第106章
「結果的には、計画通りになったんだ」
サラが言った。
「もともとパトリシアさんを危険な場所から避難させることが目的だったけれど、ヨーイチにはまだまだ用があったの。だから、ちょっと強引だったけど順序を変更して、ミナの出番になった」
「私は、知っていたらそんな計画になんか荷担しなかった」
メリッサが歯を食いしばるようにして言った。
「ヨーイチさん、信じて下さい。そんなつもりじゃなかったんです。あの時は、とにかく何もかもが疑わしく思えて、逃げることしか思いつかなかったんです。言い訳にしか聞こえないと……思いますけれど……」
最後の方はすすり泣きだった。
洋一はあわてて立ち上がったが、サラがその前に素早くメリッサを支えた。そのまま座らせて、落ち着かせた。そうしながら、目線で洋一を制する。
洋一はしぶしぶ座った。メリッサを慰めたかったが、サラやミナの見ている前ではやはり気恥ずかしい。
それにしても、今のメリッサはなんだかひどく子供っぽいというか、素直である。もし2人きりのときにこういう態度をとられたら、洋一の理性がもったかどうか判らない。
泣いている女性に弱いのは、男の性分のようなものだ。
ミナは、再び冷静さを取り戻していた。冷たいというのではなかったが、事務的で感情をまじえない表情を見せている。
この娘は、こういう所で損をしているのかもしれないな、と洋一は思った。強いというのも善し悪しだ。やはり、男は純情でかわいい女性の方が好ましく思うのだ。頭では判っていても、それが事実である。
「ここからは、私が説明します」
ミナが落ち着いた態度で話しはじめた。
「私は、あの晩に急に父に呼ばれました。よく判らなかったけれど、とにかくアンを連れて行けということで、クルーザーに飛び乗ったんです。それまでは、何が起こっているのか全然知りませんでした」
「あの晩というと、俺がジョオのホテルから逃げ出した日だね」
「だと思います。私は、漁船団に合流する前に、色々説明されました。その時の説明では、日本人の男が来るから協力させろ、ということで、その日本人はすごいプレイボーイらしいから騙されるな、ということでした。
だから、ああいう格好でヨーイチさんに会ったんです。最初は警戒してましたから、ヨーイチさんに失礼な態度をとりました。ごめんなさい」
洋一は苦笑するばかりである。
青年将校みたいな態度は、プレイボーイ対策だったというわけだったらしい。それにしては堂に入った演技だった。いや、あれは演技というよりはやはりミナの性格の一面と見るべきだろう。
「でも、ヨーイチさんには驚かされました。優柔不断の見本みたいな人だと思っていたのに、私たちを振り切っていきなり一人で出航してしまうなんて。あの後、父は大慌てだったんです。大混乱になって、なんとか騒ぎを治めたときには、ヨーイチさんのヨットを見失っていました。
父たちは青くなって、すぐに捜索隊を出したんですけれど、ヨーイチさん、すごく怒っているみたいだったから、もしかしたら見つけても戻ってくれないかもしれない。
私はヨーイチさんに怒られて、どうしてそんな態度をとられるのか判らなくて父に聞いたら、全部父の自分勝手なストーリーだったことが判ったんです。
何も知らないヨーイチさんを利用しようとして、おまけに馬鹿……にして。あれじゃあ……ヨーイチさんが怒って出て行くのも当たり前だって、私……は……」
ミナの声も途切れがちになってきた。
話しているうちに、冷静さを装うのも無理になってきたらしい。
サラがあわてて立ち上がった。なんとかメリッサをなだめ終って、今度はミナである。いくら一番年上とはいえ、ご苦労なことだ。年上といっても、洋一よりは若いのだが。
サラはテーブルを回って、ミナのそばに跪いた。
「ミナ、落ち着いて」
「ごめん……なさい。もう……大丈夫です……」
全然大丈夫そうではない。
洋一は、少しうんざりしてミナを眺めていた。我ながら冷たいとは思うが、目の前で女の子に入れ替わり立ち替わり弁解されたあげく泣き出されたら、どんなに優しい男だって嫌になる。
メリッサなら、ぜひ慰めてあげたいと思うが、あいにくテーブルの向こう側に座っていて、しかもうつむいている。自責の念にかられていて、周囲の声も聞こえないらしい。
うつむいているため顔はよく見えないが、頭の周囲にふんわりと広がっている金髪の輝きにも、洋一はうっとりしてしまう。美しいものは、いくら見ても飽きない。
見とれかけて、洋一はあわてて視線を外した。幸い、3人とも気づかなかったようだ。
ここで自分の感情を出すのはまずいような気がする。
やがてミナがうつろな目を洋一に向けてきた。気の持ちようで、これだけ差が出るのか。あの青年将校の気配のカケラもない。
洋一は、こういうのに弱い。女に弱いのではなくて、自分に関係あることで女性が泣いたりするのが耐えられないのである。だから、洋一は言った。
「ミナ。こっちを見ろ」
「……はい」
ミナが、改めて気がついたように洋一を見る。その瞳が濡れているのにちょっとたじろいで、しかし態度には出さないように気をつけながら続ける。
「ミナ。もう大体判ったから話さなくていい。そんなことじゃないかと思っていた。でも、ミナは俺を助けてくれただろ。俺は馬鹿をやって一人で出ていって燃料切れで遭難するところだった……というより、遭難したんだ。そこに、ミナは助けに来てくれたじゃないか」
「……はい」
「だから、もういいんだ。メリッサも同じだ。俺はもう何とも思っていないから、この話題はここまでにして、これからのことを考えよう」
ミナが、顔を上げてはっきりと洋一を見た。
もう涙は瞳から溢れて、頬を流れ落ちている。
それが綺麗で、洋一は息を飲んだ。ミナもやはり、洋一レベルの男がそうそう頻繁に親しくつき合うことなんか出来ない程の美少女だということだ。
「ヨーイチもそう言っていることだし、このくらいにしましょう。いつまでもこんなことしている暇はないわ」
サラが手を叩いた。メリッサとミナが頷く。洋一はほっとして椅子に深く腰を下ろした。これで何とか、涙や弁解から逃れられそうだ。
やはり、この中ではサラが一番落ち着いている。年が上だからというよりは、事態に深く関わっていないので罪悪感がないからだろう。
もっとも、たとえメリッサやミナと同じ立場におかれても、サラならもっとクールにやるのではないか、と洋一は思った。沈着冷静でよく気がつき、しかも少し謎めいたサラも洋一の好みのタイプである。
ようやく落ち着いたところで、洋一が言った。
「さて、これからどうする? というか、まずここはどこなんだ?」
「ここはメノ島です。ココ島から50キロというところかしら。貿易や漁の中継基地として使っています」
答えたのはミナだった。3人の中では、多分一番行動範囲が広い娘だ。サラは日本領事館のOLだし、メリッサは今のところ家事手伝いとしか言いようがない立場で、ふたりともあまりココ島から出たことがなさそうだ。
「ココ島からそんなに近いんなら、急げば今日中に着けるんじゃないか?」
「ええ。でも今はこちらの体制が整っていないし、今からだと着くのは夜になります。夜中に得体の知れない船が押し掛けていったら、それ自体が原因で戦争が始まってしまうからしれない。ここまできてそんなことになる危険はおかしたくないんです。なんかもう殺気だっているらしいですから」
「そんなにひどいのか」
「はい」
サラもメリッサも暗かった。
ミナだけは、比較的平然とした表情である。
ここでも3者の立場が明確に出ている。