【短編】うさんくさい旦那様と空気になりたい妻の攻防
婚約が決まってからというもの、婚約者のヴァレウス・フォーサイス公爵は驚くほど優しかった。
「フィオラ、君はとても聡明で美しい女性だね」
「……お褒めにあずかり、光栄です」
「可憐な華のような君を妻にできて、僕は幸せ者だよ」
「……まあ」
(う さ ん く さ い)
必要性をあまり感じないような、お茶や食事にもよく誘われた。今日もヴァレウスの屋敷に招待され、一緒にお茶を飲む時間を過ごしている。
焦げ茶色の髪と瞳でそばかすだらけ、どこにでもいる平凡の塊のような自分に、惜しげもなく褒め言葉を笑顔で浴びせてくる。何か裏があるに違いない。フィオラは警戒を悟られないよう、笑顔を作った。
フィオラ・ケリーは伯爵家の娘だ。特に取柄のない、一般的によくある貴族の中の一つ。そんなケリー家には、公にできない秘密があった。代々王家からスパイ活動を任されている家柄なのだ。もちろん、王家の一部の者しか知らない。ケリー一族は可もなく不可もなく生きている風に装い、長く細く続いてきたのだ。もちろん、フィオラもその教育を受けて育ってきた。
この縁談が舞い込んだ時、フィオラは王家とフォーサイス公爵家の不仲を疑った。スパイとして送り込まれ、何か情報を集める指示が下りるものだとばかり思っていた。しかし、今のところそんな兆候は一切見られない。もしかして、ヴァレウス自身がフィオラに仕事を任せたいと思ったのかもしれないが、公爵家の人間がどこまでケリー家の裏事情を知っているのか不明なため、フィオラは自分からは切り出せない。家族同士でも、国家の機密に関わることは話すこともないので、相談相手もいない。
「ふふ、君に心を開いてもらうには、まだ時間が必要なようだな」
ヴァレウスはフィオラの手の甲にキスを落としながら、上目遣いで見つめてきた。
サラサラの銀白色の髪がゆれる。暗い灰色の瞳は、よく見ると青味がかっていて、瞳の奥できらりと輝く。美しく、整った顔。細身ではあるが、しっかりと鍛えられている体。
これは、敵わないな、フィオラは思った。こうやって言い寄られたら、ほとんどの女性が心をときめかせるだろう。フィオラはどこか冷めた心でそんなことを考えていた。
嘘くさいのだ。 ヴァレウスの一挙手一投足があまりにも完璧で、計算されつくしている。自分は大きな罠にはめられようとしているのだと、直感的に感じる。
ヴァレウスとはそれ以降もたわいのない話をして、その日は別れた。
◇ ◇ ◇
結婚式の日は間もなく訪れた。無事に(?)この日を迎えることに、フィオラは驚いた。どこかで突然婚約破棄されるなり、任務を言い渡される場面を想像していたから。
自分が話題の中心になることを避けてきた人生だったので、それはもう……地獄だった。
綺麗に飾り付けようとする着付けの手伝いをうまくかわしながら、失礼にならない程度に地味に地味に方向性を持って行った。髪の毛も一つにまとめ、シンプルなヴェールをかぶるだけ。ドレスはレースが多用されたものを避け、落ち着いた光沢のない生地で作ってもらった。
……結果としては、夫であるヴァレウスがあまりにも輝いていたため、自分は添え物のような扱いとなった。思いも寄らぬところで、うまくいくものだ。フィオラに会うために家族もやってきていたが、皆『普通』を心がけた完全に平凡で無難な家族だった。
結婚の宣誓式はほとんどヴェールをかぶって顔があまり見えない状況でやりすごせたので、あとは披露宴をなんとか終わらせるだけだ。本当は盛大なパーティーなどごめんだったが、公爵家の威厳のためにも仕方がない。どうせ皆ヴァレウスしか見ていないのだから大丈夫。
