5話 暗殺者
本作は、過去に同人誌として発表した作品を、Web向けに一部改稿のうえ再掲載したものです。
※本作は現代日本を舞台にしたローファンタジー/異能バトル作品です。
※章ごとに話数を分けて投稿しています。
蓮華は一瞬目を見張り、気を引き締めた。たった今電話したばかりの相手が、目の前に立っているのはどう考えてもおかしい。待ちあわせ中に、おたがいを探していたのならともかく。
彼は紅く目を光らせ、無表情で蓮華をじっと見つめている。
『こいつは〝誰そ彼〟か。魔の情報も早いな。いや、これまで何も起きなかったのがおかしいのか』
魔の中には、人の姿を模倣するものがいる。誰そ彼は、その代表的な魔であり、優秀な暗殺者だ。
「彼らもバカじゃないわ。敵意のない相手を敵とは見なさない、手は出さないんでしょう。敵になるかもしれない、だったら別だろうけど」
彼女は左手をぎゅっと握った。息をするように、力を解放する。
蒼鬼は脳、鬼の力は身体に循環する血液や筋肉と同等だ。強く意識しなくとも、無意識に操れる。その体力と気力がもつかぎり。
手の中に蒼白い光を帯びた弓が現れた瞬間、男――誰そ彼が反応した。右手を漆黒の剣に変化させ、蓮華目がけて走る。
蓮華はそこから動かない。隻腕で戦うのは不利と見たか、それともなにかの作戦か。
男はそれを見定めにかかった。右手の剣を左に大きく振った。
がぁん、と鐘を突くような音。弓は折れることなく、剣を受けとめている。
男はすぐに後ろに引いた。ち、と蓮華が舌打ちする。
「そううまくはいかないか。鬼の主にケンカ売るようなやつだものね」
彼女の手元の弓は、独特の反りを失い、鞭のようにしなっていた。
あのまま男が剣を押しこんだら、弓を絡みつかせて地面に叩きつけるつもりだったのだ。
『そもそも、弓は剣や鞭ではないのだが――』
「うるさいわね、こっちはあなたにあわせてやってるのよ」
鞭は一振りすると、すぐ弓の形に戻った。
弓は蒼鬼が得意とする武器であり、代々の主も名射手だったらしい。斎宮の人間は鍛錬を欠かさなかったようだが、蓮華はあいにくと二年前までさわったことすらなかった。
片腕を失った今では、まず弓を弓として扱えない。
それでもまだ、この時点で不利なわけでもない。
やれるものならやってみろ、と弓を前にかかげた。男が再び動く。
弓が獲物に飛びかかる蛇のごとく、男に伸びる。
暗殺者は身体をくねらせて避けた。その動きはクモのそれと同じ。
難なく躱した先には、がら空きになった蓮華の懐。男は迷わず飛びこんだ。右手の剣は槍に形を変え、彼女の左胸を――。
(かかった!!)
彼女の眼前には、弓と同じ色の壁が浮いている。穂先は左胸を貫くことなく、その壁にあたって砕けた。
同時に、蓮華は彼の胴に鞭を巻きつけ、引き戻す。さすがに今度は、誰そ彼も避けきれなかった。
アスファルトに強く叩きつけられ、魔が苦悶の声を上げる。鬼の血を引く人間は、見た目が華奢でも、すさまじい力を振るう。それがたとえ、隻腕であろうと。
動きを封じられた誰そ彼に、もはや抵抗するすべはない。
「とどめ――っ!!」
突如、蓮華の左手から、ぽとりと鞭が落ちた。両膝を突き、顔には苦痛に耐える表情が浮かぶ。
『主、どうした!?』
力がゆるんだのを、男は見逃さなかった。鞭を引きはがし、その場から溶けるように姿を消した。
「……にが、したか」
長い息を吐き、ないはずの右腕を左手でさする。
『大丈夫か、主』
「……ええ、だいじょうぶ」
そう答えたものの、彼女の顔はまだ青かった。左手は右腕をつかんだままだ。痛みに歯を食いしばる主に、蒼鬼はなにもできない。蓮華本人にもどうしようもないことだからだ。
『幻肢痛か。こういう時に起こると厄介だな』
「だから、現場に復帰しろって言われても、こまるのよ、ね。あー、痛」
失った腕をまだあるものと錯覚し、脳が痛みの信号を送る。蓮華の場合、右腕全体が深く裂けたように痛む。毎日ではないが、ときおり起こる。
痛みは錯覚であるため、鎮痛剤が効かない。そのことが精神的な苦痛も呼び起こす。
そしてこの痛みは、他人に説明しても理解されにくい。
『立てそうか? 無理なら家に連絡したほうがよいのではないか』
「いえ、だいじょうぶ。もう、少し、やすんだら」
再び長い息を吐いた蓮華は、やがてゆっくりと立ち上がった。右腕は完全に痛みが引いたわけではないが、同じ場所に留まっていれば、また襲われる可能性もある。
『明日、流鬼の主に会うのだろう? その時に相談するといい』
「別にそこまですることでも――ま、ついでに聞くわ」
両肩を竦め、彼女は西日の差す帰路を急いだ。




