15 血の伯爵夫人2
「馬車で二日……!?」
遥香の声が響き渡った。
脳裏に五時間で限界を迎えた尻の記憶が蘇る。
さらに、道中は盗賊に遭う恐れまであるときた。
(…無理すぎる……。)
錬金術師に会うことは諦めようかと悶々と考えていると、レオニスが助け舟を出した。
「馬だったら1日で境界の街まで行けるが…。」
「…え?」
「近頃、隣の領との境の街で、女性が失踪する事件が起きている。調査で向かう予定だ。」
「……一緒に、行ってもいいんですか?」
「ああ」
「……!」
遥香は目を輝かせた。
こうして、騎士団に同行させてもらうことが決まった。
******
当日。
「……え?…」
小屋の前に立つレオニスの隣には、馬が一頭。
「…あれ…?…馬が……」
遥香が震える指で、黒い馬を指差す。
「ああ。私と一緒に乗る。」
レオニスは後ろを振り返り馬を見て、淡々と言う。
「えええええっ!!」
(こ…こんなイケメンと、丸一日も密着して馬に乗るなど、心臓が持つだろうか………)
どうやら、尻の痛みと、もう一つ我慢しなければならないことが増えたようだ。
レオニスが手を貸してくれ、なんとか馬によじ登る。
「ゆっくりでいい。」
そう言い支えてくれるレオニスの言葉通り、驚くほどゆっくり足を進める。
(……た、高い……っ!)
馬の上は思った以上に高く、するっと滑りそうで怖かった。
「お、おお、落ちたら痛いですかね」
当たり前のことを聞きながら、猫背で馬の手綱にギュッと掴まる。
(や、やっぱり、錬金術師に会うのは今度にしようかな……)
遥香が涙目になり軟弱なことを考えていると、レオニスがひらりと遥香の後ろに乗った。
「では、行くぞ」
レオニスは馬の手綱をぐっと引いた。
馬はゆっくり進み出した。
(ああ…、もう後戻りは出来ない…)
遥香の頭の上にはレオニスの美しい顔がある。
レオニスの息遣いが分かる程に近い。
振動でたまにレオニスと体が触れる。
(無理無理無理……近すぎる……!)
これは尻の痛みより、心臓がもつかの方が心配だ。
森道に入ると、馬の歩幅はさらに大きく揺れ出した。
そのたびに、レオニスの腕が遥香の体を支える形になる。心臓が口から飛び出しそうだ。
「怖くないか?」
「こ、怖いです……いろいろと……!」
「色々?」
「なんでもないです!!」
遥香は大きな声で、そう返した。
全く、イケメンとは罪深いものである。
「おお、薬師殿も随行して下さるのか。」
街の出口門の所で待機していた騎士団と合流する。
レオニスが右手を軽く上げ、号令を出すと、一行は境界の町に向けて走り出した。
草原を抜けると、道はゆるやかな丘陵へと移り変わった。
「このまま半日ほど走れば、境界の森だ」
レオニスは馬を走らせながら言う。
「は、半日……」
なんとまだ半日しか経っていないのか。
もう尻はどうでもいい、心臓の方が辛い。
遥香が絶望していると、またひとつ大きな揺れが来た。遥香の体がふわりと浮き、座面から少し離れる。
「っ——!」
鞍から滑り落ちる恐怖が一瞬だけ脳裏をかすめる。
その瞬間、レオニスの腕がしっかりと腰を抱きとめ、遥香の体は彼の胸元に引き寄せられた。
「大丈夫か。」
低い声が、遥香の耳と首筋に同時に触れた。
(ちょ、ちょっと……近……!!)
「体を預けろ。無理に自分で支えようとすると逆に落ちる」
「い、いや、む、無理です!もう、許してくださいっ……!」
誰に許しを乞うているのか分からないが、遥香はそう叫ぶ。
「……許す?」
「なんでもないですっ…!!」
レオニスは小さく笑い、それ以上追及はしなかった。
確信犯なのではないかと疑い、レオニスを睨んだ。
******
やがて、遠くの地平線に山並みがうっすらと姿を現した。
そこが隣領との自然な境界――
そして、その手前に目的地である“境界の町”があるらしい。
「……ああ、やっと…」
遥香の心臓は、もう一生分打ったのではないかと思うほどに暴れていた。
主に、馬とレオニスのせいで。
町並みがはっきりと見えてくると、馬はゆっくりと速度を落とす。
城壁に囲まれた境界の町は、想像以上に活気に満ちていた。
行き交う馬車、呼び込みの声、焚き火の匂い。
旅人の町――そんな言葉がしっくりくる光景だ。
(……もうちょっとの、我慢……!)
遥香は、ようやくレオニスの腕の拘束(※優しさ)から解放されるのかと思い、一度深く息を吐いた。
するとレオニスが小さく声を掛ける。
「そろそろ、降りる準備を。」
「……あ、はい……」
着く頃には遥香はへとへとに疲れていた。
(…絶対寿命縮んだ…)
レオニスは先に軽やかに馬から降りると、手綱を持ったまま振り返る。
「失礼。」
次の瞬間、膝下を支えられ、ふわりと体が浮いた。
「ひぇっ…」
情けない声が出た。
「立てるか」
レオニスが遥香を抱えたまま聞く。
(……もし、立てないと言ったら…、どうなるのだろう……。)
慣れない馬に長時間乗った遥香の足は、ガクガクと震えていたが、遥香は慌てて言った。
「立てます!いや、絶対に立ちます!!」
レオニスは一瞬だけ目を瞬かせ、それから――ほんのわずかに、笑みに似た表情を浮かべた。
(……反則……)
その美しい表情だけで、また心臓が暴れ出す。
(……もうやだ……)
一日ぶりに地上へ降り立ったはずなのに、まだ足元がふわふわする。
「……地面って、こんなに不安定でしたっけ……」
「疲労だな」
即答だった。
隣の領までは乗合馬車で三十分ほど。一本道で迷う心配もないらしい。
「で、では、私はこれにて失礼します。」
遥香はそう言って、そそくさと歩き出そうとした。
「待て、遥香」
即、止められた。
「……は、はい?」
恐る恐る振り向く。
「クリスと共に行け。」
そこには副団長付き副官クリスの姿があった。
「僕も同行しますよ」
「え、いや……申し訳ないので……」
遥香がそう断ろうとするとーー
「気にしないでください。実はですね、この失踪事件、隣の領の貴族が関係してるんじゃないかって噂がありまして…」
クリスはヒソヒソと口に手を当て言った。
「……貴族…」
「僕はその調査に行くついでなので、気にしないで下さい。」
そう言い、クリスは軽くウィンクした。
(……なるほど…)
目的地が同じなら、断る理由はない。
「……お願いします」
こうして遥香は、何やらきな臭い事件の気配を背負いながら、クリスと共に隣の領へと向かうことになったのだった。




