もえカツ!vol.3
☆
「はあ~、終わったぁ」
控え室に戻ってきたボクはイスに座るなり机に突っ伏した。
「サキちゃん、初めてのMOCお疲れさまでした」
ハルちゃんがねぎらいの言葉をかけてくれる。
「はぁ、お疲れさま~」
ボクは息切れしながら何とか応える。
「みんなお疲れさまぁ! はむはむ」
「ツカちゃんもうお菓子食べてるのかい! 元気だなぁ。ボクはもうグッタリだよ」
「ウチも疲れたよぉ。だから疲れたときの糖分補給をしているんだよ。はむはむ」
「だからって、終わってすぐシュークリームなんてよく食べられるわね」
ユウちゃんが半ばあきれ顔で言う。
「うえっ、ふぉうかなぁ。ひゅうくりいむってはべやふいとふぉもうんはけご……」
「口いっぱいにほおばって食べるのはよしなさい。お行儀が悪い。第一何言っているか全然分からないわ。こんなときにシュークリームなんてワタシは見てるだけで胸がムカムカするわ。こういうときは普通これでしょ。はい」
ユウちゃんはみんなにスポーツドリンクのペットボトルを差し出した。
「うわぁ、ありがとうユウちゃん。アタシちょうど喉カラカラだったんだ」
「ボクもだよ。ありがとう、助かるよ」
シュークリームをくわえたツカちゃんは、ユウちゃんからペットボトルを受け取るやいなや、すぐに口に流し込み、
「んぐんぐ、ごっくん。さっすがウチらの部長、太っ腹ぁ!」
「まったく調子良いんだから。今回だけよ」
「それにしてもサキちゃん凄く良かったよ! おかげでウチらの発表、大成功だったよね。 今までで一番うまくいったんじゃないかな。はむはむ」
「あっ、ありがとう。なんか照れちゃうなぁ」
これはボクもツカちゃんに何か出さないといけないかな。
「まるで本物のメイドさんみたいだったよ。サキちゃん練習凄く頑張ってたもんね」
さらにハルちゃんがこんなことを言うもんだから、ボクはますます照れてしまう。
「まあ確かに初めてにしては慣れた様子だったわね。セリフも板に付いていたし。まるでどこかの店のメイドみたいだったわ。もしかしてアナタ、メイド喫茶で働いたことでもあるの?」
あるかぁ! ボクはまだ十六歳だぞ! コンビニみたいな普通のアルバイトだってまだしたことないのに、メイド喫茶でバイトだなんてあるわけがない。
「それにそもそもボクは……」
「男だから?……でも、そうとも言い切れないわよ」
ユウちゃんは早押しチャンピオンのように、ボクがこれから言おうとしたことを先読みして答える。
「今は男だってメイドをやる時代よ。男の娘専門のメイド喫茶だってあるし」
「えっ、そうなの?」
男がメイドをやるなんて酔狂、この学校くらいのものだと思っていたが。
「そうそう。男の娘メイド喫茶だよね。アタシも行ってみたいと思ってたんだぁ。アタシたちの演技の参考になりそうだし。じゃあMOCも終わったことだし、今度みんなで行こうよ! メイド研究会の活動の一環として、ねっ!」
「うん、行こ行こう! はむはむ」
「そうね。ワタシたちとどちらが可愛いか比べてみたいものだわ。ねぇ、サキ?」
みんな乗り気だよ。でも男の娘が男の娘メイド喫茶に行って何が楽しいのさ。
「あっ、そろそろお昼だね。アタシ緊張が解けたらお腹が空いてきちゃったよ」
ハルちゃんに言われ時計を見ると、まもなく正午になろうとしていた。もうこんな時間になっていたのか。自分がとんでもなく緊張していたのと、試験の内容がとんでもないものだったせいで、時間の経過を感じる余裕なんてなかったもんなぁ。
あんなに緊張したのは、小学生のとき、学芸会の劇でシンデレラの役をやらされたとき以来だ。男でただ一人推薦されたボクは、他に女の子の候補者がいたにもかかわらず、多数決で圧倒的な票を獲得し、見事シンデレラ役に選ばれた。
普通こういう場合は担任の先生が「ちょっとちょっとあなたたち!」とか言って止めるものだと思うが、ボクのクラスの担任は止めるどころか、「あっ、それイイ! まさに適役だね」とクラス投票の結果に同調し、事もあろうに「じゃあ先生はマサキちゃんのためにシンデレラの衣装作ってあげるね!」とまで言い出す始末。結局押しに弱いボクはシンデレラをやることになったんだっけ。
まったく男の子にお姫様の役をやらせるなんて、どう考えてもおかしいよ。そんなの子供たちの情操教育上、良くないって。
「まったくこれだからゆとり教育は……」
「へっ、ゆとり教育がどうしたって?」
はっ、モノローグが思わず声に出てしまっていた!
「いっ、いや、何でもないよ。ゆとり教育の弊害について教育委員会はどう考えているのかなぁと考えていたんだ」
「ふーん、そうなんだぁ。こういうときでも真面目なことを考えているなんて、偉いねサキちゃんは。アタシなんか毎日、お昼に何食べよっかなぁなんてことしか考えてないよ」
すいません。実際はボクも小学生の頃の思い出し怒りをしていただけです。
ハルちゃんとそんなやりとりをしていると、
「お疲れさまぁ」
一人のクラスメイトが近づいてきた。
「あっ、お疲れさま。どうしたの? ナツキ」
ユウちゃんが応える。このクラスメイトの名前は高丘夏希。二年M組のクラスメイトなので、当然のことながらこのコも男の娘である。
「凄かったわ、ユウたちの演技。本物のメイドさんみたいだったわ」
「うふふ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
「きっと優勝間違いなしだわ」
「ふふ、そうなるといいんだけどね」
「あっ、そうそう。楓原さんって今回が初めてのMOCだったのよね。全然初めてに見えない演技だったわ。凄く良かった。ワタシ、キュンとしちゃったもの」
「あっ、あははは。ありがとう」
まさかあの緊張でガチガチのたどたどしいメイドの演技が褒められるとは。セリフ言うときなんか、うわずっちゃってたもんなぁ。あぁ、思い出したら恥ずかしくなってきた。
「西洋文化であるメイドの演技の中に、大和撫子の美徳である〈恥じらい〉の概念が見事に表現されていたわ。とても計算された演技だったと言えるわね。初々しさも自然な感じだったし」
評論家ですか。テレビ東京の日曜十時台の番組に出られそうなコメントだよ。でも初々しかったってのは、実際初めてで本当に緊張していたからだし、〈恥じらい〉ってのは、本当に恥ずかしがっていただけなんだけどね。だって十六歳の普通の男子がメイド服を着せられて、公衆の面前で年上の女性からキスを迫られたんだよ? そもそもボクは大和撫子じゃないっての。
「そんな大げさだよ」
「ううん、そんなことないわよ。だってね楓原さん、そもそも〈恥じらい〉という概念は、古くは平安時代、『源氏物語』第六帖『末摘花』の中の〈いたう恥じらひて口おほひ給へるさへ〉という箇所で語られるように……」
何か熱く語り出しちゃったよ。長くなりそうだなぁと思っていたら、ユウちゃんがすかさず横やりを入れて〈もののあはれ〉な長話を逸らしてくれた。
「でもアナタの演技も良かったらしいじゃない。いかにも深窓の令嬢といった雰囲気が出ていたみたいよ」
「ほっ、本当に? 嬉しいわ。お互いライバルではあるけど、良い結果になるといいわね。それじゃあ」
そう言うと、ナツキちゃんは自分の友達の輪に戻って行った。
「いっ、いやぁ何だか凄く褒められちゃったね、ボクたち」
と、ボクが言うと、ユウちゃんがハァーとため息をついた。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、あのコ一旦語り出すと止まらないのよね」
「確かに話長そうだったね。いつもあんな感じなの?」
「そうよ。いつも切り上げるのが大変よ」
「まっ、悪いコじゃないんだけどね」
とは、ハルちゃん。
「そういえば、ナツキちゃんってどのクラブに入っているの?」
「あっ、そうね。サキはこの学校に今年来たばかりだから知らないわよね。ナツキはお嬢様研究会の部長よ」
「お嬢様研究会? そんなクラブもあったんだ」
「ええ、文字通りお嬢様萌えを研究するクラブよ。そういえばアナタ、ハルに連れられて最初に一通りクラブを見て回ったんじゃなかったの?」
「あの日は、時間がなくて全部は見て回れなかったんだよ」
「そうそう、それでアタシがサキちゃんに合いそうなクラブをピックアップして連れて行ってあげたんだよ」
「あら、そうだったの」
ボクに似合いそうなクラブ。ボクっ娘、ツンデレ、魔法少女等々。一体ハルちゃんはボクをどういう方向に向かわせたかったのだろうか。
ということは、ボクにお嬢様は似合わないってことか。へっ、どうせボクはいかにも庶民っぽい顔をしてますよ。
「いっ、いや違うよ! 別にサキちゃんにお嬢様が似合わないとか、そういうことじゃないからねっ!」
「ははは、やだなあ、ハルちゃん。別にそんなこと思ってないから大丈夫だよ」
本当はちょっと思ったけど。って、何でボクのモノローグって聞こえてんの?
「ってか、ナツキたんの家って本当にお金持ちだったんじゃなかったっけ? はむはむ」
「あぁ、詳しくは知らないけどそのような話は聞いたことがあるわね」
「何でも、ナッちゃんのお父さんって某有名企業の社長さんらしいよ。何でも都内にマンションをいくつも持ってるとか」
マンションを何個も! 大富豪じゃないか。ちょっとやそっとのお金持ちじゃないよ。
「だからナツキちゃんはお嬢様の演技を地でやってるってわけだよ。はむはむ」
「でも本当のお嬢様なら研究会に入る必要ないんじゃないの?」
ボクが素朴な疑問を発する。するとユウちゃんが、
「確かにそうなんだけど、ナツキは最初あのクラブには頼まれて入ったのよ」
「頼まれて?」
「そう。お嬢様研究会は新しいクラブなのよ。男の娘が本物の〈お嬢様萌え〉を目指すというコンセプトのもと、去年ワタシたちが入学してから出来たのよ」
本物の〈お嬢様萌え〉……って何?
