第18話 王宮夜会と白い花
王宮の車寄せに、宰相家の紋章が入った馬車が滑り込んだ。
窓の外には、すでに到着した煌びやかな馬車の列と、着飾った貴族たちの姿が見える。
建国記念祝賀夜会。
この国の社交界における、最大の戦場だ。
「……行くぞ、エレナ」
隣に座るクラウス様が、私に手を差し出した。
その表情は、いつもの「氷の宰相」の鉄仮面だ。
けれど、差し出された手は微かに強張っている。
彼にとって、この煌びやかで騒がしい場所は、魔獣の巣窟よりも居心地が悪いのだろう。
「ええ。参りましょう、あなた」
私は彼の手を取り、微笑んだ。
馬車の扉が開かれる。
夜の闇の中、魔法灯の明かりが私たちを照らし出した。
その瞬間。
周囲のざわめきが、波が引くように止まった。
私が纏っているのは、プロジェクト『銀雪の女神』の結晶――『氷絹』のドレスだ。
色は透き通るようなアイスブルー。
過剰な装飾は一切ない。
だが、闇夜に降り立ったその布地は、それ自体が淡い燐光を放ち、動くたびにオーロラのような揺らめきを見せた。
「……な、なんだあれは?」
「光っている……? 宝石もつけていないのに?」
囁き声が波紋のように広がる。
王都の流行である、レースと宝石で着飾ったご令嬢たちの中で、私の姿は異質だった。
シンプルで、冷たく、そして圧倒的に洗練されている。
私は背筋を伸ばし、レッドカーペットの上を歩き出した。
冷たい夜風が吹くが、肌は寒さを感じない。
レオンが組み込んだ温度調整機能が完璧に作動しているからだ。
「……みんな、君を見ている」
クラウス様が低い声で呟いた。
私の腰に回された手に、ギュッと力がこもる。
「失敗した。やはり布面積が足りん。あの男の視線など、氷柱で串刺しにしてやりたい」
「ダメですよ。今日は『円満な宰相夫妻』のプロモーションなんですから。笑顔でお願いします」
私が小声でたしなめると、彼は不承不承といった様子で、周囲に鋭い視線を(彼なりの愛想を)振りまいた。
その姿がまた、「クールで独占欲の強い美丈夫」として、ご令嬢たちのハートを射抜いていることに、本人は気づいていない。
◇
大広間に入ると、私たちはすぐに注目の的となった。
「ごきげんよう、ライヘンバッハ閣下、エレナ様」
最初に近づいてきたのは、恰幅の良い伯爵夫人だった。
彼女の扇子は、激しく揺れている。
「そのドレス……もしや、噂の?」
「ええ。我が領地で開発した新素材ですわ。先日お届けした『銀雪』のクッキー、お口に合いましたか?」
私がキーワードを出すと、夫人の目が輝いた。
「まあ! やはり! あれは絶品でしたわ。夫も『頭が冴える』と毎日欲しがって……。それで、そのドレスも領地で?」
「はい。私たちは『本質的な美しさ』と『機能性』を追求しておりますの」
私はニッコリと微笑み、営業トークを展開した。
『銀雪』ブランドへの信頼が、そのまま私自身への評価に繋がっている。
かつて私を「悪役令嬢」と蔑んでいた人々が、今は「最先端のトレンドセッター」を見る目で私を見ている。
これが、ブランドの力だ。
クラウス様は隣で黙って立っているだけだが、時折「ああ」とか「妻が世話になっている」と相槌を打つだけで、マダムたちが「素敵……」と頬を染める。
最高の広告塔だ。
順調。
あまりにも順調すぎて、怖いくらいだ。
その時だった。
入り口の方で、ファンファーレが高らかに鳴り響いた。
「王太子オスカー殿下、並びに、リリア・ローズブレイド男爵令嬢の入場!」
会場の空気が一変した。
人々が道を空け、その先から二人の人物が現れる。
王太子オスカー。
金髪をオールバックにし、これでもかというほど勲章をつけた正装姿。
その顔には、隠しきれない傲慢さが滲み出ている。
そして、その腕にぶら下がるようにしている少女。
リリア・ローズブレイド。
(……あの子が)
私は目を細めた。
ピンク色のフリルたっぷりのドレス。
髪には大きな白い花飾り。
小柄で、守ってあげたくなるような、小動物系の可愛らしさ。
私のドレスとは対極にある、「可憐で無垢な少女」を体現したような姿だ。
だが、私のコンサルタントとしての直感が、警報を鳴らした。
(……何かしら、この違和感は)
彼女が通り過ぎると、周囲の男性たちが、ふらりとよろめくように彼女の方へ顔を向けるのだ。
まるで、甘い蜜に吸い寄せられる虫のように。
その目つきは、憧れというより、どこか焦点が合っていないような、虚ろな熱を帯びている。
そして、鼻をつく匂い。
甘ったるい、熟しすぎた果実のような香水の香り。
会場の空調魔法でも消しきれないほど、濃厚な香りだ。
「……臭いな」
隣でクラウス様が顔をしかめた。
