第109章
「ちょ、ちょっと待てパット」
「ホワイ?」
何のためらいもなく、洋一を引っ張って個室のひとつに入ろうとするパットをあわてて止めた洋一は、パットの素朴な疑問にぶつかった。
まったく邪気のない、まっすぐな瞳が洋一を見返している。洋一がなぜ止めるのか、まったく判っていない態度である。
しかし、洋一としてもここは譲れない。パットにその気はなくても、このまま行けば傍目にはまぎれもなく洋一とソクハキリの末妹との同衾である。
しかも、こうやって落ち着いて向き合っているからこそパットの幼さが全面に出ていておかしな気にはならないが、暗い中で2人きりになったら、伸びやかな肢体の美少女に洋一が理性を失わないという保証はない。
そんなことになったら破滅だ。いや、単なる破滅だけではなく、洋一にはロリコンという汚名すらふりかかってくる。
そうなったら、ソクハキリやアマンダに顔向けが出来ない。いや、メリッサに何と言えばいいのか。
「明日は大変だ。だから、心を落ち着けて行きたいんだ。それに、一人で考えたいんだ。どうやったらうまくやれるのか」
シドロモドロの言い訳をもっともらしく話すと、パットはちょっと落胆した表情を見せたが、すぐにニコッと笑った。
「オーケィ、ワカッタ」
ほんとに素直で純粋な娘である。その透き通るような笑顔に、洋一は改めてグラッときた。間違いなく、あと数年でこの少女はメリッサと同等以上に男を引きつける女性に成長するだろう。
パットは、一度納得すると行動が早かった。
背伸びして洋一の頬にキスすると、駆け出していった。
洋一は、まだ感触が残っている頬を撫でながら、タイミングの悪さに落胆した。
メリッサと出会っていなければ、洋一は何年でもパットの成長を待ったことだろう。もちろん、パットの方が数年後に洋一になびいてくれるという保証はないのだが、そのリスクを考えても待つだけの値打ちがある少女だ。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。いいかげんに話した言い訳だが、それは本当のことでもある。ただ、今更考えたところで、名案など浮かぶはずはないのだが。
洋一は、手近にあったドアを開けて中に入った。思ったよりしっかりしている。といっても、やはりホテルではないのでプレハブ的な構造だった。
細長い部屋で、簡易ベッドがひとつおいてあり、薄い毛布が畳んで乗せてある。マットレスに腰掛けると、ヨットやクルーザーの寝棚並の堅さだった。まあ、期待していなかったが。
洋一は、そのままベッドに横になった。やはり疲れていたらしい。毛布を枕にして、目を閉じた瞬間に落ちたようだ。
ぼんやりした夢を見たような気がした。だが、遠くで何かをどんどん叩く音が徐々に大きくなっていったかと思うと、次の瞬間にははっきり目がさめていた。
めったにないくらいの快適な目覚めだった。いつもは、もっと寝起きの澱を引きずるのだが、今回はパチッとスイッチが入ったように、完全にスタンバイ状態で覚醒したらしい。
洋一はベッドから勢いよく起き上がった。疲れも完全に取れている。身体がどこかこわばったり痛んだりしている様子もない。ベストコンディションとは、このような状態を言うのだろう。
そのかわり、猛烈に腹が減っていた。これもまた健康な証拠である。
窓の外は、まだ暗かった。夜が明けたわけではなさそうだ。すると、ミナの父が着いたのか?
「ヨーイチ、起きてる?」
またドアを叩く音がした。洋一が鍵を外すと、サラが立っていた。こちらは眠らなかったのか、なんとなくはれぼったい目をしていて、機嫌も悪そうだ。
「ああ、サラ。起きたところだ」
「それは良かった。来て。すぐに出発よ」
ぶっきらぼうに言って、サラは歩き始めた。洋一は肩をすくめて後を追う。
外に出ると、あいかわらず満天の星だった。もう投光器は消されていて、周囲は黒々とした中に静まり返っている。
例の倉庫だけはにぎやかである。見ているうちにも、数人の人影が飛び出して、暗闇に走り込んでいった。
「ヨーイチ!」
飛びついてくるのはパットだけだ。洋一は、すっかり慣れた仕草でしなやかな身体を受け止めて、ひょいと抱き上げた。今はなぜか気分が浮き立っていて、自然に身体が動いてしまう。
パットは驚いたようだが、すぐに洋一の腕の中で身体を丸めた。そのために手がすべりそうになり、洋一はとっさにパットを振り回してからストンと着地させる。
パットは喜んだらしく、洋一の腕に飛びついて抱きしめた。こんな状態のパットは、いかにも幼くて幼児か子犬のようだ。これで、ひとたびラライスリの衣装を纏えばたいていの男を悩殺できる美女に変身するのだから、女はわからない。
倉庫の前には、すでに全員が揃っていた。
期せずして、サラを中心にメリッサとミナが並んだ形で洋一の方を見つめている。
メリッサが険しい顔をしているのに気づいて、洋一はそっとパットの手を解いた。パットの方も、3人の威圧感のせいかおとなしく引き下がる。
「行きましょう」
意外にも、ミナが言って歩き出した。そのそばに、アンがぴったりくっついている。洋一がつられて踏み出すと、残りの少女たちも続いた。
洋一と6人の少女たちは、真っ暗な林に分け入った。ミナが懐中電灯をつけたらしく、丸い光が前方で揺れている意外は真の闇だ。
見上げると、木の枝の合間から星がちらちらして見えるが、その光が下まで届くことはない。
不意に、洋一にすり寄ってきた身体があった。その影は、一瞬洋一の頬にキスをして、すぐに離れていった。
誰なのかはわからない。ふわっという感触と、いい匂いだけが記憶に残ったが、あいにく匂いだけでは特定は出来なかった。
キスの位置からして、多分シャナたち年少組ではないだろう。もっとも、思い切り背伸びすれば、パットやシャナでも届かない高さではないのだが、パットはともかくシャナやアンがわざわざ隠れて洋一にキスしてゆくとは思えない。
ミナは、懐中電灯をもって一番前にいるはずだし、そうすると大胆な行動に出た可能性のある娘は限られてくる。
メリッサだろうか?サラは、あまりそういう気はないみたいだし、他の女の子たちの可能性が低いとしたら、メリッサだと思っていいかもしれない。
しかし、メリッサはカハ祭り船団のことでかなり参っていた。さっきも、そのことで頭がいっぱいらしく、ろくに顔を上げようともしなかったし、パットが洋一にくっついていても気にもとめていないようだった。そんな状態で、キスしにくるような精神的余裕があるだろうか?
ああでもない、こうでもないと洋一の心は乱れていたが、その間に一行は林を抜けていた。
まだ辺りは暗いが、東の方が少し明るくなってきているようだ。夜明けが近いのだろう。
海岸には、数人が忙しく働いていた。いずれも黒い影にしか見えない。
一行が海岸に向かって行くと、そのうちの一人が駆け寄ってきた。懐中電灯を持つ影に話しかける。
洋一は目をこすった。先頭で話している影がやけに小さい気がしたのだが、よく見るとそれはアンだった。
あわてて振り向くと、何時の間に入れ替わったのかミナは洋一の真後ろにいた。
「ミナ」
「はい?」
ニコッと笑ったミナは、暗くてよく見えないが、涼しげな顔をしているようだ。