同情と諦め
――喚き声が聞こえる。
中身がぶちまかれた酒の缶が何本も転がり、腐ったパンに得体の知れない蟲が集まり、天井には蜘蛛の巣が張り巡らされた部屋の中で、肘を机に立て髪を掻き毟りながら女はヒステリックに喚いていた。
女は高齢に達していて見るからに薄汚い印象を与える。ボロボロな肌にぼさぼさな髪。ただでさえ傷んでいるというのに、激しく髪を掻き毟るから白髪が床へと散っていく。
そんな光景を僕は倒れたままぼんやりと見つめていた。
この女は僕の母だ。
かつてはそれなりに綺麗な顔立ちでまともだったが、今ではそんな面影など微塵もなく、狂気に侵され歪んだ人間となり果てていた。
かつては、と言ったが本当に昔は普通の母親だったと思う。愛情表現こそ不器用だったが、僕や妹のことを気に掛けてくれた。幼い頃妹と一緒に夜遅くに帰って来た時は抱きしめて泣き出したほどだ。父親とも良好でどこにでもいる普通の家族だった。
でも、いつからか急におかしくなりだし、僕だけじゃなくまだ幼かった妹にまで手を出し始めた。
一体どうしてそうなったのか分からなかったが、とにかく人が変わってしまった。
当然、父と喧嘩ばかりするようになり、ほどなくして離婚した。
親が離婚した時、僕は母に妹は父の方に付いた。父と妹は強く止めてたけど、母が僕を取ると聞かず、最終的に僕自らが母の方に付くことを選んだことで、僕達は離れた。
僕は……母を戻したかった。母がおかしくなった原因を突き止めそれを無くせば家族は元に戻ると……そう信じていた。
……だけど、今は後悔している。こんなことならあの時……父と妹の方に行けばよかった、と。
そうすればこんな……こんな痛くて辛いことなんかしなくて済んだかもしれないのに……
「あ、あああ、ああああああ!!!だからなんでなのぉ!?なんでできないのこんぐらいぃぃぃぃ!!同じ血なのに……おんなじちなのにぃぃぃぃあああああああああああ!!!」
机を叩き叫びだすが、昨日も一昨日もさらに前も同じことをして同じことを喋っている。よく飽きないと空っぽの心で関心していると、母が眼がギロリと僕を睨んだ。
「アンタなに倒れてんの?は?あ?……休んでんの?……休んでんのかって聞いてんだよ答えろよグズぅぅぅぅぅ!!」
立ち上がり、座っていた椅子を僕に向かって投げ飛ばす。
脚の部分が勢いよく腹に突き刺さる。肺の中の空気が抜け出すと同時に痛みが全身を駆け巡る。
「かはっ……!」
「かは?かはってなに?なにそんな痛がってるフリしてるの?噓でしょ噓だろ噓つきが!!……そうやって休みたいだけでしょ。だからそうやって傷ついたフリしてんだねアンタは」
母が近づき僕の髪を引っ張り上げ、顔を覗き込む。
「アンタ分かってる?こっちのほうが何倍も辛いのよ?アンタを……アンタ達出来損ないを産んだことが辛くて辛くて堪らないの。なのになんでそっちが辛いみたいな顔してんの?お母さんの方が辛いのに。ねぇねぇ答えてよ……早く答えろってぇぇぇぇぇ!!!!」
そのまま何度も加減なく床に叩きつける。鼻が床に当たる度に鼻血が噴き出る。
何回やられたのかも分らないまま手を放されて倒れ伏し、部屋には母の息づかいだけが聞こえる。
そして僕を踏みつけ奥へと進むと、魔法陣に置かれている分厚い本を手に取った。
「……ねぇ、この魔導書さ、何頁あると思う?百や二百じゃない、五百頁よ?私達の今までがこれに詰まってるの。これをやれば、私達はアレに辿り着けるのよ。なのになんで十頁しかできないか分かる?アンタはグズなのよグズ。グズだから祖先の努力を無駄にする。母親の期待にも答えない。ほんっとに出来損ないね」
――うるさい。お前頭おかしいんだよ。
ガラスの破片を見つけた。
「ほら立ちなさいグズ。今度は三ヶ月ぶっ通しでやるよ。あの剣まで使えるようにならなかったら舌ぶっこ抜くからね」
――だいたいやり方が違うんだよ。素人でも見れば間違いって気づくのに、なんでお前わかんねぇんだよ。
凄く尖っていて、首にでも刺せば死ぬだろう。
「……立てって言ってんだろぉ!?まだ傷ついたフリしてんのかテメェ!?さっさと立てよ!!そして刻むの!!!立て!立て!!立てぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
――お前がそんなグズだから、僕は……
それに、手を伸ばして。
――僕は、あの人達を……
そこまで考えてようやく気づいた。
「…………あぁ。夢なんだ、コレ」
ここはゲリュオンの郊外。
そこに今は使われていない小さな工場があった。
かつてここは魔法具を生産していた場所で、とある事情によって廃棄されることが決定されたが今もなお放置されていた。
工場内は魔法具を作るための礼装や、床には魔法を調整するための魔法陣が消えかけで残っているが、かつてのような喧騒さはなく人の気配を感じなかった。
「――――」
だが無人でもなかった。机の下から何かがもぞもぞと動き、そこからヒトガタの何かが這い出てくる。
この工場は今年に入ったばかりに誰かが買い取っていた。しかし決して仕事のために買い取った訳ではなく、自分の趣味のために買い取った訳でもない。
ただ、寝床として買い取っていた。
出てきたモノは立ち上がる。
髪はボサボサ服はヨレヨレ、その顔からは一切の覇気を感じないみすぼらしい風貌。
彼の名前はグレイ・ベル。数ヶ月前からこの町に来ていた男だ。
