第24話 国王陛下の呼び出し
最終章スタートです!!
左手の薬指に嵌まった銀色の指輪が、朝の光を受けてきらりと輝いた。
目覚めて最初に視界に入るのがこの指輪だという現実に、私は毎朝、頬が緩むのを止められない。
中央に嵌め込まれたアイスブルーの宝石。
それは単なる装飾品ではなく、私の愛する不器用な婚約者――クラウス様との繋がりを示す、大切なパス(魔力回路)だ。
「……よし。今日も頑張りましょう」
私は指輪に口づけを落とし、ベッドから起き上がった。
数日前の夜会での大騒動を経て、私たちの絆は盤石なものとなった。
『銀雪』の売上は右肩上がりだし、リリアという害虫も駆除できた。
あとは、平穏で忙しい日常に戻るだけ。
そう思っていた。
執務室の扉をノックし、中に入るまでは。
「……エレナか」
クラウス様が顔を上げた。
いつもの定位置――私の席のすぐ隣――に座っている彼は、書類を持ったまま硬直していた。
顔色が悪い。
徹夜明けの時のような、血の気のない青白さだ。
「おはようございます、クラウス様。……何かありましたか?」
私はワゴンの上のコーヒーポットに手を伸ばしながら尋ねた。
彼がこれほど深刻な顔をするのは、屋敷の屋根が飛んだ時以来だ。
「王宮から、急使が来た」
彼がテーブルの上に置かれた羊皮紙を指差した。
王家の紋章が入った封蝋が、無造作に割られている。
「国王陛下が、お目覚めになられたそうだ」
「えっ! それは喜ばしいことでは……」
国王フェルディナンド陛下。
長らく原因不明の病に伏せっていたが、リリアの魅了が城内から消えたことで、意識を取り戻したのだろうか。
国のトップが復帰すれば、混乱していた政情も安定するはずだ。
「喜ばしいことだ。だが……同時に、厄介なことになった」
クラウス様は苦渋に満ちた声で言った。
「直々の呼び出しだ。『リリア・ローズブレイドの一件について、宰相としての監督責任を問う』とな」
「……責任?」
私はポットを持つ手を止めた。
おかしい。
あの事件を解決したのはクラウス様だ。暴走を鎮圧し、被害を最小限に抑えた功労者のはずだ。
それを責めるというのか?
「王太子が薬物に操られていたとはいえ、それを許したのは私の失態だ。それに、夜会という公的な場で大規模な魔法を行使し、貴族たちを恐怖させたことも事実」
彼は淡々と言った。
まるで、自分自身を断罪するかのように。
「おそらく、処分が下るだろう。最悪の場合、宰相解任か、あるいは……」
「待ってください」
私は彼の言葉を遮った。
納得がいかない。
そんな理不尽な話が通っていいはずがない。
「私も行きます」
「ダメだ」
クラウス様が即答した。
強い口調だった。
「これは私個人の問題だ。君を巻き込むわけにはいかない」
「巻き込む? 私たちはパートナーでしょう?」
私は左手を突き出した。
薬指の指輪を見せつける。
「あなたは言いました。『私の心は君に占領されている』と。……心だけでなく、責任も半分こにしてください。それが契約というものです」
「だが、相手は国王陛下だ! 機嫌を損ねれば、不敬罪で……」
「不敬上等です。理不尽な解雇通告を黙って聞いているようなコンサルタントじゃありません」
私は彼の隣に立ち、その冷たい手を両手で包み込んだ。
震えている。
国王への恐怖ではない。私を守れるかどうか、という不安で震えているのだ。
この人は、どこまでいっても過保護で、優しい。
「大丈夫です。私の『口』がどれほど回るか、ご存知でしょう?」
私がニッコリと微笑むと、クラウス様はしばらく私を見つめ、やがて深いため息をついた。
「……勝てないな、君には」
「ええ。諦めてください」
彼は私の手を握り返した。
その力強さに、私は確信した。
二人なら、どんな理不尽も覆せる。
◇
王宮の謁見の間は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほどの静寂に包まれていた。
高い天井。
並び立つ近衛騎士たち。
そして、玉座に座る一人の初老の男性。
国王フェルディナンド。
病み上がりとは思えないほど、その瞳は鋭く、猛禽類のように私たちを射抜いていた。
隣には誰もいない。
王太子オスカーの姿はなく、王妃も同席していない。
完全に、一対一――いいえ、一対二の対話だ。
「面を上げよ」
重々しい声が響く。
私とクラウス様は顔を上げた。
「クラウス・フォン・ライヘンバッハ。……此度の騒動、報告は聞いている」
国王陛下は手元の書類――おそらく調査報告書だろう――を放り投げた。
バサリ、と紙が床に散らばる。
「王太子が薬漬けにされ、怪しげな女に国政を壟断されかけた。……その間、宰相である其方は何をしていた?」
