第123章
多重人格というわけではないのだろうが、ミナの場合は自分の意志でいろいろな人格を使い分けられるという気がするのだ。例えば、第3勢力の漁船団を指揮していたときは青年将校みたいだったし、洋一をたらし込もうと思えば妖婦や召使いのようにふるまってみせた。
あれは天才的な演技力なのかもしれないが、むしろ成りきってしまう、という方がありそうである。実際、演技というよりは外見的にも別人のようにしか見えなかった。
今は自分なりに判断して、第3勢力のために一番役に立つ人格を表に出しているのだろう。だから今のミナが平穏に見えるからと言って安心は出来ない。次の瞬間には、別のミナに変化しているのかもしれないのだ。
最後にアンがいるが、あの娘はミナのお付きとしての性格付けが強すぎて、自分だけでは行動に出ない。ミナとワンセットで考えても良いだろう。もっともあの頑なまでの真面目さは買える。
そして困ったことに、洋一から見て全員がそれぞれ魅力的なのだ。甲乙つけがたい、という程ではない。そんなことは考えたくもないが、無理にやろうと思えば洋一にとっての優先順位もつけられる。それも状況次第でいくらでも変化しそうだが。
ミナはなかなか戻ってこなかった。ミナだけでなく、誰も船室に入ってこない。ただいたずらに時間だけがすぎていく。
その間、洋一は両側にカハ族の美しい姉妹を侍らせたまま、魅力的なカハノク族の少女2人と向かい合って、押し黙ってソファに座っていた。
どうしようもない。
結局操り人形であることがはっきりしただけである。人形は自分からは動けない。常に誰かに糸を引いてもらわなければならないのだ。それは洋一が一番やって欲しくないことだったが、今はそうするしかないことも判っていた。
この部屋に残った洋一以外のメンバーは、何となく落ち着いてしまっている。パットはもともと洋一にくっついていさえすれば満足だし、メリッサも今は似たようなものだ。2人ともカハ族とカハノク族の抗争など頭から飛んでしまっているらしい。
パットは、洋一の右腕をしっかり胸に抱え込んで、しかも頭を洋一の胸に押しつけた形で寄りかかっている。この暑いのに、洋一はパットの身体の暖かさまで押しつけられて汗だくだった。おまけに洋一もパットも上はTシャツ一枚である。剥き出しの腕はもちろん、薄いTシャツを通してくっつき合っている相手の体温がじかに感じられて、洋一は結構必死で耐えていた。
目の前にあるパットの金髪からは、何かいい匂いが漂ってくる。さらにパットの体臭なのか、かすかな塩の香りがしているようで、気を緩めるとたちまち陶然としそうだ。
こんなときのパットは、外見よりも大人びたイメージと、無邪気な色気というべきものを併せ持つ、ニンフみたいに思える。洋一としても、ここまでされると暴走しかねなかっただろう。もし、左手にいる美女の存在がなかったならば。
メリッサは怒っていた。
今も、メリッサは洋一の左手で、背筋をぴんと伸ばして座っている。洋一が横目で眺めていても、その姿勢の良さはよくわかった。
メリッサはまっすぐ前を向いているので、洋一の位置からは横顔しか見えない。素晴らしく整った喉の線と、完璧としか言いようがない額から口唇までのシルエットは、まるで名画でも見ているかのようだ。
だが、身じろぎもしないで座っているその姿は、沸々と沸き上がる怒りをため込んで破裂寸前にまで緊張が高まっているらしく、見ていると実際の圧力を感じるくらいだ。
その怒りが誰に向けられているのかはよく判らない。ストレートに考えればパットだろうが、パットの馴れ馴れしい行動を容認している洋一に向けられている可能性もある。
メリッサは、これまで見てきた限りでは、感情的ではあるが根に持つタイプではない。むしろ、最初は警戒するが一度相手を信頼したら開けっぴろげに接することが出来る素直な性格である。
