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第121章

 とすれば、ラライスリを演ることについては、ミナはさほど気にしていないのかもしれない。自分の能力に自信を持つ彼女とすれば、生まれつきの美貌で得られる地位や賞賛などは、さほど価値がないのだろう。

 そう洋一は思ったのだが、間違っているかもしれない。普通の人のことすら判らないのに、ましてやミナのような謎の女性の考えていることなんか、洋一にわかりっこないのである。

 そんなことを考えているうちに、事態は進展していたらしい。『ラライスリ』に横付けされているクルーザーから若い男が飛び込んできたかと思うと、ミナとその父に駆け寄って何か耳打ちする。

 ミナは、父親と短く話して、すぐに立ち上がった。洋一のところに駆け寄ってくると、メリッサやパットを押しのけて洋一に抱きつく。

 これには、洋一を含めてそこにいた全員が不意をつかれた。一瞬、全員が動きを止める。そして、ミナは洋一の耳に口を寄せると囁いた。

「ヨーイチさん、あちらの船に移ります」

 次の瞬間には、ミナは洋一の手をとって歩き出した。

 周囲の船団から、さっきとはまた違った歓声が沸き起こる。傍目には、ミナが洋一に強引なアプローチをかけたようにしか見えなかっただろう。

 パットが血相を変えてミナに抗議しているが、ミナはにこやかに笑いながら洋一の手をぐいぐい引いて、横付けされているクルーザーに乗り込んでしまった。

 もちろん洋一の腕にしがみついたままのパットもついてくる。メリッサがまさかと思うような見事な跳躍を見せて、洋一のそばに降り立つ。

 ミナとパットに両腕を取られて動けない洋一は、ぽかんとメリッサを見とれていた。

 洋一の正面に立つメリッサは、何かを吹っ切ったような明るい顔をしていた。迷いのない、澄んだ瞳である。その紫色の瞳が、真っ直ぐに飛び込んでくる。

 両腕を拘束されたまま、洋一はメリッサに正面から抱きつかれていた。

 視界が金色の輝きで覆われたかと思うと、不意に少し塩辛い味がした。首に回されたメリッサのむきだしの二の腕が熱い。

 頭がぼやっとしてくる。

 頭では、今奇跡のように美しい少女が自分にキスしていることを理解しているのだが、感情がついていかない。

 あれほど大きく聞こえていた周りの歓声がまったく聞こえない。一体どうなっているのかも判らない。ただ、目の前に広がるきらきら光る美しい髪と、そして口唇の暖かさだけがあった。

 不意に視界が戻った。

 同時に、意識にどっと音が飛び込んできた。気がつくと、洋一はあいかわらず磔のような姿勢のままクルーザーの甲板に突っ立っていて、両腕はパットとミナに引っ張られ、目の前にはメリッサが息を弾ませて向かいあっている。

 周囲の歓声は、これまでと特に違っているようには聞こえない。どうやら、今の寸劇は気づかれずにすんだらしい。

 だが、安心しかけた洋一はすぐに現実に気づかされた。体の両側からの突き刺さるような視線を感じる。それに、両腕が痛いほど引っ張られている。

 恐る恐る左を向くと、そこにはギラギラと輝く緑色の瞳があった。ただでさえ大きなパットの瞳が、洋一を飲み込みそうな迫力で迫ってくる。

 パットは怒っていた。その怒りは、理不尽にもみすみすメリッサにキスを許した洋一に向けられていると思われる。

 洋一は、あわてて視線を逸らせた。勢い余って、反対を向いてしまう。

 そこにあったのは、パットとは対称的に静かな黒い瞳だった。ただ、静かではあったが、その底には煮えたぎる何かが渦巻いている。

 感情を表さない、冷静沈着な少女だと思ったのは間違いだったらしい。ミナもまた、パットに勝るとも劣らない程の爆発的な感情エネルギーを、その体の中に貯め込んでいたのだ。

