第17話 ドレス選びは予算との戦い
「コンセプトは、『引き算の美学』です」
私はダイニングテーブルに広げたデザイン画を指差して宣言した。
集まったのは、プロジェクト『銀雪の女神』のメンバーたち。
領内一の腕を持つお針子のマーサさん、技術顧問のレオン、そして財務(金庫番)の私だ。
「引き算……ですか?」
マーサさんが老眼鏡の位置を直しながら、戸惑ったように問い返す。
無理もない。王都の流行は「足し算」だ。
リボン、レース、フリル、そして宝石。
盛れば盛るほど「高貴」とされるのが現在のトレンドである。
「はい。王太子殿下は、私が流行遅れのドレスで現れるのを期待しているでしょう。あるいは、田舎の職人が作った野暮ったい衣装を」
私はニヤリと笑った。
「ですから、流行など追いかけません。全く新しい価値観を提示します。装飾を極限まで削ぎ落とし、素材の美しさとシルエットだけで勝負する。……圧倒的な『格』の違いを見せつけるのです」
「なるほど……。しかしエレナ様、装飾を減らすとなると、生地そのものの質が問われます。王都の最高級シルクも手に入らない今、何を使えば……」
マーサさんの懸念はもっともだ。
だが、私には秘策があった。
「レオンさん。例の物は?」
「へいへい。できてますよ」
レオンが気だるげに足元の木箱を開けた。
中から取り出したのは、一反の布地。
一見すると普通の白い絹に見える。
だが、窓から差し込む陽光を受けると、まるで布自体が呼吸しているかのように、淡く、青白く発光した。
「ひぃっ!? こ、これは……『氷結蜘蛛』の糸ですか!?」
マーサさんが悲鳴を上げて後ずさる。
氷結蜘蛛。この領地の山岳部に生息する害獣だ。
その糸は鋼鉄より硬く、触れると凍傷になるため、これまでは駆除して燃やすだけの厄介者だった。
「ああ。俺が開発した特殊溶液で処理して、毒性と冷気を中和した。ついでに魔力伝導率を高めてある」
レオンが得意げに布を撫でた。
「名付けて『氷絹』。特徴は三つ。第一に、軽い。第二に、暗い場所でほのかに発光する。そして第三に……」
彼が布に魔力を少し流すと、ふわりと冷気が漂った。
「着用者の体温に合わせて、温度調整ができる。夏は涼しく、冬は暖かい。クラウス閣下の魔力資材をフル活用した、ハイテク素材だ」
「素晴らしいわ」
私は布の手触りを確認した。
滑らかで、ひんやりとしていて、まるで水を織り込んだようだ。
王都の重たいベルベットやサテンとは次元が違う。
「マーサさん。この生地を使って、私のデザイン画通りに縫製をお願いできますか? ドレープを活かした、シンプルなAラインで」
「……この生地、針が通るでしょうか」
「レオンさんが専用の魔導針を用意してくれます。……できますね?」
「ちっ、人使いが荒いな。……やるよ」
チームの意思は固まった。
私は満足げに頷いた。
これなら勝てる。
その時、廊下からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「エレナ! ここか!」
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、仕事の合間を抜けてきたクラウス様だった。
彼は興奮気味に、両手いっぱいの箱を抱えている。
「ドレスの準備をしていると聞いた。王都の店が使えないなら、素材は最高級のものが必要だろう。これを」
彼が箱をテーブルにぶちまけた。
ゴロゴロと転がり出たのは、宝石だ。
親指大のルビー、卵のような大きさのサファイア、そして目が眩むようなダイヤモンドの原石。
「領の宝物庫から持ってきた。これをドレスに縫い付ければ、オスカー殿下も文句はあるまい」
「…………」
部屋に沈黙が落ちた。
マーサさんが失神寸前で口元を押さえている。
レオンは「金になりそうだな」と下世話な目で原石を見ている。
私は深くため息をつき、一番大きなサファイアをつまみ上げた。
「クラウス様」
「なんだ。足りないか? ならば鉱山から直接……」
「却下です」
「……え?」
私は宝石を箱に戻した。
「こんな岩みたいな宝石をドレスに縫い付けたら、重くて動けません。それに、成金趣味で品がありませんわ」
「な、成金……品がない……」
クラウス様がショックでよろめいた。
「氷の宰相」が、子犬のように打ちひしがれている。
「いいですか、クラウス様。今回のコンセプトは『洗練』です。宝石はあくまでアクセント。主役は生地と、それを纏う人間です」
