3話 鬼について
本作は、過去に同人誌として発表した作品を、Web向けに一部改稿のうえ再掲載したものです。
※本作は現代日本を舞台にしたローファンタジー/異能バトル作品です。
※章ごとに話数を分けて投稿しています。
これまで表情を変えなかった蓮華が、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
もったいないな、と刀は思った。ようやく彼女に表情らしい表情が表れたと思いきや、綺麗な顔立ちにあわないものだったからだ。彼女が笑顔を見せれば、それだけでその場の空気が華やかになるだろうに。
そんな刀の心境を知る余地もなく、蓮華は淡々と刀の問いに答える。
「鬼は肉体が滅んでも、魂をある形で生きながらえることができるの」
「どうやって、ですか?」
「例えば、Aという鬼が死んだ。Aには人とのあいだに生まれた子どもが、たくさんいるとするわね。その子孫の中で、最も素質に優れた人間Bが現れた時、Aは自分の魂をBに宿らせる。BはAの力を、最大限に振るうことができる。Bは鬼の主――つまりAの主と呼ばれるようになるわ。他の子たちは、Bより強い力は操れない」
そこまで言って、蓮華はさらに不機嫌そうに額にしわを寄せた。ますます綺麗な顔が台なしだ。彼女には喜怒哀楽の喜、哀、楽はないのだろうか。
「とはいえ、鬼と人は必ずしも主従関係ではないわ。あり方はそれぞれ違う」
「……なんか、それ、選ばれた人によっては、ありがた迷惑ですね」
「ええ。器扱いされたくないし、自分の家に勝手に住まわれているようなものだし、気持ちはよくないわね」
まるで自分のことのように話す蓮華に、刀はひょっとして、と口を開いた。
「あの、気を悪くしたらごめんなさい。蓮峰さんって、もしかして」
「――ああ、ご想像のとおり。私はレンカに居候させてもらっている身だ」
「!? あ……」
蓮華の声に少年の声が被って聴こえる。
その瞳の色は蒼く、彼女のものとは明らかに違っていた。
「ぐ――」
刀は左胸をおさえた。鷲づかみされるような痛みが、心臓を刺し貫く。すべてが二重にも三重にも映り、正しい色がどれかさえ分からない。
(なに、これ……!)
「自己紹介だ。私は蒼鬼と言う。レンカ共々よろしく頼むぞ、黒鬼の主殿」
「……っ、よろしく、おねがい、します」
痛みに耐えながら、頭を下げた。これ以上、この鬼の目を見てはいけない。自分が自分でなくなってしまう、そんな恐怖が湧き上がる。
「ふむ、刺激が強すぎたか? ならばさっさと退散しよう。それではな」
蒼鬼の気配が去ったのを感じたのか、胸の痛みは引いていった。深呼吸を三度繰り返したところで顔を上げれば、蓮華の不機嫌な顔があった。
「今、蒼鬼の奴がなにかした?」
「あ、いえ……大丈夫、です。ちょっとびっくりして、心臓飛びでるかと思いましたけど」
「そう、それならいいけど。あいつが勝手に表に出てくるなんてめったにないから、油断してたわ。悪かったわね」
蓮華は眉をひそめ、小さく頭を下げた。
彼女の言うとおり、鬼とその主の関係は必ずしも主従関係ではないらしい。でなければ、蓮華の意思とは反対に、蒼鬼は刀の前には現れなかったろう。
「まあそういうわけで、私は蒼鬼の主として選ばれた。彼は空間を自在に操る能力に長けているから、私もなにもないところに壁を作ったり、空間を移動したりできる。蒼鬼の血を継いだ他の人は、結界は張れても空間移動は無理でしょうね」
「へえー……空間移動、すごく便利そうですね」
電車やバスがなんらかの理由で止まった状況や、急いでいる時は重宝しそうだ。
また空間を仕切る能力は、一つの空間に新しい空間を作りだすということ。発想次第では応用がいくらでも効くだろう。例えば空へ上がる階段を作ったり、半分に欠けた器を補ったり、崩れかかった壁を補強するなど。
「黒鬼の情報はまた聞きのものだけど、影を操る能力があるそうよ。あと、黒い太刀を持っていたとか。剣士なのかしらね」
