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婚約者様は非公表

悪役令嬢と平民男の3年間

作者: 湯瀬

読んでくださってありがとうございます。

最後までお楽しみいただけたら幸いです。

 わたくしは公爵令嬢セレンディーナ・パラバーナ。

 クゼーレ王国の四大公爵家が一角、パラバーナ家。由緒正しい公爵家にわたくしは生まれた。双子の兄妹の、妹として。

 わたくしたち兄妹が生まれたときは、それはもう騒然となったものだと聞いている。なぜなら、美しいから。母から継いだ青藍色の髪に、父から継いだ黄金の瞳。両親からいいところだけを受け継いだ端正な顔立ち。非の打ち所がない美貌は歳を重ねるごとに増していった。

 そしてわたくしたち兄妹は公爵家に相応しい教養を身に付けるべく、幼い頃から厳しい教育も受けてきた。座学に魔法、刺繍にダンス。兄は剣術。もちろん作法(マナー)も抜かりなく。


 そう、何が言いたいか。

 それは「わたくしが完璧な令嬢だ」ということ。


 だからこそ、わたくしを脅かす存在は許せない。


 だからこそ、わたくしは警戒しているのだ。


 ──私が入学する王立魔法学園に「平民の魔力持ちがいるらしい」という噂に。



◆◆◆◆◆◆



「ねえ、お兄様。この小説をご存知かしら?」

「ん?何だ?それは……恋愛小説か?」


 わたくしは晩餐の後、広間で寛いでいたお兄様に話しかけた。お兄様は突然の質問に首を傾げながら、わたくしが手に持っている本の表紙を眺めている。


「ええ。今、貴族令嬢の間で流行っておりますのよ。所謂『悪役令嬢』シリーズですの。」

「悪役?」

「そう。容姿端麗、成績優秀、品行方正なご令嬢が、知らぬ間にどこぞの平民の少女に貶められる話ですわ。」

「……何だそりゃ。」

「具体的に言いますと……

 ある日、珍しい平民の魔力持ちの少女が貴族の通う学園に入学してくる。そして、完璧なご令嬢を差し置いて注目を集め、あまつさえ王子様や公爵令息、教師たちまでたぶらかし惚れさせてしまう。

 そして最後には、その平民の少女の恋愛模様を邪魔したとして、容姿端麗成績優秀品方公正なご令嬢はなぜか『悪役令嬢』と罵られ断罪されてしまう。

 ……という信じ難い物語ですの。いかがです?身の毛がよだつ残酷さでしょう?」


 わたくしの話に、お兄様は意図がつかめないといったように怪訝そうな顔をした。


「うーん、まあ、残酷っていうか……個人的にはあんまり面白そうには思えない話だけど。それがどうした?」

「この物語を初めて読んだとき、わたくしは感じたのです。この『悪役令嬢』はわたくしだ、と。」

「うーん、その平民の恋路を邪魔するあたりが?」

「違いますわ!」


 わたくしは(とぼ)けたことを言うお兄様に声を荒げる。お兄様は相変わらず察しが悪い。


「わたくしは『容姿端麗成績優秀品行方正な完璧令嬢』でしょう?!」


 するとお兄様は、私に向かってじっとりとした半目を向けてきた。


「お前……相変わらずの自信過剰っぷりだな。」

「あら?事実でしょう?事実を事実と言って何が悪いの?」


 わたくしはさらりと言い返す。だって実際、その通りだから。

 そしてわたくしは話を進めた。


「ねえ、お兄様。聞きましたこと?

 来週わたくしたちが入学する王立学園に『平民の魔力持ち』がいるらしいんですの。『ユン』という名の。」


 お兄様は「まさか……!」と顔を青くしながら息を呑んだ。ようやく理解したのね、お兄様。


「そう、その『平民(ユン)』こそがわたくしを脅かす悪しき存在にな──……

「お前……!まさかその平民に言いがかりをつけて変なことをしでかす気か?!」


 わたくしの言葉に被せて、お兄様が意味不明なことを言ってきた。わたくしは思わず顔を顰める。


「……なんですって?『変なこと』?」


 するとお兄様はわたくしの声を無視して、やれやれといったように首を振った。


「はぁ……。高飛車で思い込みの激しいお前に少しでも穏やかさと温厚さを身に付けさせようと、せっかくお父様が王都外の貴族学校に通わせてくださっていたのに……無駄だったようだな。」

「あんな田舎、苦痛でしかありませんでしたわ。」

「そのお前に付き合ってた僕の方がもっと苦痛だったよ。」


 そうなのだ。わたくし達は中等部の頃は、お父様の意味不明な謎の計らいで王都外の貴族学校の近くにわざわざ別宅を建ててまで通っていた。

 自然の中でのびやかに育てた方が、視野が広く自由で柔軟な発想を持ち合わせた優秀な人間になる……とのことだったのだろうとわたくしは解釈している。最近はそういった教育法も流行っているようだから。

 しかし、王都外では学校のレベルにも限界がある。四大公爵家の子女にふさわしい教育を受けるためには、やはり高等部からは王都の王立学園に入るしかないのだ。


「とにかく!わたくしはその噂の平民とやらに堕とされるようなヘマはしたくないのです。」

「……それ、小説の話だろ?」

「どこぞの国の実話が元になっているそうです。所詮小説だからと楽観視はできませんわ。」

「……ハイハイ。で?お前はその『平民』に何をしでかすつもりなんだ?」


 お兄様が半ば呆れたような苛ついたような声を出す。しかし苛ついているのはこちらの方だ。


「まだお分かりいただけませんか?お兄様。こういったものは最初が肝心なのです。

 ──平民が図々しく貴族と恋仲になれるなど、思い上がらないこと。

 ──学園内であれば身分差がないなどの建前を本気にしないこと。

 ──そして何より、わたくしとあなたでは格が違うのだと、理解すること。

 わたくしは妙な力で物語のような破滅などしたくありませんの。入学したら、その平民とやらにこの現実を徹底的に教え込むつもりですわ。」


 私の言葉を聞いたお兄様は、ついに怒り出して吐き捨てるようにこう言った。


「小説は未読だけど、今理解した。お前のそういうところが『悪役令嬢』そっくりなんだよ。

 中等部の頃から、お前の尻拭いはもううんざりだ!

 ……破滅はしても、僕のことは巻き込むな。」


 そしてお兄様は広間を去り、わたくしは一人、残された。


 まあいいわ。最初からお兄様の協力など期待していない。わたくしは一人でも、破滅を回避してみせる。


 そうしてわたくしは、クゼーレ王立魔法学園へ入学した。



◆◆◆◆◆◆



「初めまして!ユンです!こんにちは!」


 ………………え?


「……あれ?お会いするのは初めてですよね。お隣の席になったのも何かのご縁。これからよろしくお願いしますね!」


 入学初日。初めての教室。隣の席からいきなり声をかけられて、そちらを見ると……


 垂れ気味の大きな目に、長い睫毛。柔らかな印象の顔立ちに人懐っこい笑顔。誰もが一目で好きになる。



 まるで小説で予習した通りの平民の……「男」がいた。



「お名前は何ていうんですか?」


 ニコニコと笑いながら首を傾げてくる平民の男、ユン。

 決して女々しい印象はない。顔立ちこそ女顔かもしれないが、そのありふれた庶民らしいくすんだ金色の髪は全体的にサッパリと切られている。ただ、襟足だけが紐で一つに結ばれ、腰まで長く垂れていた。

 貴族ではあり得ない、庶民の男らしい野蛮な髪型だった。


 わたくしは馴れ馴れしいその男に胸がざわついたが、名を聞かれた以上答えない訳にはいかなかった。


「セレンディーナ・パラバーナよ。」


 すると平民の男、ユンは満面の笑みでこう言った。


「よろしくお願いします。セレンディーナ()()。」


 ……なっ?!