 ストレートに出てこない分、ミナの方が圧力が高まっている。顔つきこそ冷めていたが、その瞳が食いつきそうに洋一に注がれていた。

 どうしてこんな目にあうのか、俺が何をしたと言うんだ、と叫びたい洋一だったが、もちろんそんなことをするわけにはいかない。

 皮肉なのは、洋一がこんな種類のトラブルにはまっているという事実そのものだった。日本にいたときには、人並み以上には女の子には縁がないし、従ってこういったトラブルに陥ったことなどなかった。そんなのは、本や漫画にしか出てこない絵空事だと思っていたのである。

 たまに芸能人や有名人のスキャンダルが雑誌などに載っているのを読んで、もてるのが羨ましいと思うよりは、よく一度に複数の女性と交際するような気力があるもんだ、と感心していた洋一だった。

 だが、今や洋一は悟っていた。

 女性関係のトラブルは、本人が原因でだけ起こるわけではない。本人にまったくその気がなくても、人は時として思いもかけない状況に陥ってしまうものなのだ。そして、その責任を負うのは本人なのである。

 洋一は、大きくため息をついた。このままでは、深みにはまるばかりである。そのあげく、すべてをメチャクチャにした上で自分も破滅する、という結果になりたくなければ、自分で何とかするしかない。

「離してくれ」

 洋一が言うと、パットとミナの顔に正気が戻った。その抑揚に、何か感じるところがあったのだろう。

 パットは、あわてて手を離してとびすざると、両手を背中に隠した。少しうつむきながら、下目使いに洋一を見上げてくる。興奮状態から覚めて、もしや洋一の機嫌を損ねたのではないかと伺うような目つきである。まったく分かりやすい娘だ。

 ミナの方は、力こそ緩めたものの、洋一の腕をつかんだままだった。こんな時でも、冷静に頭を回転させているらしい。ここで洋一から離れてしまえば、当面のライバルであるメリッサに利するだけだと瞬間的に判断したのかもしれない。

 洋一には、ミナの心の動きなど判らなかった。というより、判りたくなかった。少々うんざりしていたのである。

 洋一は、そのまま歩き出した。ミナが引きずられかけて、慌てて歩調を合わせる。パットとメリッサも追ってくるのを感じながら、洋一は人混みをかき分けてクルーザーの船室に入った。

 『ラライスリ』よりかなり大型なだけに、船室には相当の余裕があった。それでも室内は人でいっぱいで、おまけに急ごしらえの司令部らしく、あちこちに無線機やバッテリーらしき機械が積み上げられている。第3勢力の船団指揮をやっているのだろう。

 考えてみれば、カハ祭り船団は船団をまとめるのに、比較的小型とはいえ本格的な外洋貨物船を使っていたのだ。数十隻の船を指揮するのは、並大抵の事ではないのは当然である。

 ましてや、これから戦争をやっている所に突っ込もうというのだから、どうしても船団を一糸乱れぬ統制のもとに置く必要がある。

 第3勢力は、両軍より船の数が少なく、しかも相対的に勢いがない。カハ族とカハノク族の船団が戦争するつもりで来ているのに対して、第3勢力は動機付けが弱いのだ。うっかりすると、どちらかの攻撃に巻き込まれてバラバラになり、飲み込まれてしまうかもしれない。

 船室では、突然入ってきた洋一たちに注意を払うものはいなかった。そこにいる者は、それぞれの任務に集中していて、洋一のことも増援の誰かが来たくらいにしか思わなかったらしい。ちらっと洋一を振り返った者も、すぐに興味を失ったように視線を逸らせてしまう。

 その理由は簡単だった。今や、陽に焼けた洋一の姿は、フライマン共和国の平均的な青年といってもいいくらいこの地に同化していたのだ。第3勢力の青年たちも、混血が進んでいるせいか肌の白い金髪碧眼から黒人そのものの姿をした人まで多種多様の外見であり、東洋系の特徴はむしろ多数派といってもいい。

 だが、何気なく振り返った青年の一人は、いきなり叫び声を上げて立ち上がった。一斉に、船室の全員が振り向く。

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