知り合いの死
現在午後三時。俺はセーレの家のキッチンでチョコドーナツを食っていた。
俺はあの後全力でこの家まで走り、セーレに小屋のことを報告した後、遅い昼飯兼早めの夜飯としてあいつが買ってきたドーナツを食べていたのである。
逃げた、と思うかもしれない。
だが考えてもみてほしい。ザルガンでも魔女さんでも多分俺は勝てないし、最悪殺されたかもしれない。それなのに戦えというのは酷な話だと思わないだろうか。
少なくとも、セーレはそのことをよく分かっている。何だかんだ、意外にもコイツは人の心というのを持っているはずだ。
「……呆れたね。それで逃げ帰ったんだ」
噓だ。コイツは人の心なんて分からない奴だった。ドーナツがこぼれてもいいように台所で食っているため居間のコイツの顔は見えないが、言葉通りの顔をしているのだろう。
「失礼だね。俺は逃げたんじゃない、お前に報告する為にここまで帰ってきたんだ」
「その割にはかなり焦っていたじゃないか。ここに来た時凄い顔してたよ?」
「だから早く伝えようと思ったんだそうだと思っといてください」
思わず早口になってしまった。
正直言って怖かったから逃げたので、自分でも情けない事は分かっているんだ。だからいじめないでくれセーレさん。
俺の思いが通じたのか少しの笑い声がしただけで、それ以上の追求はなかった。
「というわけでザルガンの居場所は分かった。だから後は頼んだぜ」
「何を言ってるのさ、本当にそこがザルガンの居場所かどうか確定してないじゃないか。ちゃんと居たかどうか見てこなきゃ私は動かないよ」
「いやいるって。絶対そこザルガンいるから行ってきてください」
「ダメだよ。もう一度確認しに行きなさい」
チクショウ……前回はこんなに慎重じゃなかったのに、今は完全に俺で遊んでやがる。
「大体何をそんな怖がっているのさ、ザルガン程度なら君は普通に勝てるのに」
「バカ言ってんじゃねぇよ。俺はね、魔法学校での成績が悪いってこの前言ったじゃねぇか」
「それは成績の話。実際の戦闘ではそんなものは関係ないよ。それに君は前回の依頼でミシェル兄に勝っていたじゃないか」
「ザルガンの資料見てないのか?あいつは鍛えればC階級になれるポテンシャルがあるんだ。兄よりも強いだろ……というか、俺あん時の記憶が少し曖昧なんだよ」
そう、この前戦った時とは違う。彼は強かったが魔法使いとしての典型的な強さではなかった。
魔法使いの戦いは多くの魔法を高水準で習得している方が有利とされている。もちろん相性や自分の強みの魔法で戦うというのもあるが、あらゆる状況で対応できる万能型が最適解らしい。
「ん~まぁ、それは正しいんだけどさ。ただ、私が言っているのはそういう事じゃないんだけどなぁ」
声からしてまだ納得のいっていないセーレだったが、勝てないものは勝てないのだから仕方がない。
「でも、確かにそうだね。君じゃザルガンとの戦いに勝つことはできないだろうしね」
うんうん、と頷くように言いながら一人で納得したセーレ。
……なんかそう言われるとそれはそれで複雑だが、やっとわかってくれた。
「じゃあザルガンがいることが確定したら、お前に任せるってことでいいんだな」
それでいいよ、と居間の方から聞こえてくる。
さて、じゃあ用も済んだことだし帰るか。キッチンを出てこの家の玄関へ足を向けた。
「え、もう帰るの?もう少しのんびりしていってもいいのに」
「どこかの誰かさんが意地悪だから明日も行くことにしたの。さっさと確認してくるぜ」
後ろから聞こえる声に振り向きもせずそう答え、外へとつながる扉に手をかける。
「あぁ。一つだけ伝えることがあった」
そして、扉を開ける寸前に声をかけてきた。
「……なんだよ」
「なに、一応言っといた方がいいと思ってね。もしも君の気が変わって、ザルガンの相手は自分がすると言うのであれば、それはそれで構わないからね」
そんなあり得ないことを、俺に伝えてきた。
「何言ってんだ。俺はそんなこと言わないと思うぜ」
「一応だよ一応。君自身の手で終わらせるのなら、それに越したことはないからさ」
意味が分からない。
俺は決して言わないであろう言葉。俺が決してしないであろう考え。
しかしその声はそう確信していて、振り向いていないのに、そう信じている顔をしているのが分かってしまう。
なにか嫌なものを感じながら、俺は扉を開けて外に出た。
外は日が落ちかけていていた。
薄暗い道を歩きながらあいつが言った言葉を思い返す。
まさか俺が自分で戦うのと言うのだろうか。そうは思えないがあいつはそうだと確信しているようだった。
自分で言うのもアレだが、自分は冷めている方の人間だと思う。正義感で行動したどころか偽善でしか動いたことはないし、自分に関係ないことは見て見ぬふりをしていたと記憶している。
そんな俺が、自分で戦う?
