傷の舐め合い
「ロザリア・ミシェル?」
その名に聞き覚えがある、というか知っている。彼女は学校では有名人だったからだ。
「あ、でも、知らないのも仕方ないでしょう。去年は、お互い話したことはないのですから」
ミシェルさんはそうフォローしてくれたが、俺は何故今まで思い出せなかったのかが不思議でならない。
確かに一年の時は喋ったことはない。クラスも違うし、選択科目の授業も被らなかった。
だが、それでも彼女のことは知っていた。
ロザリア・ミシェル。学校の人気者で優等生。家が名家なことや容姿でかなり有名であり、その美貌で一月で何人もの生徒に告白されるのも珍しくはない。
春休み初日に、シャロム先生とそんな話をしたのを思い出す。
他にも、去年おこなわれたB階級模擬試験や魔法学校対抗戦での活躍。話したことが無くても顔を知る機会などいくらでもあったのだ。
同じ学校にいて彼女の事を知らない者はいない。それほど彼女は目立っていた。
だというのに、俺は今まで気付かなかった。
「……確かに喋ったことはないですけど。でもすみません、同級生なら覚えておくべきなのに」
「大丈夫ですよ。私なんか、覚えておかなくてもいいんですから」
そう謙遜するが、ミシェルさんほどの人物は覚えない方がおかしいと思う。
「…………」
「…………」
と、そこで会話が途切れてしまった。
部屋に沈黙が流れ、外の雨音が妙に強く感じる。
ミシェルさんも居心地が悪そうで、チラチラとこちらを見てくる。
だけど申し訳ないが、あまりに意外な人物だったのでこちらは何て声を掛ければいいのかが分からない。まさか初めての会話がこんな形になるだなんて思わなかった。
何度か挨拶程度はしようとしたが、ミシェルさんには取り巻きが多く、簡単に話しかけられなかった。が、こんな状況だと逆になんて話せばいいのか迷ってしまう。
どうしたものかと頭を悩ませていると、向こうから切り出してきた。
「えっと、着ていたものは洗濯箱の中に入れて、勝手に魔法陣で時間を設定してしまいましたけど、よろしかったでしょうか?」
「……へ?あ、全然大丈夫です……すみません、本当だったらこっちがやっておくべきだったのに。あの洗濯箱、結構古い物でしたから操作するの大変だったでしょう?」
洗濯箱とは、名前の通り洗濯をしてくれる魔法具だ。
箱と言っても大きく、小さな子供ならすっぽり入って余りある大きさだが、その中に洗濯物と洗剤を入れると自動的に水が出て洗ってくれる。
洗濯物の量によって時間の設定をしなければいけないが、最近の洗濯箱は入れるだけで箱自体が時間を設定してくれ、水とだけではなく洗剤も出てくるらしい。
が、俺の家のは古く、時間だけではなく水の量もいちいち設定する必要があるので非常にめんどくさい。名家のお嬢様にとってはかなり手間取るものと思っていたが……
「いえ、ああいうのは使い慣れていたので平気でした。むしろ私は、今の方がまだ慣れないというか……おかしいですよね。洋服を入れるだけなのに、なぜか箱に触れてしまうんです」
名家といえど全部が全部最新の物ではないのかもしれないが、使い慣れてた?昔から自分で洗濯していたのだろうか。ただ甘やかされているだけのお嬢様ではないということか。
「それによくよく考えたら男に自分の服とか触らせる訳にはいかないですよね。下着とかもあるんだし」
異性に、それもほぼ初対面の男性に自分の衣服を触れられるのは嫌だろう。
「…………」
「ん……?」
俺がそう口にするとなんだか凄く警戒した顔になった。
「……一つ気になったのですけど、この服はお姉さんのですか?」
もしかしたらセクハラだったか?と思っていると口を開けてこう尋ねてきた。どうやら今着ているカーディガンのことを言っているらしい。
ちなみに彼女が今履いている黒いズボンは俺のだ。今も見るとよく履けたな。
「いや、それは妹のです」
「妹さん、のですか?私でも少し大きいサイズですよ?」
「えぇ。妹、身体の成長が早かったので大きめの服を買ってたんです」
ミシェルさんは驚いた顔になる。確かに、自分より年下の子の服が、自分の身体よりも大きいのだから当然だろう。
(――あいつも、身体のことを嘆いていたしな)
大きい大きいと一人で文句を言って、鏡の前で悶えていた姿を思い出した。