「『()』でしょう!?馴れ馴れしいのよ!この平民が!!」



 ………………



 入学初日の浮ついた空気の教室がわたくしの声で静まり返る。

 わたくしに急に怒られた平民(ユン)は、驚きのあまり目が点になっていた。

 すると、わたくしの声を聞いて、教室の反対側にいたお兄様が慌ててこちらへ駆け寄ってきた。


「いきなり何をしているんだ!セレンディーナ!お前──……」


 お兄様がわたくしを怒ろうとしたが、それを遮ったのはわたくしではなく、平民男のユンだった。


「ああ、ごめんなさい。ついうっかり。

 中等部の頃から皆が気さくにしてくれていたので、俺、すっかり感覚が麻痺しちゃってました。そうですよね、いきなり失礼しました。

 よろしくお願いします。セレンディーナ()。」


 あまりにもあっさりと非を認めて訂正してくるユンに、わたくしは毒気が抜かれてしまった。

 小説の平民ように「学園では身分なんて関係ない!」とは言わないのか。


「……分かればいいのよ。」

「ありがとうございます。」


 律儀に私の許しにまで礼を言ってくる。なんなんだ、この男は。


 わたくし達の会話を聞いていたお兄様は溜め息をつき、わたくしではなくユンの方へと話しかけた。


「いきなり妹がすまなかった。……僕はアルディート・パラバーナ。セレンディーナの双子の兄だ。これからよろしく。」


 お兄様に話しかけられたユンは、笑顔でお兄様の顔を見上げた。先ほどわたくしに怒鳴られたことなどなかったかのように。……本当に反省しているのだろうか。


「いえ、悪いのは俺の方ですから。妹様にいきなり失礼しました。

 俺はユンです。これからよろしくお願いします、アルディート様。」


 お兄様は少し悲しそうに、残念そうに首を振った。


「いや。『様』なんてつけなくていい。アルディートでいい。同級生だからな。敬語もいらない。」


 その言葉を聞いたユンは、何が面白いのか、声をあげて笑った。


「あはは!似てない兄妹ですね。……じゃあ、よろしく。アルディート。」


 ……似てない兄妹。褒めているのか貶しているのか。

 なんだか失礼なことを言われたような気もしたが、わたくしはその日は、これ以上怒る気にはなれなかった。



◆◆◆◆◆◆



 警戒していた平民が、まさかの男だった。


 わたくしはいきなり出鼻を挫かれてしまった。これではわたくしがただ空回りをしているみたいではないか。

 でもまあ、これで良かったのかもしれない。これで完璧な令嬢であるわたくしが理不尽に堕とされる危険はなくなったのだから。


 そう思いながら数日過ごしていたが、わたくしはどうにも気掛かりだった。

 あの平民の男。性別の差はあれど、油断ならないような気がする。


 思い返せば、わたくしが「敬称を間違えるな」という()()()()()をしただけなのに、いつの間にか教室はまるで「わたくしの方が悪い」かのような空気になっていたではないか。

 ……やはりあのユンは、わたくしを嵌めて周囲の同情を誘い、わたくしを破滅させる存在なのかもしれない。


 わたくしは気を引き締めて、やはり当初の計画通り、あの平民男が調子に乗って貴族を堕とそうなどという妙な野望を抱かないよう「現実をしっかりと叩き込む」ことを決意したのだった。



◆◆◆◆◆◆



 …………やっぱり、いた。


 わたくしの予習通りだった。あの小説の通り、ユンは貴族ならばあり得ない妙なところに登っていた。


 学園の裏庭の()()()に。


「そこで一体何をしているのかしら?ユン。」


 わたくしはいきなり声を掛けた。


 小説ではこういうとき、平民は「えっ?!あっ、はわわっ!」などとわざとらしく落下してくるのだ。木から降りられなくなった子猫を抱えながら。

 そうして落下した平民は、咄嗟に優秀な若き騎士だかに抱きとめられる。……くだらない。


 しかし、ここには騎士など誰もいない。不意打ちを喰らって無様に木からただ落ちるがいいわ。


 そう思っていたが、ユンはまったく違った。

 ごくごく普通に「セレンディーナ様!」と、まるで気配に気付いていたかのように返事をしながらあっさりと地面に飛び降りた。

 なんだか、猿のような身軽さだった。


「何か御用ですか?」


 相変わらずの笑顔で聞いてくるユン。わたくしは特に用事があった訳ではないので、逆に困ってしまった。


「…………別に。ただ貴方がいたから声を掛けただけ。」


 するとユンは、驚いたように目を見開いてこう言った。


「すごいですね!俺がここにいるのに気付いたの、セレンディーナ様が初めてです。」


 褒めているつもりなのだろうか?全然嬉しくない。


「入学してから、学園内で寛げそうな場所をいろいろと探していたんですけど。この木の上のところが意外と落ち着くって、最近発見したんです。」

「……貴方は猿か何かなのかしら?」


 わたくしが嫌味を込めてそう言うと、ユンは少し眉を下げながら笑った。


「まあ、実際そんなものですね。俺は庶民ですから。学園のカフェだと落ち着かなくって。」


 わたくしは溜め息をつく。


「木から降りられなくなった子猫でも助けているのかと思ったわ。」

「え?この学園内に猫なんていませんよね?」


 ……そういうことじゃないの。この平民。



◆◆◆◆◆◆



 それからまたしばらくして。

 わたくしはふと思い立って、授業終わりに学園の図書館にやってきた。

 小説では、平民は苦学生らしくせっせと図書館で勉強していたからだ。そうして将来有望な宰相の子息だかと意気投合して勉強会をするようになる。……なんて小賢しい。


「何を読んでいるのかしら?」

「セレンディーナ様!こんにちは!」


 声は小さくしながらも、明るく元気に挨拶をしてくるユン。わたくしはその手元へと目をやった。


「『珍味!魔物フルコース100』?」

「あ、はい。これ、魔物の肉や卵を使った料理レシピ集です。」


 …………何だそれは。


「貴方は平民らしく、せっせと予復習に勤しんでいるのかと思ったわ。」

「俺ってそんなに真面目そうに見えます?やったぁ!なんだか得した気分になりますね。ありがとうございます。」


 そういう意味じゃない。


「貴方は平民なのだから、奨学金制度でも使っているのではなくて?そんな間抜けな本を読んでいて勉強は大丈夫なのかしら?」


 わたくしがそう言うと、ユンが少し残念そうな顔をした。


「それが……この学園は奨学金制度が無いんです。だから成績順位を一つあげるより、魔物の一体でも狩って換金した方が生活の足しになるんですよね。」


 そうだったのか。わたくしは奨学金制度など使うはずもない四大公爵家。そのような制度の有無までは知らなかった。

 どうやら現実の世界は、小説よりも世知辛いらしい。


「ということは、貴方はここの学費をすべて自分で払っているのかしら?不可能でしょう?」


 するとユンは、先ほどまでの残念そうな顔とは違い、なんだか複雑そうな顔をした。それを見たわたくしは、なぜか思わず緊張してしまった。


「本来は不可能なはずなんですけど……俺には兄ちゃん……あ、えと兄がいて、その兄が必死にお金を貯めて俺を学園に入れてくれたんです。

 それで、今でもずっと学費と生活費を仕送りし続けてくれています。」

「そうだったの。」


 さすがに自分で稼いでいる訳はないか。しかし兄といえど、平民にそんな学費と仕送りができるほどの稼ぎがあるとは思えない。どちらにしろ貧乏な生活を送っているのだろう。


「はい。……でも、セレンディーナ様の言う通りかもしれませんね。兄ちゃんが頑張ってくれてるのに、俺、こんな呑気に本読んでる場合じゃないよな。」


 ユンがそう言って落ち込みかけたので、わたくしはついその貧乏な平民の苦労に同情しかけてしまった。

 そんなにもひもじい日々ならば、本を見ながら豪華な料理を想像するくらい許してやってもいいのではないか。……勉強の合間のささやかな息抜きくらいは。

 そう言おうとしたら、ユンが本を閉じてスッと立ち上がった。


「よし!じゃあさっさと行かなきゃ。セレンディーナ様、ありがとうございました!では!」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい!本はもう読まないの?貴方はどこに行くの?」


 思わず慌てた私を見たユンは、不思議そうにしながらも笑顔ではっきり言い切った。


「寮の門限までまだ時間があるので、ちょっと外に出て魔物を狩ってギルドで換金してきます!本のレシピも頭に入れたので大丈夫です!」


 ……あの平民。勉強する気はあるのかしら。



◆◆◆◆◆◆



 平民の苦学生というのは、大抵「お可哀想に」と同情したくなるような複雑な背景を持っているものだ。


 わたくしが読んだ小説では、平民は幼い頃に両親を流行り病で亡くし、孤児院に預けられていた。そしてそこで魔力持ちであることが判明し、学園に通うために子爵家に養子として迎え入れられるのだ。

 両親を失い、田舎から出てきて、慣れない貴族の中での学園生活を強いられる。

 ……これでもかというほどに「可哀想」を詰め込まれた主人公だ。そうでもしなければ完璧な存在である「悪役令嬢」に勝てないから。多くのご令嬢たちを押しのけて王子様の気を引きつけるには、重い過去や辛い背景に挫けない健気さが必須なのだ。


