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彼の親友から「まだ別れてなかったんだ」と言われました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/11/06

「え。志帆ちゃん、まだ別れてなかったんだ」


 梶くんはそう言って、手にしていた買い物袋を下ろした。


 日曜日の午後だった。

 私は駅ビルの雑貨店で、恋人と使うマグカップを選んでいた。

 圭一の部屋に置いてある私のものは、縁が欠けてしまった。今朝、それを写真で送ると、『好きなの買っといて』と返ってきた。


「別れるって、誰と?」


 聞き返すと、梶くんの顔から表情がなくなった。


「……圭一」

「昨日も、一緒にご飯食べたけど」


 私は棚へマグカップを戻した。

 白いほうと、紺のほう。どちらを彼にしようか、さっきまで迷っていた。


「どういうこと?」


 梶くんは、店の外を見た。


「ここ、出よう。ちゃんと話したほうがいい」


     *


 宮坂圭一と付き合って、二年と十か月になる。


 私は二十八歳。圭一は三十一歳だった。

 別々に暮らしているけれど、週末はどちらかの部屋で過ごすことが多かった。


 先月の私の誕生日には、彼がレストランを予約してくれた。

 ケーキの写真も、一緒に撮った写真も残っている。

 来月には、私の両親に会う約束をしていた。


 結婚の挨拶というほど、正式なものではない。

 でも、そろそろ紹介したいと話したのは私で、圭一は『じゃあ、お父さんの好きなお酒、調べといて』と言った。


 私だけが、交際しているつもりだったとは思えなかった。


 梶くんとは、何度か三人で飲んだことがある。

 圭一の高校時代からの親友で、お互いの実家にも泊まったことがあると聞いていた。


 駅ビルの喫茶店に入ると、彼はスマホをテーブルに置いた。


「先に言う。俺は、別れたって聞いてた」


 水の入ったグラスに、指を添えた。


「いつ?」

「二か月くらい前。三月の終わり」


 今は六月の初めだった。


「何て?」


 梶くんは、少し言いにくそうにした。


「結婚を急かされて、しんどくなったって。話し合って、別れたって」


 私はグラスから手を離した。


 三月の終わりに、結婚の話はした。

 付き合って三年になるし、どう考えているか聞いた。

 圭一は、今年中には考えたいと答えた。


 その翌週、私たちは桜を見に行った。


「別れてないよ」


 梶くんは、うなずいた。


「うん。さっき、昨日も会ったって聞いて、わかった」


 彼はコーヒーを頼んだ。

 私も同じものを頼んだけれど、味はほとんどわからなかった。


「それだけ?」


 聞くと、梶くんの手が止まった。


「ほかにもあるんだね」


 彼は、スマホを自分のほうへ引き寄せた。


「俺、圭一に女の人、紹介した」


     *


 名前は、早紀さんという人だった。


 梶くんの趣味仲間で、年齢は私と同じ。

 圭一が新しい出会いを欲しがっていると聞いて、四月半ばに四人で食事をした。

 それから、二人で何度か会っているらしかった。


「俺、別れてすぐだけど大丈夫なのかって聞いたんだよ。そしたら、もう前から終わってたようなものだからって」


 梶くんは、スマホの画面を見せた。

 私が見てもいいか、先に確認してからだった。


『白川さんとは、ちゃんと終わったのか』


 梶くんのメッセージの下に、圭一の返事があった。


『終わった。向こうも納得してる』

『もう連絡取ってないから』


 日付は、四月十二日。


 その日は、私が熱を出していた。

 圭一は飲み物を買って、部屋へ来てくれた。

 スマホには、彼からの『何か食べられそう?』が残っている。


 私はその文を探し、梶くんへ見せた。


「この日も、来てくれたよ」


 声に出すと、ひどく間抜けなことを言っている気がした。

 別れたかどうかを、第三者に証明している。

 私は恋人のつもりで、毎日を過ごしていただけなのに。


「ごめん」


 梶くんが言った。


「知らなかったとはいえ、俺が紹介したから」

「梶くんは、確認してるでしょう」