「で、いざ活動をし始めると、部員たちが戸惑ってしまったの。〈お嬢様萌え〉って何だろうってね」
まぁ、そうだろうなぁ。ボクなんてキミたちの目指す〈萌え〉の意味すら未だによく分かってないもの。
「すると、やっぱり本物の〈お嬢様萌え〉は、本物のお嬢様に教えてもらうのが一番だよねってことになったの。でもうちの高校って一般的な私立高校でしょ。まぁ要するに庶民が通う高校よね。だからお嬢様って言えるほどのお嬢様なんて見当たらなかったわけ」
この高校って、他の私立に比べて学費が安いとは聞いていたけど、やっぱり庶民の高校なんだね。
「そんな中、白羽の矢が立ったのが入学当初から某有名企業の御曹司と噂になっていたナツキだったの」
まぁ本物のお嬢様とはいっても、ナツキちゃんは男だけどね。ユウちゃんだってはっきり御曹司って言っちゃってるし。
「ナツキは最初、ヤンデレ研究会か不良少女研究会に入ろうとしていたのだけど、お嬢様研究会の部員たちの熱意に打たれて入部を決意したの」
「うん。そっちのクラブを選んで正解だったと思うよ」
即答するボク。横でツカちゃんが、
「サキちゃん何でさぁ! ナッちゃんにはウチも掛け持ちしているヤンデレ研究会が絶対合ってるって。だってね……」
とか何とか言い出したが気にしないことにする。
「お嬢様研究会に入部したナツキは、すぐにその天性のお嬢様力をいかんなく発揮してね、早速部員たちはそれを模範としたの。間もなくその貢献を買われて満場一致の推薦で部長に就任して今に至る、というわけよ」
「へぇ、ナツキちゃんはお嬢様研究会の救世主ってわけだ。それにしてもユウちゃんって、他のクラブの事情をよく知っているよね。何かそのクラブにいたことがあるみたい」
「いたわよ」
「えぇ! そうなの?」
「ユウちゃんは最初、お嬢様研究会の部員だったんだよね」
「ウチらメイド研究会がユウちゃんの才能を見込んでヘッドハンティングしたのですよ。はむはむ」
と、誇らしげなツカちゃん。シュークリームは食べ終えたらしく、すでにサラダパンを食べ始めている。ちなみにサラダパンというのは具に細かく刻んだたくあんをマヨネーズで和えたものが入っている、知る人ぞ知る惣菜パンのことです。
「その頃すでに妹研究会にも入っていたし、ちょっと三つのクラブを掛け持ちするのは厳しいと思ったのよ。だからお嬢様研究会はナツキに任せて、ワタシはこのコたちの誘いに乗ることにしたの。メイドには以前から興味があったしね」
「引き抜きとかあるんだね。凄いなぁ」
「あら、よくある話よ。ワタシ以外にも他クラブから引き抜かれているコは何人かいるし」
「なんか欧州サッカーの移籍市場みたいだね。さしずめユウちゃんは萌えクラブのクリスティアーノ・ロナウドってところか」
「よしてよ。そんな大したものじゃないわ」
ここでハルちゃんがボクのサッカーネタに乗ってくる。
「ユウちゃんがクリスティアーノ・ロナウドなら、さしずめサキちゃんはリオネル・メッシってところだね。メイド研究会に彗星のごとく現れたスーパースターって意味で」
「そっ、それこそ褒めすぎだよ! でもハルちゃんの口からメッシの名前が飛び出すなんて意外だなぁ。サッカー好きなの?」
「うん。それほど詳しくはないんだけど好きだよ。特にメッシは好き。かっこいいよね! だから期待してるよ、我らがメイ研のメッシ選手!」
ハルちゃんはボクの胸をポンッと叩いた。彼がした何の気なしのスキンシップにボクは変な気持ちになった。胸がちょっとキュンとした。何でだろう。同じ男なのに。単純にハルちゃんが女の子みたいに可愛いからかなぁ。
それとも、まさかボクはそっちの気に目覚めてしまったのだろうか。こういう特殊なコの集団の中にいたから感化されてしまったのだろうか。ほら、〈朱に交われば赤くなる〉ってことわざもあるくらいだし。
「いやいや、それはないわぁ」
「えっ、何がないって?」
不思議そうにボクの顔を覗き込むハルちゃん。
「えっ、あっ、いや、何でもないよ」
いけない、また声に出てた!
「そうだ!」
ここでハルちゃんが手を叩く。何か思いついたらしい。
「MOCが終わって午後から授業もないし、今日はお昼、外に食べに出ない? MOCの打ち上げも兼ねてさ」
「あっ、そうだね。良いかも」
「そうね。たまには外に食べに行きましょうか」
ボクとユウちゃんがハルちゃんの提案に賛成する。
「あっ、でもツカちゃんはもう食べ始めちゃ……」
「やったぁ! 打ち上げ、行こ行こう!」
ノリノリかい! キミ、今シュークリームとサラダパン食べたばっかりだよね。まぁ、胃袋が宇宙のツカちゃんにとってはこれくらい食べたうちに入らないのかもしれないけど。
あっ、そういえば……。
「はっ、はうあ……」
「うん? どうしたのサキちゃん」
「……緊張感から開放されたら急にもよおしてきちゃった」
「我慢は良くないわよ」
「わぁサキちゃん、う○こう○こぉ」
ツカちゃんがわめく。
「違います! オシッコです!」
ボクは二〇〇八年名古屋国際マラソンのQちゃんのようにトイレに猛ダッシュした。
☆
『カンパーイ!』
ボクたちはお昼ご飯とMOCの打ち上げを兼ねて、駅前のファミレスに来ていた。
「あらためてお疲れー。みんな頑張ったよねぇ」
ハルちゃんがメロンクリームソーダ片手にメンバーをねぎらう。
「うん、そうだね」
「特にサキちゃんは初めてのMOCだけど頑張ってくれたね。良かったよ!」
「いやっ、そんなボクなんて。でも、ありがとねハルちゃん」
「……うっ、うん」
ちょっと照れくさそうなハルちゃん。夕日に照らし出されたはにかみ顔が愛らしい。
「あれぇ、なんか良いムードだねぇ、お二人さん」
ジンジャーエールを片手にニヤニヤしているツカちゃん。
「ワタシたちお邪魔だったかしら。ねえ、ツカサ」
ユウちゃんの手にはワイングラスが握られている。もちろん中身はワインではなくグレープファンタ。何故グレープファンタがワイングラスに入っているのかは分からないが、ユウちゃんが持っているとそれこそ本物のワインを飲んでいるみたいに見えるな。
「まったく二人ともからかわないでよ。ボクたち男同士だよ? ねえ、ハルちゃん」
「…………」
「ハル……ちゃん?」
「……えっ? そっ、そうだよ! そんなことあるわけないよぉ。やめてよ、ユウちゃんもツカちゃんも」
うん? 何だったんだろう、今の間は。
「大丈夫? ハルちゃんなんか疲れてる?」
「あっ、大丈夫だよ。でも確かにちょっと疲れちゃったかな。ごめんね、打ち上げでこれから盛り上がらなきゃならないところで」
「いや、全然そんなことないよ。気にしないで。元気なら良かった」
「うん、ありがとう」
ニコッ。そう言うとハルちゃんはいつものキラキラした笑顔に戻った。彼はいつも明るくニコニコしているせいか、ちょっと元気がなさそうにしていると妙に気になってしまう。もっとも、普段元気いっぱいのコがときおり陰りのある表情を見せたりするとギャップに萌えてしまったりするんだよな……って、ボクは何を言っているんだ。
「何ニヤついているの? サキ」
「べっ、別にニヤついてなんてないよっ」
いかん。思わず顔に出ていたらしい。
「それはそうと、みんなMOCお疲れさま。今回は新加入のサキも含めてみんなよくやったんじゃないかしら。とっても良い出来だったわ」
「サキちゃんが演技しているとき、会場の歓声が凄かったねぇ。はむはむ」
「えっ、そうだったの? 緊張してたから正直全然耳に入って来なかったよ。それにあのご主人様役の先生のキャラは何なの? あんなセクハラみたいな演出でボクすっごく恥ずかしかったんだから。しかもああいう演出はボクのときだけだった気がするし」
「うまくいったみたいだね、ユウちゃん。はむはむ」
ツカちゃんがニンマリ顔で言う。
「えっ、うまくいったって?」
「サキちゃんの恥じらい萌えを最大限に引き出すための演出だよ。ユウちゃんがあらかじめ先生たちに頼んでおいたんだよ。サキちゃんには多少強引に恥ずかしいサービスを強要してくださいってね」
何ですと! 黒幕はユウちゃん、アナタだったんですか!
「ワタシたちが思った以上に桐谷先生が頑張ってくれたおかげでうまくいったわ。ちょっと頑張りすぎちゃってる気もしたけどね、うふふ」
「凄かったよね。最後の方の桐谷先生がサキちゃんにぐーっと近づいていくシーンなんて、二人の顔が本当にくっついちゃいそうで、アタシ、ドキドキしちゃったもん」
その場面を思い出したのか、顔を赤らめるハルちゃん。
「ハルはサキの唇が他の女のモノになりそうで気が気でなかったのね」
ユウちゃんにからかわれてハルちゃんはさらにカーッと赤くなる。もう完熟だ。
ハルちゃんは必死に否定しつつ話題を逸らす。
「ちっ、違うよ! そういう意味じゃなくって。そっ、それはそうと、サキちゃんの演技のときは確かに盛り上がってたよね。萌えコール連発されてたもん」
「萌えコール? ハルちゃん何それ?」
「アタシたちの演技がお客さんの琴線に触れたときに上がる声援のことだよ。多ければ多いほど、審査のときの評価が良くなるんだよ」
「そしてそれはメイド研究会全体の評価につながるわ。サキ、アナタの影響力はアナタが思っている以上に大きいのよ」
「そっ、そうなのかい」
「でもさぁ、これだけ歓声があるとサキちゃんのファンクラブとかできちゃったりするんじゃない。はむはむ」
「なはは、まさかぁ」
すると、ボクたちが座る席とは離れた席にいた女の子三人が近づいてきた。
「あっ、あの、すいません!」
女の子の一人が話しかけてきた。
「はい?」
「メイド研究会の皆さんですよね?」
「あっ、はい、そうですけど」
ハルちゃんが答えると、女の子たちの表情がパアーッと明るくなった。
「MOCお疲れさまでした! 私たち一年生なんで今年初めてMOCを観たんですけど、メイ研の皆さんの演技を見て、とってもカワイイなぁと感激しました。それでどうしてもその感動を皆さんに伝えたくて」
女の子は興奮気味に話している。
「えぇ、そうなの! 嬉しいな。どうもありがとう」
ハルちゃんはちょっと照れくさそうに答えた。
「私たちメイ研さんのファンになっちゃいましたよ! 一般投票では三人ともメイ研さんに票を入れました。優勝できるとイイですね!」
「ウチらに入れてくれたの? 本当に! ありがとう。はむはむ」
ツカちゃんは小躍りせんばかりに喜んでいる。エビドリアを食べながら。
ここで説明すると、MOCでは審査員の評価ポイントの他に、一般投票というものがあり、観衆の学生たちからの投票で、得票の順位に応じた人気ポイントがもらえる。そして、審査員の評価ポイントと一般投票の人気ポイントの合計により、その年のモエンジェルが決定されるのだ。
もちろんポイントの比重が大きいのは審査員の評価ポイントの方だが、最終的には人気ポイントの差が勝敗を分けると言われている。それはつまり、学生たちの支持を最も得られた者こそが最もモエンジェルに相応しいということである。
「皆さんって本当に男の娘なんですよね? 女の私たちから見ても凄いカワイイですよ! 是非真似したいですね」
「そんなに褒められたら困っちゃうわ。でもあなたたちの方がずっとカワイイわよ」
「いえいえ! そんなことないですよぉ。爽泉さんはクールなお姉さまって感じでとっても美人だし」
「うふふ、そうかしら? でもワタシのメイドは妹キャラなのよ?」
「うーん、そのギャップがまたたまりません。そうそう、妹といったら、横山さんは元気いっぱいのキュートな妹ちゃんって感じですよね。それだけにヤンデレメイドを演じているときの迫力といったらもう!」
まぁ、あれはやめたほうがいいと思うけどな。せっかくキュートな妹キャラで評価してもらっているんだし。だって怖いもん。初めて見たときちょっとちびりそうになったよ。
「てへへー。いやぁ、それほどでもあるけどね。ウチの場合、演技が真に迫っているというか、魂が入っているというかね」
アンタは謙遜する気ゼロかい。
「市川さんは可愛さの中に優しさが表れていて、男女両方から好かれる学園のヒロインって感じですよね!」
それはボクも同感だなぁ。ハルちゃんは本当に優しくて可愛いコだ。もし本当の女の子だったら間違いなく好きになっているよ。
「えっ、そんなことないよ。アタシなんて他のみんなに比べたら……」
謙虚なところがまたハルちゃんの良さだよね。
「市川さんって女の子っぽさが自然な感じですよね。変に作りこまれていないというか」
「そっ、そうかな。えへへ。あっ、サキちゃんはどうだった? 初めてのMOCなのにすごく良くやっていたとアタシは思うんだけど」
「いやいや、ボクのことはいいよ。拙い演技でみんなの足を引っぱっちゃったし」
「あっ、楓原さんですか。そうですねぇ、楓原さんは……」
女の子が言葉に詰まる。あぁ、やっぱりダメだったんだな。でもそんなものだよ。だってボクは普通の男……、
「最高でした!」
「へっ?」
「楓原さんの演技が最高に可愛かったって言っているんですよ」
「えぇ、えっ、えええ!」
ボッ、ボク褒められてるの?
