47話:冬を制す手
朝の空気は、昨日までとまるで違った。
丘に立った湊は、思わず息を止めた。
――冷たい。
――これは、流れそのものを奪う寒さだ。
普請の槌音は鳴っている。
だが、どこかぎこちない。動きが固い。声が小さい。
湊はすぐに気づいた。
――寺の問題は三雲が抑えた。
――動線のズレは曽根が立て直した。
――外の視線には名古屋が立ってくれた。
なのに、まだ“流れ”が鈍い。
風が吹きつけ、頬を刺した。
湊は、はっと理解した。
(……寒さか)
気づいた瞬間、普請全体の鈍さが一本の線で繋がった。
人夫は肩をすぼめ、職人は指の動きを止め、
掛け声は消え、木材の受け渡しは遅れる。
普請は“流れ”が命だ。
寒さは、その流れを根元から断ち切る――**“冬という敵”**だった。
◆
「湊殿、来ていたか」
背後から八代の声がした。
湊の表情を見て、八代はすぐに問いを重ねた。
「……流れが悪い。そう見ておられるのだな」
「はい。寺でも、人でも、動線でもなく……気温です」
「冬の会津は厳しい。越後とは質が違う。これが続けば、普請は止まる」
八代の声に、曽根も三雲も自然と集まってきた。
名古屋も腕を組んで空を見上げた。
「寒さは外の脅威ではないが……侮れば外の脅威より重いぞ」
八代はそう言い、湊へ促した。
「湊殿。あなたは何を考えている」
湊は息を吸い、言葉を選んだ。
「……温めねばなりません。普請そのものを、ではなく――人を」
三雲が眉をひそめた。
「人を?」
「はい。寒さは“流れの敵”です。
人が冷えれば、手は止まり、声は消え、動きは重くなる。
寺の問題より深刻です」
曽根が腕を組んだ。
「確かに寒さは厄介だ。だが、薪を焚くだけじゃ足りねぇぞ」
「ええ。ですから――皆で温まれる仕組みを作ります」
名古屋が目を細めた。
「仕組み?」
「鍋です」
四人が同時に湊を見た。
「なべ……?」
「はい。大鍋で汁物を煮て、皆で囲みます。
食いながら温まり、体の芯から動きが戻ります。
一人ひとりに火を回すより早いです」
三雲は鼻で笑った。
「なるほどな。寒い時は汁に限る。人夫らも喜ぶだろうよ」
曽根も頷く。
「鍋はいい。食えば声が戻る。声が戻りゃ、普請は回り出す」
八代が湊を見る。
「他には?」
湊は迷わず続けた。
「……炬燵を作りたいのです」
「炬燵?」
名古屋が眉を上げる。
「掘り炬燵ではありません。
火鉢に布を掛けて、足を温める簡易のものです。
作業の合間に少し体を温められれば、疲れが違います」
三雲が腕を組み、曽根の方を見る。
「曽根。木枠だけ作れねぇか?」
「簡単だ。布はどうする」
「寺からもらいます」
三雲の即答に、全員が吹き出した。
「いや、冗談じゃねぇぞ? 寺は布を持ってる。布施もあるしな」
寺筋と渡り合う者の言葉は、妙に頼もしい。
八代は微笑んだ。
「湊殿。まだあるのでしょう?」
「はい。最後に――“猫”を作りたいのです」
「猫?」
名古屋が首をかしげた。
「袖のない防寒具です。
動きを妨げず、しかし背中と胸を温めます。
武具の上からでも着られますし、人夫にも向いています」
曽根が感心したように目を見開いた。
「なるほど……袖がなけりゃ作業の邪魔にはならねぇな」
「布と綿があれば作れます。
寺に頼むか、町の女たちにお願いするか……いずれにせよ、時間は必要です」
三雲は口元を吊り上げた。
「面白れぇ。寺へ布を取りに行く理由が増えたな」
「湊殿」
八代が静かに言った。
「あなたは戦を知らぬ。だが……寒さは戦より兵を奪う。
今日の提案は、軍勢の命を救う策でもある」
名古屋も言った。
「外の視線に備えるためにも、兵が動けねぇ状況は致命的だ。
鍋、炬燵、猫……どれも理に適っている」
曽根が深くうなずく。
「湊殿。普請差配がここまで考えるとはな。
城普請は人の仕事だ。人が動かなきゃ、城は積めねぇ」
三雲が肩をすくめる。
「じゃ、俺は寺筋を丸めて布を取る。
曽根は炬燵の木枠、八代殿は全体の調整だな?」
名古屋が湊に問う。
「差配殿。あなたはどう動く」
湊は迷いなく答えた。
「鍋を作ります。
人夫が食べたいと思う味を。
身体の芯から温まる汁を」
その言葉に、四人は一瞬だけ沈黙した。
そして――曽根が笑った。
「湊殿。
……あんたはやっぱり“流れ”を作る男だ」
名古屋が続ける。
「外へ通す声も大事だが、まずは内だな。
寒さに負けねぇ普請場を作る。最高じゃねぇか」
三雲も笑う。
「これなら冬は越せる。寺が何言っても関係ねぇな」
八代は静かに言った。
「湊殿。あなたの今日の提案――
それは“道”ではなく、“暖”だ」
湊は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
――そうだ。
――流れを凍らせる冬に対抗するのは、暖めること。
人が声を出し、人が動き、人が笑う。
その小さな日の集まりが、普請を、城を、国を動かす。
(これが……俺の戦い方か)
湊は静かに息を吐いた。
「皆、協力をお願いします。
神指城を――冬に負けない城にするために」
風は冷たかった。
だが湊の周りには、確かな熱が生まれ始めていた。
一息ついた湊は、普請場を見渡した。
