16 血の伯爵夫人3
境界の町を抜けると、道は舗装もまばらな土道へと変わっていった。
乗合馬車はガタガタとよく揺れたが――
馬の背でレオニスと密着しながら一日揺られ続けた遥香にとっては、もはや誤差だった。
「馬車って……なんて素晴らしい文明……」
遥香は感極まったように天を仰ぐ。
「そこまでですか?」
向かいの席で、クリスがくすっと笑った。
そうこうしているうちに、馬車はあっという間に隣領の町へと到着した。
青灰色の石造りの家々。煙突から立ちのぼる白い煙が、ゆらゆらと空に溶けていく。
「職人の町ですね」
クリスが周囲を見渡す。
道の両脇には鍛冶場、染色工房、革職人の店まで並び、鉄を打つ音や布を染める匂いが漂っていた。
馬車を降りると、クリスは懐から地図を取り出す。
「まずは情報収集ですね。そのあと、町の外れにある錬金術師の工房へ向かいます」
「了解です!」
町の中心部に入ると、人通りは一気に増えた。クリスはすぐに聞き込みへ向かい、遥香は近くのパン屋の前に置かれたベンチで待つことにする。
(いい匂い……)
ぼんやりしていると、パン屋の奥からひそひそ声が聞こえてきた。
「……また、マークさんとこの娘さんがいなくなったんだって」
パン屋の女将が、パンをトングで掴みながら言う。
「えっ? 本当かい?一昨日、アレクさんとこの奥さんが消えたばかりじゃないか」
年配の女性客が、思わず身を乗り出す。
「なんでも……伯爵夫人が娘を集めて、血を吸ってるんですって」
「ちょっと……!」
パン屋は慌てて口元を押さえ、声を潜めた。
「しっ! めったなこと言うもんじゃないよ!貴族様のことを悪く言ったら……!」
「でも……ウワサじゃ、夜な夜な若い女を集めてるって……」
(……え?)
遥香は、思わず聞き耳を立てる。
「……その話、聞かせてください」
気づけば、声をかけていた。
「えっ?」
二人は驚いたが、しばらく顔を見合わせ――観念したように話し始めた。
「町の小高い丘の上に、伯爵夫人が住んでる城があるんだけどね」
「最近、若い女ばかりが消えてるんだよ」
「もう……五十人近く、行方知れずだって話さ」
遥香は、背筋がぞくりと冷えるのを感じた。
「……さっき……血を、吸うって……」
(それ、ほぼ吸血鬼じゃ……)
そのタイミングで、クリスが戻ってきた。
「……どうやら、どこで聞いても同じ話ですね」
「……やっぱり……」
町は、その噂で持ちきりだった。
********
町外れへ向かうにつれ、人通りは減り、代わりに木々が増えていく。
やがて、小さな丘の麓に――それはあった。
「……あれ、ですよね」
石を無理やり積み上げたような、奇妙な建物。屋根は歪み、壁にはチョークで描かれた意味不明な図形や文字。
「うわ……近寄りがたいですね」
クリスがぽつりと呟いた。
「ですね……」
遥香も隣で小さく頷く。
人を寄せ付けない空気が、はっきりと漂っている。
それでも煙突からは、くゆりと煙が立ち上っていた。
「在宅、してますね」
遥香はごくりと唾を飲み、扉の前へ。
「……ごめんください」
数秒の沈黙。
――次の瞬間。
バーン!!
「ひゃっ!?」
勢いよく扉が開き、遥香は思わず後ずさる。
現れたのは、想像していた“偏屈な老錬金術師”とは、まるで違う人物だった。
(……え、この人が、錬金術師…?)