懐かしいことを思い返していると、警戒を緩めた顔で新たな質問をしてきた。
「じゃあ、この……下着も妹さんの?」
――その言葉に俺の脳が危険信号を出した。これは不味い、と。
「…………」
「あの、メタスタシスさん?」
黙り込んでしまった俺を心配し声をかけてくる。
俺は何度か心の中で自問自答を繰り返し、ようやく言葉を吐き出した。
「……は……の、です」
「え?」
「それは、母親の、です……」
「――――」
ミシェルさんの顔が最初の質問と同じ、いやそれ以上に警戒した顔になる。
「……お母様には、許可を?」
「……いや、部屋見てもらえれば分かると思うけど、俺一人暮らし、です」
辺りを見渡し、部屋が狭く逃げ出す道はないことを知ると、警戒した顔から泣きそうな顔に変わる。
……うん、知ってた、こうなるって。
「……ど、ど、どうして、貴方が持っているんですか?」
緊張からか、声が震えている。
まあ、一人暮らしなのに母親の下着なんて持っていれば不審者としか思えないだろう。
誤魔化すべきか、それとも理由を言うべきか。
ここで誤魔化した方が俺が少し不審に思われるだけで済むかもしれない。本当のことを言ったら信じてもらうのは難しいだろう。
でも、俺を見つめる彼女の眼は……
さっきよりも長く、心の中で自問自答を繰り返し、口を開いた。
「――遺品なんです、母の」
「…………え?」
迷った結果、本当のことを言った。
誤魔化そうとも考えたが、彼女の眼は、絶対に噓を見抜こうとしているのを感じた。だからさっきも、母のだと正直に明かしたんだ。
「い、遺品?で、でも、何で下着なんかを?」
「その、他になかったんです。それぐらいしか手元に残らなかったんですよ」
そう、これしかなかった。思い出の品はこれしか無く、俺が見つけたのはこれだけだった。
だから、これを持つしかなかった。
「……遺品というのは、お母様は……」
「……五年前に色々あって。その前には、父も」
あ、という表情でミシェルさんは固まってしまう。
父親のことは、言うべきではなかったと今になって後悔した。
「………ごめんなさい、辛いことを聞いてしまって」
「…………こちらこそ、すいません。辛気臭い話をして」
再び訪れる沈黙。
しかし、それを破ったのはまたも彼女だった。
「……でも、家族を無くした気持ちは解ります。私も、そうですから」
へ?と思わず声が出る。
「私の苗字、昔は違ったんです」
警戒でも泣きそうでもなく、苦悩に満ちた顔で彼女は語る。
「昔と違う?」
「親が離婚したんです」
衝撃的な事実だった。
あのミシェルさんにそんな暗い事情があったなんて。
「昔は、マグスだったんですけど、両親が離婚して私は父の方に付いたんです。その後父がミシェル家の、今の母と再婚して苗字が変わったんです」
「そんなことが。でも、どうして離婚を……?」
「二人の仲が悪かったんです。昔はそれほどでもなかったんですけど、ある時から喧嘩ばかりするようになって」
彼女は辛そうな顔で語っていた。
理由は分からないが、途中から両親は不仲になった。でもそれは、それ以前の不仲になる前の期間があったということ。
なら、辛いだろう。だって幸せに暮らしていたのに、それが壊れていくのを間近で見ていたのだから。
「どうして、仲が悪くなったんでしょう?」
「……分かりません。母がある時から突然おかしくなったんです。父がそれを宥めようとして、でも出来なくて」
「…………」
「母は喧嘩してる時に私に向かって言ってました、『あなたなんかのもういらない』って。私にはそれが辛くて……」
「――じゃあ、お母さんは一人に?」
そう聞くとビクッと肩が反応した。
「…………兄が、いたんですけど、母の方に行ってしまったんです。兄は母が心配だと、言って……」
あまりにも、声が震えていた。
それは泣きそうになるのを必死に堪えるようで……
「……ごめんなさい、変に同情してしまって。家族を失ってる貴方の方が、何倍も苦しいのに」
……何も言えなかった。
こういう時、俺はなんて言えばいいのか分からない。気の利いたことを言えればいいのだが、言葉が思いつかなかった。
三度、重い沈黙が部屋を支配する。
今度は何も聞こえない、心が痛むほど静かな……
(……聞こえない?静かな?)