「ねえ、ユン。」

「なんですか?セレンディーナ様。」

「貴方、この前図書館で会ったときに、お兄様のお話をされていたわよね?」

「はい。そうですね。」

「貴方のご両親は、今どちらに?」


 小説の平民は天涯孤独。

 一方でこのユンには、兄がいる。さすがに小説の世界までの悲惨さはないだろう。


 そう思って聞いたら、ユンは少しだけ言うのを躊躇うような素振りをした。


「えーっと、俺が9歳のときに亡くなりました。」


「…………そう。ごめんなさい。」


 わたくしは無意識のうちに謝罪を口にしていた。

 するとユンは困ったような笑顔でこう言った。


「いえ、いいんです。その事実自体はもう全然、話す分にはいいんですけど。

 ただ、セレンディーナ様に気を遣わせてしまいましたね。ごめんなさい。」


 その後はどうしたのだろうか。……少なくとも、小説のように子爵家の養子になっていないことは分かる。

 しかしわたくしには、それを深掘りして聞く勇気はなかった。



◆◆◆◆◆◆



 学園が長期休暇に入った。


 小説の平民は、期末試験で頭抜けた成績を残し、周りを震撼させ、有力貴族の子女ばかりの生徒会に勧誘される。

 しかし、ユンの成績は悪くないものの、上の中といったところだった。

 わたくしは当然、女子の一位を取った。

 壁に貼り出された成績表を見て教室の席に戻ったら、初めてユンの方から「一位おめでとうございます。すごいですね!」と声を掛けられた。それだけ。

 それ以外は何も起こらなかった。


 長期休暇中に公爵家に帰省していたときのこと。

 わたくしは晩餐の後、広間で寛いでいるお兄様に話しかけた。


「……ねえ、お兄様。」

「何だ?そんな暗い顔して。」


 特に、理由はないけれど。わたくしは少し、気になり続けていた。


「お兄様は、ユンのご家族のことをご存知かしら?」


 するとお兄様は、わたくしの言葉に分かりやすく顔を曇らせた。


「なんでだ?まだ『平民(ユン)』に何かしようとしてるのか?」


 わたくしは首を振った。


「違いますわ。わたくしはただ情報収集をしようとしているだけ。もし小説の平民らしく同情でも誘われたら敵いませんもの。」


 ──、そんなこと言うつもりはなかった。


 でも、なぜか咄嗟に口からそう出てしまった。


 わたくしが自分に戸惑ったその瞬間、お兄様は今までに見たことがないような顔でわたくしを叱りつけた。


「お前!いい加減にしろ!ユンの前で絶対にそんなこと言うんじゃないぞ!!」


 わたくしは焦った。

 お兄様がユンと最近仲が良いらしく共に行動していることは知っている。平民のくせに太々しいと、その姿を見ると無性に苛ついたものだ。

 ただ、どうしてお兄様はいきなりそんなに怒ったのだろう。ユンから何か聞いているのだろうか。

 わたくしが目を見開いて固まっていると、お兄様は苦々しげにわたくしに話し始めた。


「ユンは……9歳のときに『ウェルナガルドの悲劇』で両親も住んでいた町もすべて魔物によって殺されて失ってしまったんだ。」

「……っ!『ウェルナガルド』ですって?」


 ウェルナガルドの悲劇。

 この国史上最大にして最悪の大規模な魔物災害。

 上級魔物の大量発生により、一夜にしてウェルナガルドの領地が全滅したという凄惨な事件。

 犠牲者は数千人、保護できた生存者はいなかったとされている。8年前の事件だが、国史学でも魔物生態学でも絶対に習う出来事だ。


 ユンは、そんな悲惨な事件の生き残りだったというの?


「で、でも、その事件では生存者は保護できなかったと……。」

「僕も詳しくは知らないが、ウェルナガルドは辺境の地だからな。国の魔導騎士団が到着するまでに半日以上かかっていたらしい。

 ユンは、そのとき魔物から逃げるために兄と共にすでに町を去っていたそうだ。それからは放浪生活をしながら金を貯めていたらしい。……それで、頑張って金を貯めて、今こうして学園に通えるようになったそうだ。」

「…………そうだったんですの。」


 お兄様はまるで自分の行いを悔いるかのように言った。


「僕も、ユンにうっかり聞いてしまったんだ。軽い世間話のノリで、彼の生い立ちを。

 ただ、ユンは笑って言っていたよ。『そうは言っても、兄ちゃんと二人だったからね。天涯孤独って訳じゃないし。割と楽しく暮らしてきたよ。あんまり気を遣わないで。』と。」

「…………。」


 そんな訳がないだろう。「割と楽しい」訳がない。

 わたくしにも分かる。生き残っている身内の数なんかで、小説の平民とユンの不幸を測り比べようとしたことを、わたくしは心の中で恥じた。

 歴史に残るような大災害の被害者。むしろ、そちらの方が小説の設定であってほしいくらいだった。


 黙り込むわたくしを見て、お兄様はわたくしにきつく釘を刺した。


「この話を聞いてお前はユンに『同情を誘うのか』なんて言えるのか?お前だって、さすがにそんなこと無いと分かるだろ?

 現実は小説じゃないんだ。壮絶な生い立ちはただの舞台装置じゃない。

 お前が何を思い込もうが勝手だが、それでユンを……僕の友達を傷付けるようなことはするなよ。」


 わたくしは返事ができなかった。

 別に傷つけようなどとは思っていなかったのに。


 わたくしは自分が何をしたかったのか、何を目の敵にしていたのか、だんだん分からなくなっていった。



◆◆◆◆◆◆



 月日は流れ、わたくしは2学年になった。


 その間、ユンとはこれといって何が起こったわけでもなかった。

 ユンは毎日、朝は隣の席で「おはようございます。セレンディーナ様!」と笑顔で挨拶をしてきて、日中は隣の席で庶民らしくたまにうたた寝をして先生に叱られていた。そして夕方は図書館にいたり、お兄様たちと仲が良さそうに話していたり、どこにも見当たらなかったり、たまに木の上にいたりした。

 それだけだった。


 そしてそのまま2学年になり、ユンとわたくしはクラスこそ同じになったものの、席は離れてしまった。

 ユンは新しく隣の席になったご令嬢にも、わたくしにしてきたのと同じように明るい笑顔で挨拶をしていた。

 なんとも平民らしい、気さくな笑みで。

 わたくしは無性に腹が立った。


 だからというわけではなかったけれど、わたくしは2学年のときに行われる協力魔法の特別授業で、ユンに声を掛けてあげた。


「ねえ、ユン。貴方、特別授業で組むペアはもう決まったのかしら?」

「いいえ。さっき説明を受けたばかりですし、これから考えようかと。」


 ユンは「いきなり何だろう?」とでも言いたげな顔をしていた。

 そんな彼に、わたくしは表情一つ変えずに提案をしてあげた。


「わたくしが組んであげてもよろしくってよ。」

「えぇー……それはちょっと。」


 するとユンはあろうことか、露骨に嫌そうな顔をして即拒否をした。


「……何?わたくしでは何か不満があるというの?」


 予想外の反応に、わたくしは思わずユンを睨みつけた。そんなわたくしを見たユンは「あっ!すみません、そうじゃなくて!」と慌てながら弁明してきた。


「貴族の方々って、すでに婚約者がいらっしゃる方も多いですし……ご令嬢と組むのはマナー的に良くないかなと思って。ちょっと。」


 わたくしは虚をつかれてしまった。


 ……なんだ。そんなことを気にしていたのか。


 そういえば、しばらくもう意識することのなかったあの悪役令嬢と平民の小説を思い出した。

 あの小説の平民は、図々しくも王子様とペアを組んで演習していた。……愚かしい。


 でも、目の前のユンは違った。

 完璧な公爵令嬢(わたくし)を前にして、当たり前のように遠慮した。平民のくせに。平民だから本来ならば当然なのだけれど。……でも平民のくせに。


「いないわ。」

「え?」

「わたくしには婚約者はいないわ。」

「ええっ?!」


 ユンが大袈裟に驚く。


「何よ。何かおかしいことでもあるの?」

「いやー、セレンディーナ様にはもうすでにいらっしゃるかと思っていたので。」


 わたくしはなんだかどんどん腹が立ってきて、声が少し荒くなってしまった。


「何故。」

「何故って……アルディート……あ、お兄さんには婚約者がいらっしゃるって聞いたので。」

「そうね。」

「だからセレンディーナ様にもいらっしゃるのかと。」


 わたくしは、ふんと鼻を鳴らしながら腕を組んだ。


「いるわけないじゃない。だって、完璧なこのわたくしに相応しい相手がいないんですもの。」


「………………。」


 ユンは何秒かポカンとして、それからあろうことかその場で爆笑しだした。


「あはははは!アルディートが言ってた通りだ!セレンディーナ様って本当にすごいんですね!!」


 お兄様から何か聞いたのか。それにしても、一体何がおかしいのだろうか。

 ……今度ユンに何を吹き込んだのか、お兄様を問いたださないと。


「っはー!……あ、すみませんでした。」

「………………別にいいわ。」

「でもやっぱりペアは遠慮しておきます。」

「何故?!」


 わたくしは思わず叫んだ。


「え、だっていずれにしろ男女ペアはちょっと。」

「貴方は女性恐怖症なのかしら?」

「いえ、そうではないんですが。婚約者がいなくても候補の方は何人かいらっしゃるんでしょう?俺、庶民なのでどこまでそういうの気を遣えばいいのか分からなくて……とりあえず全部避けておけば安心かなと。」


