46話:外へ通す声
普請場に朝の光が差し込むころ、湊は木材の香りに包まれていた。昨日の喧騒が嘘のように、現場は静かで、流れは驚くほど滑らかだった。
寺筋は――沈黙している。
札は揃い、人夫たちの動線は乱れず、僧兵めいた者たちの姿も見えない。三雲が一度踏み込んだだけで、ここまで空気が変わるのかと湊は驚いた。
だが、静けさは“終わり”ではない。
静まった先にこそ、“次の動き”がある。
「差配殿、北の郭の材が揃ったぞ!」
曽根が図面を広げながら駆け寄ってきた。すでに汗が滲んでいる。
「今日中に枠を組めば、明日はもう二の段へ進める」
「ありがとうございます。人夫の割り振りもこちらで再調整します」
「おうよ。動きが早ぇと気持ちが良い。……だが湊殿」
曽根は図を折り、声を低くした。
「寺が静まったということは、今度は“外”が騒ぎ出すかもしれん」
「外……」
「神指が本気で動き始めたと知れりゃ、関東にも山形にも耳に入る。寺だけじゃ済まねぇ。どこの侍も、城には強ぇ関心を持つ」
曽根の言葉に、湊の心臓が小さく跳ねた。
寺筋が止まったのは良い。
だが、それは“動き出した合図”にもなる。
「そのために名古屋がいるんだろうが」
低い声が背後から落ちた。三雲だった。
「外の視線は、力だけじゃ扱えねぇ。寺は叩けば静まるが、外の侍は、そうはいかねぇ」
その通りだと湊も思った。
「今日、名古屋殿は?」
「寺のやつらに“外が見ている”と吹き込んでる最中だろうな。あいつの口は武器みてぇなもんだ」
曽根がわずかに笑みを漏らした。
「寺を脅すんですか?」
「脅しじゃねぇ。“真実”だ。神指はもう隠れた普請じゃねぇ。噂も、視線も、そろそろ集まる」
その瞬間だった。
丘の上から馬の蹄の音が響いた。
湊は反射的に顔を上げる。
昨日の名古屋の姿とは違う、別の影がひとつ。
槍を背負った、線の細い男だった。
だが歩みは淀みなく、風を切るような鋭さがある。
訓練された武の者だ。
普請場の職人も人夫も、その異質さに気づいてざわつき始めた。
「……なんだ、ありゃ」
三雲が眉を寄せ、
曽根が図を握る手をわずかに強くした。
「湊殿。外の視線は、もう“足音”になって現れるかもしれねぇぞ」
蹄の音は止まり、その武士が湊たちの前へ歩み寄った。
湊の胸は高鳴った。
その男は、まっすぐ湊へ向けて歩く。
まるで湊の名を知っているかのように。
距離が縮まり、男は槍を外し、ゆっくりと膝をついた。
「……差配殿。上杉家の普請が動いたと聞き、参上いたしました」
「あなたは……?」
男は顔を上げた。
その眼光には、戦場を渡った者だけが持つ“静かな熱”があった。
「真田信尹の家中に属する者。
主より、“神指の普請を見よ”との命を受けております」
三雲が露骨に息を呑んだ。
「真田……だと?」
曽根が低く唸る。
「湊殿。これはもう、ただの普請じゃねぇぞ」
湊はその意味を悟った。
――これは、外の侍が“神指を観測しに来た”ということ。
つまり、
寺の次は、外部勢力との調整が始まる。
その瞬間、名古屋が姿を見せた。
寺門前の坂をゆっくりと下り、こちらへ歩いてくる。
その歩みは、外の侍を迎える者の歩みだった。
「……来たか。湊殿」
名古屋の声は、いつもより深かった。
「これからは“外の視線”が本格的になる。ここから先は――」
名古屋は湊の肩に手を置いた。
「あなたが“誰の前に立つか”が、神指の未来を決める」
丘の風が吹き抜ける。
静かだった普請場に、
新しい戦いの気配が、確かに混じっていた。
名古屋山三郎は、真田家の使者を正面から見据えた。
柔らかな笑みを浮かべながら、しかし視線の奥には鋼の光がある。
「真田殿の家中の方とお見受けする。神指を訪れるのは……何ゆえか」
使者の男は礼を崩さず答えた。
「はい。上杉家の普請が急に活発化したと聞き、我が主が気にかけております。会津という大地を、どのように使おうとしているのか――と」
曽根がわずかに反応した。
三雲が腕を組み、湊を見る。
――ついに来たのだ。
神指の普請は、もはや内部の問題ではない。
名古屋は笑みを深めた。
「なるほど。真田殿は“城の意図”を知りたがっているわけだ」
「その通りでございます。されど……」
使者は湊を一瞥し、言い淀んだ。
「差配殿が、そのすべてをご存知なのか、という疑問もございます」
湊は胸を突かれたように息を呑んだ。