動機がサッパリ分からな……いや、まさか。
「待てよ。自分で戦うと何か報酬が出るのか?金を貰えるとか」
それだと俺は戦うかもしれない。やっぱりお金は大事だから、俺も必死になるだろう。
最近までホントに金がなくなっていく一方で、ヘルフェン《友人》に借りたいところだったが、あの野郎女遊びしてこっちも金がないとかぬかしやがった。
あいつに借りる分には全く罪悪感は湧かないが、金を貸してくれないのは困る。
最悪、あの先生に頼み込むしかないと思っていたのだが、あの人やたら俺にガミガミ言ってくるのだから頼りたくはない……俺の成績が悪いのが原因だし、そもそも教師に金を借りるなという話ではあるが。
そんなこんなな状況で現在金に飢えている。
(明日、居場所が確定したらセーレに聞いてみようかな)
そう考えて歩いていると話し声が聞こえてきた。それも複数。
気になってその方向に視線を向けると、そこには人だかりができていた。
「――――」
場所は小さなパン売りの店だった。売り場には警備員が多くいて、その現場を見ようと人が集まっていたが、その間に警備員が数人立って塞いでいる。
そして、売り場の近くで泣いている人がいる。それなりに歳をとっている女性で、手で顔を覆って座り込み、声を出して泣いていた。
俺はその人物を知っている。俺はその場所を知っている。
だって俺はよくそこに……
人混みをかき分けて最前列まで行き、人だかりを止めていた警備員に声をかける。
「なにかあったんですか」
「え?ああ、ちょっとここで事件があってね。昨日の出来事らしいんだが」
「昨日の夕方、ここに来ました」
それを聞いた警備員は驚き、中で作業してた同僚に声をかけると俺を奥に通してくれた。
売り場の中は荒らされていた。屋根の一部は破壊されて商品を置いてあった机が焼けて黒くなっていた。
――そして。
警備隊の一人が声をかけてくる。
「実は昨日の夜にここで殺人が起きてね。その時の見回りには魔力の気配が感じなかったそうなんだが、恐らく最近騒がしてる強盗犯だろう。君は夕方にここに来たなら何か……」
何か喋りかけてくるが正直聞こえてなかった。頭が真っ白になっていた。
泣いている女性、それはこの店の店主の奥さんだ。何回か店に来た時にいたから顔見知りになっていた。
そして、その傍に白い布が被せられている人型の何か。
布からはみ出ている腕は黒く焼けていて、ピクリとも動かない何か。
――いや、知っている。
だって荒らされているのがこの店で、この女性が涙を流す人は一人しかいない。
俺が何度も世話になった人。
「……おっちゃん……」
もう生きていないものに、俺はそう呟いた。
夜になった。
俺は自分のベットの上で寝転がっている。
あの後、警備隊に昨日の出来事を伝えたり、何か質問されたりしたけどよく覚えていない。
犯人は多分ザルガンだ。俺が帰った後あの場に来ておっちゃんを殺したんだと思う。
なんで魔力感知されなかったのかは知らないが、おっちゃんと戦ったのだろう。じゃなきゃ今までこっそりやっていたのに今回は派手な事になっている。そして食糧を奪ってその場を去った。
そうだ、よくよく思い出してみたらあの小屋の中を覗いたとき、食い終わったパンの袋は何処かで見覚えがあった。あの時にはもう……
……あの人、奥さんはずっとおっちゃんの近くから離れなかった、ずっと泣いていた。
パンを買いに行った時たまに店にいたが、おっちゃんとの仲は良好で、よく笑いあっていた。
「…………」
俺があの時遅く来れば、もっと長くあそこにいれば、そんな考えが頭を巡る。