 なんて雑な考え方なのかしら。


「わたくしがいいと言っているのだから組みなさい。わたくしは女子一位の成績なのよ。特別授業の成績は個別ではなくペアの評価。得をするのは貴方のほうではなくって?」


 するとユンは、少し考えてから照れくさそうに笑った。


「そこまで言っていただけるのであれば。ぜひよろしくお願いします。セレンディーナ様。」


 翌日、お兄様から「ユンが、お前には女友達がいないのかと心配してたぞ」と言われた。


 ……なんて失礼な男なの。



◆◆◆◆◆◆



 年間を通して全10回で行われた協力魔法の特別授業は、実に有意義だった。

 ユンはわたくしに合わせて魔法を撃つのが上手かった。素直にユンと組めて良かったと思えた。


「ユン。放課後は何か予定があるのかしら?」

「いえ、特には。」

「それならば協力魔法の練習をしましょう。」

「ええっ?!()()()ですか?!」

「何か文句でもあるの?」

「……だって次の授業、1ヶ月後ですよ?」

「それがどうしたというの?」

「え?いや、ちょっと張り切りすぎじゃ……」

「わたくしは最終成績一位以外認めない。もちろん、お兄様のペアにも負ける気はないわ。」


 お兄様は男子の学年総合一位。まあ、四大公爵家の後継として当然だけれど。でもそんなことは関係ない。お兄様が相手だろうが、誰が相手だろうが、わたくしの完璧は揺るがない。


 そう言ったらユンは「ヒェーッ」と声を上げながらとぼとぼとついてきた。


 ……なんて情けないのかしら、この男。


 それでも特訓の甲斐があって、2学年の終わりには無事、わたくしたちのペアは学年一位の成績を収めた。

 ユンが「うわー!俺、最終一位なんて初めてとった!ありがとうございました!」と満面の笑みでわたくしに言うものだから、わたくしはつい黙ってしまった。


 ──わたくしがペアなんだもの。当然よ。貴方もよく頑張った方じゃないかしら。


 口に上手く出せなかったから、代わりに心の中で呟いた。



◆◆◆◆◆◆



「祝賀会、ですか?」

「そう。貴方もよく頑張った方だから。

 わたくしが一位なのは当然だけれど、貴方にとってはもう二度とない一生に一度の機会でしょう?何かお祝いをしておいた方がいいと思わない?」


 わたくしは一週間経って、ようやくユンに「よく頑張った方」と言えるようになっていた。少し遅れてしまったが、認めてあげないこともない。


「うーん、そうですね。何も思いつかないんですけど……学園のカフェでケーキ食べる……とかですか?」

「それのどこが祝賀会なの?」

「ケーキってお祝い事のときに食べません?」

「そんなの平民だけよ。わたくしは食べ飽きたわ。」

「そうですか。うーん……」


 ユンは本当に何も思い付かないといったように首を捻っていた。


「貴方はどこか行きたいところはないの?貴方はお祝い事のときには何をするの?」


 わたくしの質問にユンは首を捻ったまま事もなげに答える。


「俺、ずっと貧乏だったんで、あんまりお祝いらしいお祝いしたことないんですよね。本当に誕生日にケーキ買うくらいで。」

「……そう。」


 わたくしがうっかり同情しかけたところで、ユンがまた奇抜なことを言い出した。


「あとはー、……ギルドでちょっといい武器買うとか?」


 ギルド?武器?

 ユンが1学年の頃に言っていた「魔物を狩って換金する場所」。あそこはユンにとってそんなにも素敵な場所なのかしら。


「じゃあそれにしましょう。」

「へ?」

「ギルドで武器を買いましょう。」

「……セレンディーナ様は武器なんて要らないんじゃないですか?」

「馬鹿を言わないで。貴方のものに決まっているでしょう。」

「……それ、セレンディーナ様の祝賀会になってます?」

「わたくしはギルドなんて行ったことないわ。だからこそ貴重な社会見学にはなるでしょう。良い機会だと思うの。」


 ユンは困ったように目を泳がせながら「えぇー……あんなところにご令嬢は行かない方がいいですよ?ちょっと治安というか品というか……、そもそもご令嬢と王都を出るのはいろいろとまずいんじゃ……身の安全的に……」などともごもご言い訳を並べていた。


「いいから決まりよ。今週末よ。異論は認めないわ。」


 わたくしがそう言い切ると、ユンは困ったように笑いながら「じゃあ一応、俺からもアルディートに許可をとっておきますね。」と言った。



◆◆◆◆◆◆



 祝賀会当日。

 学園の寮の前で待ち合わせて、馬車に乗って王都を出て少し行ったところにある冒険者向けの民間ギルドに向かう。


「あのー……本当に従者の方とか、つけなくて平気です?」

「何万回聞く気なの?平気よ。」

「いや、やっぱりまずくないです?」

「しつこいわよ。今日会ってからずっとその質問ばかりじゃない。」

「えー、だってー……まさか一人でいらっしゃるとは思わなくて……」

「うるさいわよ。いい加減にしなさい。」

「………………ハイ。」


 そして沈黙が流れる。まったくこの男は。いつまでもぐだぐだとみっともない。


 ユンは粗野な民間の冒険者らしい、革製でやたらと小道具がしまえそうな特殊な装備服を着ていた。そして細身なユンにしては厳つい厚底の革のブーツ。そして腰には左右に一本ずつ、短剣らしきものがあった。

 さすが平民。学生服では違和感のあった野蛮な髪型が、この装備服にはよく似合っていた。

 わたくしはというと、ユンに「学園の演習服でいいんじゃないですか?」と言われ、悔しかったけれどそうしている。さすがに週末までに特殊な装備服は設えることができなかった。


 わたくしは沈黙を破るために、ユンの姿を一通り眺めながら質問をした。


「その腰の短剣は何?」

「あ、これ短剣に似てますけど、双剣です。俺ずっとこれを使っていたんです。」


 学園に入る前の、貧乏放浪者時代の話ね。


「貴方、強いの?」

「いえ、全然大したことないですよ。」

「そう。なんだか(さま)になっていたから、強いのかと期待したわ。」


 わたくしが少しがっかりしていると、ユンは嬉しそうに笑った。


(さま)になってるって言ってもらえて嬉しいです。」


 ……褒めたんじゃなくて、がっかりしたのよ。鈍い男。



◆◆◆◆◆◆



 ギルドに着いて扉を開けると、そこはむさ苦しい異様な雰囲気だった。

 すると早速「素材交換」の看板が掛かったカウンターのところにいる屈強な見た目の男が、豪快にユンに声を掛けてきた。


「おう、ユン!今日は面白え依頼が……って、お前、(オンナ)連れてきたんかぁ?!隅に置けねえなあ!」


 わたくしは入って早々に無礼なことを言うその男に驚いた。この庶民の言う「女」とは、恐らく性別のことだけでなく「恋人」の意味だろう。しかし、わたくしが抗議するよりも先にユンが「ははっ。そうでしょー。」と適当な返しをした。


「んなっ!ユン?!貴方どういうつもりなの?!」


 わたくしが焦ると、ユンが申し訳なさそうに笑った。


「すみません。でも、真面目に取り合わずに適当に流した方がいいですよ。あの人たち、焦れば焦るほどイジってきますから。」


 そう言ってユンは奥の方にある「武器装備」の看板のところへスタスタと歩いて行く。

 なんだか、妙に堂々としていて、小慣れていて悔しい。まるで学園にいる彼とは別人みたいだ。

 私は小走りで彼の後をついて行った。


「ユン。お前デートか?来る場所間違ってんじゃねえかぁ?オイ。『カフェ』って言葉、知ってっか?こんなとこ来てたらすぐ振られんぞ?」


 そこでもまた別の男が、失礼なことを抜かしてくる。しかしユンはその揶揄ってきた男とは目も合わせずに「おっちゃん、うっさい。」と言いながら、早速並んでいる武器を眺めていた。