「でっしょでしょう! アタシもそう思っていたんだよね」
ハルちゃんまで女の子のヨイショに乗っかってきた。
「もぉ、何この可愛い生き物、って感じで私たちみんなもうメロメロでした」
生き物って。人をまたリスか何かみたいに。
「いやっ、ボクなんて笑顔もカッチカチなぎこちないメイドだったよ。褒めすぎだよ」
「えっ、あれってそういう演出だったんじゃないんですか? 「ボク男の子なのにメイドなんかやらされて」って恥ずかしさを表現していたのかと」
「いやっ、演出じゃなくて本当にそう思っていたんだよ」
「えっ、そうなんですかぁ。でも逆にそれが良かったんですよ! 初々しさと恥じらいがうまく表現されていました。これからはメイドさんも奥ゆかしさがないとダメですね」
うわぁ、なんか色々と拡大解釈されているよぉ。
「というわけで……」
そう言うと女の子たちは一斉にポケットから何かを取り出した。
「ジャーン! 私たち楓原さんのファンクラブ作っちゃいました!」
ブフーッ。ボクは口に含んでいたアイスティーをそのコの顔に噴き出してしまった。
「きゃあ!」
女の子が悲鳴を上げる。
「わあっ、ごっ、ごめんごめん!」
慌ててボクはそのコに謝り、テーブルのナプキンを渡そうとした……のだが、
「あっ、ありがとうございます!」
「うぇっ?」
女の子の口から発せられた予想外の言葉にボクは耳を疑った。
「ひゃあ、飲み物かけてもらっちゃった、てへっ」
「もおっ、アキちゃんだけズルいよ」
ボクの予想の斜め上をいく反応で彼女たちは盛り上がっている。
えっ、何で喜んでるの?
「あのう、良かったら私にもお飲み物を噴きかけていただけたら……」
別のコがねだるような目で言う。
「いやいやいや、そんなことできません! ところでファンクラブってのは?」
「はい。今後はサキ様こと楓原さんがより一層萌えの道を究めていかれることを願って、私たちが支援してゆこうという思いから、ファンクラブを設立することにしました」
……サッ、サキ様?
「ちなみにファンクラブの名前は、私たちがサキ様の守り人になろうという思いを込めて、〈SAKI☆MORI〉にしました」
SAKI☆MORIって。サキモリ、さきもり……あっ、防人のことか……って、感心してる場合じゃないよ!
ちなみに、今喋っているアキちゃんというコがファンクラブの初代会長だそうで、さっき彼女たちがポケットから取り出したのはファンクラブの会員証だった。一体いつ作ったんだよ。MOCは今日終わったばかりだぞ。
ボクがあっけにとられていると、防人会長は少し申し訳なさそうに、
「あいにく出来たばかりのファンクラブなので、会員は私たちを入れてまだ五人しかいないんです」
……逆に、もう五人もいるんだ。
「でもっ、私たちが責任を持って、サキ様の魅力をみんなに伝えていきますから!」
「はっ、はあ……」
「つきましては、より一層盛り上げていくために当ファンクラブをサキ様にご公認していただきたいのですが……よろしいでしょうか?」
防人会長は不安げにボクにお伺いを立ててきた。
「はっ、はあ……」
「えっ、じゃあ公認していただけるんですか!」
「はっ、はあ……」
ボクは間の抜けた返事をするよりなかった。
「あっ、ありがとうございます! これできっと会員数もグッと増えていくと思います。だからもう少しお待ちくださいね!」
「はっ、はあ……」
「さてと、私たちはこの辺で失礼します。MOCを終えられ、ゆっくりと皆さんで打ち上げに興じられているところをお邪魔してすいませんでした」
防人会員の皆さんはボクたちに深々とお辞儀をして、自分たちの席に戻っていった。離れていく彼女たちからこんな会話が聞こえてくる。
「やったね! アキちゃん」
「うん」
「あぁ、でもあたしもサキ様にお飲み物かけられたかったなぁ」
「だよねぇ、あたしも!」
「ふふん、いいでしょう。役得役得」
いやいや、厄難の間違いじゃないの。それこそ他人が噴き出した飲み物浴びて喜ぶとかって誰得何得だよ。
〈嘘から出たまこと〉とはよく言ったもので、ボクのファンクラブの話をしていたそばから本当にファンクラブが出来てしまったわけだ。
「いっ、いやぁ、ファンクラブだってさ。ビックリしちゃうよねぇ、もう」
そう言ってみんなの方に向き直ると、ハルちゃんとツカちゃんがニヤニヤしている。
「なっ、何?」
「ファンクラブなんて凄いじゃん! 今回のMOCでみんなのハートをギュッと掴んじゃったんだよ、ウチらのサキ様は!」
と、大興奮のツカちゃん。
「そうだね。でもサキ様の可愛さなら不思議じゃないよ。アタシは遅かれ早かれいずれサキ様にこういうファンのコたちが現れると思っていたよ」
とは、ハルちゃん。
「もう、やめてよ二人とも。サキ様サキ様って」
これじゃあ先様みたいじゃないか。ボクは取引先じゃないっての。
「それに褒めすぎだよ。ボクのこなれていないメイドが何か間違った方向に受け取られただけだって、きっと」
「でも何かキラリと光る魅力があったから、みんながサキちゃんに惹かれたわけでしょ? やっぱりそれもサキちゃんの才能の一つだよ。サキちゃんは萌え特待生の中でも類まれなる萌えの逸材なんだよ」
萌えの逸材って言われてもなぁ。
「そうそう。サキちゃんは萌えのレアメタルなんだよ」
レアメタルって。そこは普通、ダイヤモンドの原石とか言うんじゃないの。
「きゃは。レアメタルかぁ。ツカちゃんナイス例えだね!」
こらこら。ボクはリチウムやニッケルじゃないぞ。
「二人ともちょっと買いかぶりすぎだよ。ねえ、ユウちゃん?」
すると、ここまで静観していたユウちゃんがおもむろに口を開く。
「確かに実態以上に評価されちゃっている感はあるわね」
「ですよねぇ」
さすがユウちゃん。リーダーにふさわしい冷静な反応だ。彼には浮ついたところがない。
「だけど」
「うん?」
「一個人のファンクラブができたのはアナタが初めてよ」
「えっ、どういうこと?」
「サキちゃんが加入する前からメイド研究会を応援してくれるファンクラブみたいなのはあったんだけど、個人のファンクラブはまだなかったんだよね。だからサキちゃんは凄いなぁって」
「後から入ってきたアナタに先を越されて、正直ちょっと悔しくもあるわね」
「そんな、悔しいだなんて」
ここでツカちゃんが口を挟む。
「でも、ユウちゃんはお嬢様研究会の頃はファンクラブあったんだよ」
「あっ、そうなんだ。さすがだね、ユウちゃんは」
「そんなこともあったわね。でもワタシ、過去は振り返らない主義なの」
カッコいいこと言ってるけど、過去はって言うほど前の話でもないだろ。
「あっ、でもユウちゃんもすぐファンクラブできるんじゃない。キレイなお姉さまキャラだから、ユウちゃんの妹志願者いっぱい出てきそう」
「ハル、何度も言うけど、ワタシ本当は妹キャラなのよ」
「でも前から思ってたけど、ユウちゃんってどう見てもお姉さまキャラだよね。クールだし。妹キャラってイメージないよ」
「ワタシは常に挑戦していたい女なの」
女じゃないけどな。
「でもクールな妹キャラもいいかもしれないわね。良いアイデアをもらったわ」
「お役に立てて光栄ですよ」
ボクの何気ない一言がユウちゃんの新しいキャラのヒントになったみたいだ。
「んじゃあ、ウチはキュートな姉目指しちゃおっかな」
ツカちゃんのお姉さんキャラも全然イメージ湧かないな。まっ、目つきが怖いヤンデレキャラよりは良いと思うけど。
「でもさ、みんな素敵だからファンクラブすぐに出来るよ、きっと」
と、ボクが言うと、
「えへっ、そうかなぁ」
「やったぁ! はむはむ」
「さすが人気者は余裕ね。まぁ、その人気者に励ましてもらえたんだから素直に喜ぶべきかもしれないわね。頑張るわ。ありがとう、サキ様」
「もうっ」
それから程なくして、ボクの予想通り、他の三人にもファンクラブが出来ました。
☆
MOCの翌日。ボクは疲れた体を何とか叩き起こして登校した。他の三人はどうかというと、ユウちゃんとツカちゃんは疲れなど微塵も感じさせずピンピンしている様子だ。
何故そんなに元気なんだ? ツカちゃんにいたってはピンピンしすぎて、クラスメイトと、机を並べて教科書をラケット代わりにピンポンをしているくらいだ。
ハルちゃんはまだ来てないみたいだな。やっぱり疲れてるのかな。ハルちゃんもボクと同じで体力にはあまり自信なさそうだからなぁ。
「おはよう、サキ。アナタいっつも疲れたような顔してるわね。若いのに」
ユウちゃんはいつもどおり飄々としている。
「いやぁ、昨日の今日なもんで。逆にアナタ方は何故そんなにお元気そうなのですか?」
「さぁ、なんでかしらねぇ。若いからじゃない」
「ですよねぇ」
ここで、ピンピンしてピンポンしていたツカちゃんがやって来た。
「おっはよー。どうしたのかな、サキ様」
「あっ、おはようツカちゃん。って、サキ様って呼ぶなっつうの!」
「サキ様はお疲れのようですねぇ。ではウチが特製マッサージでサキ様の疲れをほぐして差し上げましょう」
そう言うと、ツカちゃんは後ろからボクの胸に手を回して揉んできた。いや厳密には揉まれる胸はないんだが。
「ひゃん!」
咄嗟だったので、ビックリして変な声が出てしまった。
「ひゃんだって。可愛いな、サキ様はぁ」
ツカちゃんはそのまま抱きついてボクに頬ずりしてくる。
「ひゃあ!」
見た目が可愛らしいから一瞬変な気持ちになるが、冷静に考えると、これって男同士だよな。なんか複雑。
「もう、ちょっと離れてよツカちゃん」
「良いじゃん。ウチとサキちゃんの仲でしょー」
「どういう仲なのさ。ツカちゃん触り方がなんかいやらしいし」
「ちょっ、ちょっ、ちょっとだけ。わっ、悪いようにはしないから、ねっ」
セクハラ上司か、お前は!
「朝からお熱いですね、お二人さん」
振り返るとハルちゃんがいた。いつもより少し遅れての到着だ。
「おはよう。昨日はお疲れさまでした、サキ様」
「おはようハルちゃん。やっぱ疲れたよね。いつもならボクより早く着いているから、今日はお休みなのかなって心配しちゃったよ。って、サキ様って言わないの」
「あははは。アタシは平気平気。一晩休んだら元気になったよ。でもサキちゃんに心配してもらえて嬉しいよ」
ここでツカちゃんがボクからサッと離れた。
「あっ、ごめんごめん。サキちゃんのここはハルちゃんが場所取り済みだったね」
ツカちゃんはボクの胸をパンパンッとはたく。人の体を花見シーズンの公園みたいに言うんじゃないよ。
「ふえっ、なっ、何言っているのさ! ツカちゃんはもう~」
ハルちゃんは物凄く顔を赤らめている……何で?