年の頃は三十前半から半ば。無造作に伸びた金色の髪は、後ろで適当に束ねられ、顎には無精ひげを生やしている。シャツは胸元が大きくはだけ、肌が露出していた。
「お、かわいいお客さん」
開口一番、それである。
だが、軽い口調とは裏腹に、男の瞳は遥香を値踏みするように走査している。
「……ま、どーぞ」
そう言われ、男の背中に続いて中へ入る。
「あっ、危ないもんには触んないでね〜。爆発するから」
怖いことを軽く言う。
遥香は部屋のあちこちに転がっているガラス瓶を蹴らないよう、慎重に足を進めた。
「で、何の用?」
今にも器具が落ちそうな程にいっぱいになったテーブルの側まで来ると、男は壁にもたれ腕を組みながら尋ねた。
「あ…、錬金術に興味があって……」
遥香が言うと、男はすぐ食いついた。
「へぇ、黄金が欲しい?それとも、銀?」
一歩、距離を詰めてくる。
「名前は?」
「……桐谷、遥香です」
「いい名前。遥香チャンね。俺は――ロイ」
長い前髪の間から、水色の目が遥香にウィンクする。
(……なんか…、チャラい……)
「で、遥香チャン。カネは持ってんの?」
「…えっ、…お、お金……!?…いえ…、あまり…」
財布を確認すると、銅貨が数枚だけ。
ロイはそれを見て、大きくため息をついた。
「……はぁ、普段はカネ取るんだけどな……」
しばし考え込み、やがて肩をすくめる。
「…ま、いっか、錬金術に興味があるんだろ?特別に見せてやるよ」
そう言うと、ロイは気怠げに小瓶を取り出した。
「……銀でいくか…。」
呟くと、彼は坩堝に小さな玉を入れ、表面に液体をそそぐ。
透明な液はすぐに青く反応し、玉は瞬く間に銀色に輝くようになった。
ロイは指で銀の玉をつまみ、遥香とクリスに見せる。
「…はい、銀の出来上がり。」
「…うわぁ…っ!」
遥香の後ろで感嘆の声を上げてクリスがパチパチと手を叩く。
「…え、それ…、銀じゃないですよね……」
遥香は、玉を指さしてそう言う。
ロイは軽く笑う。
「……へえ?…偽物だと?」
遥香はこくり、と頷くと続けた。
「安価な銅の玉に銀イオンを触れさせて、表面だけ銀が析出しているだけです。実質、中身は銅です。」
遥香がそう言い切ると、沈黙が走った。
ロイは、動きを止め固まっていたが、すぐに笑いを取り戻す。
「……なるほど、ね…。」
顔は笑っているが、目は全く笑っていない。
「…もしかして、あんた…錬金術師か?」
鋭い瞳で遥香を観察するように見る。
「……いえ、薬剤師です。」
「…ほう?」
ロイは眉を上げる。
「これを見抜いたのは、あんたが初めてだよ」
そう言うと、ロイは肩をすくめ、あっさり認める。
「……馬鹿な金持ち共とは、違う……か。」
ロイは小さく笑みを漏らすと、銀色の玉をテーブルに転がした。
ころり、玉が転がる。
先程までとはロイの雰囲気がガラリと変わった。
「……あ、の……?」
「…これは、カネに汚い奴らを引っ掛ける為の術だよ」
吐き捨てるように、そう言った。
「……引っ掛ける……?」
「これを見た奴らは、喜んでいくらでもカネを積む。」
そう言って、ロイは馬鹿にしたようにふっと鼻を鳴らす。
「カネは無駄に持っていても、仕方がない。俺はただ、カネを循環させてやってるのさ。」
「……え?」
遥香は意味が分からず、小さな声を漏らす。
「ま、あれだ。金持ちからはカネを巻き上げて、必要な所に回す…カネの再分配ってやつだ」
「…えっ!?」
予想外の言葉に驚いた遥香は、思わず声を上げた。
この錬金術師ロイは、チャラそうな見た目と反して、義賊的な役割を果たしているということか。
ロイは机の上に転がった銀の玉を見つめて、ぽつりと呟いた。
「……世の中、カネが全てだ…。」
その言葉には、どこか哀愁の色が含まれていた。
(この人、ただのチャラ男じゃない……)
遥香は、ロイの横顔をじっと見つめた。
軽薄な笑みの奥に、妙に冷めた現実感がある。
カネを信じ、カネに裏切られ、それでもなおカネを回し続けている。
――そんな生き方が、彼の言葉の端々に滲んでいた。
(……これが…、錬金術師……)
遥香は、金を生みながらも金に縛られた、その矛盾ごと彼を錬金術師と呼ぶのだと思った。




