第16話 招待状は戦場への切符
「……燃やすか」
不穏な呟きと共に、執務室の気温が急激に下がった。
私の目の前で、クラウス様が分厚い封筒を手に持ち、指先から冷気を放っている。
封筒の表面には、金色の王家の紋章。
そして宛名には、仰々しい筆跡で『宰相クラウス・フォン・ライヘンバッハ辺境伯閣下』とある。
「待ってください、燃やさないで。公文書ですよ」
私は慌てて彼の手から封筒を奪い取った。
危ないところだった。
表面にはうっすらと霜が降りている。
「……見なくても中身は分かる。どうせ、ろくでもない呼び出しだ」
クラウス様が苦々しげに吐き捨てる。
私はペーパーナイフで封を切り、中身を取り出した。
予想通り、豪奢な装飾が施された招待状だ。
『建国記念祝賀夜会への招待状。主催:王太子オスカー』
「……やはり、来ましたね」
私は招待状を机の上に置いた。
建国記念日は、この国で最も重要な祝日だ。
その夜会ともなれば、王族、高位貴族、各国の使節が一堂に会する。
国のナンバー2である宰相が欠席することは、政治的に許されない。
「欠席だ。体調不良ということにしておく」
クラウス様が即答する。
私は首を横に振った。
「ダメです。今、私たちが『体調不良』を理由に引きこもれば、王太子はこう吹聴しますよ。『宰相は物流を止められて困窮し、病に倒れた』と」
「……言わせておけばいい」
「良くありません。せっかく『銀雪』ブランドで築き上げた『余裕のあるクールな宰相』というイメージが崩れます。それは商売に悪影響です」
私はコンサルタントの顔で告げた。
ブランドイメージは繊細だ。
「氷の宰相」は、強く、美しく、そしてミステリアスでなければならない。
弱っている姿を見せることは、顧客の夢を壊すことになる。
「それに、これはチャンスです」
「チャンス?」
「はい。今、王都の貴族たちは、噂の『銀雪』を手に入れたがっています。その生産元である私たちが、堂々と夜会に現れればどうなるでしょう?」
私はニヤリと笑った。
「最高の宣伝になります。私がドレスアップして、クラウス様の隣で微笑むだけで、『宰相領は豊かで、二人は円満』という動かぬ証拠になるのですから」
言葉にするだけで、胸の奥で闘志が湧いてくる。
前回の「視察」はホームでの防衛戦だった。
だが今回は、敵地への殴り込みだ。
私の「業務改善」の成果を、全貴族の前で見せつける絶好の機会。
しかし、クラウス様の表情は晴れない。
「……オスカー殿下がいる。彼は必ず、君に接触してくるだろう。また不愉快な言葉を投げつけられるかもしれん」
彼は私の手をそっと握った。
その手は温かいけれど、微かに震えている。
「私は……君が傷つくところを見たくない」
「クラウス様」
私は彼の手を握り返し、真っ直ぐに銀色の瞳を見つめた。
「私はもう、泣くだけの令嬢ではありません。あなたという最強のパートナーがいるのですから、何も怖くありませんわ」
「……エレナ」
「それに、私たちが逃げれば、殿下は図に乗ります。一度ガツンと、公衆の面前で格の違いを見せつけて差し上げましょう」
私の言葉に、クラウス様はしばし沈黙し、やがて観念したように息を吐いた。
「……分かった。君がそう望むなら、行こう」
彼は私の手を引き寄せ、甲に口づけを落とした。
「その代わり、私のそばを離れるな。……虫除けが必要だからな」
「虫除け?」
「いや、独り言だ」
彼は何やらブツブツと言いながら視線を逸らした。
耳が赤い。
まあいい。参加の合意は取れた。
「では、早速準備に入りますね。まずはドレスの手配から……」
◇
数時間後。
私はまたしても、王太子の小賢しい妨害工作に直面していた。
「……全滅ですか」
「はい。王都のめぼしいドレス店、宝飾店、すべてから『予約で一杯です』と断りの返事が届きました」
ハンスさんが悔しそうに報告する。
建国記念夜会まで、あと二週間。
通常なら予約が埋まっている時期だが、宰相家の注文を断る店などあり得ない。
明らかに、裏で圧力がかかっている。
「王太子殿下ですね。『夜会には来い。だが、着ていく服はないぞ』というわけですか。……陰湿な」
「どうなさいますか、エレナ様。私の伝手で、地方の小さな仕立て屋ならなんとかなるかもしれませんが……流行の最先端というわけには……」
ハンスさんが気弱な提案をする。
夜会は女の戦場だ。
時代遅れのドレスや、格の低い衣装で参加すれば、それだけで「落ちぶれた」「田舎者」と嘲笑の的になる。
王太子はそれを狙っているのだ。
みすぼらしい格好で現れた私を指差して笑うために。
(……上等じゃない)
私は電卓――ではなく計算盤を、カチャリと置いた。
思考を切り替える。
敵が道を塞ぐなら、新しい道を舗装すればいい。
「ハンスさん。既存の店に頼る必要はありません」
「へ?」
「流行? そんなもの、私たちが作ればいいのです」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
中庭では、レオンが何やら怪しげな機械の実験をして、青い光を放っている。
そして、この領地には、王都の流行には疎いが、腕の確かな職人たちがいる。
「王都の店が使えないなら、チーム・ライヘンバッハで作ります」
「つ、作ると言われましても、あと二週間ですよ!?」
「間に合わせます。……いいえ、ただ間に合わせるだけじゃありません」
私は振り返り、不敵に微笑んだ。
「王都の令嬢たちが、悔し涙を流して羨むような、最高傑作を作ってみせます」
ドレスのデザイン。
素材。
そして、誰も見たことのない「機能」。
私の頭の中で、コンサルタントの脳と、乙女の脳が同時にフル回転を始めた。
「ハンスさん、レオンさんを呼んで。それと、領内で一番腕のいいお針子さんも。……プロジェクト『銀雪の女神』、始動よ」
私の宣言に、ハンスさんは呆気にとられ、それから深く頭を下げた。
その顔には、諦めではなく、これから起こる嵐への期待が浮かんでいた。
招待状は戦場への切符。
ならば、最高の武装で挑むのが礼儀というものだ。
待っていなさい、王太子オスカー。
あなたの知っている「地味なエレナ」が、どんな姿で現れるか。
せいぜい楽しみにしておくことね。