 画面を指した。


「嘘をついたのは、圭一だよ」


 彼は、うつむいた。


 早紀さんにも知らせてほしいと、私は頼んだ。

 私からいきなり連絡しても、誰なのかわからない。


「付き合ってる証拠が必要なら、見せられる。私の名前も、伝えていい」

「わかった。まず、俺から話す」


 私たちは連絡先を交換した。

 圭一を通さずに話すのは、初めてだった。


 店を出たあと、さっきの雑貨店には戻らなかった。


     *


 圭一に電話をすると、すぐに出た。


「カップ、買った?」


 いつもの声だった。

 それが、一番嫌だった。


「梶くんに会った」


 少し間が空いた。


「どこで?」

「駅ビル。私たち、三月に別れたんだって?」


 向こうで、何かを置く音がした。


「それ、ちょっと違う」

「どう違うの」

「電話だとわかりにくいから。今日、来られる?」


 いつもなら、夕飯はどうするか聞いてから、彼の部屋へ向かった。

 その日は、食事はいらないと伝えた。


     *


 玄関で靴を脱ぐと、圭一は手を伸ばしてきた。

 私は鞄を持ち直した。

 彼の手が、途中で止まった。


「座って」

「先に聞きたい。早紀さんとは、付き合ってるの?」


 彼は口を結んだ。


「まだ、そういう話はしてない」

「じゃあ、何回会ったの」

「四回か、五回」


 部屋には、私が先週買ってきたお菓子の袋があった。

 洗面所には、私の歯ブラシもある。

 別れた女性のものを片づけ忘れた部屋ではなかった。


「どうして、別れたって言ったの」


 圭一は、ソファへ座った。


「梶、前から、いい子がいるって言ってたんだよ」

「私と付き合ってるのに?」

「別れたって言ったあとだよ。そういう意味じゃなくて」


 彼は、額をこすった。


「最初は、勢いで。お前が結婚の話ばっかりするから、ちょっと愚痴って」

「三月に聞いた、一回だけだよね」


 圭一が黙った。


「今年中にはって答えたの、圭一だよね。そのあとに、親にも会おうって」

「だから、結婚が嫌なわけじゃないって」


 私が立ったままなのを見て、彼は自分も立った。


「ただ、ほかを知らないまま決めて、あとで後悔するのも嫌だったんだよ」


 私は、彼の顔を見た。


「早紀さんが嫌だったら、私と結婚するつもりだった?」

「そんな言い方してないだろ」

「違うなら、違うって言って」


 圭一は答えなかった。


 冷蔵庫の音が聞こえた。

 自分でも驚くほど、細かいものが目に入った。

 テーブルに置かれたリモコン。昨日、私が畳んだタオル。

 ここで何度も待っていた。


「私とは別れたことにして、別の人と会ってたんだね」

「でも、志帆のことは大事だよ」


 私は首を振った。


「大事な人がいるって、紹介を断ればよかったでしょう」


 彼は視線を落とした。


「今日、別れる」


 顔が上がった。


「待って。そこまでの話じゃない」

「圭一が、もう別れたって言ってるんでしょう」

「それは、梶に言っただけで」


 私は、持っていた合鍵をテーブルへ置いた。


「私にも言えるようになってから、次の人に会えばよかったね」


     *


 その日は、持ち帰れるものだけを鞄に入れた。

 圭一は、横に立っていた。


「ちゃんと話そう」

「聞いたよ」

「俺、別れるつもりで会ってたんじゃない」


 洗面所で歯ブラシを取る手が止まった。


 それは、安心させる言葉のつもりだったのだろう。

 私は、鏡越しに彼を見た。


「じゃあ、早紀さんは何のために会ってたの?」


 圭一は、また黙った。


 私のことは手放したくない。

 でも、紹介された女性にも会いたい。

 自分の口から聞くとひどくなる話を、彼は言わずに済ませようとしていた。


「服と本は、来週取りに来る。時間は連絡するから」


 玄関で靴を履いた。


「来月、ご両親に会うのは」


 振り返ると、圭一は真剣な顔をしていた。


「約束してたから。そこは、ちゃんと行く」


 何を、ちゃんとするのだろう。


「来なくていい。私から断る」

「一回会ってもらってからでも」

「うちの親に会うのは、別れないための手続きじゃないよ」