それだけに感情をため込んでしまうと、いつか爆発することは必至だ。我慢強い性格なだけに、限界を越えるとヒステリーにまで至ってしまうかもしれない。そうなったら、メリッサ自身が傷ついてしまうだろう。ここらで圧力抜きしておいた方が良さそうだった。
正面に座っているサラが、皮肉げな表情を浮かべている。頭のいいサラなら、この状況で何をやらなければならないのか判っているはずなのに、手伝おうという気はないらしい。それどころか洋一のあがきを興味津々で眺めているとは趣味が悪い。
シャナは、サラの隣にきちんと腰掛けて、こちらもやはり好奇心丸出しで洋一に注目していた。シャナの場合は何を考えているか判らない。この少女も、もっと成長したら間違いなく魅力的な女性になるだろうが、その魅力の大半はすでに現れていると言えそうだ。今は出してほしくなかったが。
ギャラリーは無視することにして、洋一は意を決してゆっくりと立ち上がった。パットがびっくりしてしがみついた。洋一は、パットの肩を抱いて腕から引き離すと、こちらを向かせる。
まっすぐ向かい合って、洋一はパットに言った。
「パット。今、メリッサと喧嘩するのは困るんだ。もうすぐ、ひょっとしたらたくさんの人の命にかかわることをやらなくちゃならないんだから」
日本語だから、パットに全部判るとは思えない。むしろ、隣にいる美女に言い聞かせるつもりだった。
メリッサは反応しなかったが、全身を耳にして聞いているはずだ。洋一はメリッサを視界の隅に捉えていた。金髪がシルエットの輪郭を際だたせている。その姿に話しかけるつもりで、洋一は続けた。
「だからパット。今は我慢してくれ。これが終わったら、きっと……」
情けないことに、洋一はそこで口ごもった。これが終わったら、どうしようというのか。メリッサが好きだから、俺にもう近づくなとでもいうのか。それではパットを説得するどころではないだろう。
いや、それ以前に俺はどうするつもりなんだ?こんなに可愛いパットを傷つけることが出来るのか?
迷いが表情に出たのだろう。洋一をじっと見つめていたパットが不意ににっこり笑った。まっすぐ洋一の目を見ながら小さく頷く。
それからそっと洋一の頬にキスをした。
やさしいキスだった。恋人とのキスというより、親しい肉親に対する接吻に思える。
そして、パットはもう一度洋一に身体をすりつけて、立ち上がった。そのまま向きをかえて、メリッサの前にゆく。
座ったままのメリッサに向けて、パットはペラペラと話してから、パットは決然として船室を出ていった。
本当に判っているのかどうか不明だが、まさしくパットは洋一の気持ちをくんで動いたようだった。その素晴らしすぎる態度に、洋一は心に鋭い痛みを覚えざるを得ない。これではパットに責任を押しつけて、洋一が逃げたようにしか見えない。
あまりに都合のいい展開に、洋一は頭を抱えた。自分の決心がいかに薄っぺらなものか思い知らされる。自分のことすら始末をつけられないで、フライマン共和国のことをどうこう言う資格があるのか。
それは何回も自問自答したことだった。そして毎回結論は出る。資格があるかどうかではなく、やるしかないことなのだ。
全部やめて逃げるという選択肢は、それこそ何十回も考えた。その都度戻ってくるのは、そんなことをしたらもう二度とメリッサに……メリッサたちに会えなくなる、という利己的な思考だった。人間としての尊厳とか、男の誇りなどという理由付けは、後から思いついたにすぎない。
だからこそ、洋一は悩んでいるのだ。自分の行動を正当化出来ないからだった。
このへんが、洋一の甘さだった。だが、この欠点がまた少女たちを引きつける魅力になっていることを、洋一自身は気づいていない。
今回も、その欠点が洋一を救った。パットが去って落ち込む洋一の頬に、誰かがそっと触れたのである。その柔らかな感触は、明らかにキスだった。