「あれっ、ハルちゃん顔赤いよ。やっぱり熱あるんじゃない?」
ボクが心配して声を掛けると、
「えっ、いやっ、これはちが……」
「そうそう、ハルちゃんはサキちゃんに熱を上げているのです」
ツカちゃんがまた余計なことを言う。
「こら、またそんなこと言って。ボクまで熱を上げそうだよ」
「えっ、ハルちゃんに?」
「違~う!」
「……えっ、違うの?」
ここでハルちゃんがぼそっと何か呟いた。
『えっ?』
ボクとツカちゃんの声がシンクロした。
「ハルちゃん、今何か言わなかった?」
「……はっ! いやっ、何でもない何でもない。あっ、あははは」
「やっぱり体調悪いんじゃない? 無理しない方が……」
「あっ……いやぁ、自分では大丈夫だと思っているつもりなんだけど、やっぱり疲れてるのかなぁ。あはは、アタシ体力ないなぁ」
やっぱり無理している。よし、ここは……。
「ねえ、ユウちゃん。あのさあ……」
「くすくす……」
「あれっ、ユウちゃん、何で笑ってるの?」
「うふふ。サキ様をめぐる三角関係を見てるのが面白かったのよ。朝から良いもの見せてもらったわ」
「悪趣味だなぁ。人の色恋沙汰を見物して楽しむなんて……って、色恋じゃないって!」
「アナタのノリツッコミはいいとして、何? さっき何か言いかけたでしょ?」
右から左に軽く受け流されたよ。
「ほら、MOCまでほとんど休みなしで萌え活していたじゃない。ハルちゃんも少し疲れているみたいだからさぁ。今日は金曜日でしょ。思い切って週末は萌え活をお休みにしたらどうだろうかと思って」
ちなみに、萌え活も普通の部活動と同じように土日も活動している。つまりボクたちはほぼ毎日一緒に過ごしていることになる。彼らみたいな男の娘と毎日顔を合わせていれば、そりゃあ普通の男であるボクも、感化されて男の娘らしくなってくるってもんだよね。
それはさておき、ユウちゃんはあごに手を当ててしばし考え込んでいたが、
「うーん、そうねぇ。MOCが終わったばかりだし、気分をリフレッシュすることも必要かもしれないわね。MOCの結果発表が週末明けの月曜日だから、土日はお休みにすることにしましょう」
「うん。ありがとうユウちゃん」
「別に礼を言うことじゃないわよ。部員の健康管理やモチベーションの維持も、部長として当然の務めよ」
企業の管理職みたいなこと言うなぁ。ユウちゃんは良い上司になれそうだよ。
「わーい、お休みだぁ! はむはむ」
ツカちゃんは小躍りして喜んでいる。エビカツバーガーを食べながら。お行儀悪いから座って食べなさい。
「お休みって聞いて、随分と嬉しそうじゃない、ツカサ」
「うぐっ、げほごほっ。なっ、何を言っているのかな。いやぁ、せっかくまた萌え活頑張ろうと思っていたのに残念ですなぁ」
とても分かりやすい。
「何かごめんね。アタシのせいでみんなに気を遣わせちゃって」
「いいよいいよ、気にしなくて。ハルちゃんはいつもみんなに気を配ってくれているんだもの。たまにはパーッと息抜きしなくちゃね」
「そうね。ハルはちょっと気を遣いすぎってところがあるわね。サキはともかくワタシたち長い付き合いなんだから、もっと遠慮しなくていいのよ」
「いや、そんなつもりもないんだけど……。逆に気を遣わせちゃってるね、アタシ」
そう言って、ハルちゃんはさらに元気がなくなっていく。
「ああ、またそんなこと言って。もういいから、この土日はゆっくり休んで気分をリフレッシュしてらっしゃい。そして来週からまた元気な姿を見せてちょうだい」
「……うん」
大丈夫かなぁ。もっとも、ハルちゃんの様子が気になる反面、ボク自身もとても疲れていた。ボクも週末はゆっくり休むことにしよう。
☆
「はぁ……」
家に帰って来て自分の部屋に入るなり溜め息をつく。
部屋はピンクを基調にした女の子らしい装飾で埋め尽くされている。
全体が部屋の主のキャラクターを表しているといってもいいだろう。
そしてこの部屋の主こそ、
「……サキちゃん」
市川春である。
春は悩んでいた。人一倍思い入れがあったMOCで自分たちがどのような成績を残せるか気が気でないというのもある。しかし、それよりも今の春を悩ましていることがあった。
それは、親友にあることを伝えるべきかどうか、ということだった。
みんなと一緒にいるときに、ふと思いつめたような顔をする理由はここにあった。
新学期に春の前に現れた一人の男の子。最初は自分たちに戸惑っていたが、段々と自分に心を許してくれるようになった。そして春自身も彼に深い信頼を寄せるようになった。
それゆえ、彼との親交が深くなっていくにつれ、ある思いが募っていった。
彼に伝えたい。実は自分は……なのだということを。
それを聞いたら彼はどう思うだろう。今まで通りの関係でいられるだろうか。
でも、そのことを隠したままやっていけるだろうか。いや、それより親友にすべて打ち明けて自分が楽になりたいのかもしれない。
そのことを打ち明けたら、これまでの関係が壊れてしまうかもしれない。でも、隠していることは相手に嘘をついているだけでなく、自分自身に嘘をつくことにもなるのではないだろうか。
……でも、やっぱりこのままじゃいけないよね。
「サキちゃんに伝えなきゃ」
春は決心した。今回のMOCの結果が発表された後、麻沙希に打ち明けよう。
「だってサキちゃんはあたしにとって……」
「シュン、ご飯よ」
ここで春の母が夕飯を告げる。
「うん、分かったぁ」
春は何かを振り払うように立ち上がり、家族の待つ食卓に駆け下りていった。
☆
週末明けの月曜日。気持ち良く晴れた。
今日はボクたち萌え特待生の真価が問われる日である。
そう、先日行われたMOCの成績発表の日だ。
朝、教室に入ると、運命の発表を待つクラスメイトたちがざわざわと落ち着かない様子で騒いでいた。みんな思い思いにああでもないこうでもないと話している。
「今回は絶対○○ちゃんたちのグループだよぉ」
「でも××ちゃんたちも良かったんじゃない」
「あぁ、うちら今回何位くらいだろう」
「前回より順位上がっているといいなぁ」
「おいどんは優勝しか狙ってないでごわす」
どうやらうちのクラスには九州出身のコもいたようだ。
さて、我がメイド研究会のメンバーの様子はどうなっているかというと、やはりいつになく緊張しているようだ。
まずはハルちゃんに挨拶する。
「おはよう」
「あっ、サキちゃん。おはよう」
これはボクがハルちゃんを特別ひいきして最初に声をかけたわけではない。ボクの席はハルちゃんの席の隣なのだ。カバンを置きに自分の席に来ると、自然と最初に顔を合わせるのがハルちゃんというわけなのだ。って、ボクは誰に言い訳をしているんだろうね。
「いよいよだね」
「うっ、うん。そうだね」
「やっぱり緊張してる? ボクは小心者だからすぐ緊張しちゃうんだけど」
「アタシもだよ。今日もいつもより早く目が覚めちゃった」
ここでボクは気がかりだったことをハルちゃんに尋ねる。
「あっ、そうだ。体の調子はどう? 土日はゆっくり休んだかい?」
「うん。おかげさまでもう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
笑顔で答えるハルちゃん。うん、もう大丈夫そうだ。
「アナタたち、あいかわらず朝から仲が良いわね」
ユウちゃんがやって来た。あれっ、何かいつもと違う。
「ユッ、ユウちゃん、その髪どうしたの?」
「ああこれ? 今日のために気合いを入れてきたのよ」
ストレートの黒髪がトレードマークのユウちゃんだが、今日はふわっとゆるやかなパーマがかかっている。大人っぽさ三割増しだ。
「今日のユウちゃん可愛いよねぇ! ウチは朝から萌えまくりだよぉ。はむはむ」
というより、ツカちゃんは朝から食べまくりだ。今日は薄皮たい焼きを食べている。
「うわぁ、ユウちゃんお姫さまみたい! 可愛い!」
ハルちゃんが歓声を上げると、ユウちゃんはちょっと照れくさそうに、
「そうかしら。でもそういってもらえると嬉しいわ。サキはどう思う?」
急に振られて、ボクはドギマギしてしまった。
「あっ、うん、とっても可愛いと思うよ」
「そう? じゃあワタシもサキのパートナー候補に名乗り出ようかしらね」
えっ、パートナー候補? というかワタシも?
「おっ、ユウちゃんも加わって、サキちゃんをめぐる三角関係が勃発か!」
ツカちゃんはまた、事をややこしくしようとする。
「またくだらないこと言ってからかわないでよ、ツカちゃん。ボクは純粋にユウちゃんが可愛い……」
「えぇ!」
突然叫ぶハルちゃん。
「どっ、どうしたの? ハルちゃん?」
「ユウちゃん……もなの?」
「も……って何が?」
「えっ? いやっ、だから、その……何でもない」
あれっ、またハルちゃんの顔色が曇ってきたぞ。せっかく元気になって安心したと思っていたのに。女心と秋の空は変わりやすいというからなぁ……って、女じゃなかったな。
「あー、はいはい。終わり終わり。もう冗談よ。そんなことないから安心して。ワタシはもっと男らしいコがタイプだから」
うっ、それはつまりボクが男らしくないってことだよね。冗談で良かった半面、ちょっと悲しいような。
「なんだぁ、冗談かぁ。でもウチはサキちゃんみたいに可愛いコもアリだと思うけどなぁ」
まったく、当事者のボクそっちのけでどんどん話を盛り上げちゃってさ。ちなみに、さっきからタイプだのパートナー候補だの言っているけど、これ話している連中、みんな男だからね。
「あっ、でもハルちゃん、ウチは参戦予定ないから安心してね!」
んなこと分かってるわい。
「あっ、うん。そっ、そうだよね」
ハルちゃんの顔がちょっと明るくなった。もう訳が分からん。
「みんな盛り上がっているところ恐縮だけど、そろそろ始まるよ?」
ここでボクたちの会話の輪に入って来たのは、お嬢様研究会のナツキちゃんだ。
「そうね。はい、じゃあみんなおふざけはこれくらいにして講堂に行きましょう」
ユウちゃんが手をパンパンッと叩く。おふざけの発端をつくったのはキミだろうが。
というわけで、ボクたちは成績発表会の会場である講堂に向かった。
「萌え特待生の皆さん、おはようございます」
MOC成績発表会は理事長の挨拶で始まった。
「皆さん、MOCお疲れさまでした。今回のMOCは皆さんが日頃のひたむきな努力の成果を競い合い、素晴らしい大会となったことと思います。さて、私が皆さんに……」
校長の話が長くなりそうなので、早くもボクの意識はいい旅夢気分になっていた。
ところで、この学園の理事長は女性である。年齢はそこそこいっていると思うんだけど、街を歩いていたら人目を引くくらいの美人だ。ただ、服装が夜の街で働く女の人が着ているような大きく胸の開いたドレスというのが気になるところ。この学園は共学で年頃の男子もいる。教育上どうなんだろう。
もっとも、成績発表会には萌え特待生のみが出席することになっているので、その点は安心かもしれないが……って、ボクたちだって一応男じゃないか! 自分の周りにいるのがみんな女の子みたいな男の子なのでうっかり忘れてたよ。
しかし、クラスメイトたちの様子を伺うと、理事長の色香に反応している様子は見られない。あるコは校長の話に飽きたような顔をし、あるコは緊張で固い表情をしている。
「理事長ってさぁ、おっぱい大きいよねぇ」
「うん、そうだよねぇ。何カップあるんだろ……だあっ、何言わせるのさ! ハルちゃん」
無意識に答えちゃったじゃないか。
「いいんじゃない、サキちゃん男の子なんだし。アタシだって大いに興味あるよ」
ニヤニヤ顔で言うハルちゃん。そういえばこの前ハルちゃんったら、事務のアヤちゃんの胸触ってたもんなぁ。しかし、アヤちゃんもよく平気で触らせてるよね。これが男の娘の役得ってやつなのかな。うーむ、うらやま……いやいや、けしからん。
「何がけしからんですって?」
「えっ、いやっ、何でもないよっ!」
ハルちゃんの反対隣りにいたユウちゃんがツッコミを入れてきて、ボクは慌ててごまかした。エロキャラ認定されても嫌だからな。
……って、ボク今「けしからん」って口に出してないぞ。何でまたモノローグが聞こえてるんだよ!