……そう思ったが、ヴァレウスはフィオラを片時も離さず、ずっと一緒に挨拶回りをするはめになった。偉そうな人に挨拶したら休憩と称して会場の端にでも座っていたかったのだが、そうはいかなかった。
思った通りに、皆から珍しそうにじろじろと見られ、特に女性達からは嫉妬や蔑みの目を強く向けられた。ヴァレウスが謎ののろけ話をする度に、女性からは射殺さんばかりの視線を向けられ、フィオラの顔を見定めるなり、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。中には嫌味を言ってくる人もいたが、ぴったりと貼り付いたヴァレウスが不快そうな顔をしてそれらを遠ざけた。フィオラとしては、どちらかというと女性達の考えに賛同するのだが。だって、憧れの男性の結婚相手がこんな凡庸な娘だったら、誰だって嫌だし、見下すだろうし。
フィオラは無難な笑顔を貼り付け、定型文の挨拶を反復し続けて対処した。
◇ ◇ ◇
寝る支度を整えたフィオラは、夫婦の寝室、なる場所で椅子に座り、がっくりとうなだれていた。
(つ、疲れた……)
披露宴に出て終わりではなかった。夜の準備と称して、使用人たちに体中磨き倒される羽目に遭ったのだ。ひらひら、すけすけの謎の衣装は断固拒否し、一番マシと思われるシルクのワンピースを着て今、ここに座っている。それだって、やたら丈が短い。フィオラは大きくため息をついた。ヴァレウスだって、こんなつまらない女には何も期待はしていないだろう。
「いっそのこと、『白い結婚』など提案してくれればね」
「何か、言ったか?」
「ひっ!」
いつの間にか、ヴァレウスが室内に立っていた。仕事柄、人の気配には注意を払う癖がついているフィオラだったが、全く気付けなかった。
もう表情筋も疲れ果てているフィオラだったが、何とか笑顔を作って、夫となったヴァレウスを迎えた。しかし、いつも甘い微笑みで返してくれるヴァレウスは無表情のまま立ち尽くし、感情が読み取れない。フィオラは内心焦ったが、態度に表さないようにじっと相手の次の言葉を待った。
「僕が贈った、今日身に付ける装飾品は、ほとんど受け取ってもらえなかったようだね」
「!……私ごときにはもったいない、高価な物でしたので、大切に保管させていただいております。またの機会には、是非つけさせてもらいますね」
「またの機会、ね。あと、今しがた『白い結婚』と聞こえてきたのは何のことかな?」
(何よ! ばっちり聞いてたのね……性格悪いわ)
「いえ、フォーサイス公爵閣下のことではないのです。誤解をさせてしまい、申し訳ございません……本日、家族より、地元の友人の話を聞いたもので、つい想いを馳せてしまいまして」
「……僕たち、夫婦になったのだから、呼び名も改めてほしいところだな」
「これは失礼をしました。では、ヴァレウス様、と」
「……」
「……」
言い訳は、うまくできたのではと思う。しかし、この間は……
最悪切り殺される可能性も視野にいれつつ、愛想をつかして結婚が取りやめになるかもという期待も膨らんでくる。そうして沈黙していると、はあ~っと大きな声をだしてため息を吐いたヴァレウスが、どっかりと近くのソファに座った。足を組み、前髪をかきあげる様子は、いつもの紳士的な彼からは想像もつかない態度だった。
「あー、ちょっと、素に戻っていい? 話し辛いから。それに、今のままだと、あんたも心を開いてくれなさそうだって分かったからな」
口調まで、今までと変わった。やはり、とフィオラは確信する。この男、何か裏がある。同時に、どこか安心する自分もいた。取り繕って生きているのは、自分だけではないと思えたから。
「ヴァレウス様、何が目的です?」
「目的、とは?」
「このような女を娶る、本当の目的です。目くらまし? 身代わり? 何かやってほしい仕事がある……?」
