第111章
いつの間にか、洋一の腕の中のパットも寝入っていた。上から見下ろすと、Tシャツのパットの胸が膨らんで見える。薄い生地を通して乳首らしい突起が飛び出して見えるのに気づいて、洋一はあわてて目を反らせた。
そんな洋一を、メリッサとミナが見るともなしに注目していた。2人とも何も言わないが、明らかに非難の感情が伝わってくる。今のところ、この2人はお互い同士に対する感情は見せていないのだが、それはパットのスキンシップが大きく立ちはだかっているからだろう。してみると、パットの功績は大きいと言えるかもしれない。
その時、『ラライスリ』が少し進路を変えたようだった。身体が右側に引っ張られる。
そして、絶え間なく響いているエンジンの音が少し高くなり、クルーザーは増速していた。
ミナがするりと立ち上がった。洋一をまたぐようにしてドアを開けて操舵席に出て行く。
ミナのしなやかな身体が目の前を通過して、洋一は目を閉じた。そんな一瞬でも、ミナの無意識なのか魅力的なしぐさを洋一に見せつけて行ったのである。
ミナは、すぐに戻ってきた。ドアに掴まって洋一に頭を寄せ、耳元で言った。
「追いつきました。このまま、先頭集団に合流したいのですが、よろしいですか?」
洋一はとまどってミナを見返した。そんなことは、船長であるミナが決めるべきことではないだろうか。
だが、ミナは洋一の指示を待つように、じっと見返しているばかりである。
「ヨーイチ、命令してやらないと、いつまでたってもミナが動けないわよ」
サラの声がした。振り向くと、いつの間にかサラは目をさまして落ち着いて座っている。「命令って、俺が?」
「しっかりして。ヨーイチは何のためにここにいるの? 誰も強制してないし、どうこうしろという人もいないのよ。この船に、私たちしか乗っていない理由が判らないわけじゃないでしょう?」
そうか。
だから、あの男はこの船に乗らなかったのだ。おそらく、それが条件だったのだろう。ミナの父親と、ソクハキリかアマンダの間で話し合いが持たれたに違いない。
もし、3つの勢力の権威のどれかが同乗していれば、洋一の行動はどうしてもそれに影響される。そして、もはや手遅れかもしれないとは言え、洋一の行動はまだ事態を左右しかねない切り札ではある。
ただし、それは全体的に見れば大した要素ではないから、ソクハキリたちは同じく小さな要素である少女たちを洋一につけてよこしたのだろう。
話し合いには、多分サラの父親か、それに近い人物も参加していたはずだ。だから、3つの勢力からそれぞれ洋一に近い少女が送り込まれている。この3人は、洋一の行動を支配するほどではないが、影響を与えることは出来る。それも、洋一の反感を買わないで。
それ故にミナは最初に言ったのだ。カハ族の、カハノク族の、そして第3勢力のラライスリ、と。
タカルルである洋一は、どのラライスリを選ぶかで、ささやかながらココ島の運命に裁断を下すことが出来るというわけだった。
「わかった。ミナ、まだ船団には合流しないで、少し離れてついていけるか?」
「出来ます」
「では、そうしてくれ。今後のことは、後で考える」
ミナは、頷いて操舵席に消えた。どうやら、サラが言った通り、洋一に全面的に従うようだ。
もっとも、本当のところは判らない。いよいよせっぱ詰まったり、重要な場面になったりしたら、ミナに限らず少女たちが勝手に行動しないという保証はないのだ。
洋一は、寝込んでいるパットをそっと抱き上げて、シャナの隣りに座らせた。パットは寝ぼけているのか、だらりとした格好でシャナの肩を枕にしてまた寝てしまった。
シャナは、どきっとするほど大人びた視線を洋一に向けて、ひとつ頷いた。こちらはまったく眠る様子はない。姉貴分であるサラと似て、その落ち着いた態度は煎じてパットに飲ませてやりたい程である。
そういえば、3組の少女たちは、それぞれ対になった相手によく似ている。というより、年上の少女の性質の一部を年下の少女が拡大して持っているかのようだ。
