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第10章

 食事は、意外にもうまかった。

 特にベーコンが絶品だった。柔らかいのに、サクッという口当たりで、適度に塩気が効いている。

 ベーコンは、ヘタに作ると油っぽくてどうにもならないかケシズミになってしまうのだが、これはコックの腕と材料が両方一流でないと出せない味である。

「これ、おいしいですね」

「そうか。コックに言ってやれば喜ぶぜ」

「コックさんがいるんですか。さすがに、一流の腕の人を雇ってるんですね」

「まあな。そうだ、ちょうどいい。紹介しとこう」

 ソクハキリは、調理室らしいドアに向かって何かを叫んだ。

 返事はなかったが、しばらくして、ドアがあいてエプロンをつけた女性が入ってきた。

 ソクハキリは、大げさな身振りで言った。

「紹介しとこう。こちらヨーイチ。日本領事館の臨時職員で、カハ祭りに協力してくれる。ヨーイチ、こっちは我が家のコックで、俺の妹のメリッサだ」

 洋一は、ポカンと口を開けたままコックに見とれていた。

 あっさりした白いツナギ型のエプロンでも、その優雅な肢体は隠せない。輝くプラチナブロンドにくるまれた端麗な顔は、ともすれば人形のような無機的なイメージを醸し出しているが、薄紫色の瞳の強烈な印象が全体の印象をがらりと変えている。

 昨日の晩に、ホールで出会った女神だった。

 こうして明るいところでまともに見ると、昨日の何倍も印象的だ。

 金髪は、あっさりと後ろでまとめているだけで、頭の回りに後光のように輝いている。なぜか堅い表情だったが、そのために端正な顔立ちが強調されて、まるで美術品が立っているかのようだった。

「ど、どうも。ヨーイチ・スサです」

 洋一があわてて立ち上がって挨拶しても、メリッサは少し眉をしかめただけで、何も言わない。それでも、差し出しされた洋一の手を無造作に掴んで握手すると、そのままくるりと向きをかえて、すたすたとキッチンの奥に去っていってしまった。

「メルは、ちょっと人見知りするんでな。まあ、気にしないでくれ」

「はあ」

 ちょっと人見知りするといった程度ではないような気もしたが、洋一は大人しく腰を降ろした。

 右の手のひらが熱かった。

 あんなにも美しい人が、本当に存在していたことに、洋一は衝撃を受けていた。

 映画やテレビなどで見るような美女が、本当に生きて歩いていて、こんなにうまい食事を作ってくれたばかりか、洋一と握手までしてくれたという事実に、洋一の心がついていけていない。

