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武士の心構え〜法学部生、上杉家に挑む  作者: 一条信輝


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43話: 流れ、揃う日

朝の空気は冷たかった。

 神指の丘に立つと、湿った土の匂いが強くなる。普請が本格的に始まった証拠だ。


 湊は、昨日から胸に引っかかっている感覚を振り払えずにいた。


 ――札の位置が違う。

 ――指示が微妙にずれて伝わっている。


 どれも決定的ではない。偶然と言われれば、それで終わる程度の“誤差”だ。

 だが誤差が三つ重なれば、もう偶然では済まない。


 そこへ、足音が近づいた。


「湊殿、例の件……見てきたが、やはり妙だ」


 曽根昌世が、縄張り図を丸めて片手に提げながら言った。

 築城術の鬼と呼ばれた男の顔が、わずかに険しい。


「札はどうでしたか」


「新しい札と古い札が混ざっていた。わざと混ぜたのか、誰かの癖なのか……判断が難しいな」


「偶然では?」


「偶然なら、三箇所同時には起きねぇよ」


 曽根の言葉は短いが重い。

 湊も同じ結論に辿り着いてはいた。だが、口にするには証拠が薄すぎた。


「……ただ、敵意ってほどじゃねぇ。現場で“何かが噛み合っていない”ってだけだ」


「寺筋の影響でしょうか」


「多分な。あそこは侍より影響力が強いところがある」


 寺。

 湊の胸に、先日の“名乗らぬ浪人”の顔が浮かぶ。

 寺に詳しいと言っていたわけではない。ただ、寺の話題に反応した“あの目”が気になっていた。


 曽根は周囲を見渡すと、小さく息を吐いた。


「湊殿。ちょうどいい、紹介したいやつがいる」


 そう言って曽根が手を振った。

 ゆっくりと、昨日の浪人がこちらへ歩いてくる。


 湊は自然と姿勢を正した。


「先日は失礼したな、普請差配殿」


「こちらこそ。……曽根殿のお知り合いでしたか」


「ああ。こいつは――」


 曽根が言いかけて、浪人が手で制した。


「名乗るのはまだいい。肩書きが宙に浮いてる身でな」


 冗談のようで冗談ではない声音だった。

 湊は「ああ、そういう立場か」と腑に落ちる。


 曽根が続ける。


「こいつは寺の扱いに強ぇ。村ん中で侍がどう動くより、寺の癖を読むほうがずっと難しい土地なんだとよ」


「それで……寺の件にお詳しい、と?」


「そういうこった」


 湊はようやく一本の線が繋がるのを感じた。


 ――寺は邪魔をしているわけではない。

 ――侍と村と寺の主導権が混線しているだけだ。


 だが、それが一番厄介だ。

 誰が敵でもなく、誰も味方でもない。

 ただ“自分の流儀”を優先しようとする者たちが混ざるだけで、現場は簡単に歪む。


「寺筋は、放っておけば増長する。抑えられれば静まる。それだけだ」


 名乗らぬ浪人の口調は淡々としていたが、どこか確信めいている。


 湊は曽根へ目を向けた。


「曽根殿。この方は、寺と……?」


「元・蒲生んとき、寺と村と侍をまとめてた調整役だ。普請が動くなら、こいつがいたほうが話が早ぇ」


「必要なら呼べ。そう曽根に言われた」


 浪人はそう言うと、腰の刀に手を添えた。

 戦に出る者の動きではない。“調整に入る者”の癖だと湊は直感した。


「湊殿、寺は俺が抑える。札のズレも、指示の乱れも、根っこはそこにある」


「……助かります」


「助けるわけじゃない。俺の仕事だ」


 短く返されたが、その言葉が妙に頼もしい。


 曽根が腕を組んで言う。


「湊殿。普請の“骨”は俺が作る。だが、現場の調整はどうしても手が足りねぇ。この男が入れば、一気に整う」


「寺筋が静まれば、職人も人夫も流れやすくなる。普請は加速するぞ」


 曽根と浪人。

 ふたりの言葉を聞きながら、湊は胸の中にあった疑問がひとつずつ形を成していくのを感じた。


 ――札のズレは、寺の“持ち場”の縄張りのせい。

 ――指示の乱れは、寺筋の古い伝達体系が混ざったせい。

――人数の不一致は、寺の労役割り当てが独自に動いていたせい。


 どれも“敵”ではない。

 ただ、調整役が不在だったのだ。


 そして、その調整役が今、目の前に現れた。


「では……三人で動く、ということでよろしいですね」


「ああ。寺の筋は俺に任せろ」


「縄張りは俺だ」


「差配は湊殿だ」


 自然と、三つの役割が揃った。


 風が一陣、丘を吹き抜けた。

 普請の音が遠くで響く。槌の音、掛け声、木を運ぶ音。


 その全部が、ようやく一つの方向へまとまり始めていた。


「湊殿。今日から忙しくなるぞ」


 曽根が笑った。

 浪人も口元だけで小さく笑った。


「普請が動き出すってのは、そういうものだ」


 湊も、ようやく息を吐いた。


「……ええ。行きましょう。

 神指城を、形にするために」

丘を下ると、普請場はすでに朝の活気を帯びていた。槌の音が乾いた空へ抜け、木を運ぶ声が連なる。昨日までの“どこか噛み合わない空気”が、まだ完全に消えてはいないが、見れば――少しだけ流れが整い始めているように思えた。