アンのくそ真面目さは、多分ミナの性質の根幹をなすものであるはずだし、シャナときたらサラの小型版といってもいいくらいだ。
そして、パットのこの無邪気さと同じものが、メリッサにもある。パットより年上で、回りから注目され慣れているせいで態度には表さないが、メリッサの本質は素直で純真だ。本当は、もっと感情を出したいはずで、だから相当ストレスが溜まっているだろうことが洋一には心配だった。
この騒ぎが終わったら、そのことを伝えたい。無事終わったら、の話だが……。
サラは、また眠ったらしい。今更ながら、この娘は凄い度胸というか、大物である。
ここにいる少女たちを統率する立場にいるのは、年上だからというだけではあるまい。
メリッサは、うつむいているものの、寝てはいないようだ。洋一の方も見ない。どうも、洋一を置き去りにしたことがトラウマになっているらしくて、そんな痛々しい姿を見ているのは洋一にとって苦痛だった。
だが、それは洋一がどうこうできることではないのである。メリッサが自分で決着をつけるべきことだ。もとの明るいメリッサに戻せるのなら、洋一は何でもするつもりだ。
ただし、サラやミナが見ている前では行動に出られるかどうかは疑問だった。これはもう、洋一の八方美人的な性格が問題なのであって、本当にメリッサだけに専念するのだったらすぐに解決する話だった。
とにかく今は、そんな甘い想像にふけっている場合ではない。洋一は自分に喝を入れようと、甲板に出た。
操舵席では、アンがあいかわらず真面目くさって操船していた。ミナの姿はない。
見上げると、ミナは操舵席の屋根にあぐらをかいていた。
このミナという娘は、こういう姿が本当によく似合う。『ラライスリ』がかなりの速度で走っているために、操舵席の屋根にいるミナは真っ向から風を受けて、髪の毛が後ろになびいている。
風に逆らうために、前傾の姿勢を取ったミナは、野性味溢れたというより他にないような魅力を発散していた。
洋一は、しばしミナのそんな姿に見とれた。
夜明けの光と風の中を、そのすべてを従えるように君臨する少女。それは、パットの愛らしさやメリッサの美しさともまた違った、それでもまぎれもなく海の女神が持つ属性のひとつである。
ほっそりした肢体でありながら、その身体からは猛々しい力が発散しているかのようだ。
ここ数日、洋一の前では大人しくしているが、ミナの本来の姿はあんなものではあるまい。今、夜明けの空と海に向けて、無意識に開放しているエネルギーこそが、おそらくはミナの本来の特質なのだ。
洋一は、ふと考え込んだ。
どうも、ココ島に来てから日本の常識から外れた経験が当たり前になりつつある。非科学的と言われようが、フライマン共和国諸島ではラライスリが現実に生きていることを実感するようになっていたし、しかも自分もまた、不本意ながらタカルルという得体の知れない神と同一化されつつあるのも認識している。
そして、ラライスリはまさしくここにいる。メリッサとミナが、まぎれもなく現代のラライスリの特質を体現しているとしたら、サラは何の属性を持っているのだろう?
ゲームや小説ではないのだから、3人の少女がそれぞれ別の能力を持っていたり、その能力を洋一が統合して神を出現させたりできるなどとは、洋一も考えていない。
むしろ、洋一や少女たちがここにいるのは単なる偶然であり、偶然ゆえにココ島に備わったある物語が擬似的に語られつつある、という方があり得る。
主役は、あくまでフライマン共和国諸島の自然であり、この海域に伝わる神話であり、そしてその神話を信じる人々なのだ。
だから、多分洋一や少女達が自分の考えで何かをしようとしても、あまり意味がないだろう。物語自体は、すでに語られているのであり、洋一たちはそのストーリーをなぞっているに過ぎないと考えることが出来るからだ。