「……申し開きもございません」
クラウス様が頭を下げる。
「辺境での引きこもり生活が忙しかったか? それとも、隣にいる新しい女にうつつを抜かしていたか?」
陛下の視線が、私に向けられた。
値踏みするような、冷ややかな視線。
背筋が凍るような圧迫感がある。これが一国の王の覇気か。
「……国の中枢を預かる者として、其方の危機管理能力には疑問符がつく。魔力だけの役立たずを、これ以上重用するわけにはいかんな」
国王陛下は冷酷に告げた。
「宰相の任を解く。領地へ戻り、謹慎せよ。……処分が決まるまではな」
解任。
やはり、その言葉が出た。
クラウス様の肩が、わずかに揺れた。
彼は反論しようとしない。
自分の責任だと、全てを飲み込もうとしている。
(……黙って見ていられるわけがない)
私の腹の底で、怒りの火が点いた。
業務改善のプロとして、そして彼の婚約者として。
この非効率で感情的な人事を、看過することはできない。
私は一歩、前に出た。
「陛下。発言の許可をいただけますでしょうか」
「……なんだ、小娘。許可などしていないが」
陛下が不快そうに眉をひそめる。
騎士たちが剣の柄に手をかける音がした。
クラウス様が「エレナ、よせ!」と小声で制止する。
構うものか。
「恐れながら、陛下のご判断は『非効率』極まりないと存じます」
言い放った。
会場の空気が凍りつく。
国王に対して「非効率」と言い放った人間は、恐らく建国以来私が初めてだろう。
「何だと?」
陛下の目が細められた。殺気が膨れ上がる。
「今回の事件において、クラウス様は迅速かつ的確に対処なさいました。暴走した魔女を鎮圧し、被害を最小限に留めた。……もし彼がいなければ、王太子殿下もろとも、会場は吹き飛んでいたはずです」
私は早口でまくし立てた。
「それを『管理不行き届き』の一言で断罪し、あまつさえ解任するなど……優秀な人材の損失です。今、この国の政務を彼以上に回せる人間が、どこにいますか?」
「……口が達者だな」
陛下が興味深そうに身を乗り出した。
「だが、結果責任はトップにある。王太子を監督できなかった事実は消えん。それに……彼の魔力は危険だ。いつ暴走するか分からん爆弾を、城に置いておけると思うか?」
「危険だからこそ、管理が必要なのです!」
私は声を張り上げた。
「彼を遠ざけ、孤立させれば、その魔力は制御を失い、いずれ災厄となります。……ですが、適切な環境と、支えるパートナーがいれば、その力は国を富ませるエネルギーになります」
「エネルギーだと?」
「はい。我が領地では、彼の魔力を利用した冷却技術で、新たな特産品を生み出しています。……『銀雪』のクッキー、陛下も召し上がったのでは?」
陛下の眉がピクリと動いた。
図星だ。
情報通の国王なら、王都で流行しているものを知らないはずがない。
「あれは、彼の魔力があって初めて成立する産業です。……彼をただの『危険物』として扱うか、それとも『国家資源』として活用するか。……経営者としての手腕が問われる場面かと存じますが?」
言い切った。
心臓が破裂しそうだ。
不敬罪で首が飛んでもおかしくない。
沈黙が続く。
一秒が永遠のように長く感じられた。
やがて。
「……くくっ」
陛下が喉の奥で笑った。
「ははは! 経営者、か! 余を相手に経営論を説くとはな!」
愉快そうに笑う陛下の顔から、先ほどまでの険しい殺気が消えていた。
彼は玉座の背もたれに深く寄りかかり、私とクラウス様を交互に見た。
「クラウス。……面白い女を拾ったな」
「……は、はい。私の、自慢の婚約者です」
クラウス様が、驚きつつも誇らしげに答える。
「よいだろう。解任は保留とする。……だが」
陛下の表情が、再び真剣なものに戻った。
「そちの言う『活用』とやらが、口先だけでないことを証明してもらわねばならん。……クラウスの魔力問題。これを恒久的に解決する策を示せ」
「解決策、ですか?」
「うむ。今のままでは、いつか必ず破綻する。……一ヶ月だ。それ以内に、彼の魔力を完全に制御し、国益に資するシステムを構築せよ。できなければ……」
陛下は冷徹な目で私を射抜いた。
「婚約は認めん。クラウスは一生、魔力炉として地下に幽閉する」
それは、命令であり、最後の試練だった。
「……承知いたしました」
私は深く頭を下げた。
無理難題だ。
でも、やるしかない。
だって、これは私たちの未来のための、最後にして最大のプロジェクトなのだから。
「必ず、ご期待以上の成果をお見せします」
顔を上げ、私は不敵に微笑んだ。
隣でクラウス様が、不安そうに、けれど信頼に満ちた瞳で私を見ている。
この手を離さないために。