俺は立ち上がって窓の外を見た。
「…………止みましたね」
「…………え?」
「雨、止みました」
雨音が聞こえない。
夕方に降っていた雨はもう止んでいた。
「あ、そ、そうでしたね、だったら多分洗濯も終わったと思います。私取りに行ってきます」
彼女はそう言って立ち上がり、玄関に向かおうとする。
「ミシェルさん」
その背中に声をかけた。彼女は立ち止まり、こちらに振り向く。
結局、なんて声を掛ければいいのか分からない。
だけど、これだけは言うべきと思った。
「ありがとう、同情してくれて」
「――――」
「ミシェルさんも、辛いことを打ち明かしてくれてありがとう。酷いと感じるかもしれないけど、何だか、辛いのは一人じゃないって思うことができました」
なんだかんだ、俺は辛かったんだ。皆いなくなったことが、あの三つの悪夢に出てくるぐらい。
でも、例え同じ境遇じゃなくても、家族と離れて辛いと感じる人が身近にいる。それを知って、何だか楽になった。
「だから、辛いことがあれば言ってください。大したことはできないかもだけど、話を聞くだけなら、俺でもできますから」
彼女は呆然として立ち尽くしていたが、自らの手で目を覆い顔をそむけた。
肩は震えていて、しばらく動かなかった。
「…………じゃあ、一つ聞いてくれますか?」
口元が動き、ゆっくりと覆っていた手を離した。
「さん付けはいらないですよカエデス君。それに、さっきも言いましたけど、敬語はやめてください」
泣きそうで、悲しそうで、嬉しそうで、色んな感情がぐちゃぐちゃになった顔だった。
「……あぁ、分かった。でもそっちだって敬語じゃないか。何だか不公平じゃね?」
「私はいいんです、だってこれが素の喋り方ですから」
ミシェルは今日出会って初めて、心の底からの笑みを見せた。
その後ミシェルは帰っていった。
家まで送ろうと言ったのだが、一人で帰れると聞かなかったので、傘だけ渡して玄関から見送った。
姿が見えなくなったのを確認して、シャワーを浴びた。
ユニットバスの棚にあるパジャマに着替えて、ふと洗濯箱の中を見た。今日俺が着ていたものを除けば、女性物のカーディガンと下着、そして俺が履いてるズボンがあった。
妹のカーディガン、母親の下着、俺のズボンと女子に着せるものとは思えない。
自分自身に少し呆れながら、部屋に戻った。
テーブルには、ミシェルの為に用意したコーヒーが入ったコップが置かれていた。
「……そういえば、結局飲まなかったな」
コップの中のコーヒーを見ながらそう呟き、夕食の準備を進めた。
おっちゃんのとこから買ってきたパン(もちろん無事なヤツだけ)とコーヒーが今日の夕食だ。
パンを食べながら、今日一日を振り返る。
魔力供給の練習のセーレの魔術師発言、パン共の脱走とミシェルの出会いと過去、もう何だか色々あって本当に疲れた。
明日はセーレのところに行くのはやめよう。別に毎日来なくてもいいらしいし。
……それにしてもセーレもそうだが、ミシェルの話は驚いたな。
まさかあんな過去があったとは知らなかった、学校ではいつも微笑んでるイメージが強いからだろうか。
あんなに人に好かれていて、学校内だけじゃなくて登校中や下校中にも沢山の人に囲まれてるのに、辛い過去を心の内に押し込んでいるのだろうか。それを考えると、こっちが辛くなる。
「……そういえばアイツ、何でこの町にいるんだ?」
五年近くこの町にいるが、ミシェルが住んでるなんて聞いたことがない。
もし住んでいたら、どこかで顔を見合わせることになるし、学校の連中がこの町に大勢来るだろう。
そもそもミシェル家はここではなく、『ファブニール』にあるとヘルフェンから聞いた気がする。
それに会った時の、あの取り乱しは一体……
(ミシェルは、何でここにいたんだ?)
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