「サキの緩んだ顔を見てれば分かるわよ。顔に書いているようなものだわ」
だからモノローグに答えるなってば! えっ、ボクってもしかしてサトラレなの?
「あっ、りじちょーの話終わったよー」
四人の中で理事長の話を意外にも一番ちゃんと聞いていたツカちゃんがボクたち不真面目男子三人組に声をかける。
「いよいよだわね」
先程までとはうってかわって真剣な表情になるユウちゃん。
「うん」
「どうしよう。ドキドキしてきたよぉ」
ハルちゃんは緊張で顔をこわばらせる。
「大丈夫だよ。ボクたち頑張ったんだから」
ボクはリラックスさせようと思い、ハルちゃんの肩に手を置いた。
びくっ! ハルちゃんは一瞬体を固くし、
「うっ、うん、そうだよね。ありがと」
ハルちゃんの頬はほんのり赤くなっている。えっ、何で何で?
理事長が二つ折りになった紙を持ってステージに戻って来る。よくアカデミー賞やレコード大賞の授賞式でプレゼンターが持っているような台紙だ。あの中に今回のMOCの成績と順位が書かれてあるのだろう。変に本格的だなぁ。
「それでは皆さんお待たせいたしました」
お待たせてると思うなら、もう少し話を短くしてもらいたいものだ。
「これからMOCの成績発表を行います」
理事長が台紙を開く。
「まず第五位の発表です。第五位は……」
ジャラララララララー、ジャン! ドラムロールの演出まであるのか。
「魔法少女研究会のMAJICOです!」
きゃあああ! 会場から黄色い歓声が沸き起こる。あいかわらず本当に男なのかと思うくらいキャピキャピしているよな。
「えー、MAJICOの評価についてですが……」
入賞チームについての総評が理事長の口から語られた。
とりあえずボクたちの名前は呼ばれなかった。入賞を逃してしまったのか、それともそれ以上の順位に入ったのか……。
「続いて第……」
このあと、四位と三位が発表されたが、それもボクたちのチームではなかった。
「うーん、ウチら呼ばれないねぇ。去年は三位だったんだけど」
ツカちゃんはいつになく心配そうな表情だ。
「ツカサ、今回ワタシたちが狙っているのは三位じゃないのよ。こんなところで呼ばれちゃったら逆に困るわ」
ユウちゃんはあくまで冷静だ。ボクたちの上位入賞を確信しているのだろうか。
「いやぁ、凄い自信だね、ユウちゃんは」
「ワタシたちは今回〈モエンジェル〉になるためにここまで頑張ってきたのよ」
モエンジェル。それはMOCで優勝したものに贈られる称号である。この称号を持つ者は萌え特待生の頂点、すなわちこの学園における男の娘の頂点に立つことを意味する。
そう、まさに男の娘の中の男の娘なのだ。ややこしい。
ちなみに、ボクは決してモエンジェルになるためにこの学園に来たのではない。両親に勝手に編入させられて、成り行きでこうなっているだけだ。
……と、これまでのボクならそう思っていた。しかし今は心境にちょっとした変化が起きている。ボクはこの学園で、ハルちゃんをはじめとするメイド研究会の仲間が出来た。最初は戸惑ったけど、付き合ってみるとみんな良いコばっかりだった。彼らはモエンジェルになるべく、日夜己の萌えを磨くためにひたむきに努力してきた。最初は何で自分がこんなことをしなければ……と乗り気でなかったボクも、目標に向けて一生懸命頑張る彼らの姿を目の当たりにするうちに、一緒に頑張ろうと思うようになった。
今でも自分は普通の男だと思っているし、最高の男の娘を目指そうなんて考えていない。ただ今は、この学園で出会ったかけがえのない仲間たちのために……いや、仲間と共に目標に向けて、自分の意志で頑張りたいと思っているだけだ。
「うん! そうだね」
ボクは力強くユウちゃんに答えた。
「さて、いよいよ準優勝の発表です!」
ここで名前を呼ばれなければ、ボクたちにはまだモエンジェルになる可能性が残されたことになる。もっとも入賞ならずという残念な可能性も残っているのだが。
「準優勝は……」
ジャラララララララー、運命のドラムが響き渡る。
ドッドッ、ドッドッ。ドラムのリズムにシンクロするようにボクの心臓も鼓動する。
ボクは隣にいる仲間たちに目をやる。表情が固い。みんなボクと同じ気持ちなのだろう。
ジャララララララララララララ……そして、
ジャン! 長いドラムロールが鳴り止んだ。
…………。
一瞬の沈黙の後、理事長が口を開く。
栄光か挫折か。ボクたちの奮闘の成果は果たして……。
「メイド研究会のMIBです!」
男の娘たちの歓声が沸き起こる。
ボクたちのMOCが終わった。
☆
運命の成績発表会を終えたボクたちは、言葉少なに二年M組の教室へと戻って来た。
あの後述べられたMIBに対する総評は「ウブとしたたかさが見事に融合されたメイド萌えだった。今後は属性のヴァリエーションを増やせばより素晴らしい萌えになるだろう」ということだった。ウブとは言うまでもなくボクのぎこちない演技のことであり、したたかさというのはユウちゃんら三人のメンバーのこなれた演技のことだ。もっともボクの場合、本当に恥ずかしくてそうなっただけで、ウブな演技をしたわけではないんだけどね。
ちなみに優勝したのはどのチームだったかというと、MOC当日の昼休みにボクたちに話しかけてきた高丘夏希ちゃん率いるお嬢様研究会だった。彼らが見事今年のモエンジェルの称号を手にしたというわけである。
お嬢様研究会の演技は誰もが知っている名作童話シンデレラをモチーフとした寸劇だった。ナツキちゃん演じるシンデレラがツンデレという設定が斬新だと好評だったらしい。実際に観たコの話によると、王子様につれない素振りを見せるところが秀逸だったという。やっぱり「べっ、別にアンタのためにこのガラスの靴を履くんじゃないんだからねっ!」とか言ったりしてたのかな。そういえばナツキちゃんはツンデレ研究会にも所属しているらしい。なるほどね。
ボクという素人の新メンバーを迎えて初めてのMOCで、準優勝という結果は悪くないとは思う。実際、会場からは惜しみない賞賛の声が挙がった。
だが、ボクの仲間たちはそう思ってはいないようだ。
教室に戻って来たメイ研のメンバーの様子はさまざまだ。
ユウちゃんは気が抜けたといった風情で、ふぅーと静かに溜め息をついた。
ツカちゃんは悔しさに唇を噛んでいる……と思いきや、早速何かを口にほおばっている。まぁ、ある意味ホッとする。もっとも表情は冴えないけど。
彼らはずっと頑張ってきた。モエンジェルになるために。
しかし、それは惜しくも叶わなかった。
おそらくボクの力不足だったのだろう。ボクからしたら彼らは本当に素晴らしかった。どこから見ても個性的でキュートなメイドさんたちだった。
ボクは一番気がかりだった仲間の姿がないことに気づいた。
隣の席を見るとハルちゃんがいない。てっきり一緒に教室に戻って来たものだとばかり思っていたのだが。
「ねぇ、ハルちゃんは?」
ボクが尋ねると、
「あれっ、そういえばまだ戻って来てないね。どこ行ったんだろう。はむはむ」
バウムクーヘンを食べながら答えるツカちゃん。のんきか。
「あぁ、ハルならトイレに寄ってから戻るって言ってたわよ」
と、ユウちゃん。どうやらユウちゃんには告げていたらしい。
「でもちょっと遅いわね。どうしたのかしら」
「ハルちゃん、お腹でも痛いのかなぁ。はむはむ」
キミはすこぶる元気そうだな。
「まだ体調悪いのかな」
「案外食べ過ぎとかかもよ。はむはむ」
「それはないでしょ。ツカちゃんじゃあるまいし」
「ひどーい、サキちゃん! ウチだってそんなに食べてないもん!」
「そう言ってるそばから口に入れてるその洋菓子は何なんですか?」
「んぇ? こっ、これは成績発表会で消耗したエネルギー補給だよぉ」
「全然説得力ないわね」
良かった。この二人は大丈夫みたいだな。残りは……。
すると、教室の戸が開いた。ハルちゃんが戻って来た。
「ハル、遅かったわね。ちょっと心配したわ」
「あっ、そうだったんだ。ごめーん、心配させちゃったね。えへへ」
てっきり憔悴しきった表情で戻って来るものだと思っていたが、ハルちゃんは意外と元気な様子だった。
「あっ! ハルちゃん、もしかしてウ○コしてたのぉ?」
ツカちゃんが切り株型の洋菓子を食べながらとんでもないことを言い出す。
「ちょっ、何言い出すんだよツカちゃん。下品だよ、ウッ、ウ○コなんて」
ボクは慌ててツカちゃんをいさめる。
「えー、言いじゃん、ウ○コくらい。ここにいるの男のコばっかりなんだし。男子高なんてどこもこんなノリだよ?」
男のコは男のコでも男の娘だけどね。っていうか、男の娘は男子高のノリなのかよ! いつも女子高生みたいに振る舞っているのに都合の良いときは男子高生になるんだな。
「あっ、バレちゃった! ちょっと大物に苦戦しちゃってさぁ。いやぁ、恥ずかしいなぁ」
あははと笑って返すハルちゃん。おいおい、ツカちゃんに乗っかっちゃったよ。
「なんか思ったより元気そうで安心したよ」
「えっ、そうなの?」
きょとんとするハルちゃん。
「だってMOC……」
「あぁ、それね。まぁ、もう終わっちゃったことだしね。それに前回より順位が上がったわけだから良しとしよっかなって。また来年に向けて頑張る所存であります、ビシッ!」
敬礼のポーズをとっておどけてみせるハルちゃん。
「そっ、そっか。それなら良かったよ」
なんか吹っ切れたのかな。ボクは思いのほか元気なハルちゃんの様子に拍子抜けする。
と、そのとき教室がざわつきだした。
声のする方に目を向けると、今回の優勝者であるナツキちゃんらお嬢様研究会の面々がいた。優勝者は成績発表会の終了後に打ち合わせがあるらしく、どうやら今教室に戻って来たらしい。
「おめでとう! ナツキちゃんたち」
「ついに念願のモエンジェルになれたんだね。羨ましいなぁ」
「お姉様って呼ばせて!」
「師匠って呼んでもイイっすか?」
ナツキちゃんはクラスメイトからの(一部おかしな要求を含む)祝福に笑顔で応える。
「ありがとう。でもまさかワタシが選ばれるなんて思っていなかったから、正直ちょっと実感が湧かないよ」
ふとナツキちゃんとハルちゃんの目が合った。
「……ハルちゃん」
少しばつの悪そうなナツキちゃん。ところがハルちゃんは、
「やあやあ、おめでとう! さすがだったよ、ナッちゃんのシンデレラ。やっぱり本物のお嬢様は違うねぇ」
