ、それはそうだと思うけれど」
「しっかりしてよ。タカルルはラライスリを信じるものなの」
「ああ」
「それに」
サラは言葉を切って、後ろを振り返った。メリッサとミナが、気にしないふりをしながらこっちを伺っている。サラはなぜかため息をついて洋一に向き直る。
「ラライスリはね、タカルルがいてくれるかぎり、何も怖いものもないし、出来ないこともないのよ」
それは神話の話だろうと言いかけて、洋一は息をのんだ。サラの瞳が真剣だった。いつもは、どことなく皮肉げな感情を浮かべているサラの表情も、静かに緊張している。これが演技だとしたら、サラは一流の女優だ。
「判った」
洋一が真面目に答えると、サラは緊張を解いた。小さくうなずいて、定位置に戻る。女優としては一流だとしても、プロではないな、と洋一は思った。プロだったら、最後まで演技を続けるべきだ。舞台を降りたからといって女の子に戻ることもあるまい。
ということは、サラは女優だとしてもアマチュアであり、この行動は真剣だということだ。
サラの見解がラライスリたちの心情を物語っているとしたら、洋一はますます動くに動けなくなる。洋一が崩れたら、ラライスリたちも総崩れになってしまうのだ。それが単なる彼女たちの思いこみだったとしても、現実に影響力がある以上、洋一としては危険をおかすわけにはいかない。
結局はそこに落ち着いてしまう。洋一の仕事は、何もせずにどっしり構えていることだ。もう何度目になるかはわからないが、洋一は覚悟を決めて座り直した。ついでに、身体を左に傾けて、頬杖をついてみる。これで、愛するラライスリたちを見守るタカルルの演技になるだろうか。
そもそも、ラライスリって複数いていいのか? そのへんのところを聞き忘れていた気がする。まあ、神話なのだからどうでもいいような気もするが、これまでに聞いたところでは、ココ島の神話に出てくる神様たちは結構人間的で、はっきりとした個性があるように思われる。
ラライスリなど、少女の姿をしているとか、気まぐれだとか、タカルルにだけは弱いとか、かなり明確な性格づけまでなされている。神様のあり方としては、日本のような抽象的なものではなくギリシャ神話のように個人としての確固たる存在が見えるように思うのだ。
思うに、神話の形をとってはいるが、かつて実際に存在した人や、起こった事件がかなり反映されているのではないだろうか。ラライスリとタカルルなどは、ただ海や空の擬人化と言い切るには、あまりにも人間くさい形容がされている。
ラライスリが美少女だった、という情報はかなり作為的なものが感じられる。四方を海に囲まれた島では、海というものは生活のすべてに関わってくる存在のはずだ。
そして、海というものは、単純に考えて少女に擬人化されるとは思えない。巨大で、雄大で、静かなときでも底知れぬほど深く、荒れ狂う場合は何物をもってしても逆らうすべがない。そういった存在は、人々にどう映るだろうか。
当然、男の大人だ。壮年から老人、それも枯れた年寄りではなく、荒々しい性格の巨人だ。女性だったとしても、円熟した女神になるはずだ。海を少女だと感じる人がいるとは思えない。