14 血の伯爵夫人1
雲がうっすら月を隠す夜であった。
町の高台には月を背負った城がそびえたっている。
その城を目指して、虚な目をした娘が歩みを進める。
服は所々引き裂け、裸足である。
「行かないと……早く…」
彼女の口からは、ぶつぶつと小さく呟く声が漏れていた。
一方、城の一室では、美しい青のドレスに身を包んだ女性が長椅子に腰掛け、月を静かに眺めていた。
「奥様、今宵もまた1人、こちらに向かっているようです。」
後ろに控える侍女が報告する。
女性は手に持った血のように赤いワインを揺らすと、にっこりと美しく微笑む。
その横顔は月明かりで照らされ、怪しく銀色に浮かび上がっていた。
*******
広場での出来事から十四日。
遥香は自室に籠っていた。
ただ塞ぎ込んでいた訳ではない。
抗菌薬の開発の為だった。
回転椅子事件で計画は頓挫していたが、彼女は土から抗菌薬を抽出する実験を続けていた。
机の上には、鍋やすり鉢、陶磁器など、ありとあらゆる器具が散乱している。
遥香はガラスで出来た卵形のフラスコのようなものを顔の前に掲げ、光に透かす。
大学時代、研究室に通い詰めた日々が脳裏をかすめ、懐かしい感覚に胸が震えた。
ーーコトン。
フラスコを机に置く。
もう何度目か分からない失敗だった。
「……うーん……」
頭の後ろで手を組み、椅子の前足を浮かせる。
(……もう少しで、何か掴めそうなのに……)
「遥香ー!」
一階からエルダの声が響いた。
「は、はいっ!」
反射的に椅子を蹴って立ち上がり、そのままの勢いで階段へ。
ばたばたと駆け下り、最後の一段で足を滑らせ――
「……落ちるぞ」
玄関先に立っていたレオニスの低い声が、ぴたりと空気を切った。
「だ、大丈夫ですっ!」
見事、着地成功。
遥香はそのまま勢いよく頭を下げる。
「すみません、実験が佳境で……!」
「見れば分かる」
一言。レオニスの視線が、まるで貞子のようになった髪を一瞥する。
「今日はヨハンソンの館だ」
「あ、はい! 息子さんの経過観察ですよね!」
「……覚えているならいい」
そのまま、レオニスの視線が下に落ちる。
「……裸足だな」
「あっ……」
遥香は自分の足元を見て、慌てて指を動かす。
「えっと、その……途中で履こうと思ってたんですけど、気づいたら……」
「怪我をする」
「は、はい……次から気をつけます……!」
それ以上、彼は何も言わなかった。
*******
「お待ちしていました…!」
ヨハンソンの館へ着くと執事が出て来た。
息子の部屋へ案内される。息子は静かに椅子に座っていた。
その表情は、以前よりいくらか明るくなったように見える。
少しずつだが、食事も摂れるようになったらしい。
だが、まだ足に力が入らず歩行は使用人の手を借りているようだ。
(解毒薬を飲み始めて、まだ2週間……)
鉛が体内に蓄積された年月を考えれば、まだまだ時間はかかるだろう。
だが、解毒薬の効果は確実に出ているようだった。
「失礼します。旦那様がお呼びです。」
ドアを開けた執事が、頭を下げる。
「例の錬金術師が、黄金を作ろうとしているらしい。」
ヨハンソンの書斎から男性の声が聞こえた。
遥香は耳を澄ませる。
「本当か!?成功すればカネになるな」
興奮したヨハンソンの声もする。
程なくしてドアが開く。布を頭に巻いた男性とヨハンソンが出て来た。
(……錬金術師…)
そうだ、この時代には居るのだ。
ファンタジー小説や映画に出て来る存在だと思っていた。
「錬金術師って……本当にいるんですね!」
「ああ。怪しげな者も多いがな」
「……会ってみたいな」
目を輝かせる遥香を見て、レオニスは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……錬金術に興味があるのか?」
目をキラキラさせて、こくこくと何度も頷く。
(黄金を作ろうとしているくらいだから、なにか科学的な材料を持っているかもしれない!)
何より錬金術師とはどんなものなのか、遥香はこの目で見てみたかった。
客を見送ったヨハンソンが踵を返して言った。
「お待たせして、申し訳ない。この度のことで、何か礼をしたいのだが…」
「私に、錬金術師を紹介してください…っ!!」
遥香は迷うことなく、両手を合わせて言った。
結果ーー
隣の領地まで行くことが決定した。