ニコニコと明るい表情でナツキちゃんを祝福する。せっかく良いムードなので、「いや、お嬢様ではないよ、男の娘なんだから」というツッコミは入れないでおこう。
「あっ、ありがとう。でも本当にワタシたちで良いのかなって。ワタシとしては、優勝はきっとハルちゃんたちだと思っていたから……」
「何言ってるのさぁ、ナッちゃんのシンデレラは誰よりも輝いていたよ! ナッちゃんはどこに出しても恥ずかしくない、アタシたち萌え特待生が誇るモエンジェルだよ!」
ハルちゃんは笑顔でナツキちゃんの手を両手で優しく包みながら彼を励ます。
「そうよナツキ。アナタにはもっと自信を持ってもらわないと。何しろアナタはこのワタシたちに勝ってモエンジェルに選ばれたんだから」
ユウちゃんが諭すような口調で言う。これはユウちゃんなりの思いやりだ。
「今回はナッちゃんの一人勝ちだよ。やっぱりウチらのライバルはナッちゃんだね。でも、来年はウチらがモエンジェルになるからねっ!」
ツカちゃんは最高のライバルの健闘を称えつつ、次回のMOCでのリベンジを誓うのだった。その手にはバウムクーヘン。
「みんなありがとう。みんなにそんな風に言ってもらえてワタシ本当に嬉しい。嬉しくって、もう……」
ナツキちゃんの目から、押さえきれない感情の雫がこぼれ落ちた。このコたちにとってモエンジェルに選ばれるのは本当に嬉しいことなんだなぁ。
それだけに、誰よりもモエンジェルになることを目指して頑張ってきたハルちゃんのことが気がかりだった。だが、ボクの意に反して元気な顔を見せる彼の姿にホッとする反面、何かモヤモヤと割りきれない気持ちにもなってしまう。
モエンジェルの美しい涙によって二年M組の教室全体がほっこりしたムードに包まれた頃、ボクはハルちゃんに肩を叩かれた。
「……サキちゃん、ちょっとイイ?」
「うん? どうしたのハルちゃん」
すると、ハルちゃんはボクに耳打ちした。
「今日は一緒に帰らない?」
「あっ、うん、いいよ。でもどうしたの? いつもみんなで一緒に帰ってるよね」
「うん。でも今日はアタシとサキちゃんの二人で。サキちゃんに付き合って欲しい場所があるんだよね」
☆
その後、ボクたちは通常授業を受け、放課後を迎えた。MOCのような派手なイベントがあるからといって、萌え特待生も高校生である。よって、普通の高校生と同じような授業も受けている。萌え活動はあくまで放課後の課外活動の一環として行われているのだ。
我がメイド研究会は、MOCの結果が結果だったということもあり、すぐにクラブ活動を再開する気にはなれず、今日はまっすぐ解散ということになった。
そしてボクは成績発表会の後に約束した通り、ハルちゃんと一緒に帰ることにした。
「うわぁ、疲れた。成績発表会の日は終わったらすぐに帰して欲しいよね。それから午後までビッチリ授業やるなんて、まったくどうかしてるよ」
「そうだよね。あっ、無理言ってごめんね。いつもみんなで一緒に帰っているのに、今日はアタシがサキちゃんを独り占めする形になっちゃって」
「いやいや、全然そんなことないよ。今日はハルちゃんと寄っていくところがあるからって言ったら、ユウちゃんとツカちゃん、二人して顔を見合わせてニンマリしながら「うんうん」って頷いているんだよ。いっつもあの二人は何か変な勘繰りを入れてからかってくるんだよなぁ。いったい何を想像しているんだか。本当困っちゃうよね」
「アタシはそんなに嫌じゃないけど……」
「えっ、今何て?」
「……あっ、いや、何でもないよ。あははは。あっ、着いた。ここだよ」
どうやらハルちゃんの目的の場所に着いたらしい。
「ここは?」
その場所は港を臨む小さな公園だった。
「アタシのお気に入りの場所だよ」
ハルちゃんが慣れた様子でいくつかあるベンチの一つに腰掛けた。ベンチをポンポン叩いて座るよう促されたので、ボクも彼の隣りに座ることにする。
「ここはね、アタシが小学生の頃から来ている公園なの。普段は散歩やジョギングがてらに来たりね。ほら、アタシ体を動かすことがあまり得意じゃないから、ほっといているとついつい運動不足になっちゃうんだよね。だからたまにここに来るんだ」
「なるほどね」
「いつかサキちゃんと一緒に来たいなぁって思ってたの。付き合ってくれてありがとね」
ボクの目を見てニコっと微笑むハルちゃん。この愛らしい笑顔にはいつもキュンとさせられてしまうのだが、今日はベンチに並んで座り、至近距離で見つめられるものだから、いつも以上にボクはドキッとさせられてしまった。でもハルちゃんって男の娘だよ?
「でもね、ここに来る理由はそれだけじゃないんだ……」
にわかにハルちゃんの表情が曇る。
「うん?」
「悩んだり落ち込んだりしたときも、この公園に来るの」
「じゃあ今日は来た理由は……」
ここでハルちゃんの声のトーンがさらに下がる。
「……うん。サキちゃんの思っている通りだよ」
ここでボクは今日一日ハルちゃんが無理に明るく振る舞っていたのだと確信した。
「やっぱりそうだったんだね」
「……うん」
前を向いたまま、こくんと頷くハルちゃん。
「実はボクもおかしいなと思っていたんだ。成績発表会の後、とても明るく元気そうにしていたから、あれっ、平気なのかなぁって。これまでハルちゃんがモエンジェルになることを目標に凄く頑張ってきたの見てたから……」
「……平気なんかじゃないよ」
ハルちゃんがぽつりと呟いた。
「…………」
しばしの沈黙。ボクはハルちゃんにどういう言葉をかければいいのか分からなかった。
再び口を開き始めたのはハルちゃんだった。
「アタシはね、サキちゃん。落ち込んだとき、この場所に来て海をボーッと眺めて……」
「元気を出す?」
ところが、ハルちゃんはボクの安易な回答を打ち消した。
「ううん。そうじゃないんだ。アタシは海を見ながら……泣くの。それも思いきりね」
「……そっか」
ボクは取り立てて何かを言うわけでもなく、ただハルちゃんの言葉に耳を傾けた。
「……悔しかったよ。アタシたちは他のどのチームよりも頑張ってきたつもりだったから。あっ、もちろんナッちゃんはモエンジェルにふさわしい素敵なコだと思うよ。だけど……今年はモエンジェルになりたかったな」
じっと前を向いたまま話を続けるハルちゃん。彼の視界の先には夕焼けに染まる海が静かに広がっている。そして夕焼けに染まるハルちゃんの横顔は美しい。
「じゃあ何で平気なふりを?」
「みんな、いや、メイ研のメンバーの前でメソメソしたくなかったの。ユウちゃんもツカちゃんもとっても優しいから、アタシが落ち込んでいたらとても心配するでしょう? 実際MOCが終わった後、みんな凄く気を遣ってくれていたのちゃんと分かってたよ」
言われてみれば確かにそうだ。あのとき二人はハルちゃんを心配していた。今日一日元気に振る舞っていたのは、二人に無用な心配をかけたくないというハルちゃんの思いやりだったのだ。
でも、ハルちゃんを心配していたのはあの二人だけじゃない。ボクだってハルちゃんを心配していた。それこそあの二人以上に。
「でもね」
一瞬の後、ボクの心に引っかかった疑問に答えるかのようにハルちゃんが切り出した。
「サキちゃんにはアタシの本当の気持ちを聞いて欲しかった。本当のアタシを知って欲しかったの。だって、サキちゃんはアタシにとって大切な人だから……」
「あっ……」
あれっ、何か話の展開が変わってきてないか。急にドキドキしてきたよ。だってハルちゃんの言葉はまるで……告白の文句みたいなんだもん。
正直ボクだって悪い気はしない。ハルちゃんみたいな可愛いコが自分を好きになって……って、いやいや何を考えているんだボクは。何度も言うように、ハルちゃんは男の娘だぞ。ボクはあくまでノーマルな男であって、決してそういう趣味はない。そっ、そうだよな。ボクにとってハルちゃんはあくまで友達だ。大切な友達だよ。だからボクに対して心を許しているようなことを言われるのは本当に嬉しいと思っている。
「でね、サキちゃんに言いたいことがあるの。アタシもう自分の気持ちを抑えておくことができそうにない!」
えぇっ! 何この展開! まさかハルちゃん本当にボクのことを……?
ドッドッ、ドッドッ、ドッドッ。ここに来てボクのただでさえ小ぢんまりとしたハートは、MOCの成績発表のときのドラムロールのように激しく鳴っている。
「サキちゃん……」
「はぇいっ! 何でしょぁう?」
ボクは思わず声が裏返ってしまい、余計な音が混ざった返事をしてしまった。
どっ、どうするボク? ハルちゃんがこれから発する言葉が、もしボクが思っているような内容だとしたら? どう答える? どういう返事をすればいい?
…………。
またひとときの沈黙。
そして……、
「アぅタシぃ、もぅお泣いてもぅいぃいかなぁ?」
「はぇっ?」
一瞬事態が飲み込めなかったボクはいつにも増してアホみたいな返事をした。
絞り出すような声で言葉を紡ぐハルちゃんの目はすでに真っ赤で、今にも泣き出しそうだ。というより、ボクの返事を待つまでもなく、彼はもうすでに泣いていた。
「アぅタシぃ、みんなに心配かけちゃいけないなぁって、今日一日ずっと我慢してたんだけど、もうこらえきれないよぉ!」
……なっ、なるほどね。他のみんなの前ではモエンジェルになれなかった悔しさを隠して平気なふりをしていたと。でも、ボクと二人きりになったから、これまで押しとどめていた感情を思い切り出してもいいかと、そういうことだね。
どうやらボクへの告白ではなかったみたいだ。ホッとしたと同時にちょっと残念な気も……って、いやっ、きっ、期待してたわけじゃないんだからね!
「うん、思い切り泣くといいよ……」
「ほっ、本当? じゃあもうぅひとつぅお願いしてもぅいいかなぁ?」
「うん、なあに?」
ボクも男だ。今日は親友としてハルちゃんの頼みを何でも聞いてあげようじゃないか。
「サキちゃんのぅ肩を借りてもぅいい?」
「もちろんノープロブレムさっ!」
何だ、そんなことでいいのか。ボクの肩くらいいくらでも貸してあげようじゃないか。ボクは二つ返事でOKを出した……って、えっ、肩?
そっ、それはつまり恋愛ドラマでいう、失恋した女性が男性の肩に顔を埋めてさめざめと泣き、男性がその女性の肩をそっと抱き寄せる……という肩のことですか!