 私は扉を開けた。

 彼は、外までは追ってこなかった。


     *


 その夜、梶くんから連絡があった。


『早紀に話した。志帆ちゃんと、直接話せるかって』


 私は了承して、翌晩、電話で話した。


 早紀さんは、最初に、交際が続いていると知らなかったと言った。


「昨日の夜、宮坂さんに聞いたんです。白川さんと別れてないんですかって」


 私は、膝の上に手を置いた。


「何て言ってました?」

「別れ話が長引いてるだけだって。白川さんが、納得してくれなくてって」


 喉の奥が、つまった。


 私が合鍵を置いたあとでも、彼は私に別れる気がないことにしていた。


「昨日、私から別れると伝えました。彼に、私と別れたいと言われたことは、一度もありません」


 早紀さんは黙って聞いていた。


「来月には、両親にも会う予定でした。昨日の昼まで、私たちは普通に付き合っていました」


 聞かれたことに答え、必要な日付がわかる部分だけ、LINEの画像を送った。

 彼が親に会う日を確認したもの。

 私の誕生日の翌日に送ってきた、『来年もあそこにする?』。


 早紀さんからも、二人で会った日を聞いた。

 四月の土曜。私には、梶くんたちと飲むと言っていた日があった。


「私、次に会う日に返事するつもりだったんです」


 彼女の声が、少し低くなった。


「付き合ってほしいって言われてたので」


 まだ、そういう話はしてない。

 圭一は、確かにそう言った。


「私から聞いた話、彼に伝えて構いません」


 私は言った。


「早紀さんがどうするかは、早紀さんが決めてください。私は、もう戻りません」


 電話を切ったあと、しばらく動けなかった。

 彼が返事を待っている間に、私は父に渡すお酒を調べていた。


 検索した店のページを、スマホから閉じた。


     *


 水曜日、圭一から電話が来た。

 出なかった。

 すると、メッセージが届いた。


『早紀さんに、何を言った?』


 私は、その一文を眺めた。


 心配していたのは、私ではなかった。


『聞かれたことに答えた。私たちが付き合っていた日付も伝えた』


 少しして、返事が来た。


『そこまでしなくてもよくない?』


 私は、打ち始めた文を一度消した。

 長く説明したくなったけれど、もう何度も話していた。


『私が別れたくなくて困らせていると、嘘をつかれたからです』


 そのあとに、服を取りに行く時間だけ送った。


     *


 土曜は、友人の佳澄についてきてもらった。

 彼女には、梶くんと会った日から話を聞いてもらっていた。


 服と本は、紙袋に入っていた。

 私が確認している間、圭一は玄関のそばに立っていた。


「梶から、連絡来てる?」


 私は顔を上げた。


「早紀さんに連絡をつないでもらった。あとは、特に」


 圭一は、口元を押さえた。


「俺、あいつに相談できなくなった」


 佳澄が、何も言わずに紙袋を開いた。

 忘れ物がないか、私の代わりに中を確認してくれていた。


「早紀さんに紹介した責任があるとか言われて。紹介してくれって頼んだのは俺だけど、何も、あそこまで」


 私は本の冊数を数えた。

 四冊。全部あった。


「何を言われたの」


 圭一は、下を向いた。


「俺を使って女の人を騙すなって」


 佳澄の手が止まった。

 私は、鞄に本を入れた。


「そうだね」


 圭一が、こちらを見た。


「お前まで、そういう」

「そういう話だよ。梶くんが、別れてるか確認したの、見せてもらった」


 彼は口を閉じた。


 早紀さんからは、断りの連絡が来たと話した。

 今後は二人で会わない、連絡もしないでほしいと。

 梶くんには、自分が誘う集まりに圭一を呼ぶのはやめると言われたらしい。


「お前とちゃんと別れてから、紹介してもらえばよかったって言ったんだよ。そしたら、それが今言うことかって、電話切られて」


 私は、ようやく彼を見た。


「私にも、それを言うんだね」


 圭一の顔が変わった。


「違う。そういう意味じゃない。もう早紀さんとは会わないよ」

「断られたんでしょう」


 彼は、唇を引き結んだ。


 佳澄が、私へ紙袋を渡してくれた。


