第15話 「氷のクッキー」ブランド化計画
「在庫の山ですね」
私は腕組みをして、積み上げられた木箱の塔を見上げた。
場所は屋敷の倉庫。
ひんやりとした冷気が漂っているのは、レオンが開発した大型冷却魔道具がフル稼働しているからだ。
箱の中身は、生産ラインに乗ったばかりの新作「アイスボックスクッキー」。
そして、濃縮コーヒーポーションの小瓶たち。
味は完璧。品質も安定している。
問題は、これをどうやって王都の消費者に届けるかだ。
「正規の商会は全滅です」
ハンスさんが報告書を読み上げる声には、怒りが滲んでいた。
「どの商会も、『扱いたいのは山々だが、上からの圧力が……』と。王太子殿下の妨害工作は徹底しています。物流網を使わせない気です」
「予想通りね。兵糧攻めのつもりでしょうけれど」
私はニヤリと笑った。
物流を止められたくらいで諦めるなら、最初から業務改善なんてやっていない。
大手流通が使えないなら、別のルートを使えばいいだけのこと。
「ハンスさん。貴族社会で最も情報伝達が早く、かつ信頼性の高いネットワークは何だと思いますか?」
「は? それは……王宮の伝令、でしょうか?」
「いいえ。――『使用人の噂話』よ」
私は倉庫の棚から、手のひらサイズの小さな化粧箱を取り出した。
銀色の箔押しがされた、高級感のあるパッケージ。
私がデザインし、レオンに版画を作らせて印刷したものだ。
箱の表面には、雪の結晶のマークと、憂いを帯びた銀髪の男性の横顔のシルエット。
そして流麗な文字でこう書かれている。
『銀雪 〜氷の宰相が愛した、ひとときの安らぎ〜』
「……エレナ様。この恥ずかしいキャッチコピーは本気ですか?」
後ろから覗き込んだクラウス様が、顔を真っ赤にして呻いた。
彼は現在、非番を利用してクッキーの検品(という名のつまみ食い)を手伝ってくれていた。
「本気ですとも。商品は『物語』とセットで売るものです」
私は力説した。
「ただのクッキーでは売れません。ですが、『あの冷酷な氷の宰相が、唯一心を許して食べている秘密の菓子』なら? しかも、『夏でも冷たくて、食べると頭が冴え渡る魔法の味』なら?」
「……物好きな貴族が食いつく、か」
「ええ。特にターゲットは、刺激に飢えている有閑マダムやご令嬢たちです。彼女たちは『限定品』と『秘密』が大好物ですから」
私はハンスさんに向き直った。
「ハンスさん。あなたの出番です。長年の執事歴で培ったコネクションをフル活用してください」
「コネクション、ですか?」
「ええ。他家の執事や侍女頭たちに、この『銀雪』をサンプルとして配るのです。『旦那様からの極秘の贈り物ですが、余ってしまったので内緒でお裾分けです』とでも言って」
これが私の作戦だ。
表立って商売をすれば、王太子に潰される。
だから、あくまで「個人的な贈答品」としてバラ撒く。
口コミの種を植えるのだ。
「……なるほど。表の物流がダメなら、裏のネットワークを使うと」
ハンスさんの目が光った。
彼は背筋を伸ばし、不敵に微笑んだ。
「お任せください。王都の五大公爵家の執事とは、若い頃からの飲み仲間でして。……彼らの主人の奥方様がたは、新しい甘味には目がありません」
「頼もしいわ。では、作戦開始よ」
◇
効果は、私の予想を遥かに超える速度で現れた。
作戦開始から三日後。
宰相邸の郵便受けは、手紙の山で埋め尽くされた。
抗議文ではない。
すべて、注文書だ。
『先日のクッキー、絶品でしたわ! 次はいつ手に入りますの?』
『夫がこのコーヒーでないと仕事ができないと言い出しまして……』
『倍額出します。十箱、いえ二十箱!』
『あのパッケージの横顔は、本当にライヘンバッハ閣下なのですか? 素敵……』
執務室で手紙の山を仕分けながら、私は笑いが止まらなかった。
「すごい反響ですね。やはり、冷たいお菓子というのは革命的だったようです」
「……私の横顔について言及している手紙が多すぎる気がするが」
隣の席で、クラウス様が複雑そうな顔をしている。
彼は自分の顔がブランドアイコンになっていることに、まだ納得がいっていないようだ。
「いいじゃありませんか。おかげで、『氷の宰相=怖い』というイメージが、『クールでミステリアス』に書き換わりつつありますよ」
「……君が楽しそうなら、それでいいが」
彼は溜息をつきつつ、まんざらでもなさそうに、私が淹れたアイスコーヒーを飲んだ。
味には絶対の自信があるのだ。一度飲めば虜になる。
その時、ハンスさんが駆け込んできた。
「エレナ様! 正門前に、商会の馬車が列をなしております!」
「あら、王太子の命令を恐れて逃げ出した商人たちが、今さら何かしら?」
「それが……『商品を卸してくれ』と。『王太子の命令など知らん、奥方様に頼まれて断れないんだ!』と泣きついてきておりまして」
私はペンを置き、勝ち誇った気分で天井を見上げた。
勝った。
需要が、政治的圧力を押し流したのだ。
貴族の奥様方の「欲しい」という熱意は、夫である貴族たちを動かし、ひいては商人たちを動かす。
王太子がいくら「扱うな」と命じても、商売敵が扱って儲けているのを見れば、商人は指をくわえてはいられない。
ましてや、自分の妻や娘に「あれを買ってきて」とねだられれば、リスクを冒してでも買いに来る。
「……ハンスさん。門を開けてあげなさい」
私は指示を出した。
「ただし、足元は見させてもらいますよ。正規の価格に、今までの迷惑料としての『特別手数料』を上乗せしてね」
「承知いたしました! ……いやはや、エレナ様を敵に回さなくて本当によかった」
ハンスさんが嬉々として出て行く。
「……本当に、君は」
クラウス様が苦笑した。
その瞳には、呆れと、そして深い信頼の色が浮かんでいる。
「悪役令嬢とは、これほどまでに頼もしい生き物だったのか」
「ええ。転んでもタダでは起きません。奪われた分は、利子をつけて回収しますから」
私は新しい契約書――殺到する商人たちに突きつけるための条件書――を書き始めた。
これで、宰相領の財政は安泰だ。
そして、この『銀雪』ブランドは、単なる資金源以上の意味を持つことになる。
次の戦場は、王宮での夜会。
そこで私たちは、この「人気商品」を武器に、王太子と直接対決することになるのだから。
私はパッケージの銀色の横顔を指でなぞり、不敵に微笑んだ。
「さあ、もっと有名になっていただきますよ、私の広告塔様」