まだ朝の冷えが残っているが、人夫たちの顔つきは少し変わっていた。八代が声をかけ、曽根が気遣い、名古屋が外を見張り、三雲が寺を抑える――その連携が“目に見える力”となって現れていた。
だが、ここからが本番だ。
寒さが本格化すれば、人の意地と気力だけでは持たない。
湊は腰に下げていた布袋を軽く叩いた。
中には、前世で会津の冬を乗り切るために知っていた滋味のある食材の記憶と、材料の段取りを書き留めた紙が入っている。
(今日から動く。鍋を作り、人を温める。
それが、普請を止めない“流れ”になる)
◆
「三雲殿、頼んだ布は……」
「取ってきたぞ」
三雲は薄く笑い、どさり、と布束を置いた。
「寺の者ら、最初は渋っていたがな。
“普請が止まって困るのは寺も同じだ”と言うと急に態度が変わった。
寒さで人夫が倒れれば、工期が延び、寺の面目も潰れる。分かりやすい理屈よ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。
……しかし湊殿、まさか布をこの使い方にするとはな。あれは面白いぞ」
「猫ですか?」
「そうだ。袖がなくて軽い。女たちも『これなら子どもでも縫える』と言っていた。
寺にも渡してきたが、向こうでも欲しいらしい。どうする?」
「費用が増えるのは困りますが……」
「いや、寺側から提供すると言ってきた。
布はあるし、女たちは暇な時間に縫う。
“普請が進めば、それでよい”だとよ」
三雲は肩をすくめた。
「普請差配殿が鍋を作ると聞いて盛り上がっていたぞ。
……あまり調子に乗らせるなよ?」
「乗りませんよ」
湊が苦笑すると、三雲はふっと目を細めた。
「……湊殿。
寺筋との交渉がこんなに楽になるとは思わなかった。
やはり、あんたは“流れ”を掴んでいる」
◆
「差配殿、木枠できたぞ!」
声を上げてきたのは曽根だった。
がっしりした木枠に、三雲が持ち帰った布を掛ける。
「この下に火鉢を置いて……布を垂らす。
これだけで暖かいなんて、本当か?」
「足先が温まれば、体が動きます。
腕は自由に使えるので、作業前の準備や休憩に最適です」
「なるほどな。こんなの、越後でも見たことねぇぞ」
曽根は布を整え、足をそっと入れた。
「……おお」
「どうです?」
「確かに暖けぇ。火鉢一つでここまで違うとはな。
だが一番すげぇのは、すぐ出し入れできるところだ。
普請場に置いても邪魔にならねぇ」
曽根は湊の肩を軽く叩く。
「湊殿。これ、間違いなく流行るぞ。
普請だけじゃなく、町の家でも使われるかもしれねぇ」
「必要としてくれるなら、それで十分です」
◆
名古屋は相変わらず外を見張っていた。
だが、炬燵に足を入れた曽根の様子を見ると、静かに呟いた。
「……これがあれば、外の者らも油断するな。
寒さで動けねぇと思われたら終わりだ。
だが、この炬燵と“猫”があれば――兵でも動ける」
名古屋は湊を振り返る。
「差配殿。あんたの策は普請を越えてるぞ。
戦の理にも通じてる」
「私は戦を知りません」
「だが、動ける兵を作る理を知っている。
それは戦を知っているのと同じだ」
◆
昼前、町の女たちが“猫”の試作品を持ってきた。
湊は自分の胸に当て、紐を結ぶ。
「どうでしょう?」
「似合ってるよ、差配さん!」
「軽いし、あったかいし、動きやすいのよ!」
三雲が苦笑する。
「寺から持ってきた布も、女たちがうまく使ってくれている。
ここまで広がるとはな」
「ありがたい話です」
「町と普請が繋がった証でもある。
これは、あんたの“流れ”のせいだよ」
◆
夕刻前、湊の鍋が完成した。
大鍋の蓋を開けると、湯気がふわっと立ち上がる。
根菜を中心に、山の恵みと少しの味噌と塩。
肉は高価で使えないが、脂身の少し入った骨を煮込み、出汁に旨味を移した。
湊は小さく息を吐いた。
(……これなら、温まる)
「差配殿! いい匂いだなぁ!」
「うお、腹減ってきた……!」
人夫が集まり、職人も顔をのぞかせる。
八代も名古屋も曽根も三雲も、無言で鍋を見つめた。
湊は笑った。
「では、少しずつ。
明日から本格的に作りますが、今日は“試し”ということで」
椀に汁をよそい、人夫たちに渡していく。
ひと口含んだ男が、目を見開いた。
「……あったけぇ……!」
別の男が涙目になりながら頷く。
「しみる……身体にしみる……!」
八代が静かに言った。
「湊殿。
これは、兵糧より強い。
士気を上げ、人を結び、普請を進める“熱”だ」
三雲が鼻を鳴らす。
「寺にも少し回してやるか。あいつら寒がりだからな」
名古屋が肩をすくめた。
「外の視線をどうこうする前に、内が固まってきたな。
……いい流れだ」
曽根は湊の肩を叩く。
「差配殿。あんたは、冬を敵と見て、それに勝つ策を作った。
これで普請は止まらねぇ」
湊は鍋の湯気の向こうで、仲間の笑顔を見た。
人夫たちの声、笑い、温かさ。
それらすべてが、冷たい風を押し返していく。
(……これが俺の役目だ)
寺との対立でもない。
外の視線でもない。
“人を温め、流れを作ること”
それが湊の戦い方であり、この普請の命綱だった。
鍋をかき混ぜながら、湊は静かに誓った。
(冬に流れを奪わせない。
この城を、必ず完成させる)
湯気は空へ昇り、冷たい空気の中で白く揺れていた。
その白い揺らぎは、確かな熱の証だった。