「揃ってる。行けるよ」


 私はうなずいた。

 圭一が一歩、こちらへ来た。


「志帆までいなくなったら、俺、誰に話せばいいんだよ」


 足が止まった。


 二年と十か月。

 仕事の愚痴も、好きな映画の話も、聞いてきた。

 その相手が私でなくてもよかったのかと、考えたくない夜は、これからもあると思う。


「私の話も、してたんだよね」


 彼は、目を伏せた。


「結婚を急かして、別れたがらない女の話」

「それは、謝る。ちゃんと訂正もする」

「訂正はして。私に戻ってきてほしいのとは、別に」


 圭一が顔を上げた。


「戻らないから」


 私は、紙袋を持ち直した。


「もう、私の知らないところで、私の返事を作らないで」


 その日は、最後まで自分で歩いて部屋を出た。


     *


 帰り道、佳澄が駅前のベンチを指した。


「座ろう。袋、指に食い込んでる」


 言われて初めて、手が痛いことに気づいた。


 紙袋を足元へ置くと、佳澄は自動販売機でお茶を二本買ってきた。

 一口飲んで、私は泣いた。


「マグカップ、買わなくてよかった」


 佳澄は、私の隣に座った。


「うん」

「二個、選んでたんだよ」


 白と、紺。

 彼に似合うのはどちらかと、迷っていた。


「知ってたら、一個にしたのに」


 佳澄は、私の背中に手を置いた。


「今度、自分のだけ選ぼう」


 うなずくと、また涙が出た。


     *


 翌週、梶くんから連絡が来た。


 圭一から訂正があったこと。

 別れたと聞かされていた共通の友人にも、実際には交際が続いていたと話させたこと。

 そして、事情を知らずに早紀さんを紹介したことへの、改めての謝罪だった。


『俺にまで気を使わなくていい。返事もいらない。ただ、志帆ちゃんが別れたがらなくて揉めたなんて話は、ここではさせないから』


 私は、お礼だけ返した。


 圭一からの最後の連絡は、その二日後だった。


『梶とも、前みたいに戻れない。俺、全部なくしてから気づいた』


 画面を見て、閉じた。

 私にわかってほしいことばかり、まだ送ってくる。


 荷物は戻った。

 訂正されたことも、確認できた。

 もう連絡を取る用事はなかった。


 私は圭一をブロックした。


     *


 七月、佳澄に誘われて、社会人のバドミントンサークルへ行った。


 中学では三年間、部活に入っていた。

 久しぶりにラケットを握ると、グリップが昔より細く感じた。


「最初は、無理しないでね」


 受付をしていた緒方さんが言った。

 佳澄と同じ会社の人で、このサークルを教えてくれた人でもあった。


 うなずいた十分後、私は空振りをした。

 シャトルが、左肩に落ちた。


「今のは、ラケットが悪い気がします」


 思わず言うと、緒方さんが吹き出した。


「僕の貸しましょうか」

「それでも当たらなかったら、言い訳なくなるので」


 久しぶりに、息が切れるほど笑った。


 次の日は、階段を下りるのがつらかった。

 佳澄から『脚、生きてる?』と連絡が来た。

 私は『上りはまだいける』と返した。


 次の練習にも行った。


     *


 緒方さんの名前は、慎吾といった。

 私より一つ年上で、よく笑う人だった。

 試合になると少し声が大きくなり、負けると、次は勝ちたいと普通に悔しがった。


 秋の練習で、二人で組んだことがある。


「今の、私です」


 同じシャトルへ二人で走って、ラケットがぶつかりそうになった。

 私が謝ると、慎吾さんは首を振った。


「いや、僕。取れる気がして、そっちまで行った」

「実際、取れました?」

「取れてないですね」


 コートの床に落ちたシャトルを拾って、二人で笑った。


 その試合は負けた。

 次に組んだときは、声をかけることだけ決めた。

 私が取る。お願いします。

 それだけで、少しやりやすくなった。


 練習の帰り、駅まで話すことが増えた。

 慎吾さんは、休みの日にカレーを作ると言った。

 凝ったものかと思ったら、箱の裏どおりが一番うまいと、真剣に言った。


「じゃあ、得意料理って言っていいんですか」

「まだ言ってないですよ。今、志帆さんが言った」