グレイはふらつきながら工場内を歩き出し、作業机の上に置かれている瓶を手に取ると、その中身を一気に飲み干した。
「ウッ!!?…………オエェェェェェ!!!!」
そして吐き出した。
彼が口にしたのは数十年前に流行していたドリンクであり、現在でも好んで飲む者は多い。
ただし彼のモノは数十年前にここで働いていた作業員が置いていったものであり、今ではとても飲めたものではない。
びちゃびちゃと液体がこぼれ、工場内に腐ったにおいが漂う。
「ガ…………ハァ、ハァ、ハァ、ハァ………ッ」
激しいえずきに耐えながらも、彼は顔を上げる。
「…………やっぱり。夢、だったか…………」
確認するように呟き身体を起こす。
ふと、窓の外に目を向ける。
「…………雨…………」
窓の外から雨粒が落ちていくのが見え、うっすらとだが雨音が聞こえてくる。今はまだ雨が降っているが、未来ではこの後雨が雪に変わるという言葉を、青年は思い出した。
そんな曇った空をグレイは眺め、口を開いた。
「…………………………もう、いいでしょ」
瓶を元の机に力強く置く。
ダン、という音が工場内に響き渡る。
「もういいよね?行っていいよね?向かっていいよね?」
誰に言う訳でもなく独りでに呟く。嬉しそうに顔に笑みを浮かべながら言葉は続いた。
「いいよねいいよねいいよねいいよね!!い、い、よ、ねもういいでしょ!!?ボ、僕は耐えたァ!我慢したァ!だから、だからだからあいつを、ロザリアを迎えてもいいよねぇええええええええええ!!!!!???」
狂気じみた歓喜がグレイ・ベルの心を埋め尽くす。
その眼がギロリと動き、工場の出口を捉える。
一歩、前に進む。
「いや……その前にあいつらからだ…………僕の……僕の僕の僕の僕のロザリアを穢したゴミどもがああああああああ!!!!ぶっ殺すぅぅうううう!!!よくもよくもよくもよくも!!僕だけなのにィ……僕が持つ権利があるのにィ…………」
一歩、前に進む。
「へ、へ、へ、へ、へ。我慢できないィどうしよう??はやくしたいよはやくはやく、はやく連中を灰化させ………………………………」
一歩、前に進まず立ち止まった。
グレイ・ベルは外に出るために歩き出していた。工場は彼が消えた後、中に静寂が訪れるはずだった。
出口のドアが開く。
そしてそこから一歩、足が前に進んだ。
本来の予定にはない第三者が、工場の中に入ってきた。
「………………………………………………………………あ??????」
「――――――お前が、グレイ・ベルか」
口に開けて啞然としているグレイ・ベルに、現れた灰色の髪の少年はそう問うた。
「――――――お前が、グレイ・ベルか」
男は啞然として俺を見ている。
一歩、前に進む。
工場の中は廃れていて、酷い悪臭だった。
「………………誰だよ、オマエ?」
「…………」
男を今一度よく見る。
ボサボサの髪にヨレヨレの服。清潔感などなく見るからにボロボロな状態。誰がどう見たってみすぼらしい風貌。
セーレの資料で見た、グレイ・ベルで間違いないだろう。
「おい、誰だって」
「…………アンタの妹の、友達だよ」
「………………………………トモダチ?」
グレイは意味が解らないように首をかしげる。
「あぁ。それで今はアンタを止めに来た」
「…………とめる??」
「いちいち説明はしない。どうせ頭イってんだろうと思ってるから。それでも一つ言いたい」
「……あ?」
「お前……実の妹を何だと思ってるんだよ」
グレイは目を見開く。
それを言われるとは思わなかったと言わんばかりに激しく動揺し、数歩後ろに下がる。
「ミシェルが……今どんな気持ちなのか知ってるのかよ?」
俺の言葉にグレイは俯く。どんな表情かは見て取れない。
だが、その口からあまりにも小さな声を出た。
「………………………あいつ………傷ついてる?」
「――とてもな」
「…………ヒ…………………ヒヒヒ…………………ヒヒヒヒヒヒ!!!!」
俺の答えが面白かったのか、長年の願いが叶ったかのようにグレイは喜んだ。
顔を上げると満面の笑みに変わっていた。
「やった………やったやったやったやった!!!やったざまあみろ!!!僕を、僕の絶望が遂にあいつに伝わったんだ!!」
「……………………」
「あの野郎に任せて心配だったけど………………いや、よく考えたら僕もそうしてたか!?ア、アハハハハハハハ!!最高だよ!!だったら今すぐにでも迎えてあげなああああああああああ!!??」
しゃべってる最中にグレイは大きく吹き飛び、奥の物入れに勢い良く突っ込んだ。
全力で放った俺の風魔法によって吹き飛ばされたのだ。
「……正直お前に少しだけ同情してたけど、そこまで狂ってんならもういい。聞いた俺が間違いだった…………こいよ、俺がお前を現実に連れ戻してやる」
グレイが起き上がり、額から流れる血をゆっくり拭き取る。
理解が追い付いていないのか、ポカンとした顔で拭った血を何度も確認していたが、だんだんとその顔が怒りによって歪みだす。
「……痛ったいな…………痛ったいな痛ったいな痛ったいな痛ったいな!!!お前ええええええええええ!!!!!」
殺意の音を乗せて俺に吠える。
そして落ちていたバールを手に取り、腕が白く光だし……
「骨灰に生れ!!!」
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