 するとその男はユンを揶揄うのをやめて、並べてある双剣の中で、一番高額な値段のものを指差した。


「こいつなんかどうだ?一昨日入荷した氷牙豹の鉄牙を使ったやつだぜ。」

「無理。こんな高いの買えない。」

「相変わらずけちくせえなぁ、ユンは。いいから一回触ってみろって。」

「えー、買わないけど。」

「いいからいいから、ホレ!」


 そう言われたユンは口を尖らせ、渋々といったようにその男から双剣を両手で受け取った。

 そしてそのままいきなり両手で、刃が丸出しの剣をクルクルと回し始めた。


「キャアッ!」


 わたくしが思わず悲鳴を上げると、ユンが「アッ、すみません。」と言って双剣の柄をパシッと両手で掴んで止まった。

 それはまるで、王都で見た大道芸(サーカス)のような軽やかさだった。


「貴方、いきなり危ないじゃない!怪我でもしたらどうするのよ!」


 わたくしが焦って声を荒げると、ユンは苦笑した。


「大丈夫ですよ。……ああ、でもたしかに心配になっちゃいますよね。すみませんが、少し離れていてもらえますか?」


 そう言って、わたくしのことをそっと引き離したユンは、また先ほどのように剣をクルクルと回しだし、そのまま回転した剣を上に放って、さらにそれを見事に掴み、目にも止まらぬ速さで素振りをしだした。

 わたくしは恥ずかしいことに、その光景を見て口を開けたまま固まってしまった。


 ……王都で見た大道芸よりも凄いじゃない。


 というか、わたくしが危ないんじゃなくて、貴方が危ないのよ!そんな一歩間違えたら腕が切り落とされそうな使い方をするなんて!


 わたくしはハラハラしながらユンの手捌きを見守った。


「んー……いいけど、やっぱ高いかな。」

「そうかそうかぁ。じゃ、コイツはどうだ?」


 ユンがまた男にいろいろと勧められ、それらを危険な大道芸をしながら次々と確かめていく。

 その間、わたくしは距離をとったところから眺めていたのだけれど、不意にその武器装備屋の男とわたくしの目が合った。


 あの男、わたくしの方を見て何とも嫌らしくニヤニヤしている。


 わたくしは思わずぶるっと身震いをした。

 ユン、気付いて!あの男は危険だわ!絶対に何か企んでいる!


「……オイ、ユン。」

「何、おっちゃん。」

「お前、デートやっぱりここで正解だったんじゃねえか?」


 男がユンにそう悪戯っぽく話しかけたところで、ユンが「あ、やべ!忘れてた!」と言って慌てて投げていた双剣を華麗に掴み取った。


 ……「忘れてた」って、わたくしのこと?


 わたくしがそう思ったのと、ユンがわたくしの方を振り向くのは同時だった。


「すみません!すっかり夢中になっちゃってました!退屈でしたよね。」


 いつもと変わらない顔で謝るユンを見て、わたくしは何故だかがっかりした。

 大道芸を見ていたときは、なんだか彼が特別な気がしたのに。



◆◆◆◆◆◆



「ごめん、おっちゃん。全部微妙。」

「オイ!」

「氷牙豹のやつは良かったけど、高いから無理。」


 ユンがそう言っていたので、わたくしは提案してあげた。


「わたくしが買ってあげましょうか?」


 するとユンは物凄い勢いでわたくしの顔を見て、物凄い勢いで首をブンブンと横に振った。


「いやいやいやいや!いいですいいです!!」


 わたくしはてっきり喜ぶかと思ったので、意外な返答に首を傾げた。


「何故?」

「な、何故って、だってこれ80万リークですよ?!」

「そうね。」

「軽く半年は暮らせる金額ですよ?!」

「そんな80万リークだけで半年も?」

「庶民は暮らせます!」

「……それで?」

「……へ?」

「それで、どうして遠慮する必要があるの?」

「エッ?いやだからそんな高いもの買ってもらうなんて無理ですよ無理無理!」

「だって、少し良い武器を買うつもりだったのでしょう?」

「自腹ですよ?!もちろん!」

「そうなの?」

「そうですよ!!当たり前じゃないですか!!」


 ユンは青ざめながら必死に主張してくる。彼の顔には「そんな高額な借りは絶対に作りたくない」と書いてあった。


 ……別に「借り」ではなくて、普通に「買ってあげる」と言っているのに。


 平民ならば普通は泣いて喜ぶのではないだろうか。……なんて素直じゃない男なの。


 男がまたニヤニヤしながら「ユン。いいパトロンができたなぁ、オイ。せっかくだから買ってけ買ってけ!」とユンを煽り、ユンは必死に「おっちゃん!うっさい!無理無理!絶対買わない!ってかパトロンじゃないから!!」と慌てながら抗議していた。


 さっきは「焦るとイジられる」なんて自分で言っていたくせに。


 結局、ユンは双剣を買わずに帰ることにしたようだった。

 わたくしが「ギルドの魔物討伐依頼も受けてみたい」と言ったら、珍しく真剣な顔で「それは危ないので絶対にダメです」と一刀両断されてしまった。

 せっかくだからユンが双剣で戦う姿も実際に見てみたかったのだけれど。こればっかりは、強請っても無理そうだった。いつか見れる日がくるかしら。


 わたくしの勘だけれど、さっきの双剣を使っているユンは、剣術も学年一位のお兄様ですらも敵わないんじゃないかと思うくらいに強そうだった。


 わたくしはそう思いながらユンに尋ねた。


「貴方、どうしてそんなに巧みに双剣を扱うのに、学園の剣術は一位ではないの?」


 するとユンは情けない顔をして溜め息をついた。


「学校の剣って、長いし、一本だし、いちいち型?みたいなのあるし、難しいんですよ。俺、アレ苦手なんです。……はぁ。」


 ………………。


 学園のユンと、庶民の冒険者のユン。

 なんだか別人なようで、やっぱり同じ人なのかもしれない。

 掴みどころのない、なんともパッとしない男。

 わたくしはなんだかとても勿体無く感じた。


 ……まあ、いいわ。


 気を取り直して、わたくしが「せっかくの祝賀会なのだから、奮発して良さげな小物でも買えばいいのでは?」と聞いてみたら、ユンは少し迷って革手袋と刀の研ぎ石を買っていた。

 そしてギルドの食堂の方へ行き、わたくしに向かって「お口に合うかは分かりませんが、せっかくだから何か食べていきますか?社会見学も兼ねて。」と言って笑った。

 わたくしは庶民らしい川魚のスープ、彼は庶民らしい鹿肉と熊肉の串焼きを買った。

 完全に未知の食べ物だったので、私は目の前に置かれたときは思わず眉を顰めてしまった。けれど、恐る恐る一口食べてみると不思議と不快感はなく、むしろとても美味しかった。ユンはそんな未知との遭遇に驚くわたくしの顔を見ながら面白そうに笑っていた。

 心なしか学園内よりもリラックスしていそうな彼の笑顔に、思わず恥ずかしくなって顔が熱くなってしまった。

 こんなにも恥ずかしくなったのは、平民のギルドの空気に毒されて、うっかり作法(マナー)を忘れていたせいだわ。不覚だった。



◆◆◆◆◆◆



 学年がまた一つ上がり、わたくしは3学年になった。これが学園、最後の年。


 そしてわたくしとユンの間は……とても呆気ないものとなった。


 クラスが違った。ユンはお兄様と同じクラスのようだった。わたくしだけ別のクラス。……それだけ。

 それだけで、あまりにも呆気なくわたくしとユンの接点は切れた。


 朝教室に行っても彼はいないし、授業で組む相手も彼ではない。たまに廊下ですれ違ったときに「ユン」と声を掛けると、嬉しそうな顔で「こんにちは!セレンディーナ様!」と明るく挨拶をされるだけだった。


