4話 始動
本作は、過去に同人誌として発表した作品を、Web向けに一部改稿のうえ再掲載したものです。
※本作は現代日本を舞台にしたローファンタジー/異能バトル作品です。
※章ごとに話数を分けて投稿しています。
◇
起床の放送が、コンクリート打ちっ放しの、殺風景な部屋に響きわたる。
それを合図に、すべてが目覚めていく。朝の支度をはじめる音たちが。
しかし楠木――楠木刀は、その放送が鳴るよりも先に、目を覚ましていた。
今日はいつもより、気持ちが落ち着かない。
支給された黒いタートルネックに黒のジーンズを着込み、髪を手ぐしですく。着替えが終わったのをみはからい、金属の小窓が開く。トレーにのせられた食事が突きだされた。
小窓の奥から、顔なじみの中年の男性職員が小さく手を上げる。
「よっ。こうしてあんたにメシ持ってくんのも最後だなぁ」
「うん、そだね。おじさんには世話になったよ、ありがとう」
刀は深々と頭を下げた。記憶を失って知りあいも身寄りもいない彼女にとって、ここで出会った彼が唯一の知りあいだった。
「いいっていいって、礼なんぞ。これからは局で仕事するんだろう? ヘマして死ぬんじゃないぞ、命あっての物種だからな」
「うん、頑張るよ」
「それじゃあ、元気でやれよ」
小窓が閉じられ、職員の気配が去っていく。刀は手元に残された食事を、じっと眺めた。今日の午前中に、局から迎えが来る。保護されてからはじめて、この施設の外に出るのだ。
「……大丈夫、これまでずっと、独りでやってきた」
あの職員以外、誰もが刀を怖がり、よけいな接触を避けた。教官と話す機会も多かったが、彼らが親しみを感じている様子はなかった
刀は孤独と冷たい視線に一年堪えた。理不尽なことを言われても、言い返しはしなかった。
局の正式なメンバーとなったあとも、これまでどおり従順を貫き、仕事を確実にこなしていけばいい。そうすればいつか理解される日が来るだろう。
「きっと、うまくやれるさ」
刀は震える拳を押さえつけ、自分に言い聞かせた。
局に向かう車では、部屋を出る際と同じ手錠をかけられ、両脇には屈強な男たちが座った。まるで犯人の護送のようだった。
刀は自分が黒鬼の血を引く人間だと聞かされているが、それがどういう意味なのかはよく知らない。
他の訓練生が使っていた超能力――鬼の力も、どうすれば使えるのか、まったく分からないままだ。
これまでの待遇は人として冷たいものばかり。自分の鬼の血は、あまり歓迎できる話ではないのだろう。
局に着いて通された部屋は、異様に物々しい気配を帯びていた。
紫色の結界が、いくつも張りめぐらされている。訓練に参加する時と同じ対応だ。だが、今は武器もなければ、手錠もかけられたままだ。この処置は大げさすぎる。
仮に抵抗するとしても、両脇の男たちに取り押さえられるだろう。
対応にややあきれながら、結界の先へ目をこらす。防御壁は出入り口から部屋の真ん中までで区切られ、その先になにがあるのかは視認できない。
壁から紫の色がすぅと抜け、ようやく先の様子がうかがえた。そこにはさらに小さな結界に守られた、三人の男女が立っている。
中年の男性と初老の男性、それから若い女性の姿。
中年の男性は明らかにこちらを警戒した表情だったが、他の二人は平然とした様子だ。
彼女の顔には見覚えがある。記憶を失って局に保護された時、刀の名前を訊ねた人物だ。
「久しぶりですね、黒鬼の主」
「あなたは……」
結界ごしに、若い女性が声をかけた。
「そういえばまだ、名前を名乗っていませんでしたね。私は白沢月子、ここの退魔一課の管理官をしています。こちらは同じ管理官の新田さん、戸川さんです」
「は、はじめまして……楠木刀です」
刀は中年の男性・新田と、初老の男性・戸川に会釈した。どうやらこの三人は、局の中でも上の立場らしい。
「一年間の訓練、ご苦労様でした。今後、貴女はここ退魔一課の一員として働いてもらいます。よろしいですね?」
「はい、よろしくお願いします」
これまでの処遇を思えば、このまま局にいてよいのか分からない。
だが記憶を失った刀には、行くあても生活資金もない。訓練施設では、衣食住はいちおう保障されていたが、日当は出なかったからだ。
白沢はけっこう、とうなずき、話を続ける。
「貴女は局や鬼、魔について知らないことも多いでしょうから、サポートする局員がつきます」
部屋のドアがノックされた。
「来ましたね。どうぞ、入りなさい」
ドアが開き、さらりと流れる長い金の髪が目の端に映る。
(……あっ)
ついこのあいだ、見た顔がそこにはあった。
刀との手合わせを望み、頑として譲らなかった女性。
確か名前は、蓮峰蓮華。刀は教官がそう言っていたのを思いだした。
先日は道着姿だった彼女は、今日はパンツスーツに身を包んでいる。いかにも仕事のできる、キャリアウーマンのようだった。
「楠木さん。今日から蓮峰さんが貴女のサポート役であり、直属の上司です。今後は彼女にしたがって行動を共にしてください。いいですね?」
「あ……は、はい。よ、よろしくお願いしま――!?」
蓮峰蓮華は刀の目の前に立つや否や、左の手刀をまっすぐ振り下ろした。
思わず目をつむった刀の耳に、がちゃんと乾いた音がする。
かけられていた手錠は、鎖だけが粉々になって床に散らばっていた。
「仕事の邪魔になるし、もうそれは必要ないでしょう」
両手で払う仕草を見せ、刀の上司はこともなげに言いきった。
「退魔部退魔第一課、蓮峰蓮華です。改めてよろしく、楠木さん」
「あ、え、ええと……く、楠木刀、です。よ、よろしく、お願いします……」
差しだされた白い右手を、おずおず握り返す。
本当にここでうまくやっていけるのだろうか。
蓮峰蓮華との再会は、その不安を吹き飛ばしてしまうほどの強い衝撃を、刀にあたえたのだった。
二章はここで終わりです。次回をお楽しみに。
次の更新は今日の21時半です。引き続きよろしくお願いいたします。




