第119章
「だから、父はヨーイチさんが怖いんです。自分が出ていったら、まとまる話も壊れると思いこんでいます。だから自分で言わずに私に伝言させたんです。私が、いくらヨーイチさんはそんなに話が判らない人じゃないって言っても、聞いてくれなくて」
最後の方は、また笑いの発作に襲われたらしく、かすれて消えた。
洋一の方は、絶句するばかりである。どう誤解したら洋一が怖いなどということになるのか。第3勢力のリーダーということは、事実上フライマン共和国の支配権を半ば握っていると言ってもいい。カハ族とカハノク族の勢力が均衡している現在、第3勢力は片方に肩入れするだけでそっちを勝たせることが出来るということだ。つまり、双方とも第3勢力の意図を伺わざるを得ない立場にある。
それだけの力を握りながら、なぜそんなことを言うのだ?
洋一の間抜け面に、さすがのミナも説明の必要を感じたのだろう。何とか笑いを納めると、こほんと咳払いして話し始めた。
「ヨーイチさん、本当に自分が判っていないんですね。第3勢力の間では、ヨーイチさんは凄いっていうもっぱらの噂ですよ。漂光を集めて見せたり、カハ族の女神をゲットしたり、ただ者じゃないって」
「ゲ、ゲットしたとかじゃなくて」
洋一は、あわてて否定しながら、横目でメリッサを伺った。だが、メリッサは微動だにしていない。むしろ、うっすらと頬を染めてさえいる。
一方ミナはかまわず続けている。
「それだけじゃないんです。父が目を付けて取り込もうとしたら、あんな激しい形で断って、颯爽と去ってしまった。父は、こういっては何ですけど第3勢力の中ではコワモテで通っています。何かをやろうとしたら、面と向かって反対するような人はほとんどいないと言ってもいいんです。その父をあっさり切って捨てたんですから、ヨーイチさんは少なくとも父と対等な力を持っていると思われているんです」
洋一は、言葉もなかった。
あれは、一世一代の愚行だったと今でも思っている。見知らぬ国の、見知らぬ人たちのまっただ中で、そこの権力者に刃向かったのだ。おまけに相手の面子が立たないような、最悪の反抗の仕方をしてしまった。
それだけではなく、無謀にも船の操縦も出来ない癖に、何の当てもなくクルーザーを走らせて、危うく遭難するところだったのである。ミナに見つけて貰えなかったら、今頃は死ぬか発狂するかしていたかもしれない。
その意味では、むしろ洋一自身が第3勢力に大いに負い目があるところなのだが。
「誤解だよ、それは」
力なく呟く洋一に、ミナは暖かく言った。
「私は、洋一さんが父の思っているような人ではないと知っていますけど、でも、やはり大きな意味のある人だと思います。
ヨーイチさん、父の要請を受けてください。別に第3勢力を支配下におくとかじゃなくて、ヨーイチさんはいわば象徴なんです。別にみんなに命令したりしなくてもいいんです。
こんな状態では、フライマン共和国の誰かが何とかしようとしても、もうどうにもならないと思います。利害関係が最初からある人では、だめなんです。だからヨーイチさんなんです。父やその他の人が出来ないことを、ヨーイチさんなら出来るかもしれないから、父だってああ言っていると思うんです」
洋一は、感心してミナを見た。
この聡明な少女は、どうやら洋一を含めた大多数の人より事態をはっきりと把握しているようだ。
確かに、洋一に何が出来るか、という視点からでは何にもならないという結論しか出てこない。しかし、洋一には洋一にしかない際だった特徴がある。
ソクハキリが言ったように、洋一はフライマン共和国においては部外者だ。少なくとも、直接的には誰にも利害関係がない。
カハ祭り船団に同行していたが、カハ族に肩入れするような行動はとっていないし、途中で抜けてしまっている。メリッサやパットが同行してはいるが、そういう意味ではサラとミナもいるから、一方的にカハ族に肩入れしているとは言えないだろう。
つまり、洋一は現時点において、唯一の公平な審判を勤めることが出来る存在なのだ。
もっともこの審判の言うことを誰かが聞いてくれる保証は何もないし、大体審判自身が何をすればいいのか全然判らないという欠陥があるのだが。
ふと気づくと、『ラライスリ』のほとんど全員が洋一の周りに集まっていた。操舵室にいるはずのアンまでが、いつの間にかミナの後ろに控えている。まだ隠れているミナの父を除けば、『ラライスリ』の船上は洋一以外全員美少女である。それがいっせいにこっちを向いて集中しているのだ。ここはどこの女子校か、あるいはミスコンの控え室か、という状況だった。
追いついてきた第3勢力の船団は、『ラライスリ』と横付けしたクルーザーの周りをゆっくり回りながら待機しているらしい。どの船も甲板には鈴なりの人で、その全員が『ラライスリ』に注目していた。さっきから口笛とか何か叫んだりひやかすような声が聞こえるのは、その連中の仕業だろう。
何せ、船上にはフライマン共和国の女神候補や、その巫女の全員が集合しているような有様なのだ。これほどの華やかな光景はめったにないと言っていい。
洋一は、視線を戻した。パットの大きな緑色の瞳が真っ先に飛び込んでくる。メリッサの紫色の瞳が、そんなパットと洋一を視界に納めながら、激しい感情を込めて洋一の後頭部を焼いているのを感じる。
サラも、真っ直ぐに洋一を見つめていた。何かを訴えるでもなく、また突き放すでもない、ただ見ているというその視線は、なぜか洋一に突き刺さってくる。
そしてミナの黒い瞳は、溢れんばかりの感情を込めて洋一の前にある。その感情が何なのか、今の洋一には判断出来ない。いや、したくないと言った方がいいかもしれない。
洋一は、折れた。
どうしようもない。ここで断る方が、よほど勇気がいるだろう。
「判った。ミナ、お父さんに承知したと伝えてくれ」
すぐそばにいて、当然洋一の言葉を聞いているはずの相手だが、これはミナに対して答えなければならない。そうしなければミナの立場がない。
ミナにも判っていた。ちらっと満面に笑みが走ったが、それでもミナは第3勢力の使者らしく威厳を持って受けた。
「ありがとうございます。それでは、ただちにヨーイチさんの回答を伝えます」
ミナは、芝居がかった仕草で真っ直ぐ背を伸ばしたまま体の向きを変えると、儀式じみた歩き方で父親の方に歩いていった。
隠れている父親に、何かをささやく。すると、第3勢力のリーダーはいきなり立ち上がった。素早い動きで『ラライスリ』の操舵室の上に駆け上がると、いきなり両手を上げて叫んだ。
フライマン共和国語らしく、洋一には一言も判らなかったが、その叫びが消える前に、『ラライスリ』を囲んでいる第3勢力の船団全体からすさまじい歓声が沸き上がった。
さっきまでの、メリッサたちを見ての冷やかしじみた声ではなく、腹の底から叫んでいる。そして、最初はてんでバラバラだった歓声は、いつの間にかまとまってシュプレヒコールになっていった。
今度は、洋一にもみんなが何を言っているのかは判った。フライマン共和国語だったのかもしれないが、発音は明白だった。単語ひとつだけだったのである。
「タカルル! タカルル! タカルル!……」
誰のことを指しているのかも、わかりすぎるくらい判っていた。
もっとも、とても神の名前を呼んでいるとは思えない。シュプレヒコールを聞いていると、なんだか革命でも起こりそうである。
タカルルというのはそういう神様だったのだろうか? 確か、風の神様ではなかったか?