潔癖症の彼には、この匂いは拷問に近いらしい。
彼は無意識に私の肩を抱き寄せ、自分の体温と清涼な空気の中に私を囲い込んだ。
「エレナ。離れるなよ」
「はい。……少し、嫌な予感がします」
オスカーとリリアは、大広間の中央まで進み出ると、わざとらしく立ち止まった。
そして、私たちを見つけたオスカーが、口の端を吊り上げた。
獲物を見つけた狩人の顔で、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
「やあ、クラウス辺境伯。それにエレナ」
オスカーが私の前で足を止めた。
リリアも、彼の後ろからひょこりと顔を出す。
大きな瞳が、上目遣いで私とクラウス様を見つめている。
「……殿下。本日はお招きいただき、光栄です」
クラウス様が形式的な礼をする。
オスカーは鼻を鳴らし、私のドレスを指差した。
「ふん。なんだその格好は。宝石の一つもつけていないとはな」
彼は周囲に聞こえるように、大きな声で嘲笑した。
「宰相領の財政難は本当らしいな。元公爵令嬢に、そんな布切れ一枚を纏わせるとは。貧乏くさいにも程がある」
周囲がざわつく。
王太子の言葉は絶対だ。彼が「貧乏くさい」と言えば、それが評価になる――はずだった。
しかし、私は優雅に扇子を開き、口元を隠して微笑んだ。
「お言葉ですが、殿下。真の宝石とは、石ころのことではありませんわ」
「なに?」
「このドレスは、我が領地の技術の粋を集めた『氷絹』。夜の闇でも自ら輝き、纏う者を快適な温度で守る、魔法の布です」
私は一歩前に出た。
ドレスがふわりと揺れ、青白い光の粒子を撒き散らす。
その幻想的な美しさに、嘲笑しようとしていた貴族たちが、ため息を漏らすのが聞こえた。
「既存の価値観に囚われず、本質的な美を追求する。それが、これからの宰相領の在り方です。……宝石で飾り立てるだけが、豊かさではありませんもの」
私の視線は、チラリとリリアに向けられた。
彼女の首や腕には、不釣り合いなほど巨大なダイヤやルビーがジャラジャラとぶら下がっている。
まるで、ショーケースの中身を全部つけたような成金趣味だ。
「っ……口の減らない女だ!」
オスカーが顔を赤くした。
図星を突かれた怒りと、周囲の空気が私を肯定していることへの焦り。
「エレナ! 僕は君にチャンスをやろうとしているんだぞ!」
彼は突然、トーンを変えて言った。
「こんな野蛮な男の元で、貧しい生活をする必要はない。今すぐ僕に謝罪して戻ってくるなら、側室の一人として迎えてやってもいい」
「…………」
会場が静まり返った。
なんて傲慢で、現状が見えていない発言だろう。
私が「銀雪」のオーナーであり、宰相邸の実権を握っていることを、彼はまだ理解していないのだ。
私が口を開こうとした時。
クラウス様が、私を背後に隠すように前に出た。
「お断りします」
氷の刃のような声だった。
「彼女は私のパートナーだ。側室などという軽い扱いを受ける器ではない。……それに」
彼はオスカーを見下ろし、冷然と言い放った。
「彼女を貧しいと言ったな? 訂正していただこう。彼女は今、私の全財産と、全権限を握っている。この国の誰よりも『豊かな』女性だ」
「な、なんだと……!?」
オスカーが絶句する。
クラウス様の宣言は、私が「宰相家の真の支配者」であることを公認するものだった。
周囲の貴婦人たちが「まあ、素敵……」「愛されてるわねぇ」とさざめく。
勝負ありだ。
オスカーは完全にピエロだった。
だが。
その時、不気味な声が割り込んできた。
「すごぉい……。閣下って、とっても男らしいんですねぇ」
リリアだった。
彼女はオスカーの腕から離れ、ふらふらとクラウス様に近づいてきた。
その瞳は、オスカーなど見ていない。
獲物を見つけた爬虫類のような、ねっとりとした視線が、クラウス様に注がれている。
「私ぃ、怖い男の人は苦手なんですけどぉ……閣下みたいな強い方なら、守ってもらいたいなって思っちゃいますぅ」
甘い声。
そして、あの濃厚な香水の匂いが、ふわりと強くなった。
クラウス様が、露骨に顔をしかめて一歩下がる。
しかし、リリアはお構いなしに距離を詰めてくる。
その目は、明らかに「乗り換え」を画策していた。
(……なるほど。そういうこと)
私は扇子を持つ手に力を込めた。
この女、単なる王太子のお飾りじゃない。
もっと危険で、貪欲な「害虫」だ。
私の大切な職場と、最高の上司を狙うなら。
徹底的に駆除させていただくわ。
リリアと私の視線が交差する。
彼女はニタリと、無垢な少女にはあるまじき笑みを浮かべた。
「ねえ、お姉様? その席、私に譲ってくださらない?」
宣戦布告だった。




