第12章
「さぁ、いよいよ動き出したぜ。あの御輿見たか?」
「はあ。なんていうか、きらびやかなものでした」
ソクハキリはハッハッハッと大笑いして、いきなりソファーに背をあずけた。船が大きく蛇行する。ソクハキリの体重移動は、この小船の操舵に大きく影響するようだ。
「あの行列は、どこに行くんです?」
洋一は気になって聞いてみた。
「ん?ああ、ありゃアグアココを回るだけだ。よそに行くには無理があるんだ。ココ島の道路は、知ってると思うがまだまだ未整備でな。通れないわけじゃないんだが、大部分はとてもあんな行列が通過できる状態じゃない。ま、あれはアグアココの祭りだな」
「すると、別の場所では別の行列をやるんですか?」
「まぁな。だから、祭りは1週間以上続くんだ。俺とか、幹部連中はこれからココ島中を回るんだ。結構きついぜ」
でもまあ、祭りだからな、とソクハキリは付け加えた。言葉通り、むしろ楽しんでいるようだ。島中を回って演説するというのは、考えただけでも疲れそうだが、そういうのが好きな人もいるのだろう。
洋一がそう考えていると、ソクハキリが言った。
「そろそろ着くぞ」
いつの間にか、船のエンジン音が低くなっていた。速度を落としているようだ。
洋一が小さな舷側から覗くと、真横に船体があった。
軽いショックがあって、エンジンが止まる。ハッチを開けて、ソクハキリが出てゆく。
洋一はバッグを掴んで続いた。
少し沖に出たらしい。ココ島の海岸線が小さく霞んで見える。ここから見ると、ココ島は緩やかな稜線を持つ典型的な火山島である。
洋一の乗ってきたボートの横に、2倍くらいの大きさの船が揺れていた。ちゃんと操舵席や船室のある立派な船である。しかも、高いマストが立っている。
エンジンは付いているようだが、これはヨットだった。いかにも高級そうで、金持ちのレジャーヨットか、観光地の少人数向け遊覧船といったところだ。
だが、今はヨット全体が色とりどりの布で飾られていて、いかにもカハ祭りの海の山車というイメージである。帆はさすがに白だったが、マストから張られているロープには万国旗らしい旗が飾られていて、派手なことこの上もない。
「これに乗るんですか」
「おお、もちろんだ。カハ祭り船団の旗艦だぞ。カハ族以外でカハ祭り船に乗れるのは、ヨーイチが初めてだ。名誉なことなんだぞ」
あいかわらずソクハキリは真面目なのかふざけているのか判らない返答をよこす。
十中八九までふざけているのだろうが、顔が顔なだけについ考えてしまうのだ。
パットが身軽にカハ祭り船に飛び移った。今まで気がつかなかったが、そういえばどうしてパットがここにいるのか?
考えるまでもない。
洋一は肩をすくめて、後に続いた。
最後にソクハキリが乗り移ると、ヨットがわずかに傾いだ。この大型ヨットもソクハキリの体重には遠慮したらしい。
「ちょっと待っててくれ」
ソクハキリは、なぜか素早く後部に回ると、小さな梯子を昇って操舵席に消えた。
洋一は、パットが白いスカートをなびかせて、甲板ではね回るのをぼんやりと見ていた。
パットはヨットが珍しいのかマストに飛びついてよじ登ったり、ロープを伝って飛び降りたりしている。スカートをはいていても、性格は変わらないらしい。
性格はともかく、身体の方は結構成長しているので、スカートが風に大きくなびいたりするたびに洋一は目のやり場に困った。
仕方なく海を見ると、水平線まではっきり見えるほど空気は澄み、雲ひとつない上天気である。波も穏やかで、そういう言葉があるとすればとびきりのヨット日和だった。
これから、とりあえずパットでもいいからかわいい女の子と一緒にヨット遊びでもするんだったらどんなにいいだろうか。
しょせんは夢である。
しばらくすると、ソクハキリが出てきた。ドアを閉める前に、何か喚くような声が聞こえたような気がしたが、ソクハキリは素知らぬ顔で言った。
「さて、ヨーイチ」
「はあ」
「ということで、後は任せるのでよろしく」
そう言うと、ソクハキリはいきなり鮮やかなジャンプを決めてボートに飛び移り、船室に消える。
洋一があっけにとられている間に、急発進したボートはすぐに速度を上げてココ島に向かった。
「ちょ、ちょっと!ソクハキリさーん!」
洋一の声はむなしく波間に消えた。
やられた。
何をやられたのかわからないが、とにかくソクハキリにしてやられたに違いない。その証拠に、ソクハキリは逃げたのだ。
「ヨーイチ、コッチ」
パットが洋一の袖を引いた。
洋一は、なにげなく操舵席の方に振り向いて、凍りついた。
突き刺すような視線というものの実在を、洋一は初めて知った。
髪は短い。野球帽をかぶっているせいで、ひさしに遮られて顔はよく見えない。だが、視線がまっすぐ洋一に向けられているのがはっきり判る。
ウィンドブレーカーのような服を羽織っているが、その下は水着のようだ。
水着に包まれている身体が女性であるのは確かだった。だが、立っている姿はなんとなく硬質な雰囲気が感じられて、判っていながら男ではないのかという気にさせられる。
にもかかわらず、女性としての身体は見事だった。パット以上に日に焼けていて、見事に輝く茶褐色の肌。
ぎりぎりで筋肉質という表現にならずにすんでいるが、見事に引き締まった肉体はいかにも強靱そうだ。
色気は無かった。
かなりのグラマーで、ウエストがくびれてバストが張り出したすばらしいスタイルであるにもかかわらず、女性としてのホルモンをまったく発散していなかったのである。
パットが、いきなりペラペラッと話した。
その女性は、一瞬バットの方を見たが、すぐに視線を洋一に戻した。そして、洋一の魂の奥底を探るようにしばらく凝視していたが、不意に視線を外した。
パットに向かって、短く話す。
そのまま操舵席に入り込む。顔が隠れる寸前、もう一度洋一の方をちらっと見た気がしたが、見間違いかもしれない。
どうやら、あまり歓迎されている雰囲気ではなさそうだった。
「コッチ」
パットが洋一の手を引いた。
「え?」
「コッチキテ」
何かの指示があったらしい。パットは、洋一を引きずるようにして、船室のドアをくぐった。どうやらダイニングルームとして使われているらしい、結構広い船室である。
洋一が直立して頭が天井に当たらないのだから、大型ボートの範疇に入るだろう。内装もかなり豪華で、ソファーや酒棚などもある。
やけにきちんと片づいていて、まるでヨット見学会か何かの展示用船室のようだ。
部屋の向こう側に小さなドアがある。
洋一はとりあえず荷物をソファーに置くと、ドアを開けてみた。
急な階段が数段降りていて、その向こうは狭苦しい船室らしい。薄暗い電灯がぽつんと灯っていて、どうやら部屋の両側はベッドであることが見える。
その時、いきなりエンジンの音が聞こえた。たちまち安定した騒音になったかと思うと、船が動き出したらしく、洋一はつんのめってかろうじて壁に掴まって身体を支える。
他に人の気配が感じられないから、さっきの人が操縦しているのだろう。いかにもあの女性の印象に合っているような、乱暴というか唐突なかんじの発進である。
しばらくすると、エンジンの音が一定の騒音で安定した。進路も定まったらしく、多少の上下はあるものの、まずまず落ち着いた動きになる。