 三雲が傍らに歩み寄ってきた。その少し後ろには八代の姿もあった。


「差配殿。まずは俺が寺へ入る。曽根は縄張りの再確認、あんたは全体の流れを見てくれ」


「寺は……動きますか」


「動く。放っておけば勝手に筋を引く」


 淡々と告げる三雲の横で、八代が静かに口を開いた。


「湊殿。寺筋は今日、必ず動きます。しかし三雲殿なら抑えられましょう。あなたは“流れの太さ”だけ見ていればよい」


 その声は、不思議と湊の胸を軽くした。


 三雲は続ける。


「寺のやつらは、侍が何か始めると、すぐ“昔の縄張り”を持ち出す。檀家だの、労役だの、寺領だの。こっちの普請が気に食わねぇと、札の置き場をいじるのも平気だ」


 湊は息を呑んだ。

 ――つまり、“意図的に”齟齬を生む可能性がある、ということか。


 八代が横で静かに言葉を添える。


「湊殿。寺は“敵ではなく、流儀の異なる隣人”です。読めば扱える。読めなければ振り回される。それだけのこと」


 三雲が口元を歪めた。


「寺は敵じゃねぇ。だが味方にもならねぇ。だから扱いが難しい」


 そこへ曽根昌世が駆け寄り、縄張り図を抱えたまま短くうなずいた。


「湊殿。俺は北側の郭から潰す。昨日からのズレを全部洗う。人夫にも指示を回す」


「お願いします」


 曽根はすぐに現場へ向かっていった。

 残った三雲と八代が、湊へ視線を向けた。


「湊殿。あなたの役目は“流すこと”だけ。滞りの芽を潰し、動線を整えればよい」


「俺は寺を抑える。昼までには一度戻る」


 湊は二人を見渡し、深くうなずいた。


「……お願いします」


 三雲が寺へ歩き去り、その背中が見えなくなると、八代が湊の隣に並んだ。


「では、始めましょう。まず湊殿、動線の札を確認なさって。昨日の混線はまだ残っています」


「はい」


 湊は駆け出した。


     ◇


 普請の場を巡ると、細かな不具合があちこちに残っていた。札の向きが揃っていない。人夫の列が二手に割れている。材木の受け渡しに遅れが出ている。どれも“一つひとつは小さな綻び”だが、普請は綻びが積み重なると一気に崩れる。


「湊差配殿!」


 駆け寄ってきた若い侍が叫ぶ。


「西の材木置き場が混み合っております。昨日までの指示と違うと人夫が――」


「昨日までの指示を変えましたか?」


「いえ……ただ、寺の方から“ここは通すな”と言われたと――」


 湊は眉を寄せた。

 ――やはり寺が勝手に筋を引いたのだ。


 その横で八代が短くつぶやく。


「こういう小さな“横槍”が一番流れを鈍らせるのです」


「わかりました。動線はこちらで改めて整理します。人夫には“差配の指示だけを聞け”と伝えてください」


 侍が駆け戻っていき、湊は息を吐いた。八代が淡々と助言を重ねる。


「湊殿。材木の置き場は“横動き”を作らぬよう中央線を強めに。札は十歩おきに再配置を」


「承知しました」


 湊は八代の助言通りに動き、材木置き場と動線を整え、人夫頭へも次々と声をかけていった。


 槌の音が、少しずつ調子を取り戻し始める。


 だがその時――怒号が響いた。


「おい、そっちの材は通すなと言っただろうが!」


「差配殿の命で動いてるんだ! 寺筋に言われても従えねぇ!」


「何だと! ここは昔から――」


 湊は走り出した。後ろから八代も静かに続く。


     ◇


 現場の中央で、寺から来た僧兵まがいの男と人夫頭が睨み合っていた。


「やめてください!」


 湊が割って入ると、僧兵風の男が睨みつけてくる。


「差配殿か。ならば言っておく。そちらの普請は寺領を侵しておる。通すわけにはいかん」


「この線引きは昨日確認したはずです」


「昨日は昨日。今日は今日だ」


 理屈になっていない。

 八代が小さく息を吐いた。


「こういう言い回しが、寺筋のもっとも厄介なところです」


 その瞬間、背後から重い声が落ちた。


「……そこで何をしている」


 三雲が立っていた。


 僧兵風の男の顔が強張る。


「三雲……成持……!」


「昔の筋を持ち出すなら、俺も昔のやり方で返すぞ。いいのか」


 低い声に、男は何も返せず唇を噛んだ。


「寺の範囲はここじゃねぇ。昨日の線で決まりだ」


 男は無言で去っていった。


 三雲は湊へ向き直る。


「差配殿。遅れてすまん」


「いえ、本当に助かりました」


「これで午前中は静かになるだろう。午後は……まぁ、わからんがな」


 八代が小さく笑った。


「湊殿。流れは整い始めました。ここからは“太さ”を維持するだけです」


     ◇


 午後。曽根が戻ってきた。


「湊殿! 北の郭、直したぞ。動線も整えた」


「ありがとうございます!」


「寺筋も三雲が抑えてる。これなら普請、三日分は前倒しできるぞ」


 湊は胸が熱くなった。

 ――三人が同時に動くとは、こういうことなのか。


 曽根が骨を作り、三雲が歪みを抑え、八代が流れを支え、湊が全体を流す。

 その全てが揃ったことで、普請場は息を吹き返した。


     ◇


 夕刻。

 赤い陽が差す普請場を前に、三雲、曽根、八代、湊の四人が並んでいた。


「寺の筋、しばらくは大人しいだろう。明日もう一押ししておく」

 三雲。


「北の郭は片づいた。あとは南だ」

 曽根。


「湊殿。今日、流れは“形”になりました。明日はそれを“道”にする日です」

 八代。


 湊は三人を見て、静かにうなずいた。


「……行きましょう。

 神指城を、“本当に動き出す城”にするために」

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