 ある意味では、昨日から立て続けに起こっている出来事のうちで、もっとも衝撃的な出来事だったといっていい。

 ぼやっとしていると、いきなり脇腹を何かで突かれて、洋一は喘いで椅子に座り込んだ。

「ブレックファスト!」

 パットが睨んでいた。ソクハキリは、食べ終わったらしく爪楊枝をくゆらせてニヤニヤしている。どうも、この男は結構人が悪いらしい。

 洋一は頭をふって今の信じがたい体験の余韻を振り払うと、ベーコンとトーストに没頭した。

 ソクハキリが、それじゃあとでな、と言って去り、パットもマタネ!と叫んで出ていってしまうと、洋一はだだっ広い食堂に一人取り残された。

 満腹するまで食べても、まだ山盛りの食料が残っていたが、食べにくる人はもういそうにない。

 洋一は、大量に残っているベーコンやサラダの皿をまとめてワゴンに載せた。

 汚れた食器はワゴンの下の台に積み上げる。

 後で片づけるからそのままにしておけと言われたが、そうもいかない。

 ワゴンを押して、期待を込めてキッチンのドアを開けたが、誰もいなかった。メリッサも引き上げたらしい。

 キッチンは、晩餐会の仕込みが出来そうなほど広かった。きちんと片づいていたが、ごく一部の設備を除いてはなんとなくカビくさく、あまり頻繁には使用されてないのだろう。

 洋一は、食器を流しに入れると、洗い始めた。

 高校や大学でのバイトの大半は、ウェイター兼任の皿洗いだったので、慣れているし必要に迫られて得意でもあった。

 3人分の皿をきれいにして並べていると、不意に背中に視線を感じた。

 メリッサが、戸口に立っていた。あいかわらず無表情である。

「やあ」

 洋一の間の抜けた言葉に、メリッサはちらっと表情を動かしたが、何も言わずに近寄ってくる。

 洋一を避けて、ワゴンの上のベーコンなどを冷蔵庫に仕舞う。それが終わると、黙って出ていってしまう。

 ドアをくぐる際に、洋一の方に一瞬だけちらっと視線を送ったが、まだ人間として認識してくれているようには思えない。単なる物体以上には関心をもってくれたらしいが。

 洋一は、ため息をついて食器を戸棚に仕舞う。それが終わると、もう何もやることがなくなってしまった。

 昼前には迎えをやるから、それまではこの屋敷で自由にしていてほしいと言われていたが、自由にしろといっても人の屋敷をかぎまわるのは気がひけるし、あと2,3時間では何も出来ないだろう。

 とりあえず、荷物を整理することにして、洋一は自分の部屋に帰った。このだだっ広い屋敷には、昨日から歩き回ったせいでなんとなく親しみがわいていたが、それでも「自分の部屋」まで帰りつくのにしばらくうろつかなければならなかった。

 部屋には誰もいなかった。だが、バスに新しいタオルが置いてあって、またもや姿なきメイドが片づけをしていったらしい形跡があった。

 しかも、ベッドの上にはさっき脱いだ服が、下着まで揃えてクリーニングされて置かれている。ちゃんと乾いて、糊まで効いていた。この屋敷にはドライクリーニングの設備もあるようだ。

 それにしても、洋一が食事でこの部屋を離れたのはせいぜい30分くらいなのに、ここまでやってくれているとは、不気味なくらい有能なメイドがいるらしい。

 洋一はため息をついて、荷物を持って部屋を出た。なんとなく、この部屋から立ち去りがたい気がした。たった一晩泊まっただけなのに、ここはあの日本領事館より落ち着ける場所になってしまったようだ。

 何度か迷った末にホールに出ると、洋一は荷物を壁際に置いて扉を開けた。

 外は、いつもながらいい天気だった。

 ココ島の乾期は、日中はほとんど雲ひとつない晴天が続く。空気は乾燥しているが、夜に決まって雨が降るので、水不足という事態にはならない。

 だが南の島らしく太陽光線が強力で、洋一もすでに真っ黒に日焼けしている。

 そういえば、メリッサは体質なのか綺麗な肌をしていたが、ほとんど外出しないからなのだろうか?

 あれだけ美人で、おまけにフライマン共和国にはそぐわないくらいモロにヨーロッパ白人種の容姿をしていれば、ここらへんをうろついてカハなどに関わっているより、スイスの花嫁学校にでも留学している方が似合いと言えるが。

 ソクハキリの屋敷の庭は、見事な庭園だった。

 洋一は、別に洋風の屋敷の庭に詳しいわけではないのだが、この庭が日本領事館の庭園などとは、まったく違ったコンセプトで設計されていることは明白に判った。

 美しく植えられた生け垣や、規則正しく配列された石塀、几帳面に直角をさらけだす置き石など、どれをとっても退廃とは無縁な頑固さを表している。

 ただ、手入れの方はかなりいいかげんだった。やってはいるのだろうが、人手不足で手が回らないらしい。あちこちに庭の設計理念を裏切るようなでっばりやほころびが見える。

 ブラブラと歩いて屋敷の裏に回ると、広大な芝生があった。ここも見かけは美しい庭園風景を演出していたが、かなりの部分が荒れ放題である。

努力はしているらしく、洋一が見ると、ツナギのようなものを着た人影が向こうの方で芝生の手入れをしている。

一応庭師がいるのかと思ったが、その人影は洋一に気づくと逃げるように屋敷に消えてしまった。

 この屋敷の使用人は、姿を見られてはならないというようなきまりでもあるのかもしれない。

 屋敷を一周する間、洋一は誰にも会わなかった。多分、カハ祭りのためにみんな出払っているのだろうが、これだけの屋敷に人影がまったくないというのは、かなり不気味な話である。

 洋一は、ホールに戻ってくると、長椅子に座り込んで誰かが呼びに来るのを待つことにした。

 こんなことなら部屋で寝ていればよかったと思ったが、もはやあの部屋にたどりつける自信がない。そのまま吸い込まれる。

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