第14話 経済制裁と新商品開発
「……コーヒー豆が、届かない?」
ダイニングルームのテーブルで、私は帳簿から顔を上げた。
目の前には、苦虫を噛み潰したような顔のハンスさんが立っている。
「はい。いつもの商会から連絡がありまして……。『街道の検問が厳しくなり、荷を通せない』と。裏ルートを使えば手に入りますが、価格は三倍になります」
「三倍……」
私は眉間を揉んだ。
小麦粉、砂糖、そして生命線であるコーヒー豆。
生活必需品から嗜好品に至るまで、宰相領に入ってくる物資がここ数日で急激に滞り始めていた。
理由は明白だ。
王太子オスカーだ。
先日の視察で恥をかかされた腹いせに、公的な権限を使って嫌がらせをしているのだ。
「宰相領への物流制限」。
地味だが、ボディブローのように効いてくる陰湿な手口である。
「どうなさいますか、エレナ様。備蓄はありますが、このままではジリ貧です。……やはり、旦那様から王城へ抗議していただくしか……」
「いいえ。抗議したところで、『盗賊対策の検問強化だ』と言い逃れされるのがオチです」
私はペンを回しながら思考を巡らせた。
相手は権力者だ。まともにぶつかっても消耗するだけ。
ならば、どうするか。
買えないなら、稼げばいい。
相手が物流を止めるなら、こちらから止められない「価値あるもの」を送り出して、向こうの商人や貴族たちを味方につければいいのだ。
「ハンスさん。ピンチはチャンス、という言葉を知っていますか?」
「は? いえ、存じ上げませんが……」
「今から実践します。……レオンさんを呼んでください」
◇
数分後。
寝癖頭に白衣を羽織ったレオンが、あくびをしながら現れた。
「ふわぁ……なんだよ雇い主。俺は今、閣下の魔力波形の解析で忙しいんだが」
「いいから座りなさい。業務命令よ」
私は彼に一枚の設計図――私が前世の知識で描いたラフスケッチ――を突きつけた。
「レオンさん。先日あなたが言っていた『魔力変換回路』を使って、こういうものは作れませんか?」
レオンは気だるげに図面を覗き込み、眼鏡の位置を直した。
「……箱? 中は二重構造で、冷気を循環させる……ああ、なるほど。小型の冷蔵庫か」
「ただの冷蔵庫ではありません。『急速冷凍機』です。マイナス数十度まで一気に下げられるもの」
「理論上は可能だ。閣下の魔力は出力がデカいからな。変換効率を上げれば、その辺の魔石式冷凍庫なんて目じゃないパワーが出る」
レオンはニヤリと笑った。技術者の顔だ。
「で? これを作ってどうするんだ? 死体を保存でもするのか?」
「いいえ。お菓子を作るのよ」
◇
その日の午後。
クラウス様が帰宅したタイミングを見計らって、私たちは実験を開始した。
場所は厨房。
中央には、レオンが半日で組み上げた試作機――無骨な金属の箱が鎮座している。
動力パイプが伸びており、その先には「魔力供給用」の取っ手が付いている。
「……私が、これを握ればいいのか?」
クラウス様が怪訝そうな顔で取っ手を見る。
「はい。いつものように、無意識に漏れ出ている魔力を少し流すイメージでお願いします」
私が促すと、彼は恐る恐る取っ手を握った。
ブゥン、と低い駆動音が響く。
箱の表面に霜がつき始め、庫内の温度計がみるみる下がっていく。
「出力安定! 冷却開始!」
レオンが計器を見ながら叫ぶ。
「すごい……! 魔石も使わずに、これほどの冷気が……」
ハンスさんが感嘆の声を漏らす。
私はタイミングを見計らって、用意していたトレイを庫内へと滑り込ませた。
中にあるのは、棒状に成形したクッキー生地だ。
通常、クッキー生地は寝かせるのに時間がかかる。
だが、この急速冷凍機を使えば、一瞬で生地を締め、旨味を閉じ込めることができる。
いわゆる「アイスボックスクッキー」の製法だ。
この世界の技術レベルでは、安定した低温環境を作るのが難しいため、まだ存在しないお菓子である。
数分後。
カチンコチンに固まった生地を取り出し、包丁でサクサクと輪切りにする。
それをオーブンへ。
香ばしいバターの香りが漂い始める。
焼き上がったクッキーを、今度は別の瓶――濃く抽出したコーヒーエキスが入っている――と共に、再び冷却機へ入れる。
「完成です」
私はクッキーと、氷でキンキンに冷えたコーヒーエキスの瓶をテーブルに並べた。
「これは……?」
クラウス様が目を丸くする。
「『氷のクッキー』と『濃縮アイスコーヒー』です」
私は説明した。
このクッキーは、一度冷凍することで生地の層が密になり、独特のサクサクとした食感が生まれる。
そしてコーヒーは、牛乳で割るだけで本格的なカフェオレが楽しめるポーションタイプだ。
「どちらも、『強力な冷却技術』がないと作れません。つまり、クラウス様の魔力があって初めて完成する特産品です」
「私の魔力で、菓子を……?」
「食べてみてください」
クラウス様はクッキーを一つ摘んだ。
サクッ。
軽快な音。
「……美味い」
彼の目が輝いた。
「いつものクッキーより、歯ごたえが良い。それに、口の中で解けるような……」
「でしょう? そしてこちらのアイスコーヒーも」
冷たいミルクにエキスを垂らすと、美しいマーブル模様が描かれる。
それを一口飲んだクラウス様は、驚きに目を見開いた。
「……冷たい。だが、香りが飛んでいない。この時期にこれほど冷えた飲み物が飲めるとは」
冷蔵技術が未発達なこの世界では、夏場に冷たい飲み物を飲むのは王侯貴族の贅沢だ。
だが、この技術があれば、大量生産が可能になる。
「これを売ります」
私は宣言した。
「王都の貴族女性たちをターゲットにします。『氷の宰相が愛した味』。キャッチコピーはこれでいきましょう。希少性と話題性は抜群です」
「なっ……私の名前を使うのか?」
クラウス様が赤面する。
「当然です。ブランド戦略ですよ。悪名も使いようです」
私はニヤリと笑った。
「王太子は物流を止めて兵糧攻めにするつもりでしょうが、逆に私たちが王都の流行を支配してやります。貴婦人たちがこぞってこの商品を求めれば、商人たちも王太子の顔色を窺ってはいられなくなります」
需要が供給ルートをこじ開けるのだ。
「買いたい」という客の声は、どんな政治的圧力よりも強い。
「……君は、転んでもただでは起きないな」
クラウス様は呆れたように、しかしどこか誇らしげに笑った。
「いいだろう。私の魔力が金になり、君の助けになるなら……いくらでも提供しよう」
「ありがとうございます、スポンサー様」
「へいへい、俺は量産ラインの設計すりゃいいんだろ」
レオンもやる気満々だ。
ハンスさんも「これで屋敷の財政も安泰です!」と涙ぐんでいる。
反撃の準備は整った。
王太子オスカー。あなたが止めた物流の道を、甘くて冷たい私の商品が逆流して押し流してあげるわ。
覚悟していなさい。