 わたくしは久しぶりに、2年前に流行っていたあの「悪役令嬢」シリーズを読み返してみた。


 ……平民というのは、3年かけて、どんどん馴れ馴れしく、図々しくなっていくものではないのか。

 身分を弁えずに、どんどん砕けた態度を取っていくものではないのか。

 すれ違ったときに嬉しそうな顔をするなら、もっと会いに来ればいいのに。どうしてそんなこともしないのか。


 そもそも、平民の魔力持ちが「男」だった時点で、もう小説とは全然違うのだけれど。

 もはや何の参考にもならない本を読んでいたら、不思議と涙が溢れた。



◆◆◆◆◆◆



 ただ、呆気ない3学年の中でも、ユンと会えたときがあった。

 放課後の図書館。

 1学年のときには「珍味!魔物フルコース100」などというトンチキな本を広げていたユンが、今度は普通に教科書と参考書と魔導書とノートを広げて勉強していた。


 就職活動のための勉強だろう。


 家を継ぐ長男たちはそのまま進路が決まっているようなものだが、他の者たちはこの1年で自身の進路を掴み取る。

 ユンですら真面目に勉強するなんて。

 いよいよ学園生活の終わりを感じて、なんだか寂しくなった。


「ユン。」

「あ!セレンディーナ様!お久しぶりです。」


 ……お久しぶり、ね。


 わたくしに声を掛けられたのを一区切りにしたのか、身体を起こして背もたれに寄りかかって顔を上げたユンにわたくしは問いかける。


「ユン。それは就職活動のための勉強かしら?」

「ええ、まあ。」

「ユンはどこを受けるつもりなの?」


 するとユンはなんだか言いづらそうに、恥ずかしそうに、少し目を逸らしながら小声で言った。


「えっと……王立魔法研究所を第一志望に……一応してます。ハイ。」

「まあ!素敵なところではないの!」


 王立魔法研究所といえば、王都の中心部に巨大な研究施設を構える、魔法研究の最高機関。素晴らしいところだ。


「ええ……だからこそ受かる気はあんまりしないんですけど。」

「…………そういうこと。」


 そういえばこの男、学年で上の方ではあるが、1桁にはいなかった。


「どうして研究員になろうと思ったの?」


 わたくしは純粋に疑問に思ったことを聞いてみた。

 ユンにはあまり研究者という雰囲気はない。どちらかというと、以前にギルドで見たユンの方がしっくりくるし……格好いい気がする。

 わたくしの質問に、ユンはなんだか懐かしむように遠くを見て微笑みながら言った。


「けっこうくだらない理由なんですけど。

 昔……ウェルナガルドにいた頃、母ちゃんが俺のこと毎日褒めてくれてたんです。『ユンは天才だわ!将来は学者さんかしら!』って。

 ド田舎だったからそもそも学校もなくて、一人で本を読めるヤツ自体あんまいなかったから、それだけでちょっと賢く見えてたって話なんですけどね。

 当時はそれが嬉しかったんで。なんとなく。今でも『なれるならなってみたいなー』みたいな。」

「……そうだったの。」

「それに、故郷を離れてからも兄ちゃんがずっと自分を犠牲にして金を稼いで、俺を学園に入れてくれたんです。『お前は勉強ができるからちゃんとやっとけ』って。

 だから、就職したら今度は兄ちゃんに恩返ししたいなって。学園出た分いいとこに就いて、魔法の研究して知識ももっとつけて、それで何か役に立てたらなって。」


 わたくしとユンは3年間で今が一番関わりが薄いけれど、今が一番長く彼の言葉を聞いた瞬間だった。


「くだらなくなんか、ないじゃない。立派な動機だわ。」


 わたくしは今さら気付いた。


 文字の読み書きもできないような人ばかりの辺境の地。そこから大災害を生き抜き、あんなにも双剣を使いこなすようになるまでに過酷な冒険者としての放浪を続けた日々。

 独学では勉強なんてろくにやり方も分からなかっただろう。する時間もまともに取れなかったに違いない。

 それでもユンは、この学園に貴族に混じって入ってきて、必死に王都(いち)の教育に食らいついてきたのだ。貧乏苦学生らしく、たまにギルドで小銭を稼ぎながら。

 そうして、亡くなった母と、育ての兄に報いるよう、高みを目指して今必死に勉強しているのだ。


 ──なんてすごい男なのかしら。


 わたくしは最初に、ユンの成績を見て肩透かしを食らったことを思い出した。でも今なら分かる。


 成績が上の中。それだけでも十分すぎるじゃない。


 四大公爵家の一角に生まれ、幼い頃から充実した家庭教師がついていて、能力向上のために最適化されたスケジュールが組まれていて、日々の寝食の心配も金銭の心配も一切ない中で勉学に集中できる。

 わたくしたち兄妹が一位を取ることくらい……当然なのだ。


 ユンの成績は肩透かしなんかじゃない。わたくしよりも、もっともっと、素晴らしい努力をした偉大な証だった。


「貴方ならきっと受かるわ。大丈夫よ。」


 わたくしは本心からそう口にしていた。

 するとユンは、まるでお世辞を受け取ったような中途半端な笑顔で「ありがとうございます」と言ってきた。

 わたくしはその顔に傷付いた。そして自分の思いが伝わっていないような気がして腹が立ったので、もう一つ付け足してやることにした。


「よろしければ、研究所の筆記試験と口頭試問の過去問題を差し上げますわ。

 我が公爵家の伝手(つて)で簡単に入手できますので。」


 わたくしが本気で貴方を応援していること、これで少しは伝わったかしら。


 そう思っていたら、ユンがいきなり必死の形相でわたくしの両肩に掴みかかってきた。


「え!!いいんですか?!?!貴族様の家ってそんなのまであるんですか?!?!ください!!ください!!ありがとうございます!!」


 そしてすぐに図書館の司書に「静かにしなさい!」と怒られ、ユンはハッとして「あっ、すみません!でもください!」と言いながらわたくしからパッと手を離した。


 ……この男。

 ギルドで氷牙豹の双剣は受け取らなかったくせに。金に換算さえされなければ良いのか。なんて調子のいい。


 それにこのわたくしに掴みかかるなんて。

 なんて非常識な男。


 ……思いの外、その力が強かった。


 わたくしはあのギルドに行った日の、庶民らしく男らしいユンの姿を何故かまた思い出してしまっていた。



◆◆◆◆◆◆



 こうして、わたくしの3年間の学園生活は呆気なく終わった。


 わたくしは最初から最後まで、女子の学年一位を取り続けた。お兄様も、当然最後まで男子の学年一位だった。それだけ。

 研究所の試験の資料を渡して、物凄い勢いで感謝されて「できるところまで頑張ります!」と宣言された……あの男、ユンは、それから学園内でろくに会うこともなかった。

 当然だ。だって、放課後はもちろん、週末だって就職活動や試験勉強で手一杯だっただろうから。

 図書館で必死に勉強をする後ろ姿を見かけたって、その集中を途切らせてまで話したいわけではなかったからわたくしからは何もしなかった。


 そしてついに、今日がわたくしたちの卒業式。

 昼間に堅苦しい卒業証書の授与を終え、一旦それぞれが家に帰り装いを改める。

 今これからは、華やかで盛大な夜の卒業パーティーの時間だ。学生としての最後の社交場。最後のダンス。

 これが終われば、わたくしたちは皆貴族として、高貴なる精神を持ってその務めを果たしてゆくのだ。


 わたくしと同学年の卒業生たちが皆、普段見ないような豪華絢爛な衣装を身に纏って大ホールへとやってくる。皆、幸せそうにパートナーと腕を組みながら。

 わたくしは、お兄様と婚約者様が並んで入場していくのを見送って…………その後を追って、一人で会場へと足を踏み入れた。

 

 ……だって、わたくしに相応しい相手がいなかったんだもの。


 わたくしはこの3年間、ずっとお父様から婚約者選びの話をされ続けていたけれど、それをずっと無視し続けていた。

 でも仕方がなかった。誰も彼もが、微塵も素敵だと思えなかったから。


 わたくしの瞳と髪の色に合わせた夜空のように光り輝く煌びやかなドレス。普段とは違う、一時間以上掛けて編み込み、巻き上げ、宝石を散らしたヘアスタイル。

 わたくしはそんな完璧な姿で、一人パーティー会場に立ち尽くした。



◆◆◆◆◆◆



 卒業パーティーの会場には、ユンの姿は見当たらなかった。当然だ。あんな貧乏苦学生の平民に、この空間は辛いだろう。衣装もパートナーも、用意などできるわけがない。ましてやダンスなど踊れるわけがない。