意味がない、そんなことは意味がない。過去は変えられない。分かっているがどうしても考える。
「…………」
俺は冷めている方の人間だ。正義感で動いたことはないし、自分に関係ないことは見て見ぬふりをしてきた。
だから、今回も関係はない。ちょっとした知り合いが亡くなっただけだ。関係はない。
……でも、心のどこかで「それは違う」と言ってくる。「その考えは正しくない」と言ってくる。
「……あぁ、そうだ。これは正しくない。怒りを覚えなければいけない、悲しまなければいけない」
ルーブル・ザルガンに、俺は感情をぶつけなければいけない。
だから、まずはアノ野郎伝えないと。
そう考えて、俺は荒れた部屋から外に出る。
夜の十時、暗い世界。冷たい空気が身体を迎えながら、夜の道を歩いてあの家に着く。
セーレ・グレモリーの家、その扉を開けた。
家の中は暗く、奥のベットに眠っているソレに声をかける。
「やっぱりザルガンは俺がやる。出来れば生かす」
ぶっきらぼうに言葉を放ち、返事を待たず扉を閉めようとした時、
「ほらね。やっぱり言った」
ソレはむくりと起き上がった。
視力を魔力で補強してもよく見えないが、金色の瞳だけは強く目に入った。
「私の思った通り、君自身が行くことになった」
寒いのか、布団に包まり顔だけが出ているが、口元は笑っている。
その笑みは悪戯が成功して喜ぶ少年のようにも見えた。
「……知ってただろ、おっちゃんが殺されたって」
「うん、知ってた。昨日の夜からね。妙に上手く結界を張っていたけど私にはバレバレだったよ。彼がいたグループも同じ結界を使ってたからかな、使った時点ですぐに気づいたんだ」
「なんで知らせなかった。なんで、助けなかった」
ソレはクスっと笑い、嘲るような眼で俺を見る。
「まさか。別に助けようとは思わなかっただけだよ。なんでそんなことのために寒い外に出ないといけないの?」
少女のように笑うソレを睨むと、さらに口元が裂ける。
「フ、フフフ、フフフフフフ。いいねぇその目、怒りに満ちている目だ。君は自分でどう思っているか知らないけど、君自身は優しい人なんだ。正義がない?見て見ぬふり?違うよ、この前と同じで君は傷ついた相手を見過ごせない、傷つけた相手を見逃せない。それが正しいと考えて行動しているんだ」
コイツの言っていることはよくわからない。だが謎の苛立ちを感じる。
「でも私は違う。本当にどうでもいいからこそ見て見ぬふりをしている。何も感じない相手だから積極的に助けない。だってそうでしょ?見ず知らずの他人のために、自分が動く必要なんて全くないとは思わないかい?」
部屋の主はそれが当たり前かのように主張している。
そうだ分かっていた、何となく分かっていた。あの時も、あんなことになっていた彼女を、どうでもいいなんて言った時から。
――いや、初めて会った時から心のどこかで分かっていたのかもしれない、コイツは酷いヤツだと。
(でも、だからこそ)
「……もう行く。俺が死んだら後は頼む」
「わかった、気を付けてね」
最後になるかもしれない別れを告げ、扉を閉めようと動かしたときソレは言葉をかけた。
「そういえば一つ、教えることがあったよ。単純なことなんだけどね。君だと戦いで勝つなんてことはできないから、意識を変えた方がいい」
最後、扉の隙間から見えた顔は悪魔じみていて、
「戦いじゃなくて、殺し合いだと思えば、君はザルガンに勝てるよ」
その言葉が最後に、扉は閉まった。
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