「あぅっ、ありがとぉ。それじゃあ」
そう言うやいなや、ボクが心の準備を済ませる間もなく、ハルちゃんが抱きついてきた。
……そして、
「ふっ、ふえっ、ふぇっ、ふえぇ~んっ!」
ハルちゃんはボクの薄い胸板に顔を埋めて、生まれたての赤ん坊のように泣いた。
「やっぱり悔しかったよぉ! この一年間ずっと頑張ってきたのにぃ~。モエンジェルになれなかったんだもん、うわぁ~ん!」
ハルちゃんの突然の感情の発露に戸惑うボク。こういう場合、どうやって声をかけてあげればいいんだろう。
「……みんなの前でよく堪えたね、よしよし」
そう言いながら、とりあえずハルちゃんの頭を撫でる。
「ぐすっ、ぐすっ、辛かったよぉ」
なかなか泣きやみそうにない。よっぽど悔しかったのだろうな。
そんな様子を見ていて、ボクは無意識にハルちゃんの肩をそっと抱いていた。
「ボクは少なくとも四月からメイド研究会の萌え活動を見てきて、ハルちゃんが誰よりも頑張ってきたことを知っているよ。だからその悔しさも分かるよ」
「うぅっ、ありがとぉ、うえ~ん」
なおも泣き続けるハルちゃん。そしてより一層、ボクに体を預けてくる。
柔らかな感触と体温が伝わってくる。ボクはドキドキして変な気持ちになってきた。だってハルちゃんまるで本物の女の子みたいなんだもん。
気まずさを感じたボクは何か言わなければと思った。
「そっ、それにね、ボクの中で今年のモエンジェルは間違いなくハルちゃんだったよ」
「うぇっ? 本当にぃ?」
「ああ、もちろん! 本当だとも!」
これは本当にボクの本心から出た言葉だ。決してハルちゃんをなぐさめるためのお世辞なんかじゃない。
「だからさ、来年また頑張ろうよ。そして次こそはモエンジェルになろう。ボクも今まで以上にもっともっと萌えを磨いていくからさ」
そう言いながら、ハルちゃんの肩をポンッと叩く。って、萌えを磨くとか自分の口から言うことになるとはね。
「でもサキちゃんは……」
不安そうにボクを見つめるハルちゃん。
「もっ、もちろんボクはいたってノーマルな男子高校生だよ! でもハルちゃんのために萌え活頑張るよ!」
そう言って、ボクはハルちゃんの手を両手でぎゅっと握った。
「サキちゃん……」
少し頬を赤らめながら、涙で潤んだ瞳でボクを見つめるハルちゃん。あれっ、何かこれって、ボクがハルちゃんに告白してるみたいになってない?
ハルちゃんに見つめられ、ボクのチキンハートはまた高鳴りだした。いくら見た目が可愛いからといって同性の友達にドキドキしてしまうなんてボクはちょっとおかしくなってしまったのかな。
きっ、気まずい。ここは何か軽口を叩いて場を和ませるとするか。
「いっ、いやぁ、こうしていると何か照れちゃうね。ハルちゃんってたまに本当の女の子みたいに見えるから」
「えっ……」
一瞬怪訝な表情になるハルちゃん。あれっ、気を悪くさせちゃった?
「あっ、冗談冗談っ。単に表情とか仕草がおしとやかで、たまに男の娘だってことを忘れちゃうっていう意味で言っただけだからさ。こんな可愛いコが女の子なわけないよね! ははははは……ごめん、気を悪くさせちゃったかな?」
すると、ハルちゃんはボクの問いかけには答えず、
「……アタシね、もうひとつサキちゃんに言わなきゃならないことがあるの」
どうやら怒ってはいないらしい。でも、言わなきゃならないことって何だろう?
その後、また黙り込んでしまうハルちゃん。何かを言おうか言わまいか迷っているように見える。そんなに言いづらいことなのだろうか。
「あの、そんなに言いづらいことだったら無理に言わなくてもいいよ」
「ううん、言わせて!」
急に語気を強めるハルちゃんにボクは面食らう。
「ハル……ちゃん?」
「確かに言いやすいことではないけど、アタシもう我慢できないの。本当のことを隠して嘘をついているのが嫌なの。サキちゃんに対しても、自分に対しても」
思いつめた様子のハルちゃん。本当のこと? ハルちゃんは一体何を隠しているんだ?
「まずね……」
一語一語確かめるように話し出す。
ボクは固唾を飲んで、ハルちゃんの次の言葉を待つ。何だか聞いているこっちが緊張してきたよ。
「つい今しがたサキちゃんの問いかけに黙ってしまったのは、気を悪くしたからじゃないの。まさにアタシがこれから話そうとしていることだったから……」
へっ? どっ、どういうこと? ボクの頭が悪いのか、全然意味が分からないんだけど。
すると、ハルちゃんが突然ボクの手を取る。
「えっ、何を……」
アホなボクにしびれを切らして、アームロックでも決めようとしているのか。
でもそうではなかった。ハルちゃんは掴んだボクの右手をむんずと自分の胸に押し当ててきたのだ。
ふにっとした。柔らかい。しかし、このときボクはさほど驚かなかった。何故ならハルちゃんが女性の胸に憧れていることを知っていたからだ。前に事務の彩ちゃんのおっぱいに触らせてもらってたもんなぁ。だから、何か詰め物でもしているのだろうくらいにしか思わなかったのだ。
「へぇ、最近のはよく出来てるね。本物みたいだよ。ハルちゃんは偉いね。そうやって普段から萌えを探求する努力をしているんだもんなぁ」
ぐにぐにっ。せっかくなので少し感触を確かめさせてもらう。
うーん、作り物とはいえ凄い質感だ。何か変な気持ちになってくるよ。
「ひぁっ!」
突然、ハルちゃんが変な声を出す。
「うわっ!」
ボクは反射的にハルちゃんの胸から手を離した。ハルちゃんはこれまでにないくらい顔を赤らめている。
「ちょっ、ハルちゃん、これってまさか……?」
「……うん。これ、アタシの胸だよ」
「えっ……」
「そうそう、これアタシのシリコンなのぉ」って意味じゃないよな?
そして、意を決したようにハルちゃんが口を開いた。
「アタシ、本当は男の娘じゃないの!」
「あっ、何だ、そうかぁ。ボクと一緒でハルちゃんもノーマルだったんだね。ボクも自分では男の娘だなんて思ってないからね。はっ、はははっ……」
ボクはこれから語られるであろう真実から目を背けるように、適当なことを口走って、自分自身を落ち着かせようとしていた。
「うん、そう。ノーマルだよ」
えっ、やっぱりそうなのか。
「……ノーマルの女の子だよ」
えっ?
「あたし、市川春は男の娘じゃなくて本物の女の子です!」
「えっ? オ・ン・ナ・ノ・コ……?」
こくん。ハルちゃんが黙って頷く。
「ええええええええええぇぇぇっ!」
さて、今ボクはいくつ〈え〉を言ったでしょう……じゃなくって!
ボクはあまりに驚いて、そのまま後ろにひっくり返り、ひとりバックドロップを決めそうになった。
ハルちゃんは男の娘ではなく女の子だった。
つまり、ハルちゃんは男の娘のふりをした女の子だった。何かややこしいな。
「どっ、どうしてそんなことを?」
「うん……」
何故女の子であるにもかかわらず男の娘のふりをしているのか、その理由をハルちゃんはおもむろに語り始めた。
「あたし、小さい頃は凄い引っ込み思案でね。小学校に入ってもなかなか友達が出来なかったの。女の子が集まってキャッキャウフフしているグループに混ざっていくのがどうも苦手でね」
そうだったんだ。かくいうボクも、小さいときはあのバカ親に女の子みたいな身なりをさせられていたから、なかなか同性の友達が出来なかったんだけど。
「そんな中、あたしに声をかけてくれた二人の可愛い女の子がいたの。他の女の子には無い不思議な魅力を持った二人だった。ひとりは天真爛漫でいっつもお菓子を口にしているコ。もうひとりは大人びた口調で喋るいっつも冷静沈着なコ」
あれっ、その特徴、どこかで聞いたことがあるような。
「あぁ、あたしにも女の子の友達が出来たんだぁって、とっても嬉しかったよ」
ハルちゃんは当時を懐かしむように遠くを見つめた。
「でもね」
「うん?」
「二人は女の子……じゃなかったの。見た目は女の子そのものなんだけど実際は男の子……そう、男の娘だったの。さすがに最初はあたしもビックリしたよ。でもすぐに、こんなに優しくて可愛いコたちなんだから、別に男の子でも関係ないやって思ったよ」
「ハルちゃん、その二人って……」
「うん、もう分かるよね。そう、横山都花咲ちゃんと爽泉勇ちゃん。ツカちゃんとユウちゃんの二人だよ」
「やっぱり。そうだったんだね」
そりゃあ他の女の子には無い魅力があるわけだよね。だって男なんだから。
「ツカちゃんとユウちゃんはそれ以来ずっとあたしの大切なお友達なんだ。二人に出会ってから、あたしも積極的になれてね。段々と女の子たちとも自然に打ち解けられるようになったんだよ」
「そっか。でも、そこからどうしてハルちゃんが男の娘のふりをすることになるの?」
ボクは当然の疑問を投げかけた。
「あたしたちは中学生のとき、ある約束をしたの。あたしたち三人はこの先もずっと一緒にいようねって。だからとりあえず同じ高校に行こうと思ったんだ。だけどツカちゃんとユウちゃんはこの七泉学園の萌え特待生のことを知って、ここに入学したいと思うようになったの。このままじゃあたしは二人と離れ離れになっちゃうじゃない。どうしても三人一緒の高校に行きたかったあたしたちは一計を案じたの」
それが女の子であるハルちゃんが男の娘として萌え特待生になることだったらしい。幸いハルちゃんの家はこの学園にコネがあり、事情を話したところ、特別に入学を許可されたそうだ。
なるほど、女の子が入学出来るくらいだ。普通の男子であるボクを男の娘クラスに入れることくらい造作ないだろうな。あのバカ親め。
「あっ、でもハルちゃんのご両親はよく許してくれたね?」
いくら男の娘とはいえ生物学的には男。そんな男だらけのクラスに大切な娘さんを入れるわけだからね。
「うん。あたしの両親も初めは反対していたけど、あの二人が一緒ならということで最後は許してくれたよ。「春が望むなら応援する」ってね。実際この学園の理事長に頼んでくれたのあたしのお父さんだしね」
コネというのは、ハルちゃんのお父さんと理事長が知り合いってことなんだな。
それにしてもハルちゃんたち三人がそんな深い絆で結ばれていたとはね。
「そうだったんだね」
「うん。隠していてごめんなさい。嘘をつくつもりはなかったんだけど、本当のことを言ってサキちゃんに嫌われるのが怖くって……」
「そんな、嫌うわけないじゃない。男の子だろうと女の子だろうとハルちゃんはハルちゃん、ボクの大切な友達だよ」
正直なところを言うと、ボクはかなりホッとしていた。最近ハルちゃんがたびたび見せる可憐さにキュンとしてしまい、自分がそっちの道に足を踏み入れてしまったんじゃないかと不安になっていたから。
でも安心した。ボクは正常だ。だってハルちゃんは紛れもない美少女だったんだもん。意識しちゃうのも当然だよね。って、そう考えるとこれまで何気なくハルちゃんと接していたのって、とても気恥ずかしいことをしていたんじゃないか。なんか急にドキドキしてきたよ。
「サキ……ちゃん?」
ハルちゃんに呼ばれてハッとした。どうやらハルちゃんそっちのけで、脳内であれこれ思案を巡らせていたらしい。
「あっ、ごめんごめん。ところでユウちゃんとツカちゃんはともかくとして、他の特待生のコはハルちゃんが女の子だって知っているの?」
「いや、それが……」
決まり悪そうに答えるハルちゃん。どうやら他のコたちは知らないらしい。
「……知らないんだね」
「……うん。だからサキちゃん、あのねっ……」
ハルちゃんが言いかけるのを手で制してボクが答える。
「大丈夫だよ。ハルちゃんが女の子だってことは他の誰にも喋らないよ」
「……良かった。ありがとう」
ハルちゃんは心底ホッとしたようだ。
「ボクだってハルちゃんとはこれからも一緒にいたいから……」
「サキちゃん……」
目を潤ませるハルちゃん。おっと、また泣かせちゃいそうだな。
「これからもよろしくね」
ボクはハルちゃんに握手を求める。
「こちらこそよろしくお願いします」
ハルちゃんも、頭を下げながらボクの握手に応じた。
美しい友情の場面である(自画自賛)。
「あっ、いたいた! おーい」
突然、背後から元気な声が響いた。振り向くと、少し離れたところからツカちゃんが手を振っている。もちろん隣にはユウちゃんも一緒だ。
「あっ、あれ? どうしたの二人とも?」
これまでしていた話が話だっただけに、ボクはちょっと動揺しながら尋ねる。
「あら、お邪魔だったかしら?」
それに対して、いつもの落ち着いた態度でしれっと答えるユウちゃん。
「ユウちゃん、ツカちゃん」
『えっ?』
ハルちゃんが真顔で二人を見つめる。二人はきょとんとした顔をしている。
「あたし、サキちゃんに伝えたよ。本当のあたしのこと」
「ふえっ! ハルちゃん言っちゃったのぉ?」
大げさに驚くツカちゃん。
「そう。打ち明けたのね」
いたって冷静なユウちゃん。対照的な二人のリアクション。
「まったく驚いたよ。前からハルちゃんって女の子みたいだなぁと思っていたけど、本当に女の子だったとはね……まさか、実はキミたちも女の子ってオチじゃないよね?」
「ワタシたちはちゃんとオトコのコのモノを持ってるわよ。何だったら確かめてみる?」
そう言って、ユウちゃんは自分の下腹部を指差す。
「えっ」
「そんなにウチらの見たいのぉ? もお、サキちゃんのえっちぃ!」
ツカちゃんがスカートの上から前を両手で押さえる。
「なっ、何を言ってるんだよ。分かった分かった、二人はちゃんと男の娘なんだね」
「何よ、見ないの? つまらない男ね」
見てほしいのかよ、ユウちゃん!
