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冥舟案内 銀月奇譚 欅の下で

作者:



 見上げても空は何処までも昏く、黒一色で星も月も見えない。

 ただ其処此処にあるモノ達が淡く光って、幽玄に彩られた場所の視界に不自由はない。


 猫が一匹ゆったりと歩を進めている。川縁から小高い丘への道を進む。


 遠く碧く輝く枝垂れ桜に見送られ、同じく碧い蓮華草に縁どられた道を行く。

 蓮華草が途切れた先に浮かぶは儚い光。蛍のようなそれは本物の蛍か、それとも誰ぞの寂しい魂か…。

 次いで目に映るは一面の赤……赤く赤く群れて咲くは彼岸花。繊細な花芯が猫の尾に揺られて踊る。


 少しずつ赤い絨毯にも似た彼岸花の群生地に、白いモノが見え隠れし始めた。

 同じ彼岸花なのに、その色は歩を進めるごとに白さを増し、ついには白い彼岸花に埋め尽くされた。

 そこをゆうらりゆうらり…揺れる尾は進む。


 いつの間にか白い彼岸花は、その優美な姿を消し、小高い丘は淡く紫色に光る雪景色に変わっていた。

 音もなく白く紫色しいろく雪が降り積もる。



 白……


  ……白……



      ………白………紫色しいろ…………死色しいろ……





 此処は彼岸と此岸の合間。

 埋もれるように、川縁から季節通りに辿れば、紫色の光の中ひっそりと佇む一軒の茶屋に出くわす事が出来る。

 誰が言うともなくついた名は『銀月庵』。

 月もないのにそんな名がついた由来を知る者は、此処には居ない。


 滅多に客は訪れない。彼岸と此岸の合間と言っても、かなり外れで、態々目指してくるモノ以外が辿り着く事も殆どない。


 ゆうらりと尾を揺らす猫が、出された縁台の一つに軽やかに飛び乗って丸くなった。

 そこへ無言で近づくのは白皙丹唇の、鬼をも惑わすかのような美艶の少年。

 ほっそりとした指を伸ばして丸くなった猫を一撫でする。


「……」


 少年の指先の感触に猫が面倒そうに顔を上げるが、またゆっくりと双眸を閉じてうつらうつらと目を細め閉じた。


「辰巳、そいつを動かすのは難儀だ。放って置け」


 声の方を見れば、ほっそりとした白蛇が一匹。


「白…」


 少年……辰巳と呼ばれた彼の声も、これまた美貌に違わぬ凛とした美声。

 その声が紡いだのは白蛇の名だ。

 正しくは白朧と言うのだが、辰巳はいつも白としか呼ばない。


「今日は珍しく客が来そうだ」


 白の言葉に、辰巳は紫色に発光する白雪の向こう…白く赤く……そして薄っすらと飛び交う蛍火の更に向こうまで視線を流す。



 気持ち良さげに微睡む猫と、その隣で蜷局を巻く白を見ながら、辰巳は湯を沸かし始めた。


 シュンシュンシュン


 立ち上る湯気に、頃合いかと急須に注ぎ入れれば、店先に出した縁台近くに3つの人影がやってきた。


「ごめんください」

「こんにちは」

「お邪魔します」


 3人共穏やかな顔に深い皺を刻んだ老人だ。

 1人は男性、他2人が女性。

 深々と頭を下げる彼等に、無言で席を促す。

 彼等が縁台に腰を下ろすのを見て、辰巳は急須の茶を茶碗に注いだ。


 緑茶の爽やかな甘みのある香りが漂う。


 茶碗を置けば、客人達が感謝の言葉を口にした。


「ありがとうね」

「おおきに」

「良い香りやわぁ、おおきに、ありがとう」


 辰巳はその言葉に反応するでなく奥へ引き下がった。

 縁台に座る3人の客人達は、茶碗を手に穏やかに談笑し始める。


「まさかこんなお茶が頂けるなんてねぇ」

「せやな。あぁ、美味しいなぁ」

「ほんまに。思いもよらへんだわ」



 ………

  ……………


      ………………




「ありがとうねぇ」

「御馳走さんでした」

「御馳走様」


 3人の老人達は茶碗を置き、縁台から立ち上がる。

 そして振り返って奥に引き込んだ辰巳に向かって、来た時と同じく深く頭を垂れた。


「お話を聞いてやってきました。

 私等、会いたい人が居るんです。どうか連れて行ってはくれませんか?」