(影を操る、黒い太刀の剣士……か)
はじめて訓練を受ける際、訓練生たちはそれぞれ武器を選んだ。刀が一番扱いやすそうだと手にしたのが、木刀だった。
しかし彼女自身も驚くほど、はじめから玄人並みに身体を捌けた。木刀を振るえば謎の風が起こり、教官たちを騒然とさせた。訓練への参加が見学のみになったのは、それから一ヶ月後のことだ。
これまでの出来事は、すべて黒鬼の血がなせるものなのかもしれない。
「説明はこんなところか。そろそろ、本題に入るわ」
カプチーノを一口含んだ蓮華は、かまえて言った。
「楠木さん、ここまで来ればだいたい察しがつくでしょう。局は貴女が黒鬼の主ではないかと疑っている。訓練所での異様な処置はその力を恐れたからよ。蒼鬼の主である私は、貴女の監視を命じられている」
ああ、と相づちを打つ刀の声は、蓮華に聴こえたかどうか。
「……ですよね。黒鬼は、きっとすごく怖い鬼なんでしょ?」
会う人のほとんどが刀を避け、近付こうとしなかった。遅まきながらその理由が明かされ、ようやく腑に落ちる。
しかし蓮峰蓮華という人には、刀に怖じ気付いた様子はない。
「さあね、強い鬼だとは聞いているけど。でも鬼の力を使えない貴女を、黒鬼の主と断定するのは時期尚早よ。仮にそうであっても、局の対応は過剰だわ」
「……蓮峰さんは、あたしが怖くないんですか」
その問いに、彼女の回答は、
「全然」
と予想どおりのものだった。見栄ではなく、本心から感じているようだ。
「このあいだ、貴女はずっと人の目を気にしていた。右腕を狙ったことも、私に正直に話した上に謝ったでしょう? 驚きこそはすれ、怖いとは思わなかったわね」
蓮華は大した問題ではないと言うように、胸の前で小さく両掌を広げる。
「でも鬼の力が使えなくても、あたしが木刀振るうとああなるんですよ?」
「程度は違っても、私も同じ手合いよ。それにあれでびびってたら、低級の魔すら倒せないわよ、新人さん」
挑戦的な言葉を吐き、蓮華は笑った。はじめて見た彼女の笑顔は、不敵に満ちたものだった。
「あと、貴女にはむしろ負けて悔しいと思ったくらいだし」
「えっ!? いえっ、あれはあたしの負けで――」
「次は勝つから」
「あっ、は、はい……」
切れ長の瞳が、刀を射すくめる。彼女はがんこなだけでなく、負けず嫌いなところもあるらしい。
(クールな人かと思ってたけど、けっこう熱い人なのかな……)
「ま、あまり固くかまえないでくれていいわ。貴女の行動すべてを監視するつもりはないし、単独の外出さえ控えてもらえれば、自由にしていいから」
「そ、そんなテキトーで大丈夫なんですか……?」
大丈夫、と蓮華はうなずき、ふと思いだしたように続けた。
「そうだ、その話し方も遠慮してもらえる? 上司と部下の関係は形だけのものだし、年も同じ二十二でしょ。気を遣うの疲れるし、なんかイライラするから」
「ええええええいやいやいやいや!! んないきな」
「これは命令。丁寧語はやめて、名前で呼びなさい。いいわね、カタナ」
上司と部下の関係は形だけと言ったそばからこれである。意地が悪い。
「……っ。わ、分かりま、分かったよ、名前で、だね。蓮華さん」
「さんもとりなさい」
「ヒィ」
思いきり睨みつけられ、竦みあがるしかなかった。まるで鷹に狙われた小鳥だ。
「説明はこんなところ。これ片付けたら、次の場所に移動するわよ」
刀は慌てて、未だに口をつけていなかったカプチーノに手を伸ばした。
泡だてられた牛乳とコーヒーの苦味、そしてほのかな甘味が、口の中に広がる。
「おいしい……」
今まで飲んだことのあるコーヒーは、ただ苦いと感じるだけだったが、これはおいしさがじんわり滲みでている。
妙な呪文を覚えてまで注文する、客の気持ちも分かる。この味はまねしようと思っても、なかなかできない。
「……ま、もう少しゆっくりしていきましょうか」
そんな刀に、蓮華は苦笑まじりに提案したのだった。