「ところでユウちゃんは、ハルちゃんがボクに秘密を話すことを知っていたのかい?」
「ええ、まあね」
事もなげに答えるユウちゃん。
「でも、ハルちゃんが女の子だってことは三人だけの秘密にしておくはずだったんじゃないの?」
「ええ、最初はね。でもアナタがこの学園に編入してきて、ワタシたちのクラスメイトになってから事情が変わったのよ。ハルがアナタには隠しておくことができないって言い出してね。ワタシたち三人の中でもハルは人一倍サキのことが気に入っているものね」
ユウちゃんはいたずらっぽくハルちゃんに微笑みかける。
「そっ、それは、サキちゃんがあたしたちの大切な仲間になったわけだから、あたし自身の秘密も知ってもらわなきゃって思ったからで、別にそういうつもりで言ったわけじゃなくて……でっ、でも、だからといってあたしがサキちゃんに興味がないかといったら、決してそんなことはなくて……」
ハルちゃんは何故かひどく取り乱した。
「はいはい、分かった分かった。でも正直驚いたわ。まさかこのタイミングでサキに打ち明けるとは思わなかったもの。今日はMOCの結果が出たばかりでさぞ落ち込んでるだろうと思ったから」
「そうだよぉ。ウチなんかハルちゃんとユウちゃんの間でそうゆう話があったこと自体知らなかったから、本当にビックリしたよ。って、何でウチだけ教えてもらってないのぉ! ひどいひどーい!」
どうやらツカちゃんは一人だけ事情を知らされていなかったらしく、ブーブー文句を言っている。
「ごめんね、ツカちゃん。別に隠すつもりはなかったんだけど。あたしとしてはMOCが終わって一区切りついたときに打ち明けようと思っていたんだ。自分でもそれが今日になるとは思ってなかったけどね」
「じゃあなぜ今日打ち明けることにしたの?」
ユウちゃんが尋ねる。
「ユウちゃんのおっしゃる通り、今回のMOCの結果を受けてあたしは確かに落ち込んだよ。自分では精一杯頑張ったつもりだったからね。学校では我慢していたけど、サキちゃんと二人になったら、こらえていたものがドッと溢れちゃって」
「やっぱり無理していたのね」
「うん。けどね、あたしが泣き出したとき、サキちゃんがただ黙って横にいてくれて肩を貸してくれたの。これまでもサキちゃんにはとっても助けられてきたんだけど、今日は本当に救われた気がしたんだ。あらためてサキちゃんの思いやりを感じたな。もっ、もちろん友達としてね。で、こんなにあたしのことを思ってくれている友達にいつまでも本当のことを隠しておくわけにはいかないなって思ったの。だから……ねっ」
そう言いながらハルちゃんが小首を傾けながらボクに微笑む。この笑顔にはいつもやられてきたが、ハルちゃんが女の子だと分かった今、ボクはこれまで以上にドキッとしてしまう。
「ふーん、そうだったの。でも良かったじゃない」
黙ってハルちゃんの話を聞いていたユウちゃんがほくそ笑んだ。
「えっ、何が?」
ハルちゃんが聞き返す。
「これでアナタたち二人の間に障害がなくなったわけだから」
「えっ、障害って?」
次はボクが聞き返す。
「サキはどうもハルが男の娘だから遠慮していたみたいだから。でもハルが女の子だと分かったんだから、もう遠慮することはないわけでしょう。思う存分二人の愛を育むことが出来るわね」
『えええぇっ!』
今度は二人で絶叫した。そしてハモった。
「ななっ、何言ってるんだよ! ボクがそんなこと思ってるわけないじゃないか! でっ、でもボクがハルちゃんのことをどうも思っていないかといったらそんなことはなくて……でもそれはユウちゃんが言っているような思っているとは少し違ってだね……」
ああっ、何か混乱してきた。
「ちょっ、何とか言ってよ! ハルちゃん」
「…………」
ハルちゃんは頬を赤らめながら固まってしまっている。
「ハル……ちゃん?」
「……えっ? ソッ、ソダヨ! サキチャントアタシハアクマデモ、トッ、トモダチナンダカラネ、ハハハハ」
何さっきの間は? そして何この棒読み。
「ふーん、それは残念ねぇ。アナタたちが煮え切らないものだから、せっかくワタシとツカサがそれとなくアシストしてあげていたのに」
「なっ、何を言って……」
はっ! 言いかけてボクは気づいた。この二人はハルちゃんが女の子だと知っていた上で、ボクとハルちゃんの仲を冷やかすようなことを言っていたということだ。
「……もう悪趣味だなぁ。ユウちゃんもツカちゃんも」
「何言ってるのよ。ワタシたちはアナタたちの良き友人として恋のサポートをしていたのに。まったく人をどこかのドS生徒会長キャラみたいに言わないで欲しいわね」
ユウちゃんはさも心外だと言わんばかりの顔をしている。
「まったく心外ですよぉ。はむはむ」
って、お前はまた食ってるんかい! 全然説得力ないわ!
「さっ、ハルが元気になったみたいだから、ワタシたちはそろそろ帰りましょう」
ユウちゃんが首を振ってしなやかな髪をふわりとかきあげた。
「えー、もう帰るのぉ? はむはむ」
ツカちゃんはホットドッグをくわえながら不満げな表情だ。
「いつまでもいるのは野暮ってものよ。お邪魔虫は退散するの。じゃあね、ごゆっくり」
そう言うとユウちゃんは颯爽と歩き出した。
「あぁん、ユウちゃん待ってよぉ。あっ、それじゃねー、また明日」
ツカちゃんは慌ててユウちゃんの後を追った。
「ああ、そうそう」
何かを思い出したのか、ユウちゃんが振り返る。
「別にあせる必要はないけど、アナタたちはもう普通の男女なんだから、付き合っていいのよ? ワタシたちに遠慮する必要はないわ。メイ研は部内恋愛OKよ」
「部内恋愛キターーー! しちゃえしちゃえ! ワタクシ横山都花咲は二人の恋を全面的に応援します、ビシッ!」
「右に同じく」
ユウちゃんとツカちゃんは横並びになって敬礼のポーズを取り、それから振り返り何事もなかったように帰って行った。
『…………』
嵐の後の静けさよろしく、ボクたちはしばし呆然としていた。
「……行っちゃったね」
「……うん」
「でっ、でもユウちゃんたちってば、またあんなこと言っちゃってさ。本当弱っちゃうよねぇ。ボクたちをからかって面白がっているのかね」
「いや、そんなことないと思うよ。あの二人はあたしの本心が分かっていて本当に応援してくれているんだと思うよ。だってあたし、ああいう風に言われて本当は全然嫌じゃなかったもの……」
「えっ!」
ボクは狼狽した。それはその、つまり……?
ハルちゃんはそれには答えず、
「あらためて、サキちゃん今日は本当にありがとうございました」
姿勢を正してボクに向き直り、両手を膝元で揃えて頭を下げる。優雅な所作が実に女の子らしい。あっ、本当に女の子なんだった。
「サキちゃんに本当の自分をさらけ出してスッキリしました。私、市川春は明日からまた男の娘として萌え活に励むことにします。でも今日はまだ女の子のままでいてもいい?」
上目遣いでねだるような表情のハルちゃん。はっきり言って凄く可愛い。
「もっ、もちろんだよ」
そんな顔されたら、まったくもって拒否する理由がない。
「……良かった」
いつものラブリースマイルでボクを見つめるハルちゃん。本当の女の子だって分かると、もうドキドキしすぎてヤバイよ。
「くっ、暗くなってきたから、そろそろ帰ろうか?」
ハルちゃんの笑顔にやられて、思わず魔が差しそうなくらい間がもたなくなったボクは、帰路に着くことを提案する。
「うん、そうだね」
それからボクたちはいつものように他愛のない会話を交わしながら、二人の向かう方向が分かれるところまで一緒に歩いた。
「ハルちゃんはそっちの方向だよね。ボクはこっちだから、じゃあまたあし……」
「あっ、ちょっと待って!」
ハルちゃんが別れを告げようとしたボクを呼び止める。
「うん? どうしたの?」
「サキちゃん、ちょっと目をつぶってくれる?」
「えっ、あっ、うん」
ボクは何だかよく分からないまま言われた通りに目を閉じる。
「あたしがいいって言うまでつぶっててね」
「あっ、うん」
「……今日はありがと、サキちゃん」
ちゅっ。
突然ボクの頬に柔らかな感触が走った。
「えっ!」
「……今日は普通の女の子のままでいさせてって言ったでしょ。これは普通の男の子のサキちゃんに対する、女の子としてのお礼だよ……」
どっ、どうやらハルちゃんがボクの頬にキスをしたらしい。こっ、これは……。
あまりの突飛な出来事にボクは固まってしまった。
「はい、目を開けていいよ」
何秒かの後、ハルちゃんの声がしたのでボクは目を開いた。
すると、ボクが固まっているうちにハルちゃんは帰る方向に歩いていたらしく、すでにボクから少し離れたところに立っていた。
「サキちゃん、じゃあまた明日ねっ!」
一度ウィンクして手を振ると、ハルちゃんは自分が帰るべき方向に颯爽と歩いて行った。
「ハルちゃん……」
ボクは全身から力が抜けてふにゃあとなり、しばらくその場に立ち尽くしていた。