第134章
目的を達したとき、第3勢力は洋一をどうするだろうか? メリッサの目の前では、すぐにどうこうされることはあるまい。しかし洋一は日本人だ。いずれは日本に帰ることは、メリッサだって承知しているだろう。だから、ある日洋一の姿が消えて、ミナあたりから日本に帰ったと伝えられたら納得せざるを得ないに違いない。
第3勢力の立場からすると、洋一などはザコにすぎないから、わざわざ始末するにも及ばないだろう。日本に返してしまえば、もうわずらわされることもないから、洋一が無事に解放される可能性は高い。
だが、もしカラクリを知られたと思われたら別だ。日本から遠いところで、浮浪者みたいな日本人青年が一人消えたところで、何ということもないだろう。そして、武器商人なら人を一人始末することくらい朝飯前だ。
そこまで一気に想像を突っ走らせて、洋一は唾を飲み込んだ。まさか、そんなことはないだろう。ないだろうが、あまりにもつじつまが合いすぎる。少なくとも、洋一をタカルルにして、ラライスリの仮装をした美少女たちを使って何かやろうとしているという話よりは現実味があることは確かだ。
ふと、洋一はクルーザーが速度を落としていることに気がついた。揺れが小さくなっているし、エンジンの爆音が止んでいる。速度をおとしたと言うよりは、第3勢力の旗艦はエンジンを止めてしまったらしい。
どうするつもりなのだ?ここまでカハノク族を引っかき回しておいて、後は知らないとでも言うつもりなのだろうか。カハ族の特攻隊ではない、と言う前に、カハノク族の船が突っ込んでくるのがオチだ。
よしんば、何とかカハ族ではないということを納得させたとしても、甲板には洋一やラライスリたちがいるのだ。これをどう説明すればいいのか。特に、メリッサはフライマン共和国中に知られたカハ族の女神のはずだ。パットだって、去年のカハ祭りのラライスリとしてそれなりに知られているだろう。その2人が、しかもラライスリの仮装で乗っているのである。
突然、洋一はさらにまずい可能性に思い当たった。
もし第3勢力が、カハ族とカハノク族を天秤にかけているとしたら?
メリッサとパットは、カハ族にとってと同時に、カハノク族にも大きな価値があるはずだ。カハ族の女神なのだ。それを手に入れることができれば、この海戦の勝敗をひっくり返すことだってできる。
第3勢力としては、どちらに対しても切り札を持っていることになる。メリッサとパットを餌にすれば、カハノク族から大幅な譲歩を引き出せるだろう。もし満足がいかない場合は、最初の計画通りカハ族相手の取引をまとめればいいだけだ。
完璧だ。第3勢力の計画は、チェスのように正確に進んでいる。どこかにいる誰かが精密に計画した通りに。
しかし、と洋一は思った。
やはり違和感がある。これを計画したのは誰なんだ?
第3勢力、つまりミナの父親というのが回答だろうが、それにしてはキャラクターが合わない気がする。ちらっと会っただけだが、あの男は計画を立てるより、やはりコマになって動くタイプに見える。
そもそも、計画者があんなに簡単に洋一の前に出てくるだろうか。それも、特攻戦隊の前線指揮官として。
いや、これだけの計画を構築する者なら、自分はどこか違うところですべての状況を操ろうとするはずだ。特攻戦隊ひとつにかまけているはずがない。
すると、ミナの父親も、さらにはミナも騙されているのだろうか? それとも、すべてを承知の上で、この計画に乗ったのだろうか。
まあすぐにわかるだろう、と洋一は思った。
クルーザーは、しばらく惰性で進んでいたが、やがて完全に停止してしまった。
エンジンの音が止まると、波や風の音があたりを包む。あとは、第3勢力の他の船が低速で集まってくる、くぐもったエンジン音だけである。
奇妙にも、誰の声もしない。クルーザー上では、何かを待つような張りつめた空気がどんどん高まってきている。
洋一も、ラライスリたちに囲まれたまま動けなかった。背後にいるパットがぎゅっとしがみついてくる。
パットも不安なのだ。遊び半分のピクニックだったのが、いきなり殺伐とした雰囲気になってしまった。それを敏感に感じているのだろう。
洋一は、パットを落ち着かせようとして振り向いた。ところが、そこにあったのは泣き顔の心細そうな少女ではなく、緑色の瞳を鋭く輝かせた幼い女神だったのである。
少女は、洋一の視線を捉えてにこっと笑った。それから耳元に朽ちを寄せ、囁くように、しかしはっきりと言った。
「ヨーイチ、マモル」
守る、というのか。
ラライスリを守るのは、タカルルの方ではなかったのか。
少なくともこの幼いラライスリはタカルルを守るつもりだ。そして、パットはまったく怯えている様子はない。むしろ張り切っているような態度だ。
唖然とする洋一が首を巡らせると、いつの間にか立ち上がっていたメリッサが微笑んでいた。
すっきりと立ったその姿は、ラライスリというよりはギリシャ神話のアテネといったところである。戦女神のごとく、凛々しく立つメリッサは、近寄りがたく気高い。
「ヨーイチさん。大丈夫です」
そのくちびるが形よく動き、しっとりとした声が聞こえてくる。洋一は思考停止のまま、それを聞いた。
「ヨーイチさんには、絶対にご迷惑をかけません。だから、お願いです。何があっても、そこに座っていてください」
「ここに?」
馬鹿のように返す洋一に、サラが反対側から口を添える。
「タカルルは、何ものにも煩わされはしないのよ。人間はタカルルには手を出せない。それは当たり前のことでしょう?」
「いや、しかし……」
「ヨーイチさん、お願いです。私たちを信じてください」
メリッサの瞳が、洋一を射抜く。その向こう側で、ミナが一言も口を挟まずにじっと洋一を見つめている。
もうどうしようもなかった。洋一は浮かせていた腰を落とした。こうなればとことんつき合うしかない。好きな女の子が自分を信じろ、と言ったのだ。だったらそれを受けるしかないだろう。
しかしどうしてメリッサがそれを言うのだろう。まるでこれから起こることを、いや第3勢力の作戦を知っているような、確信に満ちた口調だった。
すると、第3勢力がすべてを仕組んだという洋一の推理は妄想なのか。いや、そうとは限らないが、少なくともメリッサとパットが騙されているという推測は取り消さざるを得ないことになる。もっともメリッサたちが判っているつもりになっているだけという可能性もあるが。
どちらにせよ、洋一に出来ることなどないのだ。別にメリッサたちに止められなくても、今の洋一はここに座っているしかない。こんな海のど真ん中では逃げようがないし、ラライスリたちを残していけるはずがない。
洋一なんかより、ラライスリたちの方がよほど生存能力に長けているのは明らかである。フライマン共和国では、洋一が助けられることがあっても、その逆はあり得ないだろう。
だからといって、事態が変わるわけでもない。これはもう洋一の考え方というよりは、人間として、いや男としての基本的なあり方の問題である。