第101章
一見、変わったところはないようなのだが、よく見ると海面上に『ラライスリ』の進行方向と並行して無数のすじが走っている。
太陽の反射光が眩しくてよく見えないが、さらに目を凝らしてみると、そのすじはそれぞれがイルカだということが判る。
時々、泳ぎながら飛び上がっているので、全体としてみると絶えずあちこちが跳ねているようだ。
それにしても大した数だった。『ラライスリ』の周囲はかなり密度が濃いようだが、それ以外の海面も適当な間隔で泳ぐイルカで埋まっている。ここから見ただけでも、数十頭はいるだろう。
洋一は、逆の方向を見てみた。同じように、イルカの群が見える。『ラライスリ』は、完全にイルカの大集団に囲まれていた。
数頭ならかわいいが、これだけの数が揃うと異様である。もともと、体長が最低でも2メートル以上もある動物なのだ。
「イルカは人間を襲わないどころか、人間のもっとも親しい友人である」などという知識は本で読んでいても、実際にこれだけの数に囲まれてみると、やはり脅威を感じる。
「ラライスリの、お使いなのでしょうか?」
不意にアンが言った。
「そういう神話があるの?」
「いえ、そういうわけではないのですが……。イルカは、このへんにはあまりいないはずなんです。サメなら多いのですが」
「ラライスリが、なんでこんなことをするんだ?」
「それは、その、やはりタカルルが乗っておられるからでは、と」
洋一に睨みつけられて、アンの声は小さくなって消えた。
洋一は、アンを視線で威圧してから、また海を見た。波は穏やかで、空は雲ひとつないほど晴れ上がっている。『ラライスリ』は順調に進み、そしてその周囲はお使いのイルカが守っている……。
駄目だ。
洋一は操舵室を出て、甲板に座り込んだ。
かなりの高速で走っているせいか、風が強くて身体が倒れそうになる。しかも、向かい風のため『ラライスリ』が時々大きく上下するので、洋一は後ろ手に身体を支えた。
左右の海面には、あいかわらず数本の背びれが水を切っている。時々飛び上がるのがいて、タイミングが合うと一瞬だがまともに視線が合ってしまう。イルカと見つめ合ってしまった洋一は、あわてて空を見た。
明らかに、感情が籠もった目だった。
好意的だとか、探っているとかいう印象はなかったのだが、好奇心がありありと見えた。
それに、あの動きは遊びではなかった。明らかに何かの目的がある。少なくとも物見湯山でこんなことをしているのではないことは確かである。
しばらくすると、イルカのジャンプが増えてきた。今や数秒ごとに回りのどこかで流線型の魚体が大きく跳ね上がり、空中にあるうちにじっくりと洋一を眺めてゆく。どうも洋一はイルカに探られているらしい。
いや、探るというような目的ではなく、一目見ておこうというような印象である。
例えば、別に気にしてはいないのだが世間的に有名な人が通るのを知って、だが回りの群衆が邪魔でよく見えないときに、ちょっと飛び上がってちらっとでも見ておこう、というようなイメージと言えば近いかもしれない。
洋一は、そんなイルカたちを努めて気にしないようにしながら、甲板に居座り続けた。
船室に引っ込むのは、なぜか敗北を認めるようで嫌だったし、奥の部屋にいるとまたアンが何かと気にやむだろう。
それに、何といっても南太平洋をクルーザーで走り、回りにはイルカの大群が跳ねているというめったにない貴重な体験をさせてもらっているのである。こんなことは、いくら金持ちでもめったには出来ない。
なぜか、フライマン共和国に来てからの洋一は、どんなに金を積んでもおいそれとは出来ないような体験をさせられ通しである。目を瞑ってもその体験を避けられないとしたら、出来る限り楽しんだ方が良い。
洋一が、そういう風に前向きの思考を巡らせているうちに、いつの間にかうとうとしていたらしい。ふと気がつくと、太陽が水平線近くにあった。『ラライスリ』および護衛のイルカ集団はずいぶん距離を稼いだようである。
目覚めたのは、『ラライスリ』の動きが変化したためだった。心地よいと言えた船の上下動が収まり、エンジンの振動も小さくなっている。つまりは、スピードが落ちているということだろう。
起きあがってみると、すぐ近くに島らしい影があった。どうやら、今日はこのへんで停泊ということだ。
海は、夕陽を受けて輝いている。それでも、もうイルカの群が周囲にいないことは判った。
夜の間はお休みということなのだろうか。あまり護衛らしくない。無責任なファンの追っかけの方に近い気がする。
太陽光線が水平に近いので、洋一は眩しくて目を覆った。
「ヨーイチ様」
アンが、ためらいがちに声をかけてきた。
洋一が起きあがるのを見計らっていたのだろう。洋一が頷くのを見たらしく、ほっとしたように甲板に顔を出す。
「ヨーイチ様、イロガ島です」
「うん」
「夜間航行用の装備を積んでいないので、今日はここで泊まります……泊まりたいのですが」
声が小さくなる。
必要以上に洋一を恐れているというよりは、機嫌をそこねないようにしようとしているのだが、時々忘れるらしい。
おそらく、アンの「主人」であるミナの迷惑になるのを避けようとしているのだろうが、そもそもアンの態度自体ご主人様一辺倒というわけでもなく、なかなか悩んでいるようだ。
洋一の方も、もはやことさらコトを荒立てようという気はなく、どちらにしても乗り物を用意してくれたのはアンたちなのだから、そんなことに口をはさむ気はない。
しかし、このアンとミナのコンビについては、なぜか逆らってみたくなるのだ。
「それで、間に合うのか?」
我ながら意地悪だな、と言った途端に後悔した。そんなことはアンに答えられるはずがない。
だが、アンはまっすぐに洋一の目を見て言いきった。
「間に合います。間に合わせてみせます!」
大したものだ。
洋一は、思わず笑ってしまった。もちろん、感心したからだったが、アンには伝わらなかった。というより誤解したらしい。
アンは、憤然として顔を背けると、洋一に背を向けて動かなくなった。
洋一は甲板に戻った。
島がどんどん近づいてくる。今度の島は、平べったくて緑が多い。というより、人口が少ないのか、人工物が見えない。