第23話 帰りの馬車と左手の薬指
馬車のリズミカルな振動が、高ぶった神経を少しずつ鎮めていく。
王宮からの帰り道。
窓の外は完全な夜で、街灯の明かりが時折、車内を淡く照らしては過ぎ去っていく。
隣に座るクラウス様は、先ほどの「死にたい」発言から少し復活したようだが、まだどこか落ち着きがない。
視線が泳ぎ、指先が膝の上でトントンとリズムを刻んでいる。
何か言いたいことがある時の癖だ。
(……まだ、何かあるのかしら?)
私は黙って待つことにした。
今日の彼は、私の想像を遥かに超える行動力を見せてくれた。
ならば、最後まで彼に任せるのが「良きパートナー」の務めだろう。
「……エレナ」
やがて、彼が意を決したように口を開いた。
「はい」
「先ほど、私は言ったな。『私の心は君に占領されている』と」
「ええ。一生忘れません」
私が即答すると、彼は「うっ」と呻き、また少し耳を赤くした。
けれど、今度は視線を逸らさなかった。
「あれは、本心だ。……勢いで言ったわけではない」
彼は上着のポケットに手を入れ、ゴソゴソと何かを探った。
取り出したのは、掌に収まるほどの小さな小箱。
ベルベットの深い青色。
「以前、君に屋敷の鍵を渡したのを覚えているか?」
「もちろんです。今も肌身離さず持っています」
私はエプロン――今日はドレスだから、手元の巾着――を軽く叩いた。
あの鍵は、私が「管理人」として認められた証。
私にとっての勲章だ。
「あの時は……君を繋ぎ止めるための、業務上の契約だった。君の能力が必要だったからだ」
彼は箱を握りしめ、言葉を選ぶように続けた。
「だが、今は違う。……能力など関係ない。君がクッキーを焼けなくても、掃除ができなくても、計算ができなくても構わない」
彼は箱を開けた。
そこには、銀色の指輪が鎮座していた。
中央には、透き通るようなアイスブルーの宝石。
私のドレスと同じ色。
そして、台座には繊細な魔術回路のような模様が刻まれている。
「……きれい」
思わず声が漏れた。
派手な大きさはない。
けれど、その輝きは凛としていて、どこかクラウス様の瞳の色に似ていた。
「これは、レオンに作らせた特注品だ」
クラウス様が説明する声が、少し早口になる。照れ隠しだ。
「『魔力制御リング』の機能を持たせている。私の魔力が感情の高ぶりで暴走しそうになった時、この石が共鳴して、余剰魔力を吸収してくれる。……つまり」
彼は私を見つめた。
「君がこれを身につけていれば、私がどれだけ君に触れても、凍らせる心配はない。……ベッドの中でも、な」
「…………ッ!」
今度は私が赤くなる番だった。
な、なんてことをサラリと言うのだ、この人は。
機能的すぎる。そして、あまりにも具体的すぎる。
「それに、逆の機能もある。君が危険に晒された時、私の魔力を遠隔で供給し、結界を張ることができる。……追跡機能付きだ」
「……束縛が激しいですね」
「当然だ。君はよく動き回るし、変な男(王太子)に絡まれるからな。……管理コストを下げるための、合理的措置だ」
彼はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
口では「管理」とか「合理的」とか言っているけれど。
その瞳が語っているのは、もっと熱くて、ドロドロとした感情だ。
『誰にも渡さない』
『どこにいても見つけ出す』
『一生、離さない』
そんな、重たくて甘い独占欲。
「……手を出してくれ」
彼が促す。
私は震える左手を、彼に差し出した。
彼の手が、私の指先に触れる。
冷たい指。
けれど、そこには確かな体温が通っている。
彼は慎重に、まるで壊れ物を扱うように、私の薬指に銀の輪を通した。
サイズはぴったりだった。
指輪が根元まで収まると、中央の青い石が微かに発光し、脈打つように温かくなった。
彼との魔力回路が繋がった証拠だ。
「エレナ・フォン・ミューラー」
彼が私の名前を呼んだ。
改まった、厳粛な響き。
「私の妻になってくれ。……業務命令ではない。私個人の、生涯をかけた願いだ」
プロポーズ。
飾り気のない、けれど彼らしい、直球の言葉。
私は自分の左手を見つめ、それから視線を上げて、彼の顔を見た。
不安そうに、私の答えを待っている「氷の宰相」。
世界で一番不器用で、世界で一番愛しい上司。
答えなんて、決まっている。
「……謹んで、お受けいたします」
私は微笑んだ。
目頭が熱くなるのを、必死に堪えながら。
「ただし、条件があります」
「条件?」
彼が目を瞬かせる。
「これからも、美味しいコーヒーを淹れさせてください。そして……あなたが辛い時は、私に甘えてください。隠れてチョコを食べるような真似は、もう禁止です」
「……ふっ」
彼が吹き出した。
そして、私を強く抱き寄せた。
「了解した。……厳しい管理人だな、君は」
「ええ。覚悟してくださいね、旦那様」
彼の腕の中で、私は目を閉じた。
香水ではない、清潔な石鹸と、微かなコーヒーの香り。
これが、私の帰る場所。
馬車が揺れる。
遠くで、王都の鐘の音が聞こえた気がした。
断罪から始まり、汚部屋の掃除、ブラック職場の改善、そして夜会での大立ち回り。
怒涛のような日々だったけれど。
そのすべてが、この瞬間に繋がっていたのだと思えば、悪くない。
「……さて」
私は彼の胸から顔を上げ、ニヤリと笑った。
「帰ったら忙しいですよ? 『銀雪』の増産計画に、リリア様の件の後始末、それに王太子派閥の切り崩し……やることが山積みです」
「……ムードがないな、君は」
クラウス様が呆れたように言うが、その顔は楽しそうだ。
「いいだろう。二人で片付ければ、半分の時間で済む」
「ええ。それが『効率的』ですから」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
窓の外では、雪解けの季節を告げる風が吹いている。
「氷の宰相」の氷は溶けた。
けれど、私たちの「業務改善」の毎日は、まだまだ終わらない。
これからも、この左手の指輪と共に。
世界で一番忙しくて、世界で一番幸せな日々を、二人で作っていくのだから。