 電車の時間を調べるのを、少し遅らせたくなった。


     *


 十一月の終わり、慎吾さんに食事へ誘われた。


 サークルの帰りに、みんなで食べることはあった。

 その日もそうだと思って、佳澄も来るか聞いた。


「今度は、二人で行きたいです」


 慎吾さんは、ラケットの袋を肩に掛け直した。


「練習のついでじゃなくて、今度の休みに」


 私は、彼を見た。


「それって」

「デートに、誘ってます」


 言い終わってから、慎吾さんが私の顔を見た。

 いつもより、口数が少なかった。


 返事を待ってくれている。

 私は、うなずいた。


「行きたいです」


 彼が、笑った。


「よかった。今、断られたら、駅まで別の道で帰ろうかと思ってた」

「同じ電車なのに?」

「次のにします」


 私も笑った。

 その日は、いつもの電車に二人で乗った。


     *


 付き合い始めたのは、年が明けてからだった。


 食事をして、映画を見て、帰りに、なぜかホームセンターへ寄った。

 慎吾さんが買いたかった収納箱は売り切れていて、私は台所で使う小さなざるを買った。


 こんな休日を、また過ごしたいと思った。


 駅へ向かう途中、慎吾さんが立ち止まった。


「僕は、志帆さんと付き合いたいです」


 ビニール袋を持ったまま、私は彼を見た。


「はい。私も」


 そこまで言って、少し息を吸った。


「でも、ちょっと、慎重になってしまうことがあるかもしれません」


 慎吾さんには、前の恋人とひどい別れ方をしたことだけ話していた。

 詳しい説明をしようとすると、彼は、寒いねと言って自分のマフラーに触れた。


「ごめん。ここで長く話すと、二人とも冷える。もう一軒、寄りませんか」


 私は、うなずいた。


 駅前の店で温かいお茶を飲みながら、少しずつ話した。

 慎吾さんは聞いていた。

 途中で、怒った顔になった。


「……そんなこと、あるんだ」


 私の代わりにうまい答えを出そうとはしなかった。

 それが、話しやすかった。


 店を出ると、彼が手を差し出した。


「付き合うって返事は、もらえたと思ってていい?」


 私は、その手を取った。


「うん。そこは、ちゃんと」


 指が触れた瞬間、彼の手が少し強く握り返してきた。


     *


 二月、練習のあとに、サークルの人たちと食事をした。


 私と慎吾さんは、少し遅れて店へ入った。

 奥の席から佳澄が手を振った。


「こっち、二人分空いてるよ」


 コートを脱ごうとすると、隣のテーブルの人にラケットの袋が当たりそうになった。

 慎吾さんが、先に受け取ってくれた。


「ありがとう」


 座ると、向かいの人が、私たちを交互に見た。


「あれ、緒方くんたちって、もしかして?」


 慎吾さんは私を見た。

 私は、うなずいた。


「うん。付き合ってます」


 彼が答えると、佳澄が笑った。


「やっと言った」

「佳澄、知ってたの?」

「志帆から聞いた。ずっと黙ってたよ」


 みんなが笑った。

 私は少し顔が熱くなって、水を飲んだ。


 テーブルの下で、慎吾さんの膝が私の膝に触れた。

 彼が、小さな声で聞いた。


「嫌だった?」


 私は首を振った。


「嬉しかった」


 彼の口元が緩んだ。

 向かいの人がメニューを差し出してきて、私たちは慌てて開いた。


     *


 翌月、あの雑貨店で、マグカップを一つ買った。


 黄色い、少し丸い形のものだった。

 自分の部屋で使うために、自分で選んだ。


 家に帰り、棚へ置いた写真を慎吾さんに送った。


『買いました』


 少しして、返事が来た。


『あ、迷ってたやつだ。やっぱりかわいいね』


 一緒に店へ寄ったとき、買おうか迷っていたのを覚えていた。


『今度、それでコーヒー飲んで』


 送ってから、私は棚を見た。

 来客用には、別のカップがある。

 でも、これは彼にも使ってほしかった。


『いいの?』

『うん。飲みに来て』


 返事を待つ間、お湯を沸かした。

 まずは、自分で使おうと思った。


~完~


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