7話 黒鬼の主候補
本作は、過去に同人誌として発表した作品を、Web向けに一部改稿のうえ再掲載したものです。
※本作は現代日本を舞台にしたローファンタジー/異能バトル作品です。
※章ごとに話数を分けて投稿しています。
隈を隠す化粧もほどほどに、蓮華は浅草寺に向かった。
国内の観光者のみならず、外国からの旅行者も多く訪れるこの場所は、ひそかに会うのに都合がよかった。賑やかすぎるのと、なかなか人混みから抜けられない点には目をつむる。
「お久しぶりです、蓮華さん」
境内に入ったところで、男性が声をかける。蓮華には聴きなれた人物の声であったが、その格好に度肝を抜く。飲み物を口に含んでいたら、確実にむせていただろう。
蛍光ピンクのキャップ、大きなサングラスに奇抜なプリントシャツを着くずし、下はライトブルーの短パン。今から南国にでも行かんばかりの装い、肩には目の覚めるほどの赤いリュックを引っかけている。
「久しぶり……似合ってないわね、それ」
「まあこれくらいしませんと、蓮華さんと接触したのがバレてしまいそうですから」
彼をよく知る者がいたら、彼女と同じく驚いただろう。普段の彼はシャツにネクタイ、白衣にスラックスだからだ。
昨日襲いかかってきた魔と、同じ姿の男性。彼の名は、海堂豊。退魔部退魔一課に所属する、蓮華の同僚だ。もちろん、こちらが本物である。
誰そ彼は海堂の姿をそっくりまねてはいたが、その表情まではコピーできていなかった。彼はいつ見ても、笑顔を絶やすことがない。
一年ほど前は蓮華と組んでいたのだが、今はほとんど医師として管理局の病院に勤めている。治癒の力に長けているため、彼に救われた同僚は数知れない。
「それで、昨日依頼された件ですが」
「頼んでおいてなんだけれど、よく昨日のうちに情報集められたわね」
「局の病院にいると、訓練生の健康状態等のデータを管理しますし。個人のデータへアクセスするのは、そう難しいことでもありません」
涼しい顔で海堂は言うものの、プライバシーもへったくれもない話だ。その気になれば、特定の誰かの情報をすべて盗み見できる。彼が悪意を持つ人間でなくてよかった。
海堂はリュックからガイドブックの地図を取りだし、蓮華を手まねきした。
「もう少し右に寄ってもらえますか、これを広げますので」
そう言われて、彼女は自分が彼の左側に立っていたことに気付く。仕方なく距離を詰め、地図の片方を受け持った。
「黒鬼の主候補は、楠木刀、二十二歳。大阪出身、住所は不定。十八歳の時に剣術家の実家からはなれたらしく、そのあいだになにをしていたかはつかめていません」
(同じ年か……)
地図の折り目に沿って貼られた資料には、一人の女性の写真が二枚あった。
黒鉄の髪を肩あたりまで伸ばした、化粧っ気のない顔。表情にはやや不安が見え隠れしている。管理局に見つかってすぐに撮られたものだろうか。
対してもう一枚は訓練中か、木刀をかまえた表情には実戦さながらの気迫が浮かんでいる。なんらかの武道を身に着けた人物かもしれない。
「局に保護されたのはおよそ一年前、蓮華さんが休職されて一ヶ月後の出来事です。管理部監視課が、墨田区錦糸町にデータ異常値を観測、退魔一課が駆けつけたところ、一般人を斬殺し、呆然と立っていた彼女を発見したようです。駅からはなれた人通りの少ない場所で、目撃者はなし」
こういった奇怪な事件が発生した場合、局は警察庁と所轄の都道府県警――このケースでは警視庁――に手をまわす。
情報の統制はもちろん、目撃者には夢か幻を見たのだと相手にしないか、術――それぞれの鬼の持つ特殊な技――で強制的に記憶を消している。
「彼女の抵抗はあったの?」
「いえ。その時には黒鬼の気配は消え、彼女はすぐに気を失ったそうです。が、目覚めた彼女には記憶がなかった。本人が覚えていたのは名前だけです」
「術で思い出させる方法はとらなかったの?」
