第127章
まあ、どちらにせよ周囲の連中は遠巻きに賞賛の視線をおくっているだけで、話しかけることができるほどの勇者はいない。いや、よく見ると、群衆は男だけではなかった。
半分まではいかないが、3分の1くらいは女性である。それも若い女性ばかりだ。中には結構可愛い娘もまじっているのだが、その反応が男たちとまったく同じなのだ。
普通、女性である限り、同性にはライバル意識を燃やすものだと洋一は思っていた。洋一自身のつたない経験でも、女性が身を飾るのは男のためではなく同性のライバルに差をつけるためである。これは洋一の思いこみではなくて、昔つき合っていた相手から直接聞いたことだからかなり信憑性がある。
人間というのは、あくまで比較の対象があってこそ存在意義があるわけで、例えば女性がたった一人しかいなかったら飾ろうなどという発想が湧いてこないはずだ。
そういう意味では、メリッサを取り巻いている女性たちの姿が、今のメリッサの立場をはっきり示していると言えそうである。つまり、ここにいる娘たちはメリッサをライバルだとは思っていないのだ。
かといって、スターだと思っているわけでもないだろう。憧れの対象だというのなら、むしろ積極的に近寄ろうとしても不思議ではないどころか、むしろそっちの方が自然である。
ここにいる者は、無意識に知っているのかもしれない。今のメリッサはすでに女神なのだ。このフライマン共和国においては、そういうことが起こり得ることは洋一にも判っていた。
そういえば、あの島のタカルル神殿でも似たようなことがあった。美しい海を見下ろす神殿跡で、タカルルはラライスリに会い、それを目撃した人たちが集まってきた。けれど、みんな遠巻きに喜んでいるだけで、近寄ってこようとはしなかった。
そういう下地がフライマン共和国にはあるのだ。メリッサがラライスリになるのではない。ラライスリが現れる。そして、それを見た人たちは、喜びながらすべてを受け入れるのだろう。
その瞬間、洋一の脳裏に何かが走った。この複雑かつ大規模なチェスの指し手が描いている戦略が、おぼろげながら顔を見せたような気がした。
だが、その輝く思考は残像だけを残して、瞬く間に洋一の前から去っていってしまった。後にはただ、すごくいいことがあったような気がするという曖昧な感情だけである。
それでも、洋一は立ち直っていた。今まで先行きの見込みのたたない重苦しい思考が堂々めぐりしていたとは思えない回復だった。
目の前に立つメリッサの美しさと、脳裏を駆け去っていった複雑な感覚と、そして根拠のない自信のようなものが洋一の体内を駆けめぐっている。
「ヨーイチ。どうかした?」
サラの声がして、メリッサの隣にひょいと顔を見せた。サラはまったくメリッサの影響を受けていないようだ。真面目くさった顔つきに、いくらか不審な表情を浮かべている。
「何が?」
「何か……変」
「そうか?」
洋一は、晴れ晴れとした表情だった。自分でも不思議なくらい、妙に明るいのだ。脳内麻薬でも打たれたかという気がするくらいだった。ある意味ではそうなのかもしれない。今のメリッサは麻薬のようなものだ。
「ヨーイチ!」
パットがうれしそうに叫んで、さらに抱きついてきた。わけがわからないまま、洋一の機嫌が直ったことだけは察知したらしい。今がよければすべてよしのパットにとっては、途中過程はどうでもいいのだろう。さらに言えば、フライマン共和国とかカハ族とかに関係なく、洋一にくっついてさえいれば最高という、こういうタイプでは理想的な女の子である。もっとも、まだ幼いせいも多分にあるのだが。
ふと気がつくと、周囲の群衆が半分くらいに減っていた。残っている半分もミナやサラに話しかけたり、何かの確認作業をしたりしている。いなくなった半分は、このクルーザーの配置についているのだろう。ラライスリたちの内輪のデビューは終わり、いよいよ作戦開始の準備が始まっているのだ。
たくましい男がミナに何か話しかけていた。ミナは頷いて、ゆっくりと片手を上げる。
その途端、ざわめいていた周囲の男女がぴたっと話をやめた。全員がミナに注目している。
ミナは片手を上げたまま、周囲をゆっくり見回した。洋一に目を止めて、ちらっと笑みを浮かべる。しかし、その片手をおろしたときには、一端の甘さすら残していなかった。
突然、ミナが何か言い始めた。もちろん洋一には一言もわからない。サラやメリッサや、驚いたことにはパットすら聞き入っている。
ミナはむしろ落ち着いた口調で、歯切れのいい単語をつないでゆく。いわゆるアジテーションとはまったく違う口調だが、意味が判らない洋一すら聞き入ってしまうような演説だった。
スピーチは短かった。ミナが、最後に右手を肩まで上げて言葉を切ると、群衆はいっせいに何か叫んで手をつきだした。おそらくは「ファイト・オー!」に近いと思われるその熱気に、サラやパットも巻き込まれて手を上げている。いや、メリッサすら恥ずかしそうに手の平を持ち上げていた。このときばかりは、さすがのメリッサもミナに主役を奪われた形である。
それから、全員が動き始めた。急に空いたクルーザーの甲板に、洋一とラライスリたちが取り残される。洋一が見回すと、いつの間にかアンやシャナも後ろに控えていた。彼女たちも、パットと同じような衣装をつけている。シャナもカハ祭り船団食事船でのイベントの妖精とは違う、明らかに手の入った美しい服だった。今回はシャナもラライスリ役らしい。
洋一がぼんやりしていると、ひとりの女性が近寄ってきた。20代半ばだろう、Tシャツの胸が大きく盛り上がり、ジーパンの尻もはちきれんばかりだ。フィリピン系の顔つきをしているが、浅黒い肌が健康的で、顔の造作も悪くない。
その女性は、何か言いながら洋一の手をとった。途端にパットが噛みつくように叫ぶ。
その女性は肩をすくめて洋一から手を離し、ミナに何か言う。
ミナは一言二言返して、その女性を解放した。
まだ食いつきそうに睨んでいるパットに、なだめるように何か言ってから洋一の方を向く。
「ヨーイチさん。ちょっと来てもらえませんか」
「……え?」
去ってゆく肉感美人の尻に見とれていた洋一は、ぎくっと振り返った。パットが不機嫌そうに見上げているのに気がつかないフリをする。
ミナは気づかなかったのか、それともそのフリをしたのか、真面目な顔つきで続けた。
「配置を決めたいんです。まず、タカルルを配置しないとラライスリが決まらないから」
「ああ」
まだぼんやりしていた洋一は、パットをぶら下げたままミナに従う。その後をラライスリたちがゾロゾロ続く様子は華やかで、祭りの気配が漂っている。
クルーザーの前部甲板には、ちょっとした舞台が出来あがっていた。簡単な櫓のような構造物もある。もっとも、大型とは言ってもクルーザーであるから、カハ祭り船団の食事船みたいな本格的なセットは組めない。せいぜいが屋台船程度だ。それでも、櫓や周りの手すりには花や色とりどりのテープが添えられていて派手だった。
ここで一体何をさせようというのか、洋一がぼんやりしていると、ミナは洋一を舞台の中央にある椅子に座らせた。椅子といっても、やけに足が長く、座る前によじ登る必要がある。
そこに腰掛けると、一段高くなった視点から周りがよく見えた。子供の頃に読んだ童話に出てくる王様の椅子のようだ。つまり、周りからも洋一がよく見える。
これでは完全に見せ物だな、と苦笑したが、ここまできて後込みするわけにもいかない。洋一は覚悟を決めた。