 なんとなく、その幸せな空間が耐えられなくて、わたくしは一人でそっと大ホールを出た。

 そして、ホールから漏れてくる明かりと声を浴びながら、中庭のベンチに一人座っていた。


 すると不意にわたくしの頭上に影が落ち、そしてその影はわたくしの隣へと動いていき、影の持ち主は断りなくわたくしの横に座った。


 ──お兄様だった。


「……どうしました?お兄様。こんなところへ。」

「それはこっちの台詞だ。」

「……パートナーの方はよろしいんですの?」

「大丈夫だ。話はちゃんとしてきてある。……妹のお前のことだってそりゃ心配して当然だろ。兄なんだから。」

「………………。」


 お兄様がわたくしのことを心配するなんてどういう風の吹き回しだろう。明日は雷雨か、雪になるわね。


 二人でしばらく並んで沈黙の時を過ごした後、お兄様が静かにわたくしに語りかけてきた。


「お前、やっと自分の気持ちが分かったんじゃないか?」

「…………何よ。」

「お前は今、ユンに会いたいんだろ?」

「別に。そんなことないわ。」

「だって、お前はホールで探していたじゃないか。ずっと誰かを。一生懸命。」

「……昔の隣席のよしみで、最後に一言、声でも掛けてあげようと思っただけよ。」

「お前はさっき、本当はここに僕じゃなくてユンが来てくれることを期待してたんじゃないか?」

「……まさか。馬鹿なことを言わないで。」

「お前は本当は、ユンにもう『セレンディーナ様』なんて余所余所しく呼んでほしくないんだろ?双子の兄の僕みたいに……愛称で『セレナ』って呼んでほしいんじゃないか?」

「………………。」


「お前さ、今までの自分を振り返ってみろよ。

 お前はただ3年間、ユンに一目惚れして、ユンを気にして付き纏っていただけじゃないか。」


「………………。」


 そんなことないわ。


 そう一言言えばいいだけなのに、それが口から出せなかった。

 代わりに何故か、わたくしの目からは大粒の涙がポタリと落ちてきた。


 そんなわたくしの姿を見て、お兄様は困ったように……少し呆れたように微笑みながら、わたくしの背中をそっとさすった。

 きっと髪型が崩れないように、頭は撫でないでくれたのだろう。

 要らない気遣いが憎らしかった。


「お前は学園(ここ)に来て変わったよ。わざわざ田舎の貴族学校に行ったって変わらなかったのに。

 ……環境じゃない。ただ、ユンがお前を変えたんだ。

 お前に大切なことを、たくさん気付かせてくれたんだ。

 もう今のお前は、平民(ユン)に対して勝手な思い込みで筋違いな酷い言葉を浴びせようとする人間じゃないだろ?」


 分からない。そんなのわたくしには分からない。


 お兄様は静かに涙を流すわたくしを見て、何故か自嘲するように笑った。


「僕も、なんだかんだで兄馬鹿だからさ。馬鹿な妹の願いが万が一にでも叶うならって思って、ユンに聞いたことがあるんだ。

『お前、セレンディーナを婚約者にするって、どう思う?』って。結構ストレートに。」 


 …………えっ。


 わたくしは目を見開いてお兄様を見つめた。

 お兄様はわたくしとは目線を合わせずに、前を向いたまま教えてくれた。


「そうしたらな、ユンはこう言っていたよ。

『え?うーん……()()()()()()普通にアリだと思うな。てか、一回は狙ってたと思う。美人だし。婚約者いないの勿体無いよねー。』って。」

「……な、何よ。何なのよそれ。」


 ()()()()()って、()()()()()って……何よそれ。平民なら恋人の選び方も適当ってわけね。

 しかもわたくしの美貌を前に、語彙も何もない()()の一言で片付けるなんて。

 平民らしい、破廉恥で軽薄で誠意のない男。


「僕が、アイツは性格が最悪だぞって言ったら、笑ってたよ。

『そんなの誰だってそうでしょ。完璧な人なんてこの世にいないし。ちょっとくらい()()()()()()とこある方が飽きないじゃん。』って。」


 …………()()()()()()って何よ。失礼な男。


 ……でも、悔しい。

 悔しくて悔しくて、わたくしの目にまた涙がぶわっと浮かんできた。


「なんで……ッ、なんでそんな他人事(ひとごと)みたいに言うのよ!

 勿体無いって言うならユンが婚約者になればいいじゃない!

 飽きないって言うならユンが一緒にいてくれればいいじゃない!

 ──()()()()()()って何なのよ!」


 泣きながら叫ぶわたくしを見て、お兄様は静かに、ゆっくりと首を振った。


「……だって他人事(ひとごと)だろ。お前に言われなくたって、ユンはずっと弁えてたんだよ。


『──平民が図々しく貴族と恋仲になれるなど、思い上がらないこと。』

『──学園内であれば身分差がないなどの建前を本気にしないこと。』

『──そして何より、わたくしとあなたでは格が違うのだと、理解すること。』


 ユンは最初から、お前とどうにかなろうなんて、これっぽっちも思ってない。舞台上の俳優を見て『もし付き合うならあの子かなー。俺とは一生関わることないけど。』って言ってるのと同じさ。

 ユンはお前からじゃない限り、ほとんど話しかけすらしていなかった。お前が目上の立場で、話しかけることを許可していなかったからだ。


 ……自分で言ったことを忘れているのは、お前の方だ。セレナ。」



 わたくしは今日ほどお兄様が憎いと思ったことはなかった。


 どうしてそんなことを言うの?どうしてそんな酷いことを言うの?


 ──そんなの、お兄様に言われなくたって分かってるわよ。



「僕はユンと3年間、友として過ごして分かった。

 アイツは本当にすごい奴だ。僕よりも、お前よりも、誰よりも偉い奴だ。」


 そんなこと、わたくしだって気付いていたわ。自分だけだと思わないで。


「でもアイツはとにかく謙虚な奴だ。ちょっと敬語が崩れて馴れ馴れしく聞こえる瞬間があるだけで、内面は本当に冷静で、ちゃんと弁えている奴だ。」


 ……そうよ。そう。だから何も起こらなかったのよ。平民なのに。


「お前が今日何も言わずに終わったら、ユンは何も言わずにセレナの前から綺麗に消える。……アイツはそういう奴なんだ。」


 ……分かっている。分かっているわ。だからこそこんなにも悔しいのよ。


 わたくしがもう化粧をぐしゃぐしゃにして泣いているのを見て、お兄様は今までの人生で最も残酷なことをわたくしに言った。


「お前は今まで散々、我儘な高飛車令嬢としてやってきたんだ。だからさ……今さら最後だけ大人しくなる必要なんてないよ。

 せっかくの学園最後の日なんだから。今日までは好き勝手やってこいよ。

 ちゃんとお前の気持ちをぶつけて、ユンに当たって砕けてこい。

 そうしたら僕が慰めてやるから。お前の双子の兄として。」



◆◆◆◆◆◆



 行動を起こした先はわたくしの破滅だと分かっているのに、自分の意思とは無関係に身体がどんどん動いていた。

 お兄様との話の後、わたくしはすぐに化粧室へ行き、ぐちゃぐちゃになった顔を最低限見える程度には整えた。ほぼスッピンになってしまったが、なんとか泣いていたことは誤魔化せる。

 そしてその足で真っ直ぐ私は裏庭のある一本の木へと向かう。

 きっと彼はそこにいるはずだ。


 夜も更けて、空はすっかり暗くなった。月は中途半端に欠けていて、星はいくつかぼんやりと浮かぶ程度だった。王都は夜でも街明かりが明るいので、満点の星空など最初から到底無理なのだ。物語のようなロマンチックさは欠片もなかった。

 わたくしのドレスの方が、よほど綺麗な夜空だった。


「ユン。」


 わたくしが当然のように声を掛ける。すると、やはり当然気付いていたかのように平然と木からユンが飛び降りてきた。

 あの日と同じ学生服で。

 でも心なしか、あの日よりもユンの背は高くなった気がする。測っていないから分からないけれど。


「セレンディーナ様!こんばんは!あれ?パーティーはもう終わったんですか?」


 ユンはニコニコと笑いながら首を傾げた。

 わたくしは黙って首を振る。そんなわたくしを見て、ユンは何かを勝手に納得していた。


「あんまりずっと式典やらパーティーやら続いていると、疲れちゃいますよね。息抜きにきたんですか?」


 そんなわけないでしょう。わたくしを何だと思っているのよ。四大公爵家の完璧令嬢よ?パーティーなんて息をするようにこなせるわよ。

 勝手に貴方と一緒にしないで。


 わたくしが呆れているのに気付いているのかいないのか、ユンは「ちょうどよかった!」と言いながらわたくしに満面の笑みで報告をしてきた。


「そういえば俺、昨日ようやく最後の選考の結果をもらったんですよ!王立魔法研究所の。」


 その表情から答えは分かりきっていたけれど、わたくしは敢えて聞いてあげた。


「どうだったの?」


 ユンは先ほどが限界かと思われていた満面の笑みを超える、最高の笑みを浮かべて言った。


「受かりました!」


「……そう。よかったわ。わたくしが言った通りになったじゃない。」


 わたくしがそう言うと、ユンは心からの感謝を込めて「本当に、セレンディーナ様のお陰です!ありがとうございました!」と礼を言ってきた。

 