目撃者の記憶を消す術は、逆にも使えた。つまり本人が忘れた記憶を、呼び起こすことができる。しかし、海堂はそれを否定した。
「人は大きなショックから心身を守るため、いまわしい記憶を忘れることがあります。もしそうだとしたら、術を使用するのは大変危険です。それが黒鬼の覚醒の引き金になりかねない」
次に黒鬼が目覚めた時、自分たちが彼を倒さなければならない。そう考えると、局の対応はまったく当然といえた。
この東京が火の海に呑みこまれると思うと、空恐ろしい。さわらぬ神になんとやら、だ。
「ただ、記憶はなくとも、彼女の実家に伝わる剣術は身体が覚えているようです。実際、局の訓練生は誰も勝てていないとかなんとか。名前が名前ですから、ひょっとしたら免許皆伝の腕前なのかもしれませんね」
写真を見た時の予想は、だいたいあたっていたらしい。そもそも発見されてわずか一年で、現場にまわすと決まったくらいだ。人手が足りないとはいえ、あまりにも早い。過去にそれなりの基礎ができているのは間違いなかった。
「こちらの情報は原本のコピーですので、おわたしします。あまり見つかりませんでしたが、戦闘能力の評価もつけています」
海堂は地図をたたみ、蓮華に手渡した。
「ありがと、助かるわ。黒鬼の監視と管理を頼んでおいて、もらった情報がはっきりしないモノクロ写真だけだったから。これでそれなりの判断材料にできそう」
蓮華の休職期間はまだ続いている。そのため管理官たちも、一時的とはいえ局をはなれた人間に、情報のすべてを見せるわけにはいかない。
だが、それでは判断するデータがあまりにも少なすぎる。海堂に連絡を取ったのは、一つの保険だった。
「それはよかった。ところで蓮華さん、これからどうなさるつもりですか」
「……正直なところ、断りたいけど。状況的に難しい。受けるしかないでしょう。不安要素といえば、右腕がね」
蓮華は両肩を竦めた。頼りなく、右腕の袖が揺れる。
このまま医師免許を取得までこぎつけ、管理局とは距離をおく。局に呼び出される寸前まで、蓮華はそうするつもりだった。
それが叶わなくとも、海堂と同じ、現場からややはなれた位置には立てたかもしれない。
だが白沢が評したとおり、彼女は戦闘能力で抜きんでていた。他の鬼の主とくらべても、引けを取らない。鬼の力を使う感性だけでなく、純粋な身体能力においても。
片腕を失くしたとはいえ、以前と変わらず戦えると判断されれば、無理にでも現場に戻されるだろう。
しかし昨日のように突然痛みが襲い、魔に無防備な姿をさらすことがあるかもしれない。そうなれば戦うどころではない。
「まだ、痛みますか」
「ときどきね。こうすると治るんだけど」
蓮華は失った右腕に意識を集中した。普段ならば、無意識でも操る鬼の力。それを右腕に集めることだけに専念する。
ただ揺れていただけの袖が、意志を持ったように蠢いた。蒼白い光を帯びた手が、袖口からのぞく。
蓮華はそのまま右手を持ちあげ、掌を握ったり開いたりしてみせた。
「空間を、腕の形に……」
「ええ。蒼鬼の力を使えば、こうして仮の腕はできる。でもこれ、疲れるのよね。戦闘には向かない」
空間を自由に操る能力、それが蒼鬼だけが持つ特別な力だ。蓮華は空間を腕の形に作っただけでなく、擬似的な神経までつなげて動かしている。
だが、これには多くの集中力と細かな作業が必要で、負担が大きい。今朝は戦闘に使用できないか試してはみたが、幻肢痛を鎮める以上の実用性はなかった。
「義手だと細かい動きが難しいから、前みたいにはいかないでしょう」
「そうですね……」
海堂は口元に手をあて、なにかを考えていた。
「……あまりおすすめはできないのですが、一人だけ、心あたりがあります」
「心あたりって、なんの」
「誰にもまねできない、精巧な義手を作れる人物です」
会ってみたい、と蓮華は即座に答えた。ここまで来たら、使えるものはなんでも試すつもりだった。




