9話 嵐の前触れ
本作は、過去に同人誌として発表した作品を、Web向けに一部改稿のうえ再掲載したものです。
※本作は現代日本を舞台にしたローファンタジー/異能バトル作品です。
※章ごとに話数を分けて投稿しています。
「あー、肩がこった。慣れない世辞を言うのも疲れるわね」
暗い地下から脱し、蓮華は大きく背を伸ばす。後方の刀を見やれば、彼女は浮かない顔だった。
「なに、そんな顔して」
「武器の強度が上がるのは嬉しいんだけど、ほんとにいいの? ひょっとしたら長さんや蓮華の立場が悪くなるかもしれないのに」
「そうね。以前ならその可能性はあったかもしれないけど、大丈夫よ」
「……」
長も、退魔一課における管理官たちの力関係に、変化が起きていることを察しているのだろう。彼は依頼主の何者かよりも、自分と先祖が培ってきた功績を選んだ。何者かがペナルティを課そうと試みても、それに実効力はともなわないと判断したのだ。
だが未だ表情を変えない刀に、またも心の中にわだかまりが起こる。自分の命を守るものが強化されたのだから、もっと喜んでもいいのだが。
「逆に訊くわ。さっきはどうして私をかばったの? 最初に話したとおり、私は空間を移動することができる。鎧虎の攻撃も避けられたわ。なのになぜ?」
「アドルフさんたちと蓮華、本当の家族みたいだよね。あたしみたいな得体の知れない人間を優しく迎えてくれた。たった三日しか経ってないのに、もう恩を返したくても返しきれないくらい、いっぱい世話になってる」
刀は、今にも消え入りそうな声だった。
「もし蓮華が傷付きでもしたら、この人たちはきっと悲しむんだろうなって。その時なんて言われるんだろうって。そう考えたら怖くて、だから」
彼女は両手を強く握りしめた。顔を伏せた拍子に、ぽたりと滴が落ちる。
「ごめん……迷惑かけて」
「迷惑、だなんて。貴女はここのことなにも知らないんだから、カバーする点があるのは当然でしょう。横槍を入れてきた誰かさんに対しては、そう思っているけど」
「……」
(ああ、このコは)
ようやく心の靄の正体が一つ、分かった。
刀は、人に嫌われるのではないかと不安になっている。自分の優先順位が極端に低い。彼女の訓練所での生活、教官たちや他の訓練生たちの反応を鑑みれば、おのずと答えは導かれた。
迷惑をかけないよう徹すれば、恐れられても、憎まれはしない。
そうやって自己の中で〝人は基本、こういうもの〟と思いこみ、自分の考えや気持ちを封印してきた。
蓮華には、刀のその決めつけが引っかかったのだ。
「はあ。あのね、カタナ。この案件は、私は最初から納得がいかなかった。貴女の反応も含めてね。貴女は文句を言ったらいけないと考えたのかもしれないけど、それは違うわ」
「ちがう……?」
「迷惑っていうのは、きっとこうだと思いこんで、トラブルが起きるまでだまっていること。早く相談すれば、対処次第では被害が少なくてすむでしょう? 難しいかもしれないけれど、自分の思ったことはちゃんと言って。人間、貴女を怖がる人ばかりじゃないわ。少なくとも、私や先生たちはね。だから、最初から貴女を恐ろしいと決めつける奴らに、文句の一つでもお見舞いしてやりたかったの」
刀にはまだ、不明な点が多い。行動を共にして三日、彼女には驚かされるばかりだ。だがその見かけに惑わされ、彼女の内面には目を向けられていなかった。
彼女は他人を優先するあまり、自分を律し続けてきた。戦闘マシンでも殺人狂でもない、少し気弱な、一人の優しい人間だ。
「と、偉そうに語ったんだから、まずは私からちゃんと言うべきね。さっきはかばってくれてありがと」
刀は弾かれたように顔を上げた。目の端に光るものが見える。
「れんか……っ、ありがとう」
刀は腕で涙を拭い、笑顔を見せた。目は潤んでいたが、その表情からは不安が消え失せていた。
◆
激しい雷雨だった。足下が水で浸かるほどの大雨の夜、好き好んで出歩く人間はいない。
「おまえ……何者、だ」
傘が手からこぼれ、ばしゃりと水音を立てて男が倒れた。
膝を突いた男に、漆黒の片刃の剣が吸いこまれる。
断末魔の悲鳴はほとんど雨音と雷鳴に掻き消され、誰の耳にも入らなかっただろう。いや、犯行者にも聞こえたかどうか。
雨に打たれるそれの顔には、目も鼻も口もない。ただのっぺりした、顔のようなものがあるだけだ。
「――」
その顔に、にゅるりと長い舌が現れた。剣に付着した血の味を確かめ、違う、と首をかしげる。
そしてぐにゃりと身体が溶けたかと思うと、球体に変化し、大きく跳ねて姿を消した。
あとには、打ち捨てられた男の死体だけ。激しい雷雨に打たれ、おびただしい血が、排水溝へと吸いこまれていった。
この話で五章は終わりです。また、ここまでが前半戦でした。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
後半戦は怒濤の展開となりますので、良かったら今後もお付き合いいただければ幸いです。