 まるで「これでもう思い残すことはない」と言わんばかりのすっきりした顔で。


 ユンは、本当にわたくしが昔の隣席のよしみで最後に挨拶に来たとでも思っているのだろうか。

 それとも、実はわたくしの心に気付いていながら無視を決め込んでいるのだろうか。


 ……ユンにはわたくしへの名残惜しさなど、微塵もないのか。


 いずれにしろ腹立たしかった。わたくしはユンに腹を立ててばかりだ。悔しい。……本当に、悔しい。


 わたくしはそんな能天気なユンに、少しでもわたくしの苦悩を思い知ればいいと思った。

 そうして脈絡もなく、前振りもなく、顔も作らずにただただ真顔で彼に言葉を投げつけた。




「ユン。わたくし貴方が好きよ。」


「……は?」


「わたくしは貴方が好きなの。もちろん、恋愛の方よ。」


「…………………………。」




 ユンの顔にははっきりとこう書かれていた。


 聞いちゃいけないことを聞いちゃった。

 今ならまだ空耳ってことにできないかな。


 ……と。


 なんて最低な男だろう。乙女の恋心を真正面から受け止めようともしないなんて。


「聞かなかったことなんかにはさせないわ。何か言いなさい。」


 ユンはわたくしの突然の告白に露骨に動揺し、オロオロと視線を彷徨わせながら、なんとか誤魔化す言葉を探していた。

 ……情けない。全然格好良くない。この男。


「えっと、ありがとうございます。勿体無いお言葉を──……「そうではなくて。」


「ええっと、そんな風に言っていただけて光栄で──……「そうではなくて!」


「………………その、えーっと、お気持ちは嬉しいのですが、俺は平民なので、その──……「そうではなくって!!」


 わたくしの怒気を含んだ叫びに、ユンが肩をびくっとさせるのが分かった。


 ……本当は強いくせに。あんなにも華麗に双剣を捌いて……その気になればわたくしのことなど一瞬で殺してしまえるくらい強いくせに。

 どうしてそんな男が、公爵令嬢ごときの前で、こんなにも弱々しい態度しか取ることができないのか。

 それが「身分」だとでも言いたいのか。こんな世界、くだらない。本当に、本当にくだらない。


 わたくしが知りたいのはそんな建前なんかじゃない。

 身分の差なんか関係ない。ただ一人の女として、「ユン自身にはわたくしがどう見えているか」の言葉が聞きたいのだ。


「いいからつべこべ言っていないで、()()()()()()()()()()()で答えなさい!」


 わたくしは叫ぶようにしてユンに訴えた。


「だって、わたくしのことは()()()()()なんでしょう?!()()()()()()くれるんでしょう?!()()だって思っているんでしょう?!

 

 ──だったら!身分さえなければわたくしを一度は選んでくれるんじゃない!身分くらいどうとでもしてあげるから!さっさとわたくしを選びなさいよ!!」


 もはやわたくしが誰よりも酷い、小説の平民少女よりも愚かで悪役令嬢よりも惨めな女だった。

 わたくしの完璧だった人生は、この男のせいでもう完全に地に堕ちてしまった。


 ユンがいきなり見たこともないくらい顔を真っ赤にして「はぁ?!アルディート、()()本人に言っちゃったの?!嘘でしょ?!アイツ最悪!」とか言って慌てているけど知ったこっちゃない。お兄様のことはどうでもいい。


 ああ、ほら。そんな赤い顔、初めて見た。


 わたくしはもう、ユンが可愛くすら思えていた。


「あなたに身分が必要なら、分家に養子にでも入れてあげるわよ!わたくしの身分が邪魔だというなら、わたくしが降嫁して平民になってやろうじゃない!ほら!そうすれば全然関係ないでしょう!?最初から不可能なことなんて一つもないのよ!!」


 自分でも無茶を言っているのは分かる。今言ったことだって、全部ただの勢い任せ。落ち着いて考えたら、どれ一つとして現実的な案ではなかった。


 それでも、それでもわたくしは一度でいいからユンからのありのままの返事を聞かせて欲しかった。


 そんな我儘で支離滅裂なことを叫ぶ私を、ユンはもはや困惑を通り越して心配そうな顔をして見ていた。


 一体、何の心配なのよ。鬱陶しい。全部貴方のせいじゃない。



 そして、長い長い無言の時間が続いた。


 その間この裏庭には、わたくしがただみっともなく鼻を啜る音だけが響いていた。



「グスッ………………それで、貴方。

 このわたくしにここまで言わせて、まだそんな顔をするの?」

「え?」

「さっきから困ってばかりじゃない。」

「…………ごめんなさい。」


 謝らないでよ。まるでわたくしが振られているみたいじゃない。


「貴方は平民なんでしょう?」

「…………ハイ。」

「平民っていうのは、美人な女から普通に告白されたら、まずは嬉しいものなんじゃないの?素直に喜べばいいじゃない。」

「…………。」


 わたくしは最後にこう言った。


「それで、何も考えずに答えを出せばいいじゃない。

 貴方はただの平民なんだから。別に目の前の美人となんとなく付き合ってみたっていいじゃない。……わたくしのこんな我儘なところが嫌いなら、さっさと勿体ぶらずに振ればいいじゃない!

 ──もう変にわたくしに遠慮してないで、平民流にとっとと返事をすればいいでしょう!?」


 するとユンは、目を丸くして驚いて、それからしばらく固まって──……そして、ふっと肩の力を抜き、わたくしの泣き顔を真っ直ぐ見つめながら、柔らかく眉を下げて笑った。

 口には出していなかったけれど、ユンから「参りました。降参です。」と聞こえた気がする。


 ユンのその表情は、もう困ってはいなかった。

 まるで我儘な恋人に「まったくもう、仕方ないなぁ」とでも言うような……そういう、優しい顔だった。

 ユンが初めて、わたくしに身分を弁えず、ありのままの顔をしてくれた瞬間だった。


 そんな優しい呆れ顔にわたくしが見惚れていたら、ユンが笑いながらその口を開いてこう言った。





「そうですね、そしたら、じゃあ──




 ──……一旦、保留で。」






「………………はい?」



 今、何て言ったの?この男。



「お気持ちはとても嬉しいですし……そりゃ普通に悪い気はしないっていうか、満更でもないんですけど……でも俺、やっぱり普通に平民ですし。『ハイ。ありがとうございます。じゃあ今日からよろしくお願いします。』って公爵家のご令嬢相手に速攻で頷く勇気はさすがにないので。

 それにもともと今まで一度も、セレンディーナ様とお付き合いする想像をしたことがなかったので。

 少し想像しながら考える時間が欲しいかなー……って。」


「………………。」


「あと、明日からさっそく寮を出るための引っ越し準備もしなきゃいけないし、またすぐに新人研究員としての生活も始まるし、恋愛以外にも個人的にいろいろと考えなきゃいけないことが山積みなので。


 ……ですので一旦お返事は、平民流に『保留』ってことで、いいですか?」



 わたくしは人生で初めてこんなにも深く後悔をした。


 やはりわたくしの勘は当たっていた。


 わたくしが馬鹿だった。もっとちゃんと警戒しておくべきだった。

 平民の魔力持ちなどという者に絆され、唆され……好きになるんじゃなかった。


 ──「普通にアリ」?「一回は狙う」?「美人だし」?


 そんな俗っぽい言葉でわたくしを期待させて狂わせておいて、挙げ句の果てには「保留」ですって?!


 そんな珍妙な考え方、わたくしは見たことも聞いたこともない!

 どうして平民はこうも恋愛の仕方が()なのよ!乙女の扱いが()なのよ!

 なのにどうして妙に現実主義なのよ!!


 そんなこと、貴族だったら絶対に許されないわよ!


 でも、そんなことを思いながらも、わたくしの中にまたギルドに行ったあの日のユンが蘇る。

 粗野な装備服を着こなすユン。ギルドの男たちの軽口を適当に流して笑うユン。双剣を華麗に使いこなし、食堂でわたくしを見て笑うユン。

 全部全部、貴族にはない、平民らしい男らしさだった。雑で、荒っぽくて……そんな危険な色気がわたくしは本当は大好きなのだ。

 卒業パーティー会場で着飾っていた誰よりも、誰よりも格好良くて素敵だった。


 一度自覚してしまったらもう滅茶苦茶だった。

 軽薄な平民らしい「保留」なんて言葉にすら、ときめいて期待している自分がいる。


 ……許さない。許せない。……ッ、許せない!この男!!


 だからわたくしは泣きながら思うがままにユンに向かってこう叫んだ。



「『保留』って何よ!?信じられない!許せない!……ッ、これだからこの平民は!!」

※この後、本当にユンはしれっと数ヶ月間保留にします。


 最後までお読みくださりありがとうございました。


 こちらの短編は連載「婚約者様は非公表」の第二部前談にもなっております。

 二人のその後にもしご興味がありましたら、お暇なときにそちらの方も覗いてみてください。

(長い作品ですが、第一部から読んでいただけるとユンがどういった人物なのかが分かると思います。)

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