「何言ってんの。フィオラのこと、好きだからだけど」
……
予想外の答えに、ものの数十秒、フィオラは固まった。
「誤魔化されるのであれば、もう一度問いますが……」
「いや、だから好きだっていってるし」
「……???」
理解の追い付かないフィオラに、ヴァレウスはやっぱり分かってなかったか、と小さく舌打ちした。
「もちろん、ケリーの家系の役目は知ってるし、理解してるよ。俺も一応公爵の人間だからね。でも、それとフィオラを妻にしたのは別の話」
「そん……な」
「別に、お飾りの妻にしたいわけでも、愛人を囲ってる訳でもない。フィオラはそのまま、俺の妻でいてくれるだけでいい」
「……なんで」
「初めは、ちょっと気になっただけなんだ。でも、会う機会があったら、ついいつも目で追っていた。フィオラはいつも、大衆の一部に溶け込んで、目立ちそうになったらそっと引いてたな。俺に近寄ってくる女性はみんなうっとりして顔を赤らめるけど、フィオラはそれを真似て演技しているのが分かった」
「……そこまで観察されているとは……私が未熟なせいです」
「だから、本当のあんたはどんな人間なんだろう、って気になったんだ」
「私の存在意義が……」
がっくりと膝をつくフィオラに苦笑しながら、ヴァレウスがやさしく立たせた。
「婚約の直前、ケリー侯爵……フィオラの父上にも会って、話を聞いて来たよ。フィオラは真面目な性格だから、徹底して自分を殺して生きている、もっと楽に生きる道を選んで欲しかったが、もう遅いのだろうかと悩んでいたよ」
「お父様が……そんなこと言うはず……」
納得できないフィオラはそれでも食い下がった。かなりの混乱気味で。
「私の存在意義などケリーの力だけなのです。もう、手あたり次第諜報してきますから! 事によっては色仕掛けも辞さない覚悟でっ!!」
にこりとしたまま、ヴァレウスから黒いオーラが立ち込めた。
「まさか、フィオラ、ハニトラの経験が、あるわけないよな」
「うぇっ……は、はい」
どう見ても急に不機嫌そうなヴァレウスにフィオラは気圧された。
「よかった。フィオラは俺だけのものになったんだから、余計なことは考えなくていい。俺に尽くすことがこれからの君の存在意義だ」
部屋の真ん中に置かれた、広いベッド。じりじりと追い詰められたフィオラは逃げ場がなくなり、ついにベッドにとすん、と座った。
「ところで……」
ヴァレウスの端正な顔が、鼻がぶつかりそうなほど近くまで寄せられる。
「フィオラは自分の顔立ちを隠すために、化粧をしているんだね?」
「な、なんのことだか……わっ」
気付くと、濡れた布巾で顔をごしごしとこすられていた。
「ちょっ、やめてください!」
「ほら……ああ、そうか、そばかすも偽物か」
睨みつけるフィオラを物ともせず、ヴァレウスはにっこりと、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「見つけた。本物のフィオラ」
素顔でだれかと対面するなどいつぶりだったか。あまりの恥ずかしさに、フィオラは顔を真っ赤にした。それでも、ヴァレウスの眼差しがどこまでも優しい。ショックなのか何なのか、訳も分からずフィオラの目からはボロボロと涙がこぼれ出していた。
「さあ、わが妻よ。今夜は何の日だ? 俺達の記念すべき初夜の日だ」
「いや、ちょっとキャンセルさせていただいて……わわっ」
「な、思った通りだった。フィオラは感情豊かで、おもしろい女だ」
「い、いえっ! 私は決して『おもしれー女』枠の人間などでは……いやぁあああ」
その後はというと、フィオラはヴァレウスに見合う女性になるために努力し続けたし、ヴァレウスは彼女をいつまでも大切にした。仲睦まじい公爵夫妻の噂は、気付けば国中に広まっていった。