――そうだ。
自分は普請を動かすが、城が“何を守るための城か”までは知らない。
名古屋が、一歩前へ出た。
「湊殿は“現場のすべて”を握っている。骨も、流れも、乱れも。だが真田殿……あなたが知りたいのは、城がどこへ向かうか、つまり“外の形”だろう」
使者はわずかに表情を変え、名古屋を見た。
「外の形……」
「神指城は今、ただの普請場ではない。“戦の城”として形になり始めている。あなたが来たのは、その匂いを感じたからだ」
その言葉に、使者は否定しなかった。
むしろ、その鋭さを認めたように小さくうなずいた。
「……確かに。上杉家の動きが、関東に響く可能性もありますゆえ」
「響くとも。だが、それは敵意ではない。城とは、力ではなく“意思”だ」
名古屋はゆっくり湊へ振り返り、穏やかに言った。
「湊殿。この時点で、あなたの口から語るべきだ」
「……私が?」
「そう。あなたが“誰の前に立つか”が、城の未来を決める。
普請の意味を外へ通すのは、差配であるあなたしかいない」
湊は胸の奥が熱くなるのを感じた。
寺、村、侍、人夫。
そのすべてを動かしてきたのは自分だ。
ならば――外にも向き合うべきなのだ。
湊は一歩進み、真田家の使者と向き合った。
「……神指城は、防ぐための城ではありません」
使者は目を細めた。
「ほう?」
「この地は、流れが乱れやすい。それは寺でも、村でも、侍でも。
だからこそ、流れを一つに束ねる“核”が必要です。
神指城は、その核です。軍事よりも、“治めるための城”なのです」
使者はしばし沈黙した。
風が普請場を横切り、木屑を揺らす。
「……城を、治めるために?」
「はい。会津を守るためではなく、会津を“動かすため”の城。
外へ戦いを仕掛けるものではありません。
むしろ外との結び目になる城です」
名古屋が満足げに頷いた。
「なるほど。流石は湊殿だ」
使者はふっと笑った。
「城とは、牙の数ではなく、意思――。そのような言葉を聞いたのは久方ぶりです」
湊は胸の奥に、自信のようなものが灯るのを感じた。
「真田殿のお気持ちは理解しました。ですが、今は普請の最中。
ご懸念があれば、どうぞ申し付けください。可能な限り、外へ通じる形に整えます」
「……差配殿。あなたの言葉、確かに承りました」
使者は深く礼をした。
「ただ――ひとつだけ、お伝えせねばならぬことがございます」
曽根と三雲が同時に身構える。
使者はゆっくりと顔を上げた。
「関東筋でも、神指が“ただの城ではない”という噂が立っています。
寺が静まったと聞けば、次に動くのは侍。
そして侍が動けば……やがて領主が動く」
「領主……」
「はい。佐竹、最上、蘆名。どこか一つだけでは済みませぬ。
あなた方の城は、“見られている”のです」
三雲が低く舌打ちした。
「……だから来たんだな。真田の使いってわけか」
「我らはただ、耳を運ぶ者でございます」
使者は再び礼をし、槍を背負い直した。
「今日はこれまで。普請の進捗、しかと拝見しました。
湊差配殿。あなたが外へ立つなら、この城は変わりましょう」
そう言い残し、使者は馬へ戻った。
蹄の音が遠ざかるまで、誰も言葉を発しなかった。
◇
「……湊殿」
名古屋が静かに口を開いた。
「いまのは、ただの挨拶ではない。
“外へ顔を出せ”という宣告だ」
「はい……感じました」
「寺と違って、外の侍は理で動く。だが同時に、力の大きさで見る。
あなたがどう立つかで、会津の評価は変わる」
湊は拳を握った。
「私が立つべき“外”とは……どこでしょうか」
「すべてだよ」
名古屋の返答は、迷いがなかった。
「佐竹も、最上も、蘆名も。
外から見れば、神指は“上杉の意思”そのものだ。
湊殿。あなたがその“表”になるんだ」
湊は息を呑み、そしてゆっくり頷いた。
「……はい。やってみせます」
「よし」
三雲が手を叩いた。
「だったら、寺や村を見てる暇はねぇ。外を見ろ。
俺と曽根が内部を整える。八代は流れを作る。
名古屋が外への道を示す」
「そして湊殿。あなたが、道を通すのです」
八代の言葉は穏やかだったが、重みがあった。
湊の胸に、熱が広がる。
――これまでの普請は“中の戦い”だった。
――これからは、“外の戦い”が始まる。
「では……行きましょう」
普請場を包む朝の光の中、湊は新たな覚悟を抱いた。
「神指城を、“外へ通じる城”にするために」