私は彼の手を取り、諭すように言った。
「あなたという最高の宝石が隣にいるのですから、私が過剰に光る必要はありません。……それに、予算オーバーです。これだけの宝石を加工する費用で、屋敷の屋根が三回直せます」
「……うぅ」
「ですが、この小さなダイヤだけお借りしますね。イヤリングに使わせていただきます。……選んでくださって、ありがとうございます」
私が微笑むと、クラウス様はパッと顔を輝かせた。
単純だ。いや、素直だ。
「ああ。君に似合うはずだ。……楽しみにしている」
彼はそう言い残し、上機嫌で執務室へと戻っていった。
嵐のようなスポンサーの退場に、私は苦笑しつつ、マーサさんに向き直った。
「さて、邪魔も入りましたが……作業再開です。期限は一週間。最高のドレスを仕立てましょう」
◇
一週間後。
ついに、ドレスが完成した。
場所は私の自室。
マーサさんと、手伝いのメイドたちが、緊張した面持ちで私を取り囲んでいる。
私は姿見の前に立った。
「……いかがでしょうか、エレナ様」
マーサさんが震える声で尋ねる。
私は鏡の中の自分を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「……完璧です」
鏡に映っているのは、王都のエレナではない。
『銀雪の女神』だ。
ドレスの色は、限りなく白に近いアイスブルー。
『氷絹』特有の光沢が、動くたびにオーロラのように揺らめく。
デザインは極めてシンプル。
過剰なレースもフリルもない。
だが、胸元から腰にかけての流れるようなドレープが、身体のラインを美しく強調している。
肩と背中は大胆に露出しているが、薄いショールのような透明な布が掛かっており、いやらしさはない。
むしろ、神秘的だ。
「これなら、王宮のどの令嬢とも被りません。……ありがとう、マーサさん」
「もったいないお言葉です……! 私の針子人生で、最高の仕事ができました」
マーサさんが涙ぐむ。
さあ、あとは最終確認だ。
スポンサーであるクラウス様に見せなければならない。
◇
応接室で待っていたクラウス様は、扉が開いた瞬間、手にしていたコーヒーカップを取り落としそうになった。
「…………」
彼は立ち上がり、口を半開きにして私を凝視した。
その瞳孔が開いているのが、遠目にも分かる。
時が止まったような沈黙。
私は少し不安になって、スカートの裾を摘んでみせた。
「……変でしょうか? やはり、地味すぎましたか?」
私の問いかけに、彼はハッと我に返った。
そして、大股で私に近づいてくる。
その顔は険しい。
怒っているのだろうか?
「……エレナ」
彼は私の目の前で立ち止まり、頭の先から足の先まで、舐めるように視線を這わせた。
そして、苦しげに呻いた。
「……美しすぎる」
「え?」
「直視できん。……それに、なんだその背中は」
彼は私の背後に回り込み、露出した背中を手で覆った。
彼の手の熱さが、ひんやりとしたドレス越しに伝わってくる。
「空きすぎだ。こんな姿を、他の男に見せるつもりか?」
声が低い。
これは、怒りではない。
純度百パーセントの、独占欲だ。
「……流行のデザインよりは、布面積は多いはずですよ?」
「面積の問題ではない。……君の肌が、この光る布のせいで、より……艶かしく見える」
彼は悔しそうに言った。
「失敗した。こんなことなら、全身を覆う鎧でも着せておくべきだった」
「戦場に行くわけではありませんから」
私はクスクスと笑った。
彼のこの反応があれば、十分だ。
「氷の宰相」をここまで狼狽えさせられるなら、王太子など敵ではない。
「諦めてください、クラウス様。私は最高の自分を演出する義務があります」
私は振り返り、彼の手をそっと退けた。
そして、悪戯っぽく微笑む。
「それに、このドレスを脱がせることができるのは、家に帰ってきた後の……あなただけですから」
その瞬間。
ボッ、と音がしそうなほど、クラウス様の顔が真っ赤になった。
室温が一気に上がる。
窓の霜が溶け、水滴となって流れ落ちた。
「……君は、いつか私を殺す気か」
「ふふ。さあ、エスコートをお願いしますね。明日は、私たちの勝利のパレードなのですから」
私は彼に腕を差し出した。
彼は深呼吸をして、覚悟を決めたように私の腕を取った。
その手は強く、熱く、そして震えてはいなかった。
準備は整った。
ドレスよし。
資金よし。
そして、最強のパートナーよし。
いざ、王宮の夜会へ。
私の「業務改善」の集大成を、見せつけに行きましょう。