 辰巳は何も答えない。


「もう会われへんて思っとりました。

 せやけど、ここやったらもしかしてって聞いて……」

「あの子の所へ……どうか懐かしいあの場所へ連れてってください」



 耳が痛くなる程の静寂の中、老人達は頭を下げたまま動かない。

 のそりと辰巳が立ち上がった。


「……対価が必要……それでも、ですか?」


 声に老人達はやっと頭を上げた。


「はい、それは勿論」

「わかっとります」

「はい、それでもお願いしたいんです」


 皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして、老人達は懇願するように両手を合わせた。


「………」


 続く沈黙を破ったのは白朧だ。


「辰巳、聞き届けてやれ。

 覚悟は決まってるようだ」


「……………」


 白朧の言葉に辰巳はそっと瞳を伏せた。

 長い睫毛が透き通るような紫眼に影を落とす。


「この店の本当の主人は僕ではありません。

 だから全てが見様見真似でしかない…そのせいで対価の替えがきかない……紛い物だから……。

 ……それでも…良いのですか…?」


 辰巳は胸元に置いた右手を握りしめる。

 微かに柳眉を寄せて、苦し気に呟く。


「えぇ、承知しとります」

「どうぞ持ってってください」

「ずっと頑張とってくれたあの子にお礼が言いたいんや。会われへんて思てたのに、会えるんやったら安いモンやわ」


 辰巳は顔を伏せたまま立ち上がる。

 奥側にある障子の前で少し躊躇う様に動きを止めたが、ようやっと開けて中へ消えて行った。


「準備に少しかかる。

 その間は残りの茶でも飲んでいれば良い」


 白朧の言葉に、老人達は心底嬉しそうに微笑んだ。


 その近くでは、猫が縁台の上で丸くなったまま、長い尾をゆうらりと揺らしていた。





 すぅっと障子が開き、中から辰巳が姿を現した。


 全てが白い。

 衣も帯も、打掛も…。


 本当の主人…所有者は女性なのだろう。

 しかし女物の装束なのに、闇色の髪を短く切った少年である辰巳に恐ろしい程似合っていた。

 性別等ない、ただただ美しく精巧な神の現身のようにも見えるほどに。


 帯には緻密に編まれた紐が一本、それに鈴が幾つもぶら下がっている。

 歩く度にシャン、シャラ、シャンと鳴り響く。

 その辰巳の前に白朧、そして後ろには、老人達が連なる。



 シャン シャン


  シャン   シャラ シャラ





       シャン シャラシャン……シャン…



 小高い丘から川縁に向かう道を進む。

 季節が逆巡りする。


 淡く紫色の光を放つ白い雪景色。

 白い彼岸花がぽつっぽつと姿を見せ始め、ゆっくりと赤く色付いていく。まるで血が通うかのようだ。

 そうしてふうわりふうわり、揺蕩う蛍火の中を通って、目の覚める様な冴え冴えとした碧…足元に揺れる蓮華草を抜け、遠く枝垂れ桜が見えればもう少しだ。


 チャプリチャプリと水音が聞こえ始める。

 蓮華草の奥、川縁に突き出した桟橋に立てば、何処からともなく舟が1艘近づいてきた。

 音もなく桟橋に接岸する。


 白い辰巳がまず舟に乗り込んだ。続いて客人である老人達3人。

 最後に白朧が乗り込み、舟の舳先に鎮座する。


 霧が濃くなってくる。


 気付けば白蛇が居たはずの舳先には小さな灯篭が揺れていた。

 その明かりに導かれるように、静かに、だけど滑る様に舟は水面をゆっくり進む。



 進んでいた舟が岸に近づく。

 そこには桟橋も何もないけれど、そこが目的地なのだと確かにわかる。


 老人達はそこで舟を降り、岸辺で振り返って辰巳と白朧に頭を下げた。





 明るい方へと進めば、懐かしい光景が見えてきた。

 大きな欅の木。

 うねる畦道の脇にある田んぼはどれも乾ききってヒビが入っている。仕方ない事ではあるが、一抹の寂しさを感じながら更に進めば、引っ越しの荷造りをしているらしい老女が1人見えてきた。



【あっちゃん】

【あぁ、元気そうで良かった】

「え? まさか…あたし夢でも見てんの?」

【あぁそうや、これは夢やから……せやけど目ぇ覚めてからも覚えとってな】

【そうそう夢だよ。せやから忘れてもうても構へんねん】

「あぁそうなんや、夢なんか…せやけどなんて嬉しい夢やろな」

【欅さんのお世話をありがとうね。お墓も……】

「何言うてんの、当たり前やろ……ほんと、どいつもこいつもあたしを置いて逝っちまってさ…薄情な奴らやわ」

【怒られちまったよ】

【そうやね。あぁ…でも怒られるのも懐かしい】

【あぁ、懐かしい】

【もう、身内が誰も此処に残ってへんから、お盆にもこっちへ戻ってこられへんだんや】

「……あぁ、そうやったんやね…」

【あぁ、もうこれで思い残す事のうなったわ】

【せやな、これで心置きなくいけるわ】

「何言うてんの、川向うで待っとって。あたしもそう遠ないうちにいくよって」

【………】

【………】

【………】

「……なんで黙ってんの? なぁ、待っとってくれんのやろ? なぁってば…」

【あっちゃんはゆっくり来たらええ】

【せやせや、急ぐ事あらへん】

「……い、嫌や…」

【……最後まで、ありがとうな】

「嫌や言うてるやろ! なぁ、待っとれんのやったら、せめて連れってってぇな…あたしも…。長生きしたかて、1人やもん…寂しいやんか……なぁったら!」





 チャプ…チャプン…


 水面が揺れる。

 想いを果たした老人達が舟に戻ってきた。


 舟の横、岸辺に立ったまま深く首を垂れる。


「おおきに、ありがとう」

「ありがとうございました」

「会えるやなんて、夢が夢やのうなった…おおきに、おおきに」


「………」


 辰巳は俯いたまま何も答えない。

 だが老人達の表情はとても明るく、とても嬉しそうだ。


「どうぞ、お納めください」

「こんなもんで御礼になるんかわからへんけど」

「ありがとう、ありがとう」


 ゆっくりと老人達の姿が霞んで……霞んで…


 ………そして消えた。


 後の残るは真っ白な小石が3つ。


 これが何か、本当のところ辰巳にはわからない。

 白朧も知ってか知らずか、何も言う事はない。

 魂の残滓なのか、それとも記憶そのものだろうか……わかっていることは、客人は皆違う事なく、思いを遂げた後その小石を残して消えてしまう事だけだ。



 何を引き換えにしてでも会いたい人、行きたい場所がある魂が訊ねてくるのが銀月庵だった。




 辰巳は庵に戻る。

 白朧は疲れたのか、辰巳の左腕に巻き付いて目を閉じている。


 未だ縁台の上で丸く微睡む猫を横目に、奥への障子を開け装束を脱ぐ。

 何時もの軽装に戻って、そのまま更に奥への障子を開け進めば、少しだけ華やかな彩色が施された襖が見えた。


 襖の奥には布団が敷いてある。

 そこに横たわるのは黒髪と白い肌が美しい女性。

 顔立ちは辰巳に似ている。


「……只今戻りました……母さん」


 辰巳が『母さん』と呼んだ女性の…呼吸を刻んでいるようには見えない程、微かに上下する胸の上に、先程の客人達が残した小石を置いた。

 3つ全部置いた。

 すると、すぅっと煙のように吸い込まれて消えた。


 母が何故意識がなくなったのか、辰巳にはわからない。心当たりもない。

 ただ時折訪れる客人達の懇願に負けて見様見真似で案内をした後、残された小石が何故か母親の身体に吸い込まれるように消えたから、そのまま儀式のように続けている。



 今日も銀月庵の周りには、紫色の光を放つ白雪が降る。

 降って降って……だけど地面を覆う高さ以上にならない積雪の間を通って、きっとまた客人が訪れる事だろう。



 此処は銀月庵。

 何を賭しても会いたい人、行きたい場所があるなら一度